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  1. 仏説善生子経 (佛說善生子經)
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善生子経 (善生子經)

「善生子經」について

西晋 · 底本の訳者:支法度

2,898 字 · 約 10 分

『善生子経』は、西晋時代の高僧・支法度によって漢訳された仏教経典であり、初期中国仏教の重要な典籍の一つです。この経典は、善生子居士が仏陀に教えを請うた縁起から始まり、在家の信者がいかにして仏法を実践し、家庭や社会との関係を整えるかについての智慧を説いています。経文では、居士の五戒、財産の管理の道、人との交わり方など、生活における倫理が重点的に論じられており、仏教が世俗の中で修行する思想を表しています。初期の漢訳仏典として、『善生子経』は仏教が中国化する過程で世俗の倫理を重視したことを反映しており、魏晋時代の仏教伝播と社会への影響を研究する上で重要な文献を提供しています。この経典は、中国仏教の倫理思想史上において独特な地位を持ち、今日でも仏教在家信者の修行学習における重要な参考とされています。


佛說善生子經

仏説善生子経

西晉沙門支法度譯

西晋の沙門、支法度の訳

聞如是:

このように聞きました。

一時,眾祐遊於羅閱耆闍崛山。彼時居士善生疾病困篤,勅其子曰:「吾沒之後,汝必為六面禮。」於是善生他日殞命,子乃敬送供養,喪事訖畢,輙早起沐浴,著新衣,之水上,拜謁六面而言曰:「余以恭肅敬禮子,于東方之生,彼又我敬焉。」周旋南方、西方、北方、上、下,面面同辭。

あるとき、世尊は羅閲耆闍崛山に遊んでおられました。そのとき、居士の善生は病が重く、床に伏していました。善生は息子に命じて言いました。「私が亡くなったら、そなたは必ず六方に礼をしなさい」と。やがて善生は別の日に命を終え、息子は丁重に葬送し供養し、喪事をすべて終えると、すぐに早起きして沐浴し、新しい衣を着て、水辺へ行き、六方に礼拝してこう言いました。「私は恭しく敬ってあなたがたに礼をします。東方に生まれるものたちよ、あなたがたをも私は敬います」と。そして南方、西方、北方、上、下と巡り、どの方角でも同じ言葉を唱えました。

爾時,佛晨旦著衣持鉢適欲入城,見居士善生子於水上六面拜謁如是。眾祐則從而問曰:「居士子!汝何?近聞必當早起沐浴,著新衣,之水上,拜謁六面,自說『恭肅敬禮拜于諸方』而又浴。彼之敬者,是何師法?善生子!」

そのとき、仏は朝早くに衣を着けて鉢を持ち、ちょうど町へ入ろうとされていました。そのとき、居士の善生子が水の上で六方に礼拝しているのをご覧になりました。そこで世尊は、その様子をたどって問いかけられました。「居士の子よ、そなたは何をしているのですか。近ごろ聞くところでは、必ず早起きして沐浴し、新しい衣を着て、水の上に出て六方に礼拝し、自ら『恭しく粛やかに、敬い礼して諸方に拝む』と言い、また沐浴しているとのことです。そなたが敬っているその礼拝は、いったい誰の師の法なのですか、善生子よ。」

善生子對曰:「吾父臨亡,先有此令,是以遵行,不聞之於師也。」

善生子がお答えしました。「私の父は亡くなるにあたって、あらかじめこの教えを遺しました。それで私はこれに従って行っているのであって、師から聞いたものではございません。」

眾祐報曰:「居士子!父所言者非此六方也。且而晞坐六面之欲,如有四面垢惡之行,不能悔者,則是身死,精神當生惡道地獄之中。夫人以四事為勞,當識知。何謂四?一為好殺生,二為好盜竊,三為婬邪行,四為喜妄語。」佛頌其義曰:

世尊はお答えになりました。「居士の子よ、父が言ったのは、この六方のことではありません。そもそも、そなたが座して六方の欲に接するとき、四方に汚れた悪い行いがあり、それを悔い改めないなら、その身が死んだ後、精神は悪道の地獄の中に生まれることになります。人は四つの事を労苦とします。それをよく知らなければなりません。四つとは何でしょうか。一つは殺生を好むこと、二つは盗みを好むこと、三つは淫らな邪行、四つは妄語を好むことです。」仏はその意味を偈で説かれました。

「殺生與盜竊, 欺詐為妄語,
趣向他人婦, 不為智者譽。

「殺生と盗み、 欺きは妄語であり、 他人の妻に近づくことは、 智者に称賛されません。」

「又,居士子!有四事或往惡道。何謂四?一為欲,二為怒,三為癡,四為畏。」頌其義曰:

また、居士子よ、悪道へと向かわせる四つのことがあります。何がその四つでしょうか。一つには欲、二つには怒り、三つには癡、四つには畏れです。」その意味を偈に頌して次のように述べています。

「有欲、怒、癡、畏, 不承受正法,
是以名處下, 猶月陰退虧。
無欲、怒、癡、畏, 而承受正法,
是以名處上, 猶月陽進滿。」

「欲と怒りと癡と畏れとを抱き、正法を受け入れない人々は、それゆえ下の位にあると呼ばれます。ちょうど月が陰り、欠けて退くようなものです。 欲と怒りと癡と畏れとを離れ、正法を受け入れる人々は、それゆえ上の位にあると呼ばれます。ちょうど月が陽の気を受けて満ちていくようなものです。」

「又,居士子!有六患,消財入惡道,當識知。何謂六?一為嗜酒遊逸,二為不時入他房,三為博戲遊逸,四為大好伎樂,五為惡友,六為怠惰。」頌其義曰:

また、居士の子よ、財を費やして悪道に入る六つの患いがあります。よく知るべきです。何が六つでしょうか。第一は酒を嗜み遊びふけること、第二は時ならぬに他人の家に入ること、第三は博戯に遊びふけること、第四は伎楽を大いに好むこと、第五は悪友を持つこと、第六は怠惰であることです。」その意味を頌で次のように述べています。

「飲酒、入他房, 博戲、好伎倡,
惡友與怠惰, 聖哲所不稱。

「酒を飲むこと、他人の部屋に入ること、賭け事や遊びにふけること、歌や舞の芸人を好むこと、悪い友と交わること、怠けること——これらは聖者や賢者が称賛しないものです。

「夫酒有六變,當知。何謂六?為消財,為致病,為興爭,為多怒,為失譽,為損智。已有斯惡則廢事業,未致之財不獲,既獲者消,宿儲耗盡。」

酒には六つの変わり目があることを知るべきです。六つとは何でしょうか。財を消し尽くすこと、病を引き起こすこと、争いを起こすこと、怒りを多くすること、名誉を失うこと、知恵を損なうことです。すでにこのような悪があれば事業は廃れ、まだ得ていない財は得られず、すでに得たものは消え、蓄えていたものも使い果たしてしまいます。

「婬邪有六變,當知。何謂六?不自護身,不護妻子,不護家屬,以疑生惡,怨家得便,眾苦所圍。已有斯惡則廢事業,未致之財不獲,既獲者消,宿儲耗盡。

「婬邪には六つの変り目があります。どういうことかというと、自らの身を護らず、妻子を護らず、家族を護らず、疑いによって悪を生じ、怨みを持つ者に付け入る隙を与え、多くの苦しみに囲まれてしまうのです。すでにこのような悪があれば、事業は廃れ、まだ得ていない財は得られず、すでに得たものは消え、蓄えていたものも使い果たしてしまいます。

「博戲有六變,當知。何謂六?勝則生怨,負則熱中,朋友慼之,怨家快之,有獄凶憂,人眾疑之。已有斯惡則廢事業,未致之財不獲,既獲者消,宿儲耗盡。

博戯には六つの変わり目があります。それを知るべきです。六つとは何でしょうか。勝てば怨みを生じ、負ければ熱中し、友人はこれを悲しみ、怨家はこれを喜び、獄の凶い憂いがあり、人々はこれを疑います。すでにこのような悪があれば事業は廃れ、まだ得ていない財は得られず、すでに得たものは消え、蓄えは使い果たされます。

「好樂有六變,當知。何謂六?志在舞,志在歌,志在絃,志在節,志在鼓,志在彼。已有斯惡則廢事業,未致之財不獲,既獲者消,宿儲耗盡。

好楽には六つの変わり目があります。それを知るべきです。六つとは何でしょうか。舞に志し、歌に志し、絃に志し、節に志し、鼓に志し、かのことに志すことです。すでにこのような悪があれば事業は廃れ、まだ得ていない財は得られず、すでに得たものは消え、蓄えていたものも使い果たしてしまいます。

「惡友有六變,當知。何謂六?習醉迷,習惛亂,習縱恣,習酒舍,習小人,習鄙語。已有斯惡則廢事業,未致之財不獲,既獲者消,宿儲耗盡。

悪しき友には六つの変わりやすい性質があることを知るべきです。六つとは何でしょうか。飲酒の習慣によって心が迷うこと、飲酒の習慣によって心が乱れること、飲酒の習慣によって放縦になること、酒場に慣れ親しむこと、つまらない人間と交わること、卑しい言葉に慣れることです。すでにこのような悪があれば事業は廃れ、まだ得ていない財は得られず、すでに得たものは消え、蓄えていたものも使い果たしてしまいます。

「怠惰有六變,當知。何謂六?飽不作,飢不作,寒不作,熱不作,晨不作,昏不作。已有斯惡則廢事業,未致之財不獲,既獲者消,宿儲耗盡。」頌其義曰:

怠惰には六つの現れ方があります。知っておくべきです。六つとは何でしょうか。満腹でも働かず、空腹でも働かず、寒くても働かず、暑くても働かず、朝も働かず、夕方も働きません。すでにこのような悪があれば事業は廃れ、まだ得ていない財は得られず、すでに得たものは消え、蓄えていたものも使い果たしてしまいます。その意味を頌で述べると、次のようになります。

「好色樂歌舞, 晝息夜從彼,
惡友與怠惰, 士為斯大損。
博戲酒慌壞, 志在彼婦女,
遠賢而近愚, 其損猶月毀。
行身自憍大, 毀蔑沙門道,
邪見而行慳, 是謂慢盪士。
夫酒妨財用, 少利飲大渴,
病水興債負, 作亂危身疾。
或以酒結友, 或以酒犯法,
若以成美利, 斯有猶可忍。
或晝如奉戒, 昏夜道為姧,
常依于酒廬, 如此慎勿親。
天自寒至暑, 如草不貴己,
精進修事業, 爾利是用損。
若能忍寒暑, 如草不貴己,
精進修事業, 則安且益矣。
狎下為漸消, 習上未曾損,
進善超然尊, 以善必得善。
大善則遘善, 誠善能兼習,
親戚之所尚, 奉戒以滅惡。
是以當為習, 已有行復行,
其為親戚上, 如帝莅於眾。

好色で歌舞を楽しみ、昼は休んで夜は彼らに従い、 悪友と怠惰は、士にとって大きな損いとなります。 博打と酒に心を乱され、志がかの婦女に向かい、 賢者を遠ざけて愚者に近づけば、その損いは月が欠けるようなものです。 身の行いを誇り高ぶり、沙門の道を蔑み、 邪見を抱いて物惜しみする、これを慢蕩の士といいます。 そもそも酒は財の用を妨げ、わずかな利のために飲めば大きな渇きを生じ、 病や水腫、借財を招き、乱を起こして身を危うくし、病を招きます。 あるいは酒で友と結び、あるいは酒で法を犯し、 もしそれによって良い利を得るなら、これならばなお忍ぶこともできましょう。 あるいは昼は戒を奉じるかのようでありながら、夜は道にそむいて悪を行う、 常に酒場に身を寄せる者には、このように慎んで近づいてはなりません。 天が寒から暑へと移るように、草のように自分を尊ばず、 精進して事業を修めるなら、その利はこのように損なわれることはありません。 もし寒暑を忍び、草のように自分を尊ばず、 精進して事業を修めるなら、安らかでしかも益があるでしょう。 下劣な者と狎れ親しめば次第に消え、優れた者に学べば損なわれることはありません。 善を進めれば超然として尊く、善をもってすれば必ず善を得ます。 大いなる善はすなわち善に遇い、誠の善はよく兼ねて習うことができ、 親戚が尊ぶところとなり、戒を奉じて悪を滅ぼします。 ですから習うべきであり、すでに行ったうえにさらに行い、 親戚の上に立つこと、帝が衆の上に臨むようなものです。

「又,居士子!有四友非友像,當識知。何謂四?一為取異物,二為言佞,三為面愛,四為邪教。」頌其義曰:

また、居士の子よ、四種類の友人がいて、友人のようでありながら実は友人ではない者がいます。よく見分けなさい。四つとは何でしょうか。第一は他人の物を取る者、第二は言葉巧みな者、第三は表面だけ親しげな者、第四は邪な教えに導く者です。その意味を偈に説いてこうあります。

「取異物之友, 言美以順耳,
面談為媚愛, 邪教相危殆。
斯以非友像, 智者則不友,
已識當遠離, 譬猶出澁道。

異物を取る友、その言葉は美しくして耳に順らわしく、 面と向かっては媚びへつらい、邪な教えで互いに危うく陥れます。 これは友の姿ではありませんから、智者はこれと友となりません。 すでに見分けたなら遠ざかるべきです。ちょうど澁い道を抜け出るように。

「取異物之友,當以四事知。何謂四?貪取彼物,與少望多,為畏故習,為利故習。」頌其義曰:

「異物を取る友は、四つのことによって知るべきです。四つとは何でしょうか。相手の物を貪り取ること、少し与えて多くを望むこと、恐れのためにつき従うこと、利益のためにつき従うことです。」その意味を偈に説いてこうあります。

「夫以取彼物, 少與而多欲,
畏習與利習, 貪人友際然。
斯以非友像, 智者所不友,
已識當遠離, 譬猶出澁道。

他人の物を取る者は、少ししか与えないのに多くを欲しがり、畏れに慣れ、利に慣れていて、貪欲な人はこうした交友のあり方に親しみます。これは友の姿ではありませんから、智者は友としません。すでにそれと見分けたなら、遠ざかるべきです。ちょうど、ぬかるんだ道を抜け出るように。

「言佞之友,當以四事知。何謂四?宣人之私,自隱其私,面偽稱善,退則興誹。」頌其義曰:

「言葉巧みな友とは、四つのことによって知るべきです。何が四つでしょうか。人の私事を言いふらし、自分の私事は隠し、面前では偽って善いと言い、陰では誹謗を起こすことです。」その意味を偈に説いてこうあります。

「好行宣人私, 有私而自隱,
面從褒揚善, 退則議其惡。
斯以非友像, 智者所不友,
已識當遠離, 譬猶出澁道。

「人の私事を好んで言いふらし、自分の私事は隠し、面前では従って善いと褒め揚げ、退いてはその悪を議する。これは友の姿に非ず、智者が友としないところです。すでにそれと知ったなら遠ざかるべきです。ちょうど澁道を出るように。

「面愛之友,當以四事知。何謂四?說人往短,陰求來過,與之不寶,欲人有厄。」頌其義曰:

「面愛の友は、四つの事によって知るべきです。何が四つでしょうか。人の過去の短所を言いふらし、ひそかに将来の過ちを求めて、宝を分かち与えず、人が災難に遭うことを望むことです。」その意味を偈に説いてこうあります。

「為於不可為, 不利造妄語,
與而不為寶, 願人厄請已。
斯以非友像, 智者所不友,
已識當遠離, 譬猶出澁道。

できないことを引き受けながら、偽りの言葉を語ることは損になります。与えても宝とはならず、人の災いを願い、請われるままに引き受けてしまうのです。

これは友の姿ではありません。智者が友としない者です。すでに見分けたなら、遠ざかるべきです。ちょうどぬかるんだ道を避けるように。

「邪教之友,當以四事知。何謂四?以殺生之事勸化人,以盜竊、以婬邪、欺詐之事勸化人。」頌其義曰:

「邪教の友とは、四つのことによって知られます。何が四つでしょうか。殺生のことを勧めて人を教化し、盗みや婬邪、欺詐のことを勧めて人を教化することです。」その意味を偈に説いてこうあります。

「殺生與盜竊, 欺詐為妄語,
趣向他人婦, 以此勸立人。
斯以非友像, 智者所不友,
已識當遠離, 譬猶出澁道。

殺生と盗み、欺きと妄語、 他人の妻に近づくこと、これらを人に勧めて立てるのです。 これらは友の姿をしたものではありません。智者は友としません。 すでにそれと知ったなら、遠ざかるべきです。ちょうど澁道を出るように。

「又,居士子!有四友為仁明欲利人,當識知。何謂四?一為同苦樂,二為利相攝,三為與本業,四為仁愍傷。」頌其義曰:

「また、居士の子よ、仁と明を備え、人を利益しようとする四種の友がいます。よく識知しなさい。何を四つとするか。第一は苦楽を共にする者、第二は利益をもって互いに摂受する者、第三は本業を授ける者、第四は仁をもって愍み傷む者です。」その意義を頌して次のように説きます。

「與人同安危, 攝之以善利,
為厚能業人, 哀愍導正道。
如斯為友像, 智者所習諷,
當與此從事, 必益不為惡。

人と安危を共にし、 善き利益をもってこれを摂め、 厚く能く業をなす人となり、 哀愍をもって正道へと導きます。 このようなものが友の姿であり、 智者がよく親しみ学ぶところです。 このような友と共に事をなすべきであり、 必ず益をもたらし、悪をなすことはありません。

「同苦樂之友,當以四事知。何謂四?施之以己所寶,施之以妻子利,施之家所有,言忠為忍言。」頌其義曰:

「苦楽を共にする友とは、四つの事によって知るべきです。四つとは何でしょうか。自分の宝を施すこと、妻子の利益を施すこと、家にあるものを施すこと、忠実な言葉を語り、堪え忍ぶ言葉を言うことです。」その意味を頌にすれば、次のとおりです。

「與其利己者, 有財利亦與,
與以家之利, 言忠為忍言。
如斯為友像, 智者所習親,
當與此從事, 必益不為惡。

自分だけを利する者には、財の利も与えず、 家の利も与えず、忠実な言葉も忍び難い言葉も語らない。 このような者は友の姿をした者です。智者が親しみ慣れるべき相手ではなく、 このような者と事を共にすれば、必ず害があり、善にはなりません。

「利相攝之友,當以四事知。何謂四?彼私不宣,己私不隱,面說善言,還為弭謗。」頌其義曰:

「利益を分かち合う友は、四つのことによって知るべきです。四つとは何でしょうか。相手の秘密を漏らさず、自分の秘密を隠さず、面と向かって善い言葉を述べ、陰でなされた誹謗を打ち消してくれることです。」その意味を頌にすれば、次のとおりです。

「以不宣彼私, 己私不為隱,
相見語講善, 還則弭誹謗。
如斯為友像, 智者所習親,
當與此從事, 必益不為惡。

相手の秘密を漏らさず、自分の秘密を隠さず、 顔を合わせては善いことを語り合い、陰でなされた誹謗を打ち消してくれる。 このような人が友の姿であり、智者が親しみ慣れていく相手です。 このような人と共に事をなせば、必ず益があり、悪を行うことはありません。

「與本業之友,當以四事知。何謂四?以利業之,以力業之,縱恣諫之,以善養之。」頌其義曰:

「本業の友と交わるには、四つの事をもって知るべきです。何が四つでしょうか。利益をもってその人を助け、力をもってその人を助け、放縦に流れるときは諫め、善をもってその人を養うことです。」その意味を頌にすれば、次のとおりです。

「業之以財利, 以力助安之,
切磋其縱恣, 將養其善志。
如斯為友像, 智者所習親,
當與此從事, 必益不為惡。

財によって利益をもたらし、力をもって安らかになるよう助け、その奔放さを戒め正し、善き志を育み養います。このような友の姿こそ、智者が親しみ慣れていくものであり、このような人と共に事を進めれば、必ず益を得て悪を行うことはありません。

「仁愍傷之友,當以四事知。何謂四?教勸竪立以成其信,成其戒,成其聞,成其施。」頌其義曰:

「仁愛と哀れみをもって相手を傷つけない友は、四つのことによって見分けることができます。四つとは何でしょうか。教え励まして信を立てさせ、戒を成就させ、聞を成就させ、施を成就させることです。」その意味を頌にすれば、次のとおりです。

「信、戒、聞、施道, 恒以勸化人,
如斯為友像, 智者所習親,
當與此從事, 必益不為惡。

「信・戒・聞・施の道を、常に人に勧め導き、 このような友の姿こそ、智者が親しみ習うところです。 この友と共に事に当たれば、必ず益を得て、悪を行うことはありません。

「又,居士子!夫東面者,猶子之見父母也。是以子當以五事正敬、正養、正安父母。何謂五?念思惟報家事,唯修責負,唯解勑戒,唯從供養,唯歡父母。父母又當以五事愛哀其子。何謂五?興造基業,與謀利事,與娉婦,教學經道經則,以所有付授與子。是為東方二分,所欲者,得古聖制法,為子必孝、為父母慈愛,士丈夫望益,而善法不衰。

また、居士の子よ、東の面とは、子が父母に接する姿にたとえられます。ですから子は、五つの事をもって父母を正しく敬い、正しく養い、正しく安んじるべきです。五つとは何でしょうか。家の事を思い、よく考えてその恩に報いること、負い目や務めをよく果たすこと、教えや戒めをよく守ること、よく供養すること、よく父母を喜ばせることです。父母もまた、五つの事をもってその子を慈しみ哀れむべきです。五つとは何でしょうか。家業の基を築き起こすこと、利益となる事を共に謀ること、妻を迎えること、経典の道や経典の則を教え学ばせること、自分の持ち物をすべて子に授け与えることです。これが東方の二つの側面であり、望むところは、古の聖人が定めた法にかなって、子は必ず孝を尽くし、父母は慈しみ愛し、士大夫は益を望み、善法が衰えないことです。

「夫南面者,猶弟子之見師也。是以弟子當以五事正敬、正養、正安於師。何謂五?必審於聞,必愛於學,必敏於事,必無過行,必供養師。師又當以五事哀教弟子。何謂五?以學學之,極藝教之,使敏於學,導以善道,示屬賢友。是為南方二分,所欲者,得古聖制法,為弟子謙,師以仁教,士丈夫望益,而善法不衰。

南面するというのは、ちょうど弟子が師を仰ぎ見るようなものです。ですから弟子は、五つの事によって師を正しく敬い、正しく養い、正しく安んじるべきです。五つとは何でしょうか。必ずよく聞くこと、必ず学びを愛すること、必ず事に敏いこと、必ず過ちの行いをしないこと、必ず師を供養することです。師もまた、五つの事によって弟子を哀れみ教えるべきです。五つとは何でしょうか。学ぶべきことを学ばせ、技芸を極めるまで教え、学びに敏くさせ、善い道へ導き、賢い友のもとにつかせます。これが南方の二分です。望むところは、古の聖人が定めた制法を得て、弟子は謙虚にし、師は仁をもって教え、士丈夫は益を望み、そして善法が衰えないことです。

「夫西面者,猶夫之見婦也。是以夫當以五事正敬、正養、正安其婦。何謂五?正心敬之,不恨其意,不有他情,時與衣食,時與寶飾。婦又當以十四事事於夫。何謂十四?善作為,善為成,受付審,晨起,夜息,事必學,闔門待君子,君子歸問訊,辭氣和,言語順,正几席,潔飲食,念布施,供養夫。是為西方二分,所欲者,得古聖制法、夫婦之宜,士夫望益,而善法不衰。

西面の夫婦のあり方とは、夫が妻を見るという関係にたとえられます。ですから夫は、五つの事柄によって妻を正しく敬い、正しく養い、正しく安んじるべきです。五つとは何でしょうか。心から敬うこと、その心を恨まないこと、他に情を向けないこと、時には衣食を与えること、時には宝飾を与えることです。

妻もまた、十四の事柄によって夫に仕えるべきです。十四とは何でしょうか。よく仕事をすること、よく仕上げること、言いつけをよく確かめて受けること、朝早く起きること、夜は早く休むこと、事は必ず学ぶこと、門を閉ざして良人を待つこと、良人が帰れば挨拶すること、言葉づかいを和らげること、言葉を穏やかにすること、座や敷物を整えること、飲み物や食べ物を清らかにすること、布施を心がけること、夫を供養することです。これが西方の二つの側面であり、望むところのもの、すなわち古の聖人が定めた法と夫婦の道を得て、人々は益を望み、善き法は衰えることがありません。

「夫北面者,猶友見其朋也。是以友當以五事正敬、正養、正安朋類。何謂五?正心敬之,不恨其意,不有他情,時時分味,恩厚不置。朋類又當以五事攝取其友。何謂五?有畏使歸我,遨逸則數責,私事則為隱,供養久益勝,言忠為忍言。是為北方二分,所欲者,得古聖制法、朋友之交,士丈夫望益,而善法不衰。

北面の関係とは、ちょうど友がその朋を見るようなものです。ですから友は五つの事をもって、正しく敬い、正しく養い、正しく朋類を安んじるべきです。五つとは何でしょうか。正しい心でこれを敬い、その意を恨まず、他情を抱かず、折にふれて味を分かち、恩を厚くして置き忘れないことです。朋類もまた五つの事をもってその友を摂取すべきです。五つとは何でしょうか。畏れを抱く者があれば自分のもとへ帰し寄せ、放逸に流れるならばたびたび責め、私事はこれを隠してやり、供養は久しくしてますます勝れ、言葉は忠実にして忍ぶ言葉を語ることです。これが北方の二分であり、願うところのもの、すなわち古の聖人が制を定めた朋友の交わりを得て、士丈夫は益を望み、善法は衰えないのです。

「夫下面者,猶長子之見奴客執事也。是以長子當以五事正敬、正養、正安奴客執事。何謂五?適力使之,用時衣食,時時分味,時時教齋,疾病息之。奴客執事又當以十事供養長子。何謂十?善作為,善為成,受付審,夜臥,早作,凡事必學,作務勤力,家貧不慢,空乏不離,出門稱曰『我家長子聰而有慧』。是為下方二分,所欲者,得古聖制法、長子執事之宜,士丈夫望益,而善法不衰。

「下方」とは、長子が奴客や執事に接する場合にたとえられます。ですから長子は、五つの事をもって奴客や執事を正しく敬い、正しく養い、正しく安んじるべきです。五つとは何でしょうか。適切に力を尽くして使うこと、用いる時には衣食を与えること、時々に味わいを分け与えること、時々に斎を教えること、病のときには休ませることです。奴客や執事もまた、十の事をもって長子に供養すべきです。十とは何でしょうか。よく働き、よく成し遂げ、託されたことをよく確かめ、夜は臥し、朝は早く起き、何事も必ず学び、仕事に勤め励み、家が貧しくても怠らず、乏しくても離れず、門を出ては『我が家の長子は聡明で慧がある』と称えることです。これが下方の二つの分であり、願うところの、古の聖人の定めた法と長子が執事を遇する道を得て、士丈夫が益を望み、善法が衰えないようにするものです。

「夫上面者,猶居家布施之人之見沙門梵志也。是以居之來當以五事正敬、正養、正安沙門梵志。何謂五?開門待之,來迎問訊,與設几席,經法藏護,施食潔淨。以是供養沙門梵志。沙門梵志又當以五事答布施家。何謂五?教誨以成其正信,教誨以成其戒行,教誨以成其多聞,教誨以成其布施,教誨以成其智慧。是為上方二分,所欲者,得古聖制法、居家及沙門梵志之宜,士丈夫望益,而善法不衰。」頌其義曰:

「そもそも上方とは、在家で布施をする人が沙門や梵志に出会うときのあり方をいいます。ですから在家の者は、沙門や梵志に対して五つの事をもって正しく敬い、正しく養い、正しく安んじるべきです。五つとは何でしょうか。門を開いて待ち、来れば迎えて挨拶し、座席を設け、経法を蔵し守り、清らかな食べ物を施すことです。これによって沙門や梵志を供養します。沙門や梵志もまた、五つの事をもって布施をする家に応えるべきです。五つとは何でしょうか。教え導いて正しい信を成し遂げさせ、教え導いて戒行を成し遂げさせ、教え導いて多聞を成し遂げさせ、教え導いて布施を成し遂げさせ、教え導いて智慧を成し遂げさせることです。これが上方の二つの分であり、願うところの、古の聖人の定めた法と、在家および沙門・梵志のあるべき道を得て、士丈夫が益を望み、善法が衰えないようにするものです。」その意味を頌して次のようにいいます。

「東面為父母, 師教宜南面,
西面為子婦, 朋友位北面,
奴客執事下, 沙門梵志上,
如此應為禮, 亦為居家宜。
凡人富有財, 當念以利人,
與人同財利, 布施者昇天。
得利與人共, 在在獲所安,
義攝世間者, 斯為近樂本。
夫以恩攝人, 如母之為子,
善攝護天下, 其福數數及。
上得處眾會, 能益利與安,
成人之信戒, 必使得名聞。
意與常不惰, 捨棄慳吝行,
攝人以友事, 飲食相惠施。
往來而又往, 如是名不虧,
夫能修慎身, 斯居家為賢。
居積寶貨者, 當興為仁義,
先學為最勝, 次乃為治產。
若索以得財, 當常作四分,
一分供衣食, 二為本求利,
藏一為儲跱, 厄時可救之。
為農商養牛, 畜羊業有四,
次五嚴治室, 第六可娉娶,
如是貨乃積, 日日尋益增。
夫財日夜聚, 如流歸于海,
治產求以漸, 喻若蜂作蜜。
有財無與富, 又無與邊方,
慳悋及惡業, 有力無與友。
事中用則學, 不用勿自妨,
觀夫用事者, 明好猶熾火。
其於族親中, 乃兼為兩好,
與親眾座安, 如釋處天宮。」

東面は父母のためであり、師の教えは南面にふさわしく、 西面は子や嫁のためであり、朋友の位は北面にあり、 奴や客、執事は下に、沙門や梵志は上に、 このように礼を行うべきであり、また家を治めるのにもふさわしいのです。 人として財に富む者は、人を利することを心がけるべきであり、 人と財利を分かち合えば、布施する者は天に昇ります。 得た利を人と共にすれば、どこにいても安らぎを得ます。 世間を義で包み込む者は、これが楽しみの本に近づく道です。 恩をもって人を包み込むのは、母が子を思うようなものです。 よく天下を包み護れば、その福はたびたび及びます。 上は衆会の場に身を置き、よく益と利と安らぎをもたらし、 人をして信と戒を成さしめれば、必ず名聞を得させることができます。 心は常に怠らず、慳吝の行を捨て、 友として人を包み込み、飲食を互いに恵み施します。 往来してまた往来すれば、このように名は損なわれません。 よく身を慎んで修める者は、これが家を治める賢者です。 宝貨を蓄える者は、仁義を興すべきであり、 まず学ぶことを最も勝れたものとし、次に財産を治めるのです。 求めて財を得たら、常に四つに分けるべきです。 一つは衣食に供し、二つは元手として利を求め、 一つを蓄えて備えとし、困った時にそれを救いに充てます。 農や商い、牛を養い、羊を畜え、業には四つがあり、 次に五つ目は家を整え治め、六つ目は嫁を迎えることで、 このようにして貨は積もり、日ごとにますます増えていきます。 財は日夜に集まり、流れが海に帰るようなものです。 財産を治めるには漸を以て求め、ちょうど蜂が蜜を作るようなものです。 財があっても富を分かたず、また辺方にも分かたず、 慳悋と悪業があれば、力があっても友を得ることはありません。 事に用いるものは用いることを学び、用いないものは自ら妨げてはなりません。 事を用いる者を観れば、明らかで好ましいことはなお燃え盛る火のようです。 その一族や親族の中にあっては、兼ねて二つの好をなします。 親族と共に衆座に安んじるのは、帝釈が天宮にいるようなものです。

於是善生子聞眾祐說已,即稽首佛足,下起繞三匝,欣然自歸,從佛受戒。

そこで善生子は、衆祐が説き終えられたのを聞くと、すぐに仏の足に頭を垂れて礼をし、身を起こして三度巡り、喜んで自ら帰依し、仏から戒を受けました。

佛說善生子經

仏説善生子経


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