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十二門論 (十二門論)

「十二門論」について

姚秦 · 龍樹菩薩造 著 · 底本の訳者:鳩摩羅什

1.1 万字 · 約 37 分

『十二門論(じゅうにもんろん)』は、インド大乗仏教中観学派の創始者である龍樹菩薩(ナーガールジュナ)によって造られた重要な論典であり、後秦の時代に著名な訳経師である鳩摩羅什(くまらじゅう)によって姚秦の弘始年間(399-416年)に漢訳されました。本論は中観の根本論典の一つに数えられ、十二の門(章節)によって体系的に般若空性の思想を闡明し、外道や部派仏教の実有見解を破斥して、縁起性空の中道正見を確立しています。内容は主に論理的論証を通じて、諸法が無自性であるという真理を明らかにし、大乗仏教の堅固な理論的基礎を築きました。漢伝仏教においては、『十二門論』は『中論』『百論』とともに「三論」と称され、般若空観を研究する核心文献であり、中国三論宗の形成に深遠な影響を与え、今日に至るまで仏学研究と実修における重要な指針となっています。


十二門論品目

十二門論の章立て

觀因緣門第一

観因縁門 第一

(萬法所因似各有性,推而會之實自無性,通達無滯故謂之門)

すべてのものは、それぞれに固有の性質があるように見えますが、突き詰めて考えてみると、実は固有の性質など何もありません。このことを妨げなく理解できる、それが「門」と呼ばれるのです。

觀有果無果門第二

「結果があるか、ないかを見る門」その二

(重推無性之法,為先有而生?為先無而生?有無無生,以之為門)

(無性の法を改めて推し究めるとき、それは先に有って生じるのか、それとも先に無くて生じるのか。有も無も生じない、これを門とする。)

觀緣門第三

(観縁門 第三)

(上推因,此推緣,四緣廣略皆無有果,故以為門)

(上が因を推し、ここで縁を推す。四縁を広く説いても略して説いても、いずれも果は存在しない。それゆえこれを門とする。)

觀相門第四

第四観相門

(上三門推因緣無生,此推三相,三相既無,以之為門)

(上三門は因縁無生を推す。ここでは三相を推す。三相がすでに無いので、これを門とする。)

觀有相無相門第五

有相と無相を観る門 第五

(此推三相之實,為有相而相?為無相而相?有無無相,故以為門)

(ここで三相の実義を推し量る。有相として相とするのか、無相として相とするのか。有無ともに無相であるから、これを門とする。)

觀一異門第六

一と異を見る門 第六

(即推有相無相,為在一法?為在異法?不一不異,以之為門)

(つまり、有相と無相は同じ一つの法にあるのか、それとも別の法にあるのかと考察します。一つでもなく、別でもない、これを門とします。)

觀有無門第七

有無を観る門 第七

(上推三相非相,此明四相亦非,生住為有變異?為無?同處不有,異處亦無,故以為門)

(以上は三相が相ではないことを述べたが、ここでは四相もまた相ではないことを明らかにする。生と住は変化があるのか、ないのか。同じところに存在することはなく、異なるところにもまた存在しない。それゆえ門とする。)

觀性門第八

観性門 第八

(既知有無,又推其性,變易無常從緣而有,則非性也,故以為門)

すでに有るか無いかを知ったうえで、さらにその本性を推しはかると、変化して無常であり、縁によって生じるものであって、固定的な本性などないとわかります。そこでこれを門とするのです。

觀因果門第九

因果を見る門 第九

(無性之法既無因果,變異處推求則無得理,故以為門)

(無性の法には因果がなく、変化の中に求めても得ることはできない。だからこれを門とする。)

觀作門第十

観作門 第十

(無因無果則為無作,四處既無,以之為門)

(原因も結果もなければ、つくり出されたものもない。この四つの行き場がすでにないので、それを門とする。)

觀三時門第十一

三つの時間を観る門 第十一

(既推無作必盡其因,故尋三時無作而以為門)

(すでに無作を推し進めるには必ずその原因を尽くさねばならない。それゆえ三時無作を尋ねて、これを門とする。)

觀生門第十二

生きることを観る門、第十二

(作為有造,生為有起,時中既無,誰為生者?即以為門)

(作為とは生じることであり、生とは起こることである。時に中にすでに無いのなら、誰が生じる者なのか。これを門とする。)


序

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