念佛品第二
念仏品 第二
爾時舍利弗白佛言:「世尊!於此法中云何為惡知識?云何為善知識?」
そのとき、舎利弗が仏に申し上げました。「世尊よ、この教えにおいて、どのような者が悪い朋友であり、どのような者が善い朋友なのでしょうか?」
佛告舍利弗:「若有比丘教餘比丘:『比丘!汝當念佛、念法、念僧、念戒、念施、念天。比丘!汝當觀身,取是身相,所謂不淨。當觀一切諸有為法,皆悉無常,觀一切法空、無有我。比丘!汝當取所緣相繫心緣中,專念空相,當樂善法。當取不善法相,取不善法相已,為令斷故觀念修習,謂為斷貪欲觀不淨相;為斷瞋恚觀慈心相;為斷愚癡觀因緣法。常念淨戒深取空相,勤行精進為得四禪,專心求道。觀不善法皆是衰惱,觀於善法最是安隱,一心修道。分別諦觀善、不善法,諦取相已,唯觀涅槃安隱寂滅,唯愛涅槃畢竟清淨。』如是教者名為邪教,謂是正教而是邪教。舍利弗!如是教者名惡知識。是人名為誹謗於我,助於外道;亦為他人說邪道法。舍利弗!如是惡人,我乃不聽受一飲水以自供養;我說教者不說受者。舍利弗!於我法中多有如是增上慢教。
仏は舎利弗に告げられた。「もし比丘が他の比丘を教えて言うよう——『比丘よ、あなたは仏を念じ、法を念じ、僧を念じ、戒を念じ、施しを念じ、天を念じなさい。比丘よ、あなたは身体を観察し、この身体の姿をとらえなさい。いわゆる不浄であると。すべての因縁によって生じるものは、すべて無常であると観じなさい。すべての法は空であり、私というものはないと観じなさい。比丘よ、あなたは対象となる相をとらえ、心をその対象に留め、専ら空の相を念じ、善い法を喜び楽しみなさい。不善の法の相をとらえ、不善の法の相をとらえたならば、それを断ち切るために観念し修習しなさい。すなわち、貪欲を断つために不浄の相を観じ、怒りを断つために慈しみの心の相を観じ、愚かさを断つために因縁の法を観じなさい。常に清らかな戒を念じ、深く空の相をとらえ、精進に努めて四禅を得るために、一心に道を求めなさい。不善の法はすべて衰退と悩みであると観じ、善の法こそ最も安らかであると観じ、一心に道を修行しなさい。善・不善の法を分別して詳しく観察し、その相を詳しくとらえたならば、ただ涅槃のみが安らかで静かであり、ただ涅槃のみが究極に清らかであると観じなさい』と教えるならば、これを邪教という。正しい教えと言いながら、実は邪教なのである。舎利弗よ、このように教える者は悪知識という。この人は私を誹謗し、外道を助ける者である。また他人に邪道の法を説くものである。舎利弗よ、このような悪人には、私は一杯の水を与えて供養することさえ許さない。私は教える者を説くのであって、教えられる者を説くのではない。舎利弗よ、私の法の中には、このように増上慢の教えが多くあるのである。」
「舍利弗!若受教者受戒五歲,不能悉捨如是所教,於是教中勤心精進,自有得無所有比丘不往諮問。我說此人雖有五歲,猶名邪見,雜外道法順行魔教。
舎利弗よ、もし教えを受ける者が戒を受けて五年を経ても、その教えをすべて捨てることができず、この教えの中で心を励まし精進することなく、自ら無所有を得たと思いながら、比丘のもとへ質問しに行かないならば、私はこの人を、たとえ五年の歳月を経ていても、いまだ邪見の者と呼ぶ。外道の法が混ざり、魔の教えに従って歩んでいるのだ。
「舍利弗!若有比丘受是教已,聞空無所得法即自覺知,我先受者皆是邪見,於空無所得法無疑無悔,深入通達,不依一切我見人見。舍利弗!我說此人名為得清淨梵行。
舎利弗よ、もし比丘がこの教えを受けて、「空にして得るもののない法」を聞けば、自ら悟り知るであろう。「私が先に執着していたものは、すべて誤った見解であった」と。そして、この空にして得るもののない法に対して、疑いも悔いもなく、深く入り通達し、一切の我見や人見に依りかかることはない。舎利弗よ、私はこの人を「清らかな梵行を得た者」と名づけるのである。
「舍利弗!若有比丘成就如是無所得忍,雖現未得無餘涅槃,我記是人,彌勒佛時當在初會。時彌勒佛歡喜三唱:『是人能於釋迦牟尼佛法中,成就無所得忍。』舍利弗!若在家出家成就此忍,我記是人必得涅槃。
「舍利弗!若有人受如是教已,聞空無所得法即時驚畏,是人可愍,無有救者、無有依者,直趣地獄。何以故?舍利弗!於佛教中驚疑畏者,是人則為具足惡道。所以者何?我常自說,有所得者是惡道分。何以故?舍利弗!佛所得法無有差別,是與非是若可差別,是有所得。
「舍利弗!人寧成就五逆重惡,不成就我見、眾生見、人見、壽見、命見、陰、入、界見。貪著持戒著持戒見;貪著三昧著三昧見。依於佛想得於法想,於僧斷事成就身見。何以故?於佛法中成就身見不在僧數。舍利弗!佛弟子眾心無分別。舍利弗!佛弟子眾無不善者、無破戒者、無破見者、無破威儀者。
「舍利弗!何等為惡不善?於佛眾中不在僧數,名惡不善。謂心心數法與諸緣合,無真實事但作分別,以分別故計有所得,是人乃至所有言說心心相續,乃至善不善法,於聖法中名惡不善。何以故?舍利弗!所有樂處中必有苦,如來法者滅是苦樂。
「舍利弗!如來所得,是中無欲亦無非欲,無樂無苦、無思無想無修,乃至亦無空想。何以故?舍利弗!若計空想即是我想、眾生想者,是常想者、是斷想者。何以故?舍利弗!隨所有想則生諸想,是皆墮邪。
「舍利弗!空名無念,是名為空,空念亦空,是名為空。舍利弗!空中無善無惡,乃至亦無空想,是故名空。舍利弗!諸有為法可知可解,空非可知亦非可解、非可思量,是故名空。舍利弗!空非念得。何以故?空無想故,是故名空。
「舍利弗!何故說行空行?不念一切諸想,乃至空想亦復不念,是名空行。
「舍利弗!想名乃至心有所念,即名為想,無所念者乃名無想。離諸想故名為無想,隨所取想皆是邪見。何以故?舍利弗!於聖法中計得寂滅皆墮邪見,何況言說?何況說者?如是空法以何可說?
「舍利弗!諸佛何故說諸語言皆名為邪?不能通達一切法者,是則皆為言說所覆,是故如來知諸語言皆為是邪,乃至少有言語不得其實。
「舍利弗!諸佛阿耨多羅三藐三菩提皆是無想無念。何以故?如來於法不得體性亦不得念。
「舍利弗!如來何故說有念處?舍利弗!經說若人得四念處,是人能得諸法體性,能得自身、得我、得人,無有是處。示法別相空故,說四念處。四念處性,無性、無處、無念、無說、無有貪著。念性尚無,何況念處?是故如來說名念處。舍利弗!諸法若有決定體性,如析毛髮百分一者,是則諸佛不出於世,亦終不說諸法性空。舍利弗!諸法實空無性,一相所謂無相。如來悉見,如來以是說有念處。
「舍利弗!念處名為無處無非處、無念無念業、無想無分別、無意無意業、無思無思業、無法無法相,皆無合散,是故賢聖名為無分別者,是名念處。如來以是說有念處,隨順無所有故名為念處;隨順念佛名為念處。
「舍利弗!云何名為念佛?見無所有名為念佛。舍利弗!諸佛無量不可思議、不可稱量,以是義故,見無所有名為念佛。實名無分別,諸佛無分別,以是故言念無分別即是念佛。復次,見諸法實相名為見佛。何等名為諸法實相?所謂諸法畢竟空無所有,以是畢竟空無所有法念佛。復次,如是法中,乃至小念尚不可得,是名念佛。舍利弗!是念佛法斷語言道,過出諸念不可得念,是名念佛。
「舍利弗!一切諸念皆寂滅相,隨順是法,此則名為修習念佛。不可以色念佛。何以故?念色取相貪味為識,無形、無色、無緣、無性,是名念佛。是故當知,無有分別、無取、無捨,是真念佛。」