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  1. 仏説小道地経 (佛說小道地經)
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小道地経 (小道地經)

「小道地經」について

後漢 · 底本の訳者:支曜

1,565 字 · 約 5 分

『小道地経』は、後漢の訳経家・支曜によって翻訳され、初期漢伝仏教の禅数学の経典に属します。本経は数息観を核心とし、修行者が身体を調え、呼吸を調え、心を調える具体的な方法を体系的に説いています。五陰や四諦などの基礎的な教義も含み、禅定の実践を通して身心を清浄にすることを強調しています。安世高の禅法体系の重要な一部として、中国初期の禅観の実践と発展を促し、後世の止観修行の理論的基盤を築きました。漢末の仏教禅修思想を研究する上で、重要な文献となっています。


小道地經

小道地経

後漢天竺三藏支曜譯

後漢天竺三蔵・支曜訳

道人求息,所以不得息者,有四因緣。何等為四?一者、怙其善,不曉護戒自欲身;二者、以不護戒便黠意不生,以黠意不生便不知身,以不知身意便惑;三者、不解經,以不解經便不了了,以不了了意便疑;四者、不數校計命福日盡,心自可。用是四因緣故不得息。

修行者が安らぎを求めても、安らぎを得られないのには、四つの理由があります。その四つとは何でしょうか。第一に、自分の善行に執着し、戒律を守って自らを護ることを知らないこと。第二に、戒律を守らないために智慧が生まれず、智慧が生まれないために自分の本質を知らず、本質を知らないために心が惑うこと。第三に、教えを理解せず、理解しないために明確にならず、明確にならないために心が疑うこと。第四に、繰り返し反省せず、命の福徳が日々尽きていくのに、自分の心だけで満足してしまうことです。この四つの理由によって、安らぎを得られないのです。

道人求息,欲得息者,要當知坐行二事:一者、喘;二者、息。亦在二因緣:一者、為生;二者、為死。何等為喘?何等為息?所起意生為喘,意止為息。何等為生?何等為死?意滅為生,意起為死。要當先知是因緣,當那得分別知因緣所從起盡。

道を求める人が安らぎを望むなら、まず「坐」と「行」の二つの事柄を知らねばならない。一つ目は「喘」、二つ目は「息」である。また、これらは二つの因縁に基づく。一つ目は「生」、二つ目は「死」である。では、「喘」とは何か。「息」とは何か。心に思いが生じるのを「喘」といい、心の思いが止まるのを「息」という。「生」とは何か。「死」とは何か。心の働きが消えるのを「生」といい、心の働きが現れるのを「死」という。まずこの因縁を理解しなければならない。どのようにして因縁の起こりと滅びを分別し知るべきなのか。

事在四對。何等為四?一者、不知食、多食、不學、不制,貪味過足;二者、意隨色,不諦校計多求自欲,為種苦本;三者、警意蓋起,多睡眠失本念耶,向夢中種栽;四者、疑惑便惡日增,便兩舌墮非,妄瞋恚,身口不相應。為是故,不墮禪棄,當那得近禪?

事は四つの対にあります。その四つとは何でしょうか? 第一に、食事について知らず、多く食べ、学ばず、制御せず、味に執着して満足しすぎること。 第二に、心が形(色)に従い、正しく省みず多く求め、自分勝手な欲望を持ち、苦しみの根本を植え付けること。 第三に、心にさまたげ(蓋)が生じ、多く眠り本来の念を失い、誤った方向へ向かい夢の中で種をまくこと。 第四に、疑いの心から悪が日に日に増え、両舌(中傷)によって堕落し、根拠のない怒りを起こし、体と心が一致しないこと。 このような理由から、禅から落ちずにいることはできず、どうして禅に近づくことができましょうか。

常數思惟喘息生滅起盡,當持何等意思惟分別?亦在四因緣:一者、近善知識;二者、識受語不妄;三者、貪誦經,晨夜習意;四者、守戒莫離法。息易得。

絶えず呼吸の生じ消えゆく様子を観察し、何を心に思惟し分別すべきでしょうか。これには四つの因縁があります。第一に、善き師に近づくこと。第二に、教えを正しく受け取り、虚偽のないこと。第三に、経典を貪るほどに誦し、昼夜問わず心に習うこと。第四に、戒律を守り、教えから離れないこと。そうすれば呼吸は容易に捉えられます。

身有四病:或時地多,身不得安;或時水多,身不得安;或時火多,身不得安;或時風多,身不得安。此四得安,乃得身止。

身体には四つの病気があります。地の要素が多すぎると、身体は安らかでなくなります。水の要素が多すぎると、身体は安らかでなくなります。火の要素が多すぎると、身体は安らかでなくなります。風の要素が多すぎると、身体は安らかでなくなります。これら四つの要素が調和して安らかになって初めて、身体は落ち着くのです。

意有四病:一者、癡多,意不得止;二者、瞋恚多,意不得止;三者、婬多,意不得止;四者、疑多,意不得止。四事不安,意不得止。
息亦有四病:或時多求,息不得止;或時念多,息不得止;或時歡喜多,息不得止;或時喘多,息不得止。道人行道,離是因緣,便得定意。
若身臃腫疥瘡肥盛,欲坐身不得安;或時食多,便火起,身不得安;或時飲多,便水起,身重目澁,身不得安;或時食多已復食,貪味過足,不學不制,便風起不得安,亦謂少食。
若癡多,不宜數入眾人群聚,當先誦經,不宜多聞好自守。若瞋恚多,不宜居家若少所有。若婬多,不宜觀伎樂及諸好色。若疑多,不宜數聞好言善語,常自守思惟責對。若求多,常當念不常,坐起著意。若念多,常當行證我所念皆為苦本。若歡喜多,計不得久,苦在後,當病制。若喘欷多,常當和心,不宜數出麁語,坐作罪。道人行道不識是因緣,終不近道;當能制此,黠意稍增,道易得。
道人求向道,要當知過去念事以過去,莫復念。何以故?復知為種故。譬如種穀,種稻便念當收稻,種豆便念當收豆。何以故?為生故。念亦如是,以種念便生,一切聚在十方,待殃福當受要,不得脫苦。墮殺便種殺,栽盜為種盜,栽婬為種婬,栽兩舌為種兩舌,栽惡口為種惡口,栽妄言為種妄言,栽綺語為種綺語,栽嫉為種嫉,栽瞋恚為種瞋恚,栽疑為種疑栽為。是故數數為念復增念,難得離苦。
當持何離是眾苦?要當禪棄,為不復種是十惡故,雖有餘種會當盡。何以故?譬如種穀,雖多得收,不復種種,但稍稍飯。雖久,飯不止,會有盡時。禪棄亦爾。何以故?不復種故。以墮禪棄,罪稍稍滅。何以故?稍稍禪棄為福,福以生,萬惡皆竟。但種道栽念,道以生便有黠,以有黠便能活人,亦能自活。
道人求向佛道,今世欲曉了知行意者,要在三念:有過去念、未來念、現在念;有福念、有罪念。或時,若讀經行禪,忽念久事曾為人所辱,若侵人墮好色,便因念生意,為作頭足,復增罪不能自制,從是因緣得罪為苦本,是為過去罪念。或時,從禪中若讀經,忽生善念,念素所行苦樂,思惟知不常,是為過去福念。
或時安靜,忽亂念生,念作非常,便失本念。貪婬多求,便作不死念,是為未來罪念。或時,若得安靜,便善念念栽,當從是因緣增黠,是為未來福念。
端在家居自守持戒,便邪念生,當作是念,多畜六畜更增憂失戒,是為現在罪念。以自家居自守持戒,復增善念常欲離,是為現在福念。
求向佛道,當先曉是罪福,乃可增黠。若求羅漢,一切斷,是為求向佛道。但欲增福多黠求羅漢,但欲墮禪滅惡,其黠在後。求佛增福要當多聞;黠要當諷經。欲知其要在護戒,護戒便能解經,便能福人亦能自福。
道人求向佛道,今世欲解菩薩行意者,要當復知是三戒:第一、當知持戒亦守戒;第二、當知不犯戒亦能戒;第三、當知戒曉戒能戒亦護戒。第一當知持戒者,若人有妻子,居家常齋不失,是為持戒;一身無妻子,自守不邪向,是為守戒。第二當知不犯戒者,若人眼視耳聽,能不墮聲色亦餘一切,是為不犯戒。為道寒苦,復為人所辱,能不失本念,是為耐戒,亦應忍辱。第三當知戒者,知某人持某戒,是為知戒。曉戒者,知某人樂道,為父母宗親知識所非嫉,不數數於眾人中曉說戒。能戒者,當知人能應何業,隨力所任授與,能使不失,若增若減應病與藥,是為能戒。護戒者,一切當護,附順當得其意,離惡知識當有護意,欲說十方人非人。若在伎樂、若在婬色,能教多少說善言,能不亂意,復令有福,是為護戒。求向佛道菩薩行業者,要當知是,乃能脫人亦能自脫,復能業人亦能自業。
佛說小道地經

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