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礼舎利塔儀式 (禮舍利塔儀式)

「禮舍利塔儀式」について

清 · 弘贊編 著

7,781 字 · 約 26 分

『礼舎利塔儀式』は、清代の高僧・弘贊によって編纂された、仏教における舎利塔礼拝の儀軌を記録した重要な典籍です。本書は清代に成立し、当時の仏教儀礼の規範と実践を反映しており、舎利塔を礼拝する手順、経典読誦、供養、および関連する儀式の詳細を詳述しています。これは、仏教が舎利崇拝に対して抱く虔敬と重視の念を体現するものです。 弘贊は清代を代表する律学の大師として知られ、その著作は権威あるものとされています。本書は、清代の仏教儀軌を研究する上での重要な文献であるだけでなく、後世の修行者に対して完全な礼塔の手引きを提供するものであり、仏教儀軌の伝承において重要な地位を占めています。


禮舍利塔儀式

礼拝舎利塔の儀式

粵東鼎湖山沙門釋 弘贊在犙 編

東鼎湖山沙門 弘贊在犙 編

梵語舍利。亦云室利羅。又云設利羅。乃梵音輕重之詳略。華言靈骨。是釋迦如來遺身。大如麻豆粟粒。瑩粹絕倫。色具三種。於一色中。能現種種光明。其骨者色白。髮者色黑。肉者色赤。菩薩羅漢。皆有三種。若佛舍利。槌擊不破。弟子舍利。槌試即碎。良由如來於無量劫中。戒定慧熏修所成。甚為難得。百劫千生。難可值遇。昔者如來示般涅槃。以大悲力。自湧三昧之火。碎金剛體。為末舍利。施諸眾生而作最上福田。一瞻一禮。滅無量罪。生無量福。一香一華。永作三乘道因。但今時禮敬。罔諳教法。多乖儀則。唯知稱名。不曉讚德。然稱名。但聽其名。寧識其智之高下。讚歎。即具陳其德。名乃體德之弘深。德本顯名之所實。本行經云。正使化無數億人。皆成辟支佛。若人百歲。四事供養。功德甚多。不如有人。以歡喜心。一四句偈讚歎。功德無量。又善戒經云。以四天下七寶。供養於佛。復有以欣重心。讚歎如來。是二福德。等無差別。文殊菩薩說偈歎佛云。我禮一切佛。調御無等雙。丈六真法身。亦禮於佛塔。生處得道處。法輪涅槃處。行住坐臥處。一切皆悉禮。諸佛不思議。妙法亦如是。能信及果報。亦不可思議。能以此伽陀。讚歎如來者。於千萬億劫。不墮諸惡趣。是故西天凡所禮敬。盛興讚頌。然經論中。教用諸佛菩薩。所說之偈。以為讚歎。恐自智識未充。見聞不廣。詞義失旨。至於事理有違。今此特及經論中偈頌讚禮。其所未備者。謹述諸經之義。結而為頌。以伸讚詠也。條列六法。初香讚。二持呪。三修供養。四讚禮。五讚歎旋繞。六發願回向。

梵語で「舎利」といい、また「室利羅」「設利羅」ともいう。これは梵語の発音の軽重による詳略の違いである。中国語では霊骨という。これは釈迦如来の遺体で、麻の実や豆、粟粒ほどの大きさがあり、透き通って純粋で比類なく、三つの色を備えている。一つの色の中に、さまざまな光明を現すことができる。骨は白色、髪は黒色、肉は赤色である。菩薩や羅漢にも三種の色がある。仏の舎利は槌で打っても壊れないが、弟子の舎利は槌で試みるとすぐに砕ける。これは如来が無量劫の間、戒・定・慧によって修練され、成し遂げられたものであり、非常に得難く、百劫千生の間でもめったに遭遇できないものである。かつて如来が般涅槃を示されたとき、大悲の力によって自ら三昧の火を湧き上がらせ、金剛の体を砕いて末舎利とし、すべての衆生に施して最高の福田とされた。一瞥し一礼するだけで、無量の罪を滅し、無量の福を生じる。一香一華をもって、永遠に三乗の道の因となる。しかし、今の時代の礼敬は、教法をよく知らず、儀則に背くことが多い。ただ名を称えるだけで、その徳を讃えることを知らない。名を称えるだけでは、その名を聞くだけで、その智の高下をどうして識ることができようか。讃歎とは、その徳を詳しく述べることである。名は体と徳の広大深遠を表し、徳こそが名の実質を顕わすのである。『本行経』には、「たとえ無数億の人々を教化して皆を辟支仏に成らしめても、もし人が百年の間、四事供養を行えば、その功徳は甚だ多い。しかし、人が歓喜心をもって一つの四句偈で讃歎する功徳には及ばない」とある。また『善戒経』には、「四天下の七宝をもって仏に供養する者と、歓喜心をもって如来を讃歎する者との二つの福徳は、等しく差別がない」とある。文殊菩薩は偈を説いて仏を讃えて言う、「私は一切の仏に礼し、調御師にして比類なき方に礼する。丈六の真の法身にも礼し、また仏塔にも礼する。生誕の地、得道の地、法輪を転じた地、涅槃に入った地、行住坐臥の地、すべてにことごとく礼する。諸仏は思議すべからず、妙法もまたかくのごとし。信じることも果報も、また思議すべからず。この伽陀をもって如来を讃歎する者は、千万億劫の間、諸悪趣に堕ちることがない」と。それゆえ、西天では礼敬を行うとき、盛んに讃頌を興す。しかし、経論の中では、諸仏菩薩の説かれた偈を用いて讃歎することを教えている。自らの智識が未熟で、見聞が広くなく、詞義が本旨を失い、事理に背くことを恐れるからである。ここでは特に経論中の偈頌による讃礼を取り上げ、その不足しているところを補うために、謹んで諸経の意義をまとめて頌とし、もって讃詠を述べる。六つの法を条列する。第一に香讃、第二に持呪、第三に修供養、第四に讃礼、第五に讃歎旋繞、第六に発願回向である。


香讚

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