佛說大方廣菩薩十地經
佛説大方広菩薩十地経
元魏西域三藏吉迦夜譯
元魏西域三蔵吉迦夜訳
如是我聞:
このように、私はお聞きしました。
一時佛在王舍城耆闍崛山,與大比丘眾千二百五十人俱,菩薩萬人,其名曰智幢菩薩、法幢菩薩、月幢菩薩、日幢菩薩、無量幢菩薩,跋陀波羅等十六正士、文殊師利等六十同意、彌勒菩薩等賢劫一切菩提薩埵。
一時、仏は王舎城の霊鷲山にいましめた。大比丘衆千二百五十人とともにあり、菩薩一万人もまた具わっていた。その名を、智幢菩薩、法幢菩薩、月幢菩薩、日幢菩薩、無量幢菩薩、跋陀波羅ら十六の正士、文殊師利ら六十の同慧者、弥勒菩薩ら賢劫のすべての菩提薩埵たちである。
爾時無盡智菩提薩埵,從座起整衣服,偏袒右肩右膝著地,以種種寶華散於佛上,白佛言:「世尊!欲有所問,唯願世尊,開示解說。」
その時、無尽智という名の菩薩(ぼさつ)が、座を立って衣を整え、右の肩を出し、右の膝を地につけて、さまざまな宝の花を仏の上にまき散らし、仏にこう申し上げました。「世尊よ、どうかお聞きください。ただ願わくば、世尊が私たちのために説き明かし、お教えくださいませ。」
爾時世尊告無盡智菩薩:「善哉,善哉!善男子!若有疑難恣汝所問,如來當為隨問解說,令汝歡喜。」
その時、世尊は無尽智菩薩に告げられた。「善いかな、善いかな。善男子よ、もし疑問があれば、遠慮なく問いなさい。如来はその問いに応じて説き明かし、あなたを喜びで満たすであろう。」
爾時無盡智菩提薩埵白佛言:「世尊!菩提心。世尊謂菩提心,云何當知菩提薩埵成就菩提心?何等為菩提心亦無菩提心,薩埵亦不可得,亦不離菩提名曰菩提心?菩提者,亦不可說不可見無有對,薩埵亦不可得。云何於此諸法當得開解?」
その時、無尽智菩薩が仏に申し上げた。「世尊よ、菩提心についてお尋ねします。世尊は『菩提心』とおっしゃいますが、どのようにして菩薩が菩提心を成就したと知るべきなのでしょうか。また、何をもって菩提心とするのでしょうか。菩提心といっても、その本質はなく、菩薩というものも捉えられません。しかし、菩提という名前を離れることもありません。菩提とは、言葉で説くこともできず、見ることもできず、対象となるものもないのです。菩薩というものもまた得ることはできません。では、これらの法について、どのように理解を開くべきなのでしょうか。」
世尊告曰:「善男子!菩提者,是皆言說俗數施設。善男子!菩提者非言說非俗數非施設。善男子!如菩提非言說,薩埵及心至一切法,亦復如是,當作是知。若如是心是名菩提心,菩提亦不過去、當來、今現在,所謂薩埵及心亦不過去、當來、今現在;若如是知者,菩提薩埵不可得,彼處都無所得;於一切法得無所得,是名得菩提心。如阿羅漢阿羅漢果亦不可得,彼都無所得,但是俗數言說有耳;於一切法無所得,是名得。菩提心亦非初業,菩提薩埵度義,義名為菩提薩埵;亦非彼心非施設心、非眾生非施設眾生、非聲聞非施設聲聞、非辟支佛非施設辟支佛、非菩提薩埵非施設菩提薩埵、非有為非施設有為法,非無為非施設無為法、可得、已得、當得。但如說法隨順故,說一切善根等起;當知初發心,彼因檀波羅蜜,猶如大地所持;當知第二心起,彼因尸波羅蜜,猶如師子獸王勇猛;當知第三心起,彼因羼提波羅蜜,猶如那羅延勇猛大力便;當知第四心起,摧伏一切諸結怨敵,彼因毘梨耶波羅蜜,種種善根功德華開;當知第五心起,譬如天帝釋大會拘毘陀羅樹,彼因禪那波羅蜜,猶如日輪無量光曜;當知第六心起,悉能除滅一切闇冥,彼因般若波羅蜜,本願功德普現莊嚴;當知第七心起,如商人主將諸商人能度曠野,彼因方便波羅蜜,淨除一切過惡所欲如意;當知第八心起,滿足明淨,猶如秋月周滿所願;當知第九心起,一切所作皆悉休息,譬如貧人得無盡寶藏,猶如虛空離垢明淨;當知第十心起,究竟一切功德彼岸,智慧辯才無盡,一切法主猶轉輪王。如是,善男子!其成就此十種心者,是名為菩提薩埵、摩訶薩埵、第一薩埵、最上薩埵、離罪薩埵、最尊薩埵。然,善男子!菩提薩埵及心,於第一義都不可得。
世尊はお告げになりました。「善男子よ、菩提(悟り)とは、すべて言葉による表現であり、世俗の概念に基づく仮の呼び名に過ぎません。善男子よ、菩提は言葉では表せず、世俗の概念を超え、仮の施設(立て方)でもありません。善男子よ、菩提が言葉で表せないのと同じように、衆生(生きとし生けるもの)や心、さらにはあらゆるものも同様であると知るべきです。もしこのように心を用いるならば、それを菩提心と名づけます。菩提は過去・未来・現在のいずれにも属さず、衆生や心もまた過去・未来・現在に属しません。このように知るならば、菩薩(悟りを求める者)という実体は得られず、その境地においては何ものも得るものはありません。あらゆるものにおいて得るものがないと知ること、これを『菩提心を得る』と名づけます。例えば、阿羅漢(悟りを完成した者)も阿羅漢の果報も実体としては得られず、そこには得るものが全くありません。ただ世俗の言葉で仮にそう呼ぶだけです。あらゆるものにおいて得るものがないこと、これを『得る』と名づけます。
菩提心はまた、初心者の修行だけに限られるものではありません。菩薩とは『悟りを求めて衆生を救済する者』という意味であり、それが菩薩という名前の由来です。その心もまた実体として得られるものではなく、心という仮の名も、衆生という仮の名も、声聞(声を聞いて悟る者)という仮の名も、辟支仏(独覚)という仮の名も、菩薩という仮の名も、すべて実体としては存在しません。有為(つくられたもの)という仮の名も、無為(つくられざるもの)という仮の名も、得られるものでも、すでに得られたものでも、これから得られるものでもありません。ただ、説法にしたがって、すべての善い根(善根)が生じるのだと説くのです。
初めて発心するときを知るべきです。それは布施の完成(檀波羅蜜)によるもので、大地がすべてを支えるようなものです。第二の心が生じるときを知るべきです。それは戒律の完成(尸波羅蜜)によるもので、獅子の王が勇猛であるようなものです。第三の心が生じるときを知るべきです。それは忍辱の完成(羼提波羅蜜)によるもので、那羅延(大力の神)のように勇猛で大力であるようなものです。第四の心が生じるときを知るべきです。それはすべての煩悩という敵を打ち負かすもので、精進の完成(毘梨耶波羅蜜)によるもので、さまざまな善い根や功徳の花が開くようなものです。第五の心が生じるときを知るべきです。それは天帝釈の大会における拘毘陀羅樹のようなもので、禅定の完成(禅那波羅蜜)によるもので、日輪のように無量の光を放つようなものです。第六の心が生じるときを知るべきです。それはすべての闇を除き滅ぼすもので、智慧の完成(般若波羅蜜)によるもので、本来の誓いの功徳がすべてのところに現れて荘厳するようなものです。第七の心が生じるときを知るべきです。それは商人の主が多くの商人を導いて荒野を渡るようなもので、方便の完成(方便波羅蜜)によるもので、すべての過ちや悪を清め、望みのままに叶えるようなものです。第八の心が生じるときを知るべきです。それは満ちて明らかに清らかで、秋の月が満ちてすべての願いを満たすようなものです。第九の心が生じるときを知るべきです。それはすべてのなすことが休息するようなもので、貧しい人が尽きせぬ宝の蔵を得たような、虚空が塵を離れて明らかに清らかなようなものです。第十の心が生じるときを知るべきです。それはすべての功徳の彼岸を究め、智慧と弁才が尽きず、すべての法の主であること、ちょうど転輪聖王のようなものです。
このように、善男子よ、この十種の心を成就する者を、菩薩、大菩薩、第一の菩薩、最上の菩薩、罪を離れた菩薩、最も尊い菩薩と名づけます。しかし善男子よ、菩薩も心も、真実の意味(第一義)においては、いずれも得ることはできないのです。」
「又善男子!菩提薩埵初心起,有法寶等起三摩提攝取心而生;菩提薩埵第二心起,有不動三摩提攝取心而生;彼第三心起,名善住三摩提攝取心而生;彼第四心起,名不退轉三摩提攝取心而生;彼第五心起,名集華三摩提攝取心而生;彼第六心起,名日光三摩提攝取心而生;彼第七心起,名義滿足三摩提攝取心而生;彼第八心起,名慧炬三摩提攝取心而生;彼第九心起,名佛見在前三摩提攝取心而生;彼第十心起,名首楞嚴三摩提攝取心而生。
また、善男子よ。菩薩が最初の心を起こす時、法の宝などの三昧(さんまい)を摂取する心が生じる。第二の心を起こす時には、動じない三昧を摂取する心が生じる。第三の心を起こす時には、善住と名付けられる三昧を摂取する心が生じる。第四の心を起こす時には、退かない三昧を摂取する心が生じる。第五の心を起こす時には、華を集める三昧を摂取する心が生じる。第六の心を起こす時には、日光の三昧を摂取する心が生じる。第七の心を起こす時には、義が満ち足りる三昧を摂取する心が生じる。第八の心を起こす時には、智慧の炬(たいまつ)の三昧を摂取する心が生じる。第九の心を起こす時には、仏が目の前に現れる三昧を摂取する心が生じる。第十の心を起こす時には、首楞厳(しゅりょうごん)の三昧を摂取する心が生じる。
「又善男子!初地菩提薩埵先覩嘉瑞,三千大千佛土億百千珍奇寶藏,悉現境界;第二地先覩嘉瑞,三千大千佛土平如水掌,悉現境界;第三地先覩嘉瑞,勇健堅強手執兵仗,悉現境界;第四地先覩嘉瑞,曼陀羅風從四方來,吹種種華普散大地,悉現境界;第五地先覩嘉瑞,一切女人嚴具莊飾,瞻匐華鬘、解脫華鬘、憂鉢羅華鬘、婆利師華鬘莊嚴其首,悉現境界;第六地先覩嘉瑞,眾寶浴池,八功德水充滿其中,有四階道底布金沙,澄靖清徹,自見己身遊戲其中,悉現境界;第七地先覩嘉瑞,見左右面有大地獄,楚毒峻嶮,自見己身超出此難,悉現境界;第八地先覩嘉瑞,自見兩肩有師子獸王,首冠繒帛,其身雄壯,一切毒害諸惡獸等無不摧伏,悉現境界;第九地先覩嘉瑞,轉輪聖王、大臣、剎利、百千眷屬,以法化導一切眾生,手執繒蓋,眾寶百千莊嚴其首,悉現境界;第十地先覩嘉瑞,自見作佛,身黃金色圓光一尋,億百千梵圍遶說法。善男子!是為菩提薩埵十地前相,當作是知,悉從十地三摩提之所出生。
また、善男子よ、初地の菩提薩埵はまず良い前兆を見ます。三千大千の仏土にある億百千の珍しい宝蔵が、すべて眼前に現れます。第二地ではまず良い前兆を見ます。三千大千の仏土が手のひらのように平らであるのが、すべて眼前に現れます。第三地ではまず良い前兆を見ます。勇ましく強く、手に武器を執る姿が、すべて眼前に現れます。第四地ではまず良い前兆を見ます。曼陀羅の風が四方から吹き、さまざまな花を吹き散らして大地にまき散らすのが、すべて眼前に現れます。第五地ではまず良い前兆を見ます。すべての女人が飾り具で身を飾り、瞻匐華鬘、解脱華鬘、憂鉢羅華鬘、婆利師華鬘でその頭を荘厳するのが、すべて眼前に現れます。第六地ではまず良い前兆を見ます。多くの宝の浴池があり、八功徳水がその中に満ち、四つの階道があり、底には金沙が敷かれ、澄んで静かで清らかであり、自ら自分の身がその中で遊び戯れるのを見るのが、すべて眼前に現れます。第七地ではまず良い前兆を見ます。左右の面に大きな地獄があり、苦しみの刑罰が峻険であるのを見て、自ら自分の身がこの難を超え出るのを見るのが、すべて眼前に現れます。第八地ではまず良い前兆を見ます。自ら両肩に師子獣王があり、頭に繒帛を冠し、その身は雄壮で、すべての毒害や諸々の悪獣などを摧き伏せないものはないのを見るのが、すべて眼前に現れます。第九地ではまず良い前兆を見ます。転輪聖王、大臣、刹利、百千の眷属が、法をもって一切の衆生を教化導きし、手に繒蓋を執り、多くの宝百千でその頭を荘厳するのが、すべて眼前に現れます。第十地ではまず良い前兆を見ます。自ら仏となるのを見て、身は黄金色で円光は一尋あり、億百千の梵が囲繞して説法します。善男子よ、これが菩提薩埵の十地の前相です。このように知るべきです。すべては十地の三摩提から出生したものです。
「又善男子!菩提薩埵初發意地得最勝處陀羅尼;第二地得難伏陀羅尼;第三地得善住陀羅尼;第四地得難當陀羅尼;第五地得功德華普集莊嚴陀羅尼;第六地得智光明陀羅尼;第七地得勝趣陀羅尼;第八地得八萬四千陀羅尼,澄靖司陀羅尼為首;第九地得六十那由他陀羅尼,無盡陀羅尼為首;第十地得恒河沙陀羅尼,出生無量陀羅尼為首;是為菩提薩埵十地陀羅尼,當作是知。
また、善男子よ。菩薩は初発意の地において最勝処陀羅尼を得、第二の地では難伏陀羅尼を得、第三の地では善住陀羅尼を得、第四の地では難当陀羅尼を得、第五の地では功徳華普集荘厳陀羅尼を得、第六の地では智光明陀羅尼を得、第七の地では勝趣陀羅尼を得、第八の地では八万四千の陀羅尼を得るが、中でも澄靖司陀羅尼が第一である。第九の地では六十那由他(なゆた)の陀羅尼を得るが、中でも無尽陀羅尼が第一である。第十の地では恒河沙(ごうがしゃ)の陀羅尼を得るが、中でも出生無量陀羅尼が第一である。これが菩薩の十地における陀羅尼であると、このように知るべきである。
「又善男子!菩提薩埵初發意地具足檀波羅蜜,第二地具足尸波羅蜜,第三地具足羼提波羅蜜,第四地具足毘梨耶波羅蜜,第五地具足禪那波羅蜜,第六地具足般若波羅蜜,第七地具足方便波羅蜜,第八地具足願波羅蜜,第九地具足力波羅蜜,第十地具足智波羅蜜;如是諸波羅蜜,於諸地中皆悉成就。
また、善男子よ。菩提薩埵は初発意地において檀波羅蜜(布施の完成)を満たし、第二地において尸波羅蜜(戒律の完成)を満たし、第三地において羼提波羅蜜(忍耐の完成)を満たし、第四地において毘梨耶波羅蜜(精進の完成)を満たし、第五地において禅那波羅蜜(禅定の完成)を満たし、第六地において般若波羅蜜(智慧の完成)を満たし、第七地において方便波羅蜜(巧みな手段の完成)を満たし、第八地において願波羅蜜(誓願の完成)を満たし、第九地において力波羅蜜(力の完成)を満たし、第十地において智波羅蜜(智恵の完成)を満たします。このように、すべての波羅蜜は、それぞれの修行の段階においてすべて成就されるのです。
「又善男子,有十種檀波羅蜜。何等為十?信根為首檀波羅蜜,三摩提為首檀波羅蜜,大慈為首檀波羅蜜,大悲為首檀波羅蜜,深心希望為首檀波羅蜜,一切智為首檀波羅蜜,安立眾生為首檀波羅蜜,四攝為首檀波羅蜜,護持正法為首檀波羅蜜,樂求佛法為首檀波羅蜜。
また、善男子よ、十種の檀波羅蜜(布施の完成)があります。その十種とは何か?信根を第一とする檀波羅蜜、三昧(心の統一)を第一とする檀波羅蜜、大慈を第一とする檀波羅蜜、大悲を第一とする檀波羅蜜、深い心の願いを第一とする檀波羅蜜、一切智を第一とする檀波羅蜜、衆生を安らかに立たせることを第一とする檀波羅蜜、四摂を第一とする檀波羅蜜、正しい教えを守り支えることを第一とする檀波羅蜜、仏の教えを喜んで求めることを第一とする檀波羅蜜です。
「復有十種尸羅波羅蜜。何等為十種?離八難為首尸羅波羅蜜,建立佛法為首尸羅波羅蜜,超越聲聞辟支佛地為首尸羅波羅蜜,淨身業為首尸羅波羅蜜,淨口業為首尸羅波羅蜜,淨意業為首尸波羅蜜,莊嚴心為首尸波羅蜜,人世界清淨為首尸波羅蜜,一切願求滿足為首尸波羅蜜,不害為首尸波羅蜜。
さらに、十種の尸羅波羅蜜(戒を完成する修行)があります。その十種とは何か。八難を離れることを最上とする尸羅波羅蜜、仏法を建立することを最上とする尸羅波羅蜜、声聞や辟支仏の境地を超えることを最上とする尸羅波羅蜜、身の行いを清らかにすることを最上とする尸羅波羅蜜、口の行いを清らかにすることを最上とする尸羅波羅蜜、意の行いを清らかにすることを最上とする尸羅波羅蜜、心を荘厳にすることを最上とする尸羅波羅蜜、人の世界を清らかにすることを最上とする尸羅波羅蜜、すべての願いを満たすことを最上とする尸羅波羅蜜、害さないことを最上とする尸羅波羅蜜です。
「復有十種羼提波羅蜜。何等為十?忍力為首羼提波羅蜜,成熟眾生為首羼提波羅蜜,意解為首羼提波羅蜜,深法忍為首羼提波羅蜜,斷煩惱為首羼提波羅蜜,離瞋恚為首羼提波羅蜜,不計身為首羼提波羅蜜,不計命為首羼提波羅蜜,斷諸無智為首羼提波羅蜜,觀諸法平等為首羼提波羅蜜。
さらに十種の羼提波羅蜜(忍耐の完成)があります。何が十であるかというと、忍耐の力を第一とする羼提波羅蜜、衆生を成熟させることを第一とする羼提波羅蜜、心の理解を第一とする羼提波羅蜜、深い法への忍耐を第一とする羼提波羅蜜、煩悩を断ち切ることを第一とする羼提波羅蜜、怒りを離れることを第一とする羼提波羅蜜、身体に執着しないことを第一とする羼提波羅蜜、命に執着しないことを第一とする羼提波羅蜜、無知を断ち切ることを第一とする羼提波羅蜜、すべての法が平等であると観じることを第一とする羼提波羅蜜です。
「復有十種毘梨耶波羅蜜。何等為十?精進根為首毘梨耶波羅蜜,精進力為首毘梨耶波羅蜜,等方便為首毘梨耶波羅蜜,念處為首毘梨耶波羅蜜,代一切眾生身所作為首毘梨耶波羅蜜,隨順一切眾生口意轉為首毘梨耶波羅蜜,不退還為首毘梨耶波羅蜜,極精勤為首毘梨耶波羅蜜,伏一切煩惱怨家為首毘梨耶波羅蜜,一切智智為首毘梨耶波羅蜜。
さらに十種の毘梨耶波羅蜜(精進の完成)があります。それは何かというと、精進の根を第一とする毘梨耶波羅蜜、精進の力を第一とする毘梨耶波羅蜜、正しい工夫を第一とする毘梨耶波羅蜜、念処(気づきの実践)を第一とする毘梨耶波羅蜜、すべての衆生の代わりに身で行うことを第一とする毘梨耶波羅蜜、すべての衆生の言葉と心に従って転じることを第一とする毘梨耶波羅蜜、退かないことを第一とする毘梨耶波羅蜜、非常に努力を重ねることを第一とする毘梨耶波羅蜜、すべての煩悩の敵を降伏させることを第一とする毘梨耶波羅蜜、すべての智の智慧を第一とする毘梨耶波羅蜜です。
「復有十種禪波羅蜜。何等為十?定根為首禪波羅蜜,定力為首禪波羅蜜,等定為首禪波羅蜜,諸禪解脫為首禪波羅蜜,善法為首禪波羅蜜,是處為首禪波羅蜜,不亂為首禪波羅蜜,非處為首禪波羅蜜,害一切結使為首禪波羅蜜,定身滿足為首禪波羅蜜。
また、十種の禅波羅蜜があります。何を十種とするか。まず、定根を主とする禅波羅蜜、定力を主とする禅波羅蜜、等定を主とする禅波羅蜜、諸禅の解脱を主とする禅波羅蜜、善法を主とする禅波羅蜜、是処を主とする禅波羅蜜、不乱を主とする禅波羅蜜、非処を主とする禅波羅蜜、一切の煩悩を除くことを主とする禅波羅蜜、定の身を満たすことを主とする禅波羅蜜です。
「復有十種般若波羅蜜。何等為十?慧根為首般若波羅蜜,慧力為首般若波羅蜜,正見為首般若波羅蜜,正念為首般若波羅蜜,陰巧便為首般若波羅蜜,觀界入為首般若波羅蜜,聖諦為首般若波羅蜜,無障礙為首般若波羅蜜,除一切妄見為首般若波羅蜜,無生法忍為首般若波羅蜜。
また、十種の般若波羅蜜があります。その十とは何か。慧根を第一とする般若波羅蜜、慧力を第一とする般若波羅蜜、正見を第一とする般若波羅蜜、正念を第一とする般若波羅蜜、五蘊を巧みに観じることを第一とする般若波羅蜜、十八界と十二入を観じることを第一とする般若波羅蜜、聖なる真理を第一とする般若波羅蜜、障害がないことを第一とする般若波羅蜜、すべての誤った見解を取り除くことを第一とする般若波羅蜜、無生法忍を第一とする般若波羅蜜です。
「復有十種方便智波羅蜜。何等為十?眾生希望方便行為首方便波羅蜜,安立眾生為首方便波羅蜜,大悲為首方便波羅蜜,化眾生不勞惓為首方便波羅蜜,超越聲聞辟支佛地為首方便波羅蜜,入諸波羅蜜為首方便波羅蜜,如實觀諸法為首方便波羅蜜,不思議力為首方便波羅蜜,不退轉為首方便波羅蜜,降伏眾魔為首方便波羅蜜。
また、十種の方便智波羅蜜があります。その十とは何か。衆生の望みに合わせて行動することを第一とする方便波羅蜜、衆生を正しい道に導き定着させることを第一とする方便波羅蜜、大いなる慈悲を第一とする方便波羅蜜、衆生を教化することに疲れないことを第一とする方便波羅蜜、声聞や辟支仏の境地を超えることを第一とする方便波羅蜜、すべての波羅蜜に入ることを第一とする方便波羅蜜、諸法をありのままに観察することを第一とする方便波羅蜜、思議を超えた力を第一とする方便波羅蜜、退転しないことを第一とする方便波羅蜜、すべての魔を降伏することを第一とする方便波羅蜜です。
「何等為波羅蜜義?行增進滿足義,是謂波羅蜜義;勝妙智滿足,是波羅蜜義;不著有為無為法義,是波羅蜜義;覺生死過義,是波羅蜜義;覺悟不覺悟者義,是波羅蜜義;開示一切無盡法藏義,是波羅蜜義;無間礙解脫具足義,是波羅蜜義;覺知布施平等義,是波羅蜜義;覺知戒、忍、精進、一心、智慧、平等義,是波羅蜜義;決定巧便義,是波羅蜜義;知一切眾生法性義,是波羅蜜義;無生法忍滿足義,是波羅蜜義;不退地滿足義,是波羅蜜義;嚴淨佛土義,是波羅蜜義;成熟眾生義,是波羅蜜義;覺場具足義,是波羅蜜義;降伏眾魔義,是波羅蜜義;一切佛法滿足義,是波羅蜜義;十力、四無所畏、十八不共法滿足義,是波羅蜜義;攝取一切化生義,是波羅蜜義;三轉十二行法輪義,是波羅蜜義。」
「では、波羅蜜の意味とは何でしょうか。修行を進め、満ち足りたものにしていくこと、これを波羅蜜の意味とします。優れた智慧を満たすこと、これが波羅蜜の意味です。有為の法にも無為の法にも執着しないこと、これが波羅蜜の意味です。生と死の悩みをはっきりと見極めること、これが波羅蜜の意味です。悟っていない人々を目覚めさせること、これが波羅蜜の意味です。尽きることのないすべての教えの宝庫を開き示すこと、これが波羅蜜の意味です。妨げられることのない解脱を完全に備えること、これが波羅蜜の意味です。施しがすべて平等であることをはっきりと知ること、これが波羅蜜の意味です。戒め、忍耐、努力、心の集中、智慧がすべて平等であることをはっきりと知ること、これが波羅蜜の意味です。巧みな手段を確実に身につけること、これが波羅蜜の意味です。すべての生きとし生けるものの本性を知ること、これが波羅蜜の意味です。生まれないという真理への理解を満たすこと、これが波羅蜜の意味です。退くことのない境地を満たすこと、これが波羅蜜の意味です。清らかな仏の国を美しく整えること、これが波羅蜜の意味です。生きとし生けるものを成熟させること、これが波羅蜜の意味です。悟りの場を完全に備えること、これが波羅蜜の意味です。すべての悪魔を降伏させること、これが波羅蜜の意味です。すべての仏の教えを満たすこと、これが波羅蜜の意味です。十の力、四つの恐れなき心、十八の独自の徳を満たすこと、これが波羅蜜の意味です。すべての生まれ変わる者たちを引き受け導くこと、これが波羅蜜の意味です。三度巡らせる十二の行相を持つ教えの車輪を回すこと、これが波羅蜜の意味です。」
爾時會中,有天名師子幢無礙光耀,白佛言:「世尊!甚奇甚特!是名一切具足,是名究竟一切佛法功德。」
世尊答曰:「如是如是,諸天!其有善男子、善女人聞是法正憶念者,當知是阿惟越致菩提薩埵。何以故?天子!是善男子、善女人善根成熟故,令耳根得聞是經;一切善根成熟故,得聞此經已,終不離真實觀、不離諸佛世尊、不離諸佛法、不離轉法輪、不離海印陀羅尼、不離無盡陀羅尼、不離遍入眾生行陀羅尼、不離無盡光日幢陀羅尼、不離月無垢相陀羅尼、不離無垢等起相陀羅尼。若菩薩得是陀羅尼者,悉能一時變身為佛,周滿十方教化眾生,然於諸法亦不死、亦不去而度脫眾生;眾生亦不可得,說法教化諸文字等亦不可得,示現死生亦不生,知諸法平等無去無來,亦不作非不作故。」說是法時,三千菩提薩埵得無生法忍。
世尊はお答えになりました。「その通り、その通りです、諸天よ。もし善男子・善女人がこの教えを聞いて、正しく心に留めて念じるならば、その人は不退転の菩薩であると知るべきです。なぜなら、天子よ、この善男子・善女人は善根が成熟しているからこそ、耳根によってこの経典を聞くことができるのです。すべての善根が成熟しているからこそ、この経典を聞いた後は、真実の観察から離れることなく、諸仏世尊から離れることなく、諸仏の教えから離れることなく、法輪を転ずることから離れることなく、海印陀羅尼から離れることなく、無尽陀羅尼から離れることなく、あまねく衆生の行き方に入る陀羅尼から離れることなく、無尽の光を持つ日幢陀羅尼から離れることなく、月の汚れなき相の陀羅尼から離れることなく、汚れなく等しく生じる相の陀羅尼から離れることはありません。もし菩薩がこの陀羅尼を得るならば、すべて一時に身を変じて仏となり、十方世界に満ち渡って衆生を教化することができます。しかし、諸法についてもまた死ぬこともなく、去ることもなくして、衆生を度し救います。衆生というものもまた得られるものではなく、説法し教化する諸々の文字などもまた得られるものではありません。死や生を示し現わすこともなく、諸法が平等であり、去ることも来ることもないと知り、作ることもなく、作らないこともないのです。」この教えが説かれたとき、三千の菩薩たちが無生法忍を得ました。
「復次天子!若有讀誦、持是法者,終不離息一切纏陀羅尼、不離金剛堅強破散一切煩惱山陀羅尼,終不離說無言普入諸波羅蜜陀羅尼,終不離能說異名句諸語陀羅尼、不離虛空離垢出生無盡印陀羅尼、不離成就無量佛身一切生盡陀羅尼。」說是法時,無量眾生皆得法忍,無量眾生發阿耨多羅三藐三菩提心。
「また、天子よ。もしこの教えを読み、誦し、保つ者があれば、その者は決して、すべての煩悩を静める陀羅尼(総持)から離れることなく、金剛のように堅固で、すべての煩悩の山を打ち砕く陀羅尼からも離れることはない。また、言葉を用いずにすべての波羅蜜(完全なる実践)に入ることを説く陀羅尼からも離れず、異なる名称や句、さまざまな言葉を説く陀羅尼からも離れず、虚空のように汚れなく、尽きることのない印を生み出す陀羅尼からも離れず、無量の仏の身を成就し、すべての生を尽くす陀羅尼からも離れることはない。」
この教えが説かれたとき、無量の衆生が皆、法の忍び(法忍)を得、無量の衆生が無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)の心を起こしたのである。
佛說是時,無盡智菩薩、師子幢無礙光耀天子,及諸大聲聞、天、人、阿修羅,為佛作禮,皆大歡喜。
仏がこの教えを説かれたとき、無尽智菩薩、師子幢無碍光耀天子、そして多くの大いなる声聞たち、天、人、阿修羅が、仏に礼拝を捧げ、皆、大いに喜んだ。
佛說大方廣菩薩十地經
佛説大方広菩薩十地経