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  1. 舍利弗問經
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舎利弗問経 (舍利弗問經)

「舍利弗問經」について

4,766 字 · 約 16 分

『舎利弗問経』は、重要な仏教経典の一つです。仏陀の弟子である舎利弗と仏陀との問答を記録したものと伝えられています。原本はすでに失われており、現存するものは後世に編纂された輯録本です。この経文は主に戒律の問題を説き、僧団の規範、修行、戒律の遵守などの内容に及び、初期仏教の律制思想と実践を反映しています。この経典は失われた本ではありますが、仏教戒律の発展史を研究する上で重要な価値を持ち、原始仏教の僧団生活を理解するための貴重な文献です。漢伝仏教においては高い地位を占めており、律宗の学者によってしばしば引用されています。


舍利弗問經

舎利弗問経

附東晉錄

東晋録 附す

如是我聞:

このように私は聞きました。

一時佛住羅閱祇音樂樹下,與大比丘眾一千二百五十人俱,名聞十方結盡解脫;八部鬼神等願聞法要。

ある時、仏は羅閲祇の音楽樹の下におられ、千二百五十人の大比丘僧とともにありました。その名は十方に聞こえ、煩悩の結びを尽くして解脱しておられました。八部の鬼神たちも法の要を聞きたく願っていました。

舍利弗從座而起,前白佛言:「世尊!佛是法王,隨眾生欲散說法教,令諸天人恭敬奉持,或聞傳聞、或行不行。云何名行法者?云何名不行法者。」

舎利弗は座から立ち上がり、仏の前に進み出てこう申し上げた。「世尊、仏は法の王であり、衆生の望みに応じて法の教えを説き示し、天や人々に恭敬し実践させています。しかし、ある者は伝え聞いたことを聞いて受け止め、ある者は実行し、ある者は実行しません。どのような者を法を実践する者と言い、どのような者を法を実践しない者と言うのでしょうか。」

佛言:「善哉,善哉!汝能為諸眾生作如是問。諦聽諦聽,吾為汝說。夫行法者,有聞而持,有傳聞而持,皆名曰僧。如寶事比丘,聞佛所說諸行無常,即觀生滅斷諸有漏。真吾弟子,是行法者。其傳聞者,如觀身比丘,聞汝說、迦留陀夷說,飲酒者開放逸門,於行道者作大留難。即入無諍三昧,得見道斷集。行我法者不行非法,行非法者是名不行,是非法人、非吾弟子,入邪見稠林。」

仏は仰せになりました。「善いかな、善いかな。あなたはよく、もろもろの衆生のためにこのような問いをなしました。よく聴き、よく聴きなさい。私があなたのために説きましょう。法を行じる者には、聞いてそのまま保つ者もあり、伝え聞いて保つ者もあり、いずれも僧と名づけます。宝事比丘のように、仏の説かれた諸行無常を聞いて、ただちに生滅を観じてもろもろの有漏を断つ者、これこそ真の私の弟子であり、法を行じる者です。伝え聞く者とは、観身比丘のように、あなたの説や迦留陀夷の説を聞いて、飲酒する者は放逸の門を開き、道を行じる者に大きな妨げとなることを知り、ただちに無諍三昧に入り、道を見て集を断つ者です。私の法を行じる者は非法を行じません。非法を行じる者は、これを行じないと名づけます。それは非法の人であり、私の弟子ではなく、邪見の稠林に入るのです。」

舍利弗白佛言:「云何世尊為諸比丘所說戒律,或開或閉?如為忽起長者設供,斷諸比丘不聽朝食;如為社人請,復聽食飯𥹔魚肉;如為頻富村人請,復不聽食飯但食薄粥;如為頻婆娑羅王請,復聽飽食飯食;如為闡陀師利請,復聽多家數數食,皆不得飽。諸如此語,後世比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷云何奉持?」

舎利弗が仏に申し上げた。「世尊はどのような理由で、比丘たちのために説かれた戒律を、あるときは緩め、あるときは厳しくされるのですか。たとえば、忽起長者の供養のときには、比丘たちに朝の食事を禁じられました。社人の招きのときには、飯や魚肉を食べることをお許しになりました。頻富村の人々の招きのときには、飯を食べることを許さず、ただ薄い粥だけをお許しになりました。頻婆娑羅王の招きのときには、再び腹いっぱい食べることをお許しになりました。闡陀師利の招きのときには、多くの家を回って何度も食べることをお許しになりましたが、いずれも満腹にはしてはなりませんでした。このような数々のお言葉を、後の世の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、どのように守り行うべきでしょうか。」

佛言:「如我言者,是名隨時。在此時中應行此語,在彼時中應行彼語,以利行故皆應奉持。我尋泥洹,大迦葉等當共分別,為比丘、比丘尼作大依止,如我不異。迦葉傳付阿難,阿難復付末田地,末田地復付舍那婆私,舍那婆私傳付優波笈多。優波笈多後,有孔雀輸柯王,世弘經律,其孫名曰弗沙蜜多羅,嗣正王位顧問群臣:『云何令我名事不滅?』時有臣言:『唯有二事。何等為二?猶如先王造八萬四千塔,捨傾國物供養三寶。此其一也。若其不爾,便應反之,毀塔滅法,殘害息心四眾。此其二也。名雖好惡,俱不朽也。』王曰:『我無威德以及先王,當建次業以成名行。』即御四兵攻鷄雀寺。寺有二石師子,哮吼動地,王大驚怖退走入城,人民看者嗟泣盈路。王益忿怒,自不敢入,驅逼兵將乍行死害,督令勤與呼攝七眾。比丘、比丘尼、沙彌、沙彌尼、式叉摩尼,出家、出家尼一切集會。問曰:『壞塔好不?壞房好不?』僉曰:『願皆勿壞。如不得已,壞房可耳。』王大忿厲曰:『云何不可?』因遂害之無問少長,血流成川;壞諸寺塔八百餘所。諸清信士舉聲號叫悲哭懊惱,王取囚繫加其鞭罰。五百羅漢登南山獲免,山谷隱險軍甲不能至故。王恐不洗,賞募諸國,若得一首即賞金錢三千。君徒鉢歎阿羅漢,及佛所囑累流通人,化作無量人,捉無量比丘、比丘尼頭,處處受金。王諸庫藏一切空竭。王益忿怒,君徒鉢歎現身入滅盡定,王自加害,定力所持初無傷損。次燒經臺,火始就然飇炎及經,彌勒菩薩以神通力接我經律上兜率天。次至牙齒塔,塔神曰:『有蟲行神,先索我女,我薄不與。今誓令護法,以女與之。』使至心伏。蟲行神喜,手捧大山用以壓王及四兵眾,一時皆死,王家子孫於斯都盡。

仏がおっしゃった。「私の言葉は、その時々に応じたものである。この時にはこの教えを行い、あの時にはあの教えを行う。すべては利益のために行うのだから、みな守り持つべきである。私はまもなく涅槃に入る。大迦葉らがよく共に分別して、比丘と比丘尼のために大きなよりどころとなり、私と変わらないようにせよ。迦葉は阿難に伝え、阿難は末田地に伝え、末田地は舎那婆私に伝え、舎那婆私は優波笈多に伝えた。優波笈多の後、孔雀輸柯王という王がいて、世に経と律を広めた。その孫を弗沙蜜多羅といい、王位を継ぐと群臣に問うた。『どうすれば私の名と事績を滅びさせずに済むか。』すると臣の一人が言った。『ただ二つのことがあります。何が二つか。まず、先王のように八万四千の塔を建て、国中の財物を惜しみなく捨てて三宝に供養することです。これが一つ。もしそれができないなら、逆に塔を壊し法を滅ぼし、心を静める四衆を害することです。これが二つ。名は善くても悪くても、どちらも朽ちることはありません。』王は言った。『私には先王ほどの威徳がない。ならば次の事業を建てて名を行じよう。』すぐに四軍を率いて鶏雀寺を攻めた。寺には二体の石の獅子があり、吼えて大地を震わせたので、王は非常に驚き怖れて城に逃げ帰った。見ていた人々は嘆き泣き、道にあふれた。王はますます怒り、自分では入る勇気がなかったので、兵士や将軍を駆り立てては殺し、励ましては七衆を呼び集めさせた。比丘、比丘尼、沙弥、沙弥尼、式叉摩尼、出家、出家尼がすべて集まった。王は問うた。『塔を壊すのはよいか。房を壊すのはよいか。』皆が言った。『どうかすべて壊さないでください。どうしてもなら、房を壊すのは構いません。』王は大いに怒って言った。『なぜできないのか。』そこで老少を問わず殺し、血は川となって流れた。八百余りの寺塔を壊した。清らかな信者たちは声をあげて号泣し、悲しみ懊悩した。王は彼らを囚えて鞭打ち罰した。五百の羅漢は南山に登って逃れた。山谷が険しく、軍の甲冑が届かなかったからである。王は殺し足りず、諸国に賞を募った。首を一つ得れば金銭三千を与えるという。君徒鉢歎阿羅漢と、仏が託して流通させた人々は、無数の人に化身し、無数の比丘や比丘尼の頭を捉えて、いたるところで金を受け取った。王の蔵はすべて空になった。王はますます怒り、君徒鉢歎が身を現して滅尽定に入ると、王自ら害を加えたが、定力に守られて少しも傷つかなかった。次に経台を焼いた。火がつくと、炎が経典に及びかけたとき、弥勒菩薩が神通力で私の経と律を兜率天に迎え取った。次に歯塔に至ると、塔の神が言った。『虫行神という者がいて、先に私の娘を求めましたが、私は軽んじて与えなかった。今、誓って法を護らせよう。娘を彼に与えよう。』使いが心から従うと、虫行神は喜び、手に大山を捧げて王と四軍の衆を押しつぶし、一時に皆死に、王家の子孫はここに尽きた。

「其後有王,性甚良善。彌勒菩薩化作三百童子下於人間以求佛道,從五百羅漢諮受法教,國土男女復共出家。如是比丘、比丘尼還復滋繁。羅漢上天接取經律,還於人間。時有比丘名曰總聞,諮諸羅漢及與國王,分我經律多立臺館,為求學來難。

その後、一人の王が現れ、とても心優しい人でした。弥勒菩薩は三百人の童子に姿を変えて人間の世界に下り、仏の道を求めました。五百人の羅漢から教えを学び、国の男女もまた共に出家しました。こうして比丘も比丘尼も、再び数を増やしていきました。羅漢たちは天に上って経典と戒律を受け取り、再び人間の世界へ戻りました。その時、総聞という名の比丘がいて、羅漢たちや王に相談し、経典と戒律を分けて多くの学びの場を設けましたが、学びを求める人々が訪れるのが難しい状況でした。

「時有一長老比丘,好於名聞亟立諍論,抄治我律,開張增廣迦葉所結,名曰大眾律,外採綜所遺,誑諸始學,別為群黨互言是非。時有比丘求王判決,王集二部行黑白籌,宣令眾曰:『若樂舊律可取黑籌,若樂新律可取白籌。』時取黑者乃有萬數,時取白者只有百數。王以皆為佛說,好樂不同不得共處。學舊者多,從以為名,為摩訶僧祇也。學新者少而是上座,從上座為名,為他俾羅也。他俾羅部,我去世時三百年中,因於諍故,復起薩婆多部及犢子部。於犢子部,復生曇摩尉多別迦部、跋陀羅耶尼部、沙摩帝部、沙那利迦部。其薩婆多部,復生彌沙塞部。目揵羅優婆提舍,起曇無屈多迦部、蘇婆利師部。他俾羅部,復生迦葉維部、修多蘭婆提那部。四百年中,更生僧伽蘭提迦部。摩訶僧祇部,我滅度時二百年中,因於異論,生起鞞婆訶羅部、盧迦尉多羅部、拘拘羅部、婆收婁多柯部、鉢蠟若帝婆耶那部。三百年中,因諸異學,於此五部,復生摩訶提婆部、質多羅部、末多利部。如是眾多,久後流傳,若是若非。唯餘五部各舉所長,名其服色。摩訶僧祇部,勤學眾經宣講真義,以處本居中,應著黃衣。曇無屈多迦部,通達理味開導利益,表發殊勝,應著赤衣。薩婆多部,博通敏達以導法化,應著皂衣。迦葉維部,精勤勇猛攝護眾生,應著木蘭衣。彌沙塞部,禪思入微究暢幽密,應著青衣。是故羅旬喻比丘分衛,不能得食;後以五種律衣更互而著,便大得食。何以故?是其前世執性多慳,見沙門來急閉門戶云:『大人不在。』見他布施,歡喜攝念,發心願作沙門。是故今身雖得出家,窮弊如此。我法出家,純服弊帛及死人衣,因羅旬踰故受種種衣也。」

時に一人の長老比丘がいて、名声を好み、盛んに論争を立て、私の律を書き改め、迦葉が結集したものを広げ増やして、大衆律と名づけた。外からは残されたものを集めまとめ、初学者たちを欺き、別に党派を作って互いに是非を言い合った。時に比丘がいて王の判決を求めた。王は二つの部を集めて黒白の籌を行い、衆に宣べた。「旧律を好む者は黒籌を取れ。新律を好む者は白籌を取れ。」時に黒を取る者は万の数に及び、白を取る者はただ百の数だけであった。王はどちらも仏の説いたものとし、好みの違いにより共に住むことはできないとした。旧律を学ぶ者が多いので、それに従って名とし、摩訶僧祇とした。新律を学ぶ者は少なく、しかも上座であったので、上座に従って名とし、他俾羅とした。他俾羅部は、私が世を去って三百年の中に、諍いのために、さらに薩婆多部と犢子部を起こした。犢子部から、さらに曇摩尉多別迦部、跋陀羅耶尼部、沙摩帝部、沙那利迦部が生まれた。その薩婆多部から、さらに弥沙塞部が生まれた。目揵羅優婆提舎から、曇無屈多迦部、蘇婆利師部が起こった。他俾羅部から、さらに迦葉維部、修多蘭婆提那部が生まれた。四百年の中に、さらに僧伽蘭提迦部が生まれた。摩訶僧祇部は、私が滅度して二百年の中に、異なった論のために、鞞婆訶羅部、盧迦尉多羅部、拘拘羅部、婆収婁多柯部、鉢蠟若帝婆耶那部を生じた。三百年の中に、諸々の異学のために、この五部から、さらに摩訶提婆部、質多羅部、末多利部を生じた。このように多くのものが、久しく後まで流伝し、是も非もあった。ただ五部だけが残り、それぞれ長所を挙げ、その服の色を名とした。摩訶僧祇部は、勤めて多くの経を学び真義を宣講し、本として中居に処するので、黄色の衣を著けるべきである。曇無屈多迦部は、理の味に通達し利益を開導し、殊勝を表し発すので、赤色の衣を著けるべきである。薩婆多部は、博く通じ敏く達し法化を導くので、皂色の衣を著けるべきである。迦葉維部は、精勤勇猛にして衆生を摂護するので、木蘭の衣を著けるべきである。弥沙塞部は、禅思に入り微を究め幽密を暢べるので、青色の衣を著けるべきである。それゆえに羅旬喩比丘は分衛しても、食を得ることができなかった。後に五種の律衣を互いに著替えたところ、大いに食を得た。なぜか。これは彼の前世が執性にして多く慳み、沙門の来るを見て急いで門戸を閉ざして言った。「大人は不在です。」と。他人の布施を見ては歓喜し念を摂め、発心して沙門となることを願った。それゆえに今の身は出家を得たといえども、窮弊このようである。我が法の出家は、純ら弊帛および死人の衣を服するが、羅旬踰のために種々の衣を受けるのである。

舍利弗言:「如來正法,云何少時分散如是?既失本味,云何奉持?」

舎利弗が言った。「如来の正しい教えは、なぜこれほど早くに散り失せてしまうのでしょうか。すでに本来の味わいを失ってしまったなら、どうやって受け止め、保ち続ければよいのでしょうか。」

佛言:「摩訶僧祇其味純正,其餘部中如被添甘露。諸天飲之,但飲甘露、棄於水去;人間飲之,水露俱進,或時消疾或時結病。其讀誦者亦復如是,多智慧人能取能捨;諸愚癡人不能分別。」

仏がおっしゃいました。「摩訶僧祇の教えは、その味わいが純粋で正しい。ほかの部派の教えは、甘露を水で薄めたようなものである。天の神々はそれを飲むとき、甘露だけを飲み、水は捨ててしまう。しかし人間が飲むと、水も甘露も一緒に体内に入ってしまい、あるときは病を癒し、あるときは病を招く。経典を読誦する者も同じである。智慧のある人は取るべきものと捨てるべきものを見分けることができるが、愚かな人々はそれを見分けることができない。」

舍利弗言:「如來先云,若寒國土,聽諸比丘身著俗服及覆頭首。迦那比丘行大林聚落,值天大寒鳥獸死盡,村人與其俗衣,世尊令其懺悔。何耶?」

舎利弗が言った。「如来は以前、寒い国では比丘たちが俗人の服を着たり、頭を覆ったりすることを許すと仰いました。しかし迦那比丘が大林聚落を歩いていたとき、ひどい寒さで鳥や獣が死に絶え、村の人々が彼に俗服を与えました。そこで世尊は彼に懺悔を命じられました。これはなぜでしょうか。」

佛言:「聽著染色,置在衣裏耳。」

仏がおっしゃいました。「よく聞きなさい。染めた色は、衣の裏に置いておくのです。」

舍利弗言:「云何世尊常言諸比丘不得以鉢布地,當擎以淨物。若無淨物,當以草葉木葉。君輸柯比丘,與其眷屬受日難王請,行淨板擎鉢。云何世尊而罵之,言:『是惡魔行、非行法者。』」

舎利弗が言った。「世尊はいつも、比丘たちは鉢を直接地面に置いてはならず、清らかな布で包んで持つようにとおっしゃっています。もし清らかな布がなければ、草の葉や木の葉を使うようにとも。しかし、君輸柯比丘とその仲間たちは、日難王の招きを受けたとき、清らかな板の上に鉢を載せて持って行きました。なぜ世尊はそれを叱って、『これは悪魔の行いであり、法を行う者の行いではない』とおっしゃったのでしょうか。」

「我言,以清淨物,不受染。若淨無者,乃用草木之葉,一用即棄。不得用木皮木肉,以其體中本有膠故。若膠若漆,以受塵故。若已枯燥,本是有故,濕熱更流故。」

私は言う。清らかな物を用いれば、汚れを受けることはない。もし清らかな物がなければ、草木の葉を用い、一度使ったらすぐに捨てる。木の皮や木の身を使ってはならない。その本体にもともと膠が含まれているからである。膠や漆は、塵を受けるからである。すでに乾いて枯れているとしても、もともとその性質を持つものであるため、湿気と熱で再び流れ出るからである。

舍利弗白佛言:「世尊云何聽諸比丘受施主請食及僧家常食;云何蘭若提比丘受無畏長者請食,如來罵云:『是土木人。不應食人食也。』」

舎利弗が仏に申し上げました。「世尊、なぜ比丘たちが施主の招きを受けて食事をし、また僧団の日常の食事をいただくことが許されるのでしょうか。一方、蘭若提の比丘が無畏長者の招きを受けて食事をしたとき、如来は『この者は土木でできた人形のようなものだ。人の食べ物を食べるべきではない』とお叱りになりました。これはどういうことでしょうか。」

佛言:「以破壞威儀。行食之時,但以眼視、不以手受。外道梵志尚知受取,況我弟子而不受食?何況於食,一切諸物不得不受,唯除生寶及施女人。若作法者,猶應授與體上之衣。若貯金器,受則判施。」

仏陀はおっしゃいました。「威儀を壊してはならない。食事の際には、ただ目で見て、手で受け取らないなどということはあってはならない。外道の梵志でさえ食べ物を受け取ることを知っている。ましてや私の弟子たちが食べ物を受け取らないなどありえない。ましてや食物については、すべての物を受け取らなければならない。ただし、生の宝と施された女人を除いては。法を行う者であっても、身体の上の衣は授け与えるべきである。金の器を蓄える場合、受け取れば施しと判断される。」

舍利弗白佛言:「云何世尊說遮道法,不得飲酒如葶藶子,是名破戒開放逸門。云何迦蘭陀竹園精舍,有一比丘疾病經年,危篤將死。時優波離問言:『汝須何藥?我為汝覓。天上人間乃至十方,是所應用我皆為取。』答曰:『我所須藥是違毘尼,故我不覓,以至於此。寧盡身命無容犯律。』優波離言:『汝藥是何?』答曰:『師言須酒五升。』優波離曰:『若為病開,如來所許。』為乞得酒,服已消差。差已懷慚,猶謂犯律,往至佛所慇懃悔過。佛為說法,聞已歡喜得羅漢道。」

舎利弗が仏に申し上げた。「世尊はなぜ、道を遮る法を説いて、葶藶子ほどの酒でも飲んではならないとされ、これを戒を破り放逸への門を開くものと名づけられたのでしょうか。また、迦蘭陀竹園の精舎で、一人の比丘が長年病に臥し、危篤で今にも死のうとしていました。その時、優波離が問いました。『あなたはどんな薬が必要ですか。私が探してきましょう。天上でも人間でも、十方のどこであろうと、必要なものは何でも取ってきます。』比丘は答えました。『私に必要な薬は毘尼に反するものです。ですから探し求めず、この状態になってしまいました。たとえ命が尽きても、律を犯すことはできません。』優波離が言いました。『その薬とは何ですか。』比丘は答えました。『師は酒五升が必要だと言いました。』優波離は言いました。『病のためとあらば、如来もお許しになります。』そして酒を乞い求め、飲んだところ病は癒えました。癒えた後、比丘は恥じ入り、なお律を犯したと思い、仏のところへ行き、丁重に過ちを悔い改めました。仏が法を説かれ、聞いて喜び、阿羅漢の道を得ました。」

佛言:「酒有多失,開放逸門。飲如葶藶子,犯罪已積。若消病苦非先所斷。」

仏はおっしゃいました。「酒には多くの過ちがあり、放逸への門を開く。ほんの少しでも飲めば、罪はすでに積み重なっている。病の苦しみを消すためであっても、あらかじめ断じておくべきである。」

舍利弗又白佛言:「云何如來常言不得殺眾生乃至蟻子。而以臘月八日,於舍衛國長水河邊,與輸麗外道捔術,先逼以神通力令墮負處,其生慚羞投水自盡。眼視沈沒而不拯救,不亦殺乎?方復告眾言:『輸麗持此惡法惑亂眾生,前世善熟滅此惡身轉生善見,不亦快乎。我諸弟子當於此日設清淨浴洗,浣身垢念除倒見身,若清淨心亦清淨。』似結使人,無有慈悲。」佛言:「大智!汝能為諸未通達者問斯誠要。輸麗外道於無量世中積習邪見,誓障正法。往昔燈明佛時,我行菩薩道。遇一村落,人多癘病,死者縱橫。我採眾藥隨宜救濟,皆得除愈。其中一人名曰不戴(吳音),是梵志學,自負多能,不肯信服,臨欲終時方復求我。我語之云:『汝先可治,與藥不取;今將氣盡,方復有求,如汝即時非藥能治。』不戴曰:『我今不能復判優劣,願未來世共決勝負。我若負者當殺身,求生為汝弟子。汝若不如,為我走使。』時我報云:『善哉善哉!』故今生此土與我相值,臨終善熟共契所會。發言失據恥其眷屬,投水自害。身雖死亡,心發善故,生我法中,有勝進故我不救也。」

舎利弗がまた仏に申し上げた。「如来はいつも、生き物を殺してはならない、蟻の子に至るまでそうだと言われます。なのに臘月八日、舎衛国の長水河のほとりで、輸麗外道と術を競い、まず神通力で相手を負けの立場に追い込みました。相手は恥じ入って水に飛び込み、自ら命を絶ちました。如来はその沈むさまを目の当たりにしながら救おうともされませんでした。これも殺しではないのでしょうか。さらにこう衆に告げられました。『輸麗はこの悪法を抱えて衆生を惑わした。前世の善が熟してこの悪身を滅ぼし、善き見を得て生まれ変わった。なんと快いことか。わが弟子たちはこの日、清らかな浴を設け、身の垢を洗い流し、倒った見を念じて除き去りなさい。心が清らかであれば身もまた清らかである。』人を縛りつけるようで、慈悲がありません。」

仏が言われた。「大智よ、よくぞ通達していない者たちのために、この真に肝要なことを問うた。輸麗外道は無量の世の中で邪見を積み重ね、誓って正法を妨げてきた。昔、灯明仏の時代、私は菩薩の道を行じていた。ある村に巡り会ったが、多くの人が疫病にかかり、死者が縦横に転がっていた。私はさまざまな薬を採り、それぞれに応じて救済し、みな癒やされた。その中の一人を不戴といった。梵志の学問を修め、自ら多くを能くすると自負し、どうしても信じようとしなかったが、死に臨んでようやく私を求めた。私は告げた。『お前はもっと早く治せたのに、薬を与えても取らなかった。今は息が絶えようとして、ようやく求めてくる。お前の場合、今となっては薬でも治せない。』不戴は言った。『私は今、もう優劣を論じられない。どうか未来の世で勝負を決めさせてほしい。私が負けたなら命を捨て、お前の弟子として生まれ変わろう。お前が及ばなければ、私の走り使いになれ。』その時私は答えた。『善いかな、善いかな。』それゆえ今生、この土で私と巡り会い、臨終に善が熟して約束の場に共に至ったのだ。言葉を誤り、眷属に恥じて水に飛び込み自らを害した。身は死んだが、心に善を起こしたゆえ、わが法の中に生まれ、勝れた進みがあるゆえ、私は救わなかったのだ。」

舍利弗言:「云何於訓戒中,令弟子偏袒右肩。又為迦葉村人說城喻經云:『我諸弟子當正被袈裟,俱覆兩肩勿露肌肉,使上下齊平現福田相,行步庠序。』又言:『勿現胸臆。』於此二言,云何奉持?」

舎利弗が言った。「戒めの教えの中で、なぜ弟子たちに右肩を偏袒させるのですか。また迦葉村の人々に説かれた城喩経には、『私の弟子たちは正しく袈裟を着け、両肩をすっかり覆って肌を露わにしてはならず、上下を揃えて福田の姿を現し、歩むときは整った足取りで行いなさい』とあります。さらに『胸を露わにしてはならない』とも言われています。この二つの言葉について、どのように受け止め、守るべきでしょうか。」

佛言:「修供養時應須偏袒,以便作事。作福田時應覆兩肩,現田文相。云何修供養?如見佛時、問訊師僧時,應隨事相,若拂床、若掃地、若卷衣裳、若周正薦席、若泥地作華、若揵高足下、若灑若移種種供養。云何作福田時?國王請食、入里乞食、坐禪誦經巡行樹下,人見端嚴有可觀也。」

仏がおっしゃいました。「供養を行うときは、右肩を出して作業しやすくするのがよい。福田を耕すときは、両肩を覆い、田んぼの模様のような姿を現すのがよい。どのように供養を行うのか。仏を見るとき、師や僧に挨拶するとき、その場に応じた作法で行う。寝床を払う、床を掃く、衣をたたむ、敷物を整える、泥で花を作る、高い台に乗せる、水をまく、植え替えるなど、さまざまな供養である。どのように福田を耕すのか。国王に食事を請われ、村里に入って托鉢し、坐禅し、経を読み、木の下を巡り歩く。人々はその端正で厳かな姿を見て、立派だと感じるのである。」

舍利弗復白佛言:「世尊!八部鬼神以何因緣生於惡道而常聞正法?」

舎利弗がまた仏に申し上げました。「世尊、八部の鬼神はどのような因縁で悪道に生まれながら、いつも正しい法を聞くことができるのでしょうか。」

佛言:「以二種業:一以惡故生於惡道,二以善故多受快樂。」

仏はおっしゃいました。「二つの業によって、一は悪によって悪道に生まれ、二は善によって多くの楽しみを受ける。」

又問:「善惡二異,可得同耶?」

また問いました。「善と悪は全く異なるもので、同じものになることはあり得るのでしょうか。」

佛言:「亦可得耳。是以八部鬼神皆曰人非人也。天神者,其之先身,以車輿、舍宅、飲食,供養三寶、父母、賢勝之人,猶懷慳儉諂嫉妬者,故受天神身,如普光、淨勝天神等。虛空龍神者,修建德本,廣行檀波羅蜜,不依正念,急性好瞋,故受人非人身,如摩尼光龍王等。夜叉神者,好大布施,或先損害、後加饒益,隨功勝負,故在天上空中地下。乾闥婆者,前生亦少瞋恚,常好布施,以青蓮自嚴、作眾伎樂,今為此神,常為諸天奏諸伎樂。阿修羅神者,志強,不隨善友所作淨福,好逐幻偽之人作諸邪福,傍於邪師,甚好布施,又樂觀他鬪訟,故受今身。迦婁羅神者,先修大捨,常有高心以倰於物,故受今身。緊那羅神者,昔好勸人發菩提心,未正其志,逐諸邪行,故得今身。摩睺羅伽神者,布施護法,性好瞋恚,故受今身。人非人等,皆由依附邪師、行諂惡道,以邪亂正俱謂是道,以自建立。夫出世道者,不雜魔邪諂悅之語;諂悅之語非出生死,是入惡道。諂悅邪人所可言說,大觀似道、細則睒鑠。當依正法及行正法者,當得佛法僧力解脫無為。若依相似法、依行邪導師,繫縛生死永淪惡趣。是無知人,非求出世,入邪見網。邪導師者,雖讀眾經,以邪事業矯製邪科,出邪諂法誑惑凡人,以求敬仰,非人所知說云:『我知。』非人所得說云:『我得。』或人難曰:『那知?那得?』答曰:『空界天神幽中知識密以語我。』或云:『某年某月有利有害,逆相開示,應防應救。此滅彼興、我得汝失。』如是欺誑。薄俗之人,不能深思德本,隨逐邪末失其正見,興造邪業,生顧錢帛、死入惡道:拔舌吞銅百千萬歲;後作畜生亦無量歲;復生為鬼,或在山林曠野河海舍宅,益懷諂誑無有休息,或迷謗行人使失道徑,或示語邪巫言,先亡形服恐動百端、甚可惡賤求人飲食,無有終極。值我弟子心懷正直不失正念者,聞即呵叱,終敢復為。若我弟子心懷怯弱易失心者,從其求免,踰得其便,千端萬緒求索無厭。如是之人無丈夫相,為邪所動,死墮惡趣,甚可悲念。」

仏がおっしゃいました。「それも聞くことができます。そこで八部の鬼神はみな『人であって人でないもの』と呼ばれています。天神とは、その前世において、車や輿、家屋、飲食を三宝や父母、賢い人々に供養しながら、なおも吝嗇やへつらい、嫉妬の心を抱いていたため、天神の身を受けたのです。普光天神や浄勝天神などがそれです。虚空龍神とは、功徳を積み、布施を広く行いながら、正しい心に依らず、短気で怒りやすかったため、人非人の身を受けたのです。摩尼光龍王などがそれです。夜叉神とは、大きな布施を好みましたが、あるいは先に損害を与え、後に利益を施すというように、功徳の勝ち負けに従って、天上や空中、地下に生まれたのです。乾闥婆とは、前世でも怒りが少なく、常に布施を好み、青蓮で身を飾り、さまざまな音楽を奏でていたため、今この神となり、常に諸天のために音楽を奏でています。阿修羅神とは、意志が強く、善き友に従って清らかな福徳を行わず、偽りの人々に従って邪な福徳を行い、邪師に近づき、非常に布施を好み、また他人の争いを喜んで見ていたため、今の身を受けたのです。迦楼羅神とは、以前に大きな捨てる心を修めましたが、常に高慢な心で他を見下していたため、今の身を受けたのです。緊那羅神とは、昔、人々に菩提心を起こすよう勧めることを好みましたが、その志を正しく定めず、邪な行いに従ったため、今の身を得たのです。摩睺羅伽神とは、布施をして法を護りましたが、性質として怒りを好んだため、今の身を受けたのです。人非人といったものは、みな邪師に頼り、へつらいの悪道を行い、邪をもって正を乱し、どれもこれが道だと唱え、自らを確立しているのです。そもそも世を超える道とは、魔や邪のへつらい喜ばせる言葉が混じらないものです。へつらい喜ばせる言葉は生死を超えさせるものではなく、悪道に入るものです。へつらう邪な人の言うことは、大きく見れば道のようであり、細かく見ればきらめき惑わすものです。正しい法に依り、正しい法を行う人に依るべきです。そうすれば仏法僧の力によって解脱し、無為を得ることができます。もし似たような法に依り、邪な導師に従えば、生死に縛られ、永遠に悪趣に沈むでしょう。これは無知な人であり、世を超えることを求めるのではなく、邪見の網に入っているのです。邪な導師とは、多くの経典を読んでも、邪な行いをもって邪な規則を矯正すると称し、邪なへつらいの法を出して凡人を惑わし、敬仰を求める者のことです。人が知りえないことを説いて『私は知っている』と言い、人が得られないことを説いて『私は得た』と言います。あるいは人が『どうして知るのか。どうして得るのか』と問い質すと、『空界の天神が密かに私に語ったのだ』と答えます。あるいは『ある年ある月に利があり害があり、逆さまに示し、防ぐべき救うべき、これが滅びればあれが栄え、私が得ればお前が失う』などと言います。このように欺き惑わすのです。浅はかな世間の人は、徳の本を深く考えず、邪な末に従って正見を失い、邪な業を造り、生きているうちは金銭や布を顧み、死んで悪道に入ります。舌を抜かれ銅を飲まされ百千万年、その後畜生となってもまた無量の歳月、さらに鬼に生まれ、あるいは山林や荒野、河海、家屋にいて、ますますへつらい欺く心を抱き、休むことがありません。あるいは行人を迷わせ道を失わせ、あるいは邪な巫女に言葉を示して、亡き者の形や服で恐れ動かし、百方にわたり、たいへん忌まわしいものとなり、人の飲食を求めて終わりがありません。私の弟子で心が正直で正念を失わない者に値すれば、聞いてすぐに叱りつけ、決してまた行いません。もし私の弟子で心が怯え弱く、心を失いやすい者が、その求めから免れようとすれば、かえってその機会を増し、千端万緒に求めて飽くことがありません。このような人は丈夫の相がなく、邪に動かされ、死んで悪趣に堕ちます。たいへん悲しむべきことです。」

舍利弗復白佛言:「八部鬼神,依空為空神、依地為地神耶?」

舎利弗は再び仏に申し上げました。「八部の鬼神は、空に依るものは空神、地に依るものは地神なのでしょうか。」

佛言:「別有地神,如淨華光等。過去世時好修布施,多瞋難滿、嗜酒喜歌舞,故作此神,著純白之衣,潔淨無垢。」

仏がおっしゃいました。「別に地神というものがあり、清らかな花の光のような者たちです。過去世においてよく布施を修めましたが、怒りが多く満足しにくく、酒を好み歌や舞を楽しんだため、この神となったのです。真っ白な衣をまとい、清らかで汚れがありません。」

舍利弗復白佛言:「云何如來告天帝釋及四天大王云:『我不久滅度。汝等各於方土護持我法。我去世後,摩訶迦葉、賓頭盧、君徒般歎、羅睺羅,四大比丘住不泥洹,流通我法。』」

舎利弗が再び仏に申し上げました。「如来はなぜ天帝釈と四天王に、『私はまもなく滅度に入る。あなたがたはそれぞれの国で私の法を守り伝えなさい。私が世を去った後、摩訶迦葉、賓頭盧、君徒般歎、羅睺羅という四人の比丘が涅槃に入らずに留まり、私の法を広め続けるであろう』と告げられたのですか。」

佛言:「但像教之時信根微薄,雖發信心不能堅固,不能感致諸佛弟子。雖專到累年,不如佛在世時一念之善,其極慊至無復二向。汝為證信,隨事厚薄為現佛像僧像,若空中言、若作光明乃至夢想,令其堅固,彌勒下生聽汝泥洹。」

仏はおっしゃった。「しかし、像法の時代には信の根がきわめて弱く、たとえ信心を起こしても固く保てず、諸仏の弟子たちを感得することもできない。長年ひたすら励んでも、仏が在世であった時の一念の善には及ばない。その志はきわめて薄く、もはや二つの方向もない。あなたは信を証するために、事の軽重に応じて仏像や僧像を現し、あるいは空中の声、あるいは光明を放ち、さらには夢の中に示して、その信を固くさせなさい。弥勒が下生するまで、あなたの涅槃を許す。」

舍利弗復白佛言:「如來現世二十年前,度諸弟子,無有常施,隨有便施。自二十年後,施多定物。是義云何?」

舎利弗が再び仏に申し上げました。「如来がこの世に現れてから二十年の間は、弟子たちをお導きになるのに、決まった施しはなく、その時々に応じて施しをなさいました。しかし二十年を過ぎてからは、施しは定まったものとなりました。これはどういう意味なのでしょうか。」

佛言:「有長者子名曰分若多羅,宿有善根,生婆羅門家,樂欲捨家修無上道。隨大目犍連,於巴連弗邑天王精舍求受具戒。目連語云:『汝可七日七夜悔汝先罪皆使清淨。無諸妨障者,我當為汝從僧中乞。』分若多羅言:『云何得知妨障已滅?云何得知我受得戒?仰願諸佛加我威神,令我罪滅得見得戒之相。』佛言:『汝但勤誠,誠至自見。』分若白佛:『謹奉尊教。』懇惻日夜到第五夕,於其室中雨種種物,若巾若帊、若拂若帚、若刀若斧、若錐若鏟,次第分別墮其目前。分若多羅生歡喜心、生得果心。滿七日已,具白目連。目連問我,我語之曰:『是離塵相拂割之物也。當以嚫師,師其緣也。』夫受戒者,隨其力辦可以為施,不限於此、不必備此。」

仏が言われた。「長者の子で分若多羅という名の者がいた。過去世に善根を植え、バラモンの家に生まれながら、家を捨てて無上の道を修めることを願った。そこで大目犍連に従い、巴連弗邑の天王精舎で具足戒を受けようとした。目連が言った。『あなたは七日七夜のあいだ、先の罪を悔い改めてすべて清めなさい。妨げとなるものが何もなくなったなら、私が僧団のためにあなたの戒を乞い求めましょう。』分若多羅が言った。『どうすれば妨げが滅したと分かるのでしょうか。どうすれば私が戒を受けたと分かるのでしょうか。どうか諸仏が私に威神力を持って加護し、私の罪が滅び、戒を受けたしるしを見ることができますように。』仏が言われた。『あなたはただひたすら誠を尽くしなさい。誠が極まれば自然に見えるであろう。』分若が仏に申し上げた。『謹んで尊い教えを奉じます。』切々と日夜励んで五日目の夜、その部屋の中にさまざまな物が雨のように降った。手ぬぐいや布、払子やくまで、刀や斧、錐や鏟が、次々と目の前に現れた。分若多羅は喜びの心を起こし、悟りを得た心を起こした。七日が満ちると、目連に詳しく報告した。目連が私に尋ねたので、私はこう言った。『これは汚れを離れるしるしの、払い断つ物である。師に布施として贈りなさい。師がその縁である。』戒を受ける者は、自分の力に応じて布施をすればよく、これに限らず、必ずしもこれを備える必要はない。」

舍利弗復白佛言:「世尊!有諸檀越造僧伽藍厚置資給供,來世僧有似出家僧,非時就典食僧索食而食。與者、食者得何等罪?其本檀越得何等福?」

舎利弗が再び仏に申し上げた。「世尊、施主たちが僧園を建て、手厚く物資を整えて僧たちに供養しておりますが、未来の世の僧の中には、出家僧に似て非なる者がいて、定められた時でないのに食事を管理する僧に食事を求めて食べる者がおります。与える者と食べる者には、どのような罪があるのでしょうか。また、もとの施主には、どのような福があるのでしょうか。」

佛言:「非時食者,是破戒人、是犯盜人。非時與者,亦破戒人,亦犯盜人,盜檀越物是不與取。非施主意,施主無福。以失物故,猶有發心置立之善。」

仏陀はおっしゃいました。「定められた時間以外に食事をすることは、戒を破る者であり、盗みを犯す者です。また、定められた時間以外に人に食事を与える者も、同じく戒を破る者であり、盗みを犯す者です。施し主の物を盗むことは、与えられていないものを取ることになります。施し主の意に沿わないため、施し主には福がありません。ただし、物を失ったとしても、施し主が発心して設けた善はなお残ります。」

舍利弗言:「時受時食,食不盡者非時復食;或有時受、至非時食。復得福不?」

舎利弗が言いました。「決められた時間に受けて、その時間に食べ、食べきれなかったものを時間外にまた食べる場合、あるいは時間内に受けて、時間外に食べる場合、それでも功徳は得られるのでしょうか。」

佛言:「時食淨者,是即福田、是即出家、是即僧伽、是即天人良友、是即天人導師。其不淨者,猶為破戒,是大劫盜,是即餓鬼、為罪窟宅。非時索者,以時非時非時輒與。是典食者,是名退道、是名惡魔、是名三惡道、是名破器、是癩病人,壞善果故,偷乞自活。是故諸婆羅門不非時食,外道梵志亦不邪食,況我弟子知法行法而當爾耶?凡如此者,非我弟子,是盜我法利著無法人。盜名盜食,非法之人。盜與、盜受一團一撮片鹽片酢,死墮燋腸地獄,吞熱鐵丸。從地獄出生猪狗中,食諸不淨。又生惡鳥,人怪其聲。後生餓鬼,還伽藍中處,都圊內噉食糞穢,並百千萬歲。更生人中,貧窮下賤,人所棄惡,所可言說人不信用。不如盜一人物,其罪尚輕。割奪多人故、良福田故、斷絕出世道故。」

仏がおっしゃいました。「決められた時間に食べる清らかな食事は、それこそが福田であり、出家であり、僧団であり、天人にとっての良き友であり、天人を導く師である。清らかでない食事は、戒を破ることであり、大きな盗みであり、餓鬼であり、罪の住みかである。決められた時間以外に求める者は、時と非時をわきまえず、非時にすぐ与えてしまう。このような食事をする者は、道から退く者と呼ばれ、悪魔と呼ばれ、三悪道と呼ばれ、壊れた器と呼ばれ、癩病の人と呼ばれる。善い果報を壊すため、盗み乞うて生きるのである。だからこそ、もろもろのバラモンは非時に食べず、外道の梵志も邪な食べ方をしない。ましてや、わが弟子で法を知り法を行う者が、どうしてそうしてよいだろうか。およそこのような者は、わが弟子ではなく、わが法の利益を盗み、法を持たない者に執着する者である。名を盗み食を盗む、法ならざる者である。盗み与え、盗み受ける、一かたまり一つまみ、一片の塩、一片の酢であっても、死後は焦腸地獄に堕ち、熱い鉄の丸を呑む。地獄から出れば豚や犬の中に生まれ、もろもろの不浄を食べる。また悪い鳥に生まれ、人はその声を怪しむ。後に餓鬼に生まれ、寺の中に戻って、便所で糞や穢れを食べ、百千万歳を過ごす。さらに人中に生まれれば、貧しく卑しく、人に嫌われ疎まれ、語ることはあっても人は信じない。他人の物を一つ盗むほうが、その罪はまだ軽い。多くの人のものを奪い取るからであり、良き福田だからであり、出世間の道を断ち切るからである。」

舍利弗復白佛言:「如來宗親多有出家,為自發心?為佛神力耶?」

舎利弗がまた仏に申し上げました。「如来の一族からは多くの方が出家されていますが、それはご自身の志からでしょうか、それとも仏の神変の力によるのでしょうか。」

佛言:「諸釋憍慢著樂,何能願樂?特是父王宣勒,宗室生二子者,一人隨我。阿那律久積善根深樂正法,携率釋子跋提難提、金毘羅、難陀、跋難陀、阿難陀、提婆達多、優波離,澡浴清淨來至我所欲求出家。時有上座名毘羅茶,別度阿難、阿難陀。次一上座名婆修羅,別度提婆達多、跋難陀。唯阿難修不忘禪,宿習總持,於少時中得佛覺三昧,積百萬川水攬以為雨,雨水奔流入于大海。阿難手從海中取以分別,色味不雜,還置本源,無有漏失。」

ブッダはこう言われました。「釈迦族の人々は驕り高ぶり、快楽に執着しているから、どうして進んで仏道を願うことができようか。ただ父王の命によって、一族の中で二人の子がいる者は、一人を私のもとへ送ることになった。阿那律は長い間善根を積み、正しい教えを深く愛していたので、釈迦族の子弟である跋提、難提、金毘羅、難陀、跋難陀、阿難陀、提婆達多、優波離を連れて、身を清く洗い、私のもとへ出家を求めて来た。その時、毘羅茶という名の上座がいて、阿難と阿難陀を別に導いた。次に婆修羅という名の上座が、提婆達多と跋難陀を別に導いた。ただ阿難だけは、忘れない禅を修め、前世からの記憶力を備えていたので、わずかな間に仏の覚りの三昧を得た。百万の川の水を集めて雨とし、その雨水が奔流となって大海に注ぐようなものである。阿難は手で海中から取り出して分別し、色も味も混ざることなく、もとの場所に戻し、少しも漏れ失うことがなかった。」

文殊師利白佛言:「世尊!舍利弗者,如來常言,其於聲聞中智慧第一,不謂小心能問要義。」

文殊師利が仏に申し上げました。「世尊、舍利弗について、如来はいつも、声聞の中でも智慧が第一だとおっしゃっています。まさか、そのような小さな心の持ち主が大切な教えをお尋ねするとは思ってもみませんでした。」

佛言:「其久種明悟,發揚我法,以諸慧利利眾生故。」

仏はおっしゃいました。「その者は久しく明悟の種を積み、わが法を発揚し、さまざまな慧の利をもって衆生を利するためである。」

「云何如來說父母恩大不可不報,又言師僧之恩不可稱量。其誰為最?」

「なぜ如来は、父母の恩は大きく、報いなければならないと言い、また師や僧の恩は量り知れないと言われるのですか。その中でどちらが最も大きいのでしょうか。」

佛言:「夫在家者,孝事父母在於膝下,莫以報生長與之等,以生育恩深故言大也。若從師學開發知見,次恩大也。夫出家者,捨其父母生死之家,入法門中受微妙法,師之力也。生長法身、出功德財、養智慧命,功莫大也,追其所生乃次之耳。」

仏がおっしゃいました。「在家の人にとっては、父母に孝行を尽くしてその膝下で仕えることが大切です。しかし、育ててくれた恩に報いることはできても、それと同等とは言えません。生み育ててくれた恩は深いので、これを大きいと言うのです。また、師について学び、知見を開いてもらうことは、これに次ぐ大きな恩です。出家する者は、父母の生死の家を捨てて、法の門に入り、微妙な法を受けます。これは師の力によるものです。法身を育て、功徳の財を生み出し、智慧の命を養うことは、これに勝る功徳はありません。その生みの親に報いることは、これに次ぐものなのです。」

又言:「當何名斯經?」

またお尋ねになった。「この経には、どのような名前をつけたらよいでしょうか。」

佛言:「當名『菩薩問喻』,以廣大故。又名『舍利弗問』。」

仏はおっしゃいました。「この教えは『菩薩問喻』と名づけなさい。その内容が広大であるからです。また『舎利弗問』とも名づけなさい。」

爾時四眾聞說是已,五十新學比丘,信根成立、法眼清淨。舊德、天人八部等,皆大歡喜,作禮而去。

そのとき、集まっていた四人の弟子たちはこの教えを聞き終えると、新しく学び始めた五十人の比丘は信仰の心がしっかりと定まり、真理を見る清らかな目が開かれました。経験を積んだ長老たちや天人・八部衆なども皆、大いに喜び、礼をして去っていきました。

舍利弗問經

舎利弗問経


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