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  1. 四分比丘戒本 (四分比丘戒本)
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四分律比丘戒本 (四分律比丘戒本)

「四分律比丘戒本」について

後秦 · 底本の訳者:佛陀耶舍

9,189 字 · 約 31 分

『四分律比丘戒本』は、後秦の時代に罽賓の高僧である仏陀耶舎と竺仏念によって共訳された。この戒本は、法蔵部に伝わる四分律に基づき、比丘が遵守すべき二百五十条の戒律を体系的に編纂したもので、波羅夷・僧残・波逸提などの戒相条文および懺悔の規則を含む。これはインド仏教僧団の初期律制の生活を反映しており、漢伝仏教律宗の根本戒典の一つとして、僧団が悪を止め善を修め、法に従って戒律を保つための権威あるよりどころを提供し、大乗仏教戒律体系の形成と発展に深遠な影響を与えた。


四分比丘戒本(并序)

四分比丘戒本(序付き)

西太原寺沙門懷素集

西太原寺沙門 懐素 集

夫戒者,迺是定慧之宏基、聖賢之妙趾,窮八正之道、盡七覺之源。然既樹五制之良規,傳須獲實;揚六和之清訓,學者知詮。竊尋流行,總有四本。據其理雖復同,會其文則有異。致使弘揚失於宗敘、修奉乖於行儀,虧鹿野之微言、紊龍城之要旨。故今詳撿律本,參驗戒心,依於正文,錄之如左。庶使順菩提之妙業,成實相之嘉謀,作六趣之舟航,為三乘之軌躅者也。

戒律というものは、すなわち禅定と智慧の大きな基盤であり、聖者や賢者の優れた足跡です。八正道の道を究め、七覚支の源を尽くすものです。しかし、五戒の良い規則を立てた以上、伝えるにはその真実を得なければならず、六和敬の清らかな教えを広めるには、学ぶ者がその意味を知る必要があります。

ひそかに経典の流布を探ると、全部で四つの根本があります。その道理は同じであっても、その文章には違いがあります。そのため、広める際に本来の順序を失い、修行する際に正しい行儀から外れ、鹿野苑での微妙な教えを損ない、龍城での重要な主旨を乱してしまっています。

そこで今、律の根本を詳しく調べ、戒の心を照らし合わせて検証し、正しい文章に基づいて、以下のように記録します。これによって、菩提の優れた業に従い、実相の素晴らしい計画を成し遂げ、六道の衆生を渡す舟となり、三乗の道を歩むための規範となることを願います。

四分律比丘戒本

四分律比丘戒本

後秦三藏佛陀耶舍譯

後秦三蔵法師 仏陀耶舎 訳

稽首禮諸佛, 及法比丘僧,
今演毘尼法, 令正法久住。
戒如海無涯, 如寶求無厭,
欲護聖法財, 眾集聽我說。
欲除四棄法, 及滅僧殘法,
障三十捨墮, 眾集聽我說。
毘婆尸式棄, 毘舍拘樓孫,
拘那含牟尼, 迦葉釋迦文,
諸世尊大德, 為我說是事,
我今欲善說, 諸賢咸共聽。
譬如人毀足, 不堪有所涉,
毀戒亦如是, 不得生天人。
欲得生天上, 若生人間者,
常當護戒足, 勿令有毀損。
如御入險道, 失轄折軸憂,
毀戒亦如是, 死時懷恐懼。
如人自照鏡, 好醜生欣慼,
說戒亦如是, 全毀生憂喜。
如兩陣共戰, 勇怯有進退,
說戒亦如是, 淨穢生安畏。
世間王為最, 眾流海為最,
眾星月為最, 眾聖佛為最。
一切眾律中, 戒經為上最,
如來立禁戒, 半月半月說。
「僧集?」(答言:「僧集。」)

「僧伽は集まりましたか?」(答えていうには、「僧伽は集まりました。」)

「和合?」(答言:「和合。」)

「和合ですか?」(答えていうには、「和合です。」)

「未受大戒者出?」(有者遣出,答言:「未受大戒者已出。」無者,答言:「此中無未受大戒者。」)

未受戒の者は出ましたか?(いるなら出させ、「未受戒の者は出ました」と答える。いないなら、「ここには未受戒の者はおりません」と答える。)

「不來諸比丘,說欲及清淨?」(有依法竟,答言:「說欲已。」無者,答言:「此中無說欲者。」)

参っていない比丘たちの、代理出席の申し出と清浄の表明はありますか?(規定に従って申し出があった場合は「代理出席の申し出はありました」と答える。ない場合は「ここには代理出席の申し出をした者はおりません」と答える。)

「誰遣比丘尼來請教誡?」(有受尼囑者,為說訖,答言:「請教誡。」已無者,答云:「此中無尼來請教誡。」)

「誰が比丘尼を遣わして教誡を請いに来させたのですか?」(尼から依頼を受けた者がいる場合は、説法を終えてから「教誡を請います」と答える。依頼を受けた者がいない場合は、「ここには教誡を請いに来た尼はいません」と答える。)

「僧今和合何所作為?」(答云:「說戒羯磨。」)

「僧侶たちは今、何事のために集まっているのですか?」(「戒律を説き、僧伽の儀式を行うためです。」と答えました。)

「大德僧聽!今十五日眾僧說戒,若僧時到僧忍聽,和合說戒。白如是。作白成不?」(若成,答云:「成。」若不成,答云:「不成。」)

大徳の僧侶方、お聞きください。本日十五日、僧侶一同が戒律を説くこととなりました。もし僧侶一同の時が来て、僧侶一同がこれを認められるならば、和合して戒律を説きましょう。以上、お伝えいたします。この告知は成立しましたか?(成立した場合は「成立しました」と答え、成立しなかった場合は「成立しませんでした」と答えます。)

「諸大德!我今欲說波羅提木叉戒,汝等諦聽,善思念之。若自知有犯者即應自懺悔,不犯者默然;默然者,知諸大德清淨。若有他問者,亦如是答。如是比丘在眾中,乃至三問,憶念有罪而不懺悔者,得故妄語罪;故妄語者佛說障道法。若彼比丘憶念有罪,欲求清淨者,應懺悔;懺悔得安樂。

諸大徳方々、私は今、波羅提木叉戒(具足戒)についてお話しします。よくお聞きください、そして心に留めてお考えください。

もし自ら罪を犯したと知っているならば、ただちに懺悔しなさい。犯していない者は黙っていなさい。黙っている者は、諸大徳が清らかであると認められたことになります。もし他から問われた場合も、同じように答えなさい。

このように僧伽の中で、三度まで問われても、罪を思い出しながら懺悔しない比丘は、故意に虚偽を語る罪を得ます。故意の虚偽は、仏が説かれたところの、悟りへの障りとなる行いです。

もしその比丘が罪を思い出し、清らかさを求めたいと思うならば、懺悔すべきです。懺悔すれば、心安らぎを得ることができます。

「諸大德!我已說戒經序。今問諸大德!是中清淨不?(第二、第三亦如是說)。

諸大徳よ、私はすでに戒律の経典の序説を説きました。今、諸大徳にお尋ねします。ここにおいて清らかであるかどうか?(第二、第三回も同様に説く)。

「諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大徳方々、ここに示された戒律は清浄であり、皆が異議なく黙認されたことにより、このように定められたことを遵守いたします。

「諸大德!是四波羅夷法,半月半月說,戒經中來。

諸大徳よ、この四つの波羅夷の法は、半月ごとに戒律の経典に従って説かれます。

「若比丘!共比丘同戒,若不還戒,戒羸,不自悔,犯不淨行,乃至共畜生。是比丘波羅夷,不共住。

比丘たちよ。もし比丘が、同じ戒律を守る仲間の比丘でありながら、戒律を捨てることなく、戒が弱まり、自ら悔いることもせずに、不浄な行いを犯し、畜生とさえ交わるに至ったならば、その比丘は波羅夷の罪を犯した者であり、共に住んではならない。

「若比丘!若在村落,若閑靜處,不與,盜心取。隨不與取法,若為王王大臣所捉,若殺、若縛、若驅出國:『汝是賊!汝癡!汝無所知。』是比丘波羅夷,不共住。

比丘よ、もし村にいようと、静かな所にいようと、与えられていないものを盗む心で取るならば。与えられていないものを取るという行いを、もし王や王の大臣に捕らえられ、殺され、縛られ、国を追い出され、『お前は盗人だ、愚か者だ、何もわかっていない』と言われるならば、その比丘は波羅夷の罪を犯し、共に住むことは許されない。

「若比丘!故自手斷人命,持刀授與人,歎譽死、快勸死:『咄!男子,用此惡活為?寧死不生。』作如是心思惟,種種方便,歎譽死、快勸死。是比丘波羅夷,不共住。

比丘よ、もし自ら手を下して人の命を絶ち、あるいは刀を渡して人を殺させ、死を賛美し、死を勧めて「ああ、このような悪しき生き方をするよりは、むしろ死んだほうがましだ」などと思い、さまざまな方法で死を賛美し、死を勧めるならば、その比丘は波羅夷(僧団からの追放)に処せられ、共に住むことは許されない。

「若比丘!實無所知,自稱言:『我得上人法,我已入聖智勝法,我知是,我見是。』彼於異時,若問、若不問,欲自清淨,故作是說:『我實不知不見,言知言見,虛誑妄語。』除增上慢。是比丘波羅夷,不共住。

比丘たちよ、もしある比丘が、実際には何も知らないのに、『私はすぐれた境地を得た、私は聖なる智慧の勝れた法に入った、私はこれを知っている、私はこれを見た』と自称したとします。その後、尋ねられても尋ねられなくても、自らを清めようとして、こう言うのです:『私は実際には知らず、見てもいませんでした。知っていると言い、見たと言ったのは、虚偽の言葉でした』。ただし、これは傲慢から生じた過ち(増上慢)を除きます。この比丘は波羅夷(僧団からの追放)に処せられ、共に住むことはできません。

「諸大德!我已說四波羅夷法。若比丘犯一一波羅夷法,不得與諸比丘共住如前,後亦如是。是比丘得波羅夷罪,不應共住。

諸大徳よ、私はすでに四つの波羅夷法を説きました。もし比丘がこれらの波羅夷法のいずれかを犯したならば、以前と同様に、今後もまた、諸比丘と共に住むことはできません。この比丘は波羅夷罪を得たのであり、共に住むべきではありません。

「今問諸大德!是中清淨不?(第二第三亦如是說)。

諸大徳にお尋ねします。ここは清らかでしょうか。(第二回、第三回も同様に問う)。

「諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大徳方々、ここに示されたことは清浄であり、皆が黙っておられることにより、この事柄はこのように受け止められます。

「諸大德!是十三僧伽婆尸沙法,半月半月說,戒經中來。

諸大徳方々、これらは十三僧伽婆尸沙法であり、半月ごとに戒経から説かれるものです。

「若比丘!故弄陰出精,除夢中,僧伽婆尸沙。

比丘よ、もし故意に陰部を弄び精を出すならば、夢中の場合を除いて、僧伽婆尸沙の罪となる。

「若比丘!婬欲意,與女人,身相觸,若捉手、若捉髮。若觸一一身分者,僧伽婆尸沙。

「もし比丘が、婬欲の心で女と身を触れ合わせ、手を握り、髪を握るなど、一つ一つの身体の部分に触れたならば、僧伽婆尸沙です。

「若比丘!婬欲意,與女人,麁惡婬欲語,隨所說麁惡婬欲語,僧伽婆尸沙。

「比丘よ、婬欲の心をもって女とともに、粗悪な婬欲の言葉を語るならば、その語った粗悪な婬欲の言葉に応じて、僧伽婆尸沙となります。

「若比丘!婬欲意,於女人前,自歎身言:『大妹!我修梵行,持戒精進,修善法,可持是婬欲法供養我,如是供養第一最。』僧伽婆尸沙。

「もし比丘が、婬欲の心をもって、女の前で自分の身を嘆じて言うならば、『大妹よ!私は梵行を修め、持戒し精進し、善法を修めています。どうかこの婬欲の法をもって私に供養してください。そのような供養が第一で最もすぐれています』と。僧伽婆尸沙です。」

「若比丘!往來彼此媒嫁,持男意語女,持女意語男,若為成婦事,若為私通事,乃至須臾頃,僧伽婆尸沙。

比丘たちよ、もしも、ある比丘が、男と女の間を往き来して、男の気持ちを女に伝え、女の気持ちを男に伝え、結婚を成立させようとしたり、あるいは密会を手配したりするならば、たとえほんのわずかな時間であっても、その者は僧伽婆尸沙(僧残)の罪を犯すことになる。

「若比丘!自求作屋,無主,自為己,當應量作。是中量者,長佛十二磔手,內廣七磔手。當將餘比丘指授處所,彼比丘當指示處所,無難處無妨處。若比丘有難處妨處,自求作屋,無主,自為己,不將餘比丘指授處所,若過量作者,僧伽婆尸沙。

比丘たちよ、もし自ら住居を建てようとし、施主もなく、自分自身のために建てるならば、適切な大きさで建てなければならない。ここで適切な大きさとは、長さが仏陀の十二磔手、内側の広さが七磔手である。他の比丘に場所を指定してもらうべきであり、その比丘は困難な場所や妨げになる場所ではない場所を指示しなければならない。もし比丘が困難な場所や妨げになる場所に、施主もなく、自分自身のために、他の比丘に場所を指定してもらわずに、適切な大きさを超えて住居を建てたならば、僧伽婆尸沙の罪を犯す。

「若比丘!欲作大房,有主為己作,當將餘比丘往指授處所,彼比丘應指授處所,無難處無妨處。若比丘有難處妨處作大房,有主為己作,不將餘比丘指授處所,僧伽婆尸沙。

比丘よ、もし自分自身のために大房(大きな住居)を建てようとし、施主がそれを建ててくれる場合には、他の比丘を連れてその場所を指し示しに行きなさい。その比丘は、危険のない場所、妨げのない場所を指し示すべきです。もし比丘が、危険な場所や妨げのある場所に大房を建て、施主が自分自身のためにそれを建て、他の比丘に場所を指し示してもらわなかったならば、それは僧伽婆尸沙(僧団からの追放に相当する罪)となります。

「若比丘!瞋恚所覆故,非波羅夷比丘,以無根波羅夷法謗,欲壞彼清淨行。彼於異時,若問、若不問,知此事無根說。『我瞋恚故作是語。』若比丘作是語者,僧伽婆尸沙。

比丘たちよ、もし、ある比丘が怒りに駆られて、波羅夷(破門)に値しない比丘に対し、根拠のない波羅夷の罪をでっち上げて告発し、その清らかな行いを傷つけようとしたとする。その後、時が経ち、尋ねられようと尋ねられまいと、そのことが根拠のない告発であったと知る。そして、『私は怒りに駆られて、あのようなことを言ったのだ』と認める。比丘がこのようなことをしたならば、それは僧伽婆尸沙(僧団からの暫定的追放)に値する罪である。

「若比丘!以瞋恚故,於異分事中取片,非波羅夷比丘,以無根波羅夷法謗,欲壞彼清淨行。彼於異時,若問、若不問,知是異分事中取片,是比丘自言:『我瞋恚故作是語。』作是語者,僧伽婆尸沙。

比丘たちよ、もし比丘が怒りの心から、事実とは異なることの一部だけを取り上げ、波羅夷罪を犯していない比丘に対して、根拠のない波羅夷罪で誹謗し、その清らかな行いを壊そうとしたとします。その後、ある時になって、尋ねられようと尋ねられまいと、それが事実とは異なることの一部だけを取り上げたものであると知り、その比丘が自ら『私は怒りに駆られてそのようなことを言ったのです』と告白したならば、そのような言葉を発した者は、僧伽婆尸沙の罪を犯したことになります。

「若比丘!欲壞和合僧,方便受壞和合僧法,堅持不捨。彼比丘應諫是比丘言:『大德!莫壞和合僧,莫方便壞和合僧,莫受壞僧法堅持不捨。大德!應與僧和合,歡喜不諍,同一師學,如水乳合,於佛法中有增益安樂住。』是比丘如是諫時,堅持不捨;彼比丘應三諫,捨此事故,乃至三諫。捨者善;不捨者,僧伽婆尸沙。

比丘たちよ。もし比丘が僧伽の和合を破ろうとし、和合を破る方法を学び、それを固執して捨てないならば、その比丘に対して他の比丘たちはこう諫めるべきです。

「尊師よ、僧伽の和合を破らないでください。和合を破る方法を求めないでください。僧伽を破る法を固執して捨てないでください。尊師よ、僧伽と和合し、喜んで争わず、同じ師のもとで学び、水と乳のように一つになってください。そうすれば、仏法の中で成長し、安らかに住むことができます。」

このように諫めても、もしその比丘が固執して捨てないならば、同じことを三度まで繰り返し諫めるべきです。三度目の諫めでやめるならば、それは善いことです。もしやめないならば、僧伽婆尸沙(僧残)の罪となります。

「若比丘!有餘伴黨,若一、若二、若三,乃至無數。是比丘語彼比丘言:『大德!莫諫此比丘,此比丘是法語比丘、律語比丘;此比丘所說,我等喜樂,此比丘所說,我等忍可。』彼比丘言:『大德!莫作是語,言此比丘是法語比丘、律語比丘,此比丘所說,我等喜樂,此比丘所說,我等忍可。然此比丘非法語比丘、非律語比丘。大德!莫欲破壞和合僧,汝等當樂欲和合僧。大德!應與僧和合,歡喜不諍,同一師學,如水乳合,於佛法中有增益安樂住。』是比丘如是諫時,堅持不捨;彼比丘應三諫,捨此事故,乃至三諫。捨者善;不捨者,僧伽婆尸沙。

比丘たちよ。ある比丘が、一人、二人、三人、あるいは数え切れないほどの仲間を連れているとする。その比丘が他の比丘にこう言うのだ。『尊者よ、この比丘を咎めないでください。この比丘は正しい教えを語る比丘であり、戒律を語る比丘です。この比丘の言うことは、私たちが喜び、受け入れるところです。』 それに対して、その他の比丘が言う。『尊者よ、そのようなことを言わないでください。「この比丘は正しい教えを語る比丘であり、戒律を語る比丘です。この比丘の言うことは、私たちが喜び、受け入れるところです」などと。しかし、この比丘は正しい教えを語る比丘でも、戒律を語る比丘でもありません。尊者よ、僧伽の和合を破ろうとしないでください。あなたがたは僧伽の和合を喜び願うべきです。尊者よ、僧伽と和合し、喜んで争わず、同じ師のもとで学び、水と乳が混ざり合うようにすべきです。そうすれば、仏法において、成長と安らぎのある生活が得られるのです。』 このように諫められた時、その比丘が(誤った主張を)固執して捨てないならば、その比丘はこの件について三度まで諫められるべきである。三度まで諫めて、捨てるならば善い。捨てないならば、僧伽婆尸沙(僧残)の罪となる。

「若比丘!依聚落,若城邑住,污他家,行惡行,污他家亦見亦聞,行惡行亦見亦聞。諸比丘當語是比丘言:『大德!污他家,行惡行,污他家亦見亦聞,行惡行亦見亦聞,大德!汝污他家,行惡行,今可遠此聚落去,不須住此。』是比丘語彼比丘作是語:『大德!諸比丘有愛、有恚、有怖、有癡,有如是同罪比丘,有驅者、有不驅者。』諸比丘報言:『大德!莫作是語:「有愛、有恚、有怖、有癡,有如是同罪比丘,有驅者、有不驅者。」而諸比丘不愛、不恚、不怖、不癡。大德!污他家,行惡行,污他家亦見亦聞,行惡行亦見亦聞。』是比丘如是諫時,堅持不捨;彼比丘應三諫,捨此事故,乃至三諫。捨者善;不捨者,僧伽婆尸沙。

比丘たちよ。もし、ある比丘が村や町に住みついて、在家の人々の家を汚し、悪い行いをしているならば、その家を汚していることも、悪行をしていることも、人々に見られ、聞かれているのです。そのような比丘に対して、他の比丘たちはこう言わなければなりません。

『尊者よ。あなたは在家の家を汚し、悪い行いをしています。そのことは、人々に見られ、聞かれています。尊者よ。あなたは家を汚し、悪行をしているのですから、今すぐこの村から離れてください。ここに住み続けることは許されません。』

もし、その比丘が他の比丘たちにこう言ったならば、 『尊者たちよ。比丘たちには、愛着や怒り、恐れ、愚かさがあるのです。同じ罪を犯している比丘でも、追い出す者と追い出さない者がいるではありませんか。』

その時、他の比丘たちはこう答えるべきです。 『尊者よ。そのようなことを言ってはなりません。「比丘たちには愛着や怒り、恐れ、愚かさがあり、同じ罪を犯す者でも、追い出す者と追い出さない者がいる」などと。私たち比丘には、愛着も怒りも恐れも愚かさもありません。尊者よ。あなたは在家の家を汚し、悪い行いをしているのです。そのことは、人々に見られ、聞かれています。』

このように諭されても、その比丘が自らの行いを改めようとしないならば、彼に対しては三度まで、このことを諫めなければなりません。三度諫めて、その行いを止めるならば、それは善いことです。しかし、三度諫めても止めないならば、その比丘は僧伽婆尸沙(僧団からの暫定的追放)の罪を犯したことになります。

「若比丘!惡性不受人語,於戒法中,諸比丘如法諫已,自身不受諫語,言:『諸大德!莫向我說若好、若惡,我亦不向諸大德說若好、若惡。諸大德且止!莫諫我。』彼比丘應諫是比丘言:『大德!莫自身不受諫語,大德自身當受諫語,大德如法諫諸比丘,諸比丘亦如法諫大德。如是佛弟子眾得增益,展轉相諫、展轉相教、展轉懺悔。』是比丘如是諫時,堅持不捨;彼比丘應三諫,捨此事故,乃至三諫。捨者善;不捨者,僧伽婆尸沙。

比丘たちよ。もし、ある比丘が性質が悪く、人の言葉を受け入れず、戒律の法において、他の比丘たちが正しく諫めても、自分自身でその諫めの言葉を受け入れず、『諸大徳、私に良いことも悪いことも言わないでください。私も諸大徳に良いことも悪いことも言いません。諸大徳、どうかやめて、私を諫めないでください』と言うならば、その比丘は、その比丘に対してこう諫めるべきです。

『大徳、どうか自分自身で諫めの言葉を受け入れないでいてはいけません。大徳は自分自身で諫めの言葉を受け入れるべきです。大徳は他の比丘たちを正しく諫め、他の比丘たちもまた大徳を正しく諫めるのです。このようにして、仏弟子の僧伽は成長し、互いに諫め合い、互いに教え合い、互いに懺悔し合うのです』と。

その比丘がこのように諫められた時、それを固持して捨てないならば、その比丘は三度まで諫めるべきです。この事柄を捨てるまで、三度に至るまで諫めるのです。捨てれば善し。捨てないならば、僧伽婆尸沙(僧残)の罪となります。

「諸大德!我已說十三僧伽婆尸沙法,九初犯,四乃至三諫。若比丘犯一一法,知而覆藏,應強與波利婆沙;行波利婆沙竟,增上與六夜摩那埵;行摩那埵已,餘有出罪。應二十人僧中出是比丘罪,若少一人,不滿二十眾,出是比丘罪,是比丘罪不得除,諸比丘亦可呵,此是時。今問諸大德!是中清淨不?(如是三說)。

諸大徳よ。私はすでに十三の僧伽婆尸沙法を説きました。九つは初犯、四つは三度の諫めに至るまでです。もし比丘がこれらの法の一つ一つを犯し、それを知りながら覆い隠したならば、強いて波利婆沙を与えるべきです。波利婆沙を行じ終えたならば、さらに増上して六夜の摩那埵を与え、摩那埵を行じ終えた後、残りの罪を出罪するのです。二十人の僧の中で、この比丘の罪を出罪すべきです。もし一人でも足りず、二十人の衆が満たされなければ、この比丘の罪を出罪することはできず、比丘の罪は除かれません。諸比丘はこれを呵責することもできます。これがその時です。今、諸大徳にお尋ねします。ここに清浄はありますか?(このように三度説く)。

「諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大徳方々、ここに示された戒律は清浄であり、皆が異議なく黙していることにより、この戒律はこのように受け持つべきものと認められます。

「諸大德!是二不定法,半月半月說,戒經中來。

諸大徳方々、この二つの不定法は、半月ごとに誦される戒律の経典に由来するものです。

「若比丘!共女人獨在屏處覆處障處,可作婬處坐,說非法語。有住信優婆夷,於三法中一一法說:若波羅夷、若僧伽婆尸沙、若波逸提;是坐比丘自言:『我犯是罪。』於三法中應一一治:若波羅夷、若僧伽婆尸沙、若波逸提,如住信優婆夷所說,應如法治是比丘,是名不定法。

「もし比丘が、女と二人だけで人目につかない覆われた障りのある場所に共にいて、婬りを行うことのできる場所に座り、非なる法の言葉を説いたならば、信に住する優婆夷がいて、三法のうちの一つ一つの法について説きます――波羅夷か、僧伽婆尸沙か、波逸提か、と。この座の比丘が自ら『私はこの罪を犯しました』と言うならば、三法のうちで一つ一つに従って治めるべきです――波羅夷か、僧伽婆尸沙か、波逸提か、と。信に住する優婆夷が説いたとおりに、その法のとおりにこの比丘を治めるべきです。これを不定法と名づけます。」

「若比丘!共女人,在露現處,不可作婬處坐,作麁惡語。有住信優婆夷,於二法中一一法說:若僧伽婆尸沙、若波逸提;是坐比丘自言:『我犯是事。』於二法中應一一法治:若僧伽婆尸沙、若波逸提,如住信優婆夷所說,應如法治是比丘,是名不定法。

「もし比丘が、女と共に、露現の処にあり、婬を行うことのできない処に坐して、粗悪な語をなしたならば、信ある優婆夷が住して、二法の中の一一の法について説きます──僧伽婆尸沙か、あるいは波逸提かと。この坐の比丘が自ら『私はこの事を犯しました』と言うならば、二法の中の一一の法によって治めるべきです──僧伽婆尸沙か、あるいは波逸提かと。信ある優婆夷の説いたところの通りに、その法の通りにこの比丘を治めるべきです。これを不定法と名づけます。」

「諸大德!我已說二不定法。今問諸大德!是中清淨不?(如是三說)諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大徳よ。私はすでに二つの不定法について説きました。さて、諸大徳にお尋ねします。これらは清浄でしょうか?(このように三度唱える)諸大徳よ。これらは清浄です。皆が沈黙されているゆえに。このことはこのように受け止めましょう。

「諸大德!是三十尼薩耆波逸提法,半月半月說,戒經中來。

諸大徳よ、この三十の「尼薩耆波逸提」の法は、半月ごとに説かれ、戒律の経典に由来するものです。

「若比丘!衣已竟,迦絺那衣已出,畜長衣經十日,不淨施得畜,若過十日,尼薩耆波逸提。

比丘よ、衣の期間が終わり、功徳衣が解かれたならば、長衣を十日以上持ち続けてはならない。十日以内であれば、清らかな布施として受け取り、所持することができる。十日を過ぎても所持するならば、その衣は捨て、懺悔すべき罪となる。

「若比丘!衣已竟,迦絺那衣已出,三衣中,離一一衣異處宿,除僧羯磨,尼薩耆波逸提。

比丘よ、衣の期間が終わり、功徳衣が納められた後、三衣のうちのいずれか一つの衣を、僧の決議による場合を除き、別の場所に一晩でも置き去りにするならば、その衣は放棄すべきであり、波逸提の罪を犯す。

「若比丘!衣已竟,迦絺那衣已出,若比丘得非時衣,欲須便受,受已疾疾成衣,若足者善;若不足者,得畜一月,為滿足故。若過畜,尼薩耆波逸提。

比丘よ、衣の期間が終わり、迦絺那衣が解かれた後、もし比丘が非時に衣を得たならば、必要に応じて受け取ることができる。受け取ったならば、速やかに衣を完成させなさい。もし十分な衣が揃えばそれでよい。もし不足するならば、満たすために一ヶ月間だけ蓄えることができる。もしそれを過ぎて蓄えるならば、尼薩耆波逸提の罪となる。

「若比丘!從非親里比丘尼取衣,除貿易,尼薩耆波逸提。

比丘よ、親しくない比丘尼から衣を受け取るならば、交換による場合を除き、捨てるべき罪となります。

「若比丘!令非親里比丘尼浣故衣,若染、若打,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし親族でない比丘尼に、古い衣を洗わせたり、染めさせたり、打たせたりしたならば、それは捨堕の罪となります。

「若比丘!從非親里居士、若居士婦乞衣,除餘時,尼薩耆波逸提。餘時者,若比丘奪衣、失衣、燒衣、漂衣,是謂餘時。

比丘よ、もし親しくない在家の信者やその妻から衣を乞うたなら、特別な場合を除いて、その衣は捨て、懺悔せねばならない。特別な場合とは、比丘の衣が奪われた、失われた、焼けた、流された時である。これを特別な場合という。

「若比丘!失衣、奪衣、燒衣、漂衣,若非親里居士、居士婦,自恣請多與衣,是比丘當知足受衣。若過受者,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし衣を失い、奪われ、焼かれ、流されたとき、親族でない在家の信者やその妻が、自由に多くの衣を差し出してくれるならば、その比丘は満足を知り、必要な分だけ衣を受け取るべきである。もしそれ以上を受け取ったならば、尼薩耆波逸提(捨てるべき罪)となる。

「若比丘!居士、居士婦,為比丘辦衣價,買如是衣與某甲比丘,是比丘先不受自恣請,到居士家,作如是說:『善哉居士!為我買如是如是衣與我,為好故。』若得衣者,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし在家の信者やその妻が、比丘のために衣の代金を用意し、「このような衣をあの比丘に与えよう」と計画しているとします。その比丘が、事前に自由に施しを受ける許可を得ずに、その信者の家を訪ね、このように言ったとしましょう。「ありがたいことです、信者さん。どうか私のために、このような衣を買って与えてください。私のためによろしくお願いします。」もしこのようにして衣を得たなら、その比丘は衣を捨て、懺悔しなければなりません。

「若比丘!二居士、居士婦,與比丘辦衣價,持如是衣價買如是衣,與某甲比丘。是比丘,先不受居士自恣請,到二居士家,作如是言:『善哉居士!辦如是如是衣價與我,共作一衣,為好故。』若得衣者,尼薩耆波逸提。

もし、比丘が、二人の在家者、または在家者の婦人から、衣の代金を用意してもらい、その代金でこのような衣を買い、ある比丘に与えるという話があったとします。その比丘が、事前に在家者からの自由な招待を受けていないのに、二人の在家者の家を訪ね、このように言ったとします。「善きかな、在家者よ。このような衣の代金を私のために用意し、一枚の衣を共に作ってください。良い衣が欲しいからです。」もし、このようにして衣を得たならば、その比丘は、その衣を捨て、懺悔しなければなりません。

「若比丘!若王、若大臣、若婆羅門、若居士、居士婦,遣使為比丘送衣價,持如是衣價與某甲比丘。彼使人至比丘所語比丘言:『大德!今為汝故,送是衣價,受取。』是比丘應語彼使如是言:『我不應受此衣價,我若須衣,合時,清淨,當受。』彼使語比丘言:『大德!有執事人不?』須衣比丘應語言:『有!若僧伽藍民、若優婆塞,此是比丘執事人,常為諸比丘執事。』時彼使往至執事人所,與衣價已,還至比丘所作如是言:『大德!所示某甲執事人,我已與衣價,大德!知時,往彼當得衣。』須衣比丘,當往執事人所,若二反、三反,為作憶念,應語言:『我須衣。』若二反、三反,為作憶念,若得衣者善;若不得衣,應四反、五反、六反,在前默然住,令彼憶念。若四反、五反、六反,在前默然住,得衣者善;若不得衣,過是求得衣者,尼薩耆波逸提。若不得衣,從所得衣價處,若自往、若遣使往,語言:『汝先遣使持衣價與某甲比丘,是比丘竟不得衣,汝還取,莫使失,此是時(一十)。』

比丘たちよ。もし、王や大臣、バラモン、在家の信者、あるいはその妻が、使者を遣わして比丘のために衣の代金を送り、「この衣の代金を某甲比丘に渡してほしい」と頼んだとします。その使者が比丘のもとへ来て、こう言います。「尊師よ、あなたのためにこの衣の代金をお送りしました。お受け取りください。」その比丘は、使者にこう言うべきです。「私はこの衣の代金を受け取るべきではありません。もし衣が必要で、適切な時であり、清らかな方法であれば、受け取ります。」

使者が比丘に言います。「尊師、世話役の者はおられますか。」衣を必要とする比丘は、こう答えるべきです。「います。僧院に仕える者や、在家の信者(優婆塞)で、比丘たちの世話を常にしてくれる者がいます。」その時、使者は世話役の者のもとへ行き、衣の代金を渡した後、比丘のもとへ戻ってこう言います。「尊師、お示しになった某甲の世話役に、衣の代金を渡しました。尊師、適切な時に彼のもとへ行けば、衣を得られるでしょう。」

衣を必要とする比丘は、世話役の者のもとへ行き、二度、三度と、思い出させるように「私は衣が必要です」と伝えるべきです。二度、三度と伝えて衣を得られたら良いのですが、得られない場合は、四度、五度、六度と、その者の前に黙って立って、思い出させるようにします。四度、五度、六度と黙って立って衣を得られたら良いのですが、もし得られず、それ以上に求めて衣を得たならば、その衣は捨てなければならず、懺悔(波逸提)の罪があります。

もし衣を得られなかったならば、衣の代金を送った者のもとへ、自分で行くか、使者を遣わして、こう言うべきです。「あなたが先に使者を遣わして某甲比丘に衣の代金を送りましたが、その比丘は結局衣を得られませんでした。あなたが取り戻してください。無駄にならないように。これが適切な時です(十番目)。」

「若比丘!雜野蠶綿,作新臥具,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし野蚕の綿を混ぜて、新しい寝具を作るならば、それは捨てるべき罪となります。

「若比丘!以新純黑羺羊毛,作新臥具,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし新しく純粋な黒い山羊の毛で、新しい寝具を作ったならば、それは尼薩耆波逸提(捨てるべき罪)となります。

「若比丘!作新臥具,應用二分純黑羊毛,三分白,四分尨。若比丘不用二分黑,三分白,四分尨,作新臥具者,尼薩耆波逸提。

比丘よ、新しい敷物を作る際は、純黒の羊毛を二分、白を三分、まだらを四分の割合で用いるべきです。もし比丘がこの二分の黒、三分の白、四分のまだらを用いずに新しい敷物を作ったならば、その物品は放棄し、懺悔すべき罪を犯したことになります。

「若比丘!作新臥具,持至六年。若減六年,不捨故,更作新者,除僧羯磨,尼薩耆波逸提。

比丘たちよ、新しい敷物を作ったならば、それを六年間使いなさい。六年に満たないうちに、古いものを捨てずに新しいものを作った場合、僧伽の正式な決議による場合を除き、その行為は尼薩耹波逸提(捨堕罪)に該当します。

「若比丘!作新坐具,當取故者,縱廣一磔手,帖著新者上,用壞色故。若作新坐具,不取故者,縱廣一磔手,帖著新者上,用壞色故,尼薩耆波逸提。

比丘よ、新しい座具を作る時は、必ず古い座具から一掴みほどの大きさを切り取り、新しい座具の上に継ぎ当てて、色をくすませるようにしなさい。

もし新しい座具を作る際に、古い座具から一掴みほどの大きさを切り取って継ぎ当てず、色をくすませないならば、それは「尼薩耆波逸提」の罪となります。

「若比丘!道路行得羊毛,若無人持,得自持,乃至三由旬。若無人持,自持,過三由旬,尼薩耆波逸提。

比丘たちよ、もし道端で羊毛を見つけたなら、持ち主がいなければ、自分で持って行くことが許されます。ただし、三由旬(約24キロ)までです。持ち主がいないのに、三由旬を超えて自分で持って行けば、尼薩耆波逸提(捨てるべき罪)となります。

「若比丘!使非親里比丘尼浣、染、擘羊毛者、尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし親族でない比丘尼に、衣を洗わせ、染めさせ、羊毛を梳かせたならば、その衣は捨て、懺悔すべき罪を犯したことになります。

「若比丘!自手捉錢、若金、銀。若教人捉,若置地受者,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし自ら手で金銭、金、銀を取るならば、あるいは人に取らせ、あるいは地面に置いて受け取るならば、その者は捨てるべきものを持ち、懺悔すべき罪を犯す。

「若比丘!種種賣買寶物者,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もしさまざまな宝物を売買するならば、それは捨てるべき罪(尼薩耆波逸提)です。

「若比丘!種種販賣者,尼薩耆波逸提(二十)。

比丘よ、様々な品物を売買することは、捨てるべき罪(尼薩耆波逸提)となります。

「若比丘!畜長鉢不淨施,得齊十日。若過者,尼薩耆波逸提。

比丘よ、余分の鉢を所有し、清浄な布施を受けずに十日を超えて保持するならば、それは尼薩耆波逸提の罪となります。

「若比丘!畜鉢減五綴不漏,更求新鉢,為好故,若得者,尼薩耆波逸提。彼比丘應往僧中捨,展轉取最下鉢,與之令持。乃至破,應持,此是時。

比丘よ、もし鉢に五つ以下の継ぎ目があり、漏れないのに、より良いものを求めて新しい鉢を求めるならば、それが手に入った時、尼薩耆波逸提の罪となる。その比丘は僧伽のもとに行き、その鉢を捨てるべきである。僧伽は順番に最も質素な鉢を取り、彼に持たせるようにせよ。それが壊れるまでは、その鉢を持ち続けるべきである。これが定められた時である。

「若比丘!自乞縷線,使非親里織師織作衣者,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし自ら糸を乞い、親族でない織工に衣を織らせるならば、その衣は放棄すべきであり、懺悔すべき過ちである。

「若比丘!居士、居士婦,使織師為比丘織作衣。彼比丘先不受自恣請,便往織師所語言:『此衣為我作,與我極好織,令廣大堅緻,我當少多與汝價。』是比丘與價,乃至一食直,若得衣者,尼薩耆波逸提。

もし比丘が、在家の信者やその妻に、織物職人を頼んで比丘のために衣を作らせる場合、その比丘が事前に自由に依頼する許可を受けていないのに、織物職人のもとに行ってこう言ったとします。

「この衣は私のために作ってください。私のために最高の織り方で、広く丈夫に仕上げてください。その分、多少なりとも対価をお支払いしますから。」

そして、その比丘が対価を支払うこと、たとえ一食分の価値であっても、もしその衣を得たならば、その衣は放棄しなければならず、波逸提の罪を犯したことになります。

「若比丘!先與比丘衣,後瞋恚故,若自奪、若教人奪取。還我衣來,不與汝。是比丘還衣,彼取衣者,尼薩耆波逸提。

比丘よ、もし先に比丘に衣を与えた後、怒りの心から、自分で奪い取るか、あるいは人に教えて奪い取らせるならば、「私の衣を返せ、お前に与えない」と言う。その比丘が衣を返し、相手が衣を受け取ったならば、その者は尼薩耆波逸提の罪を犯す。

「若比丘!有病,殘藥酥、油、生酥、蜜、石蜜,齊七日得服。若過七日服者,尼薩耆波逸提。

比丘たちよ、もし病にかかり、余った薬用の酥(乳製品)、油、生酥、蜜、石蜜があるならば、七日以内に服用してもよい。もし七日を過ぎて服用するならば、尼薩耆波逸提(捨てるべき罪)となる。

「若比丘!春殘一月在,當求雨浴衣,半月應用浴。若比丘!過一月前求雨浴衣,過半月前用浴,尼薩耆波逸提。

比丘よ、春の終わりに一ヶ月を残したならば、雨期の沐浴衣を求め、半月の間は沐浴に用いるがよい。比丘よ、一ヶ月以上前に雨期の沐浴衣を求め、半月以上前に沐浴に用いるならば、それは尼薩耆波逸提(捨てるべき罪)となる。

「若比丘!十日未竟夏三月,諸比丘得急施衣。比丘知是急施衣,當受。受已,乃至衣時,應畜。若過畜者,尼薩耆波逸提。

比丘たちよ、夏安居の三ヶ月がまだ十日残っている間に、比丘たちが急な布施の衣を得ることがある。比丘はそれが急な布施の衣であると知ったならば、受け取るべきである。受け取った後は、衣の時(安居明けの衣受領期間)まで、それを所有してよい。もしそれを過ぎても所有し続けるならば、尼薩耆波逸提(捨堕罪)となる。

「若比丘!夏三月竟,後迦提一月滿,在阿蘭若有疑恐怖處住,比丘在如是處住,三衣中,欲留一一衣置村舍內,諸比丘有因緣得離衣宿,乃至六夜。若過者,尼薩耆波逸提。

比丘たちよ、夏安居の三ヶ月が終わり、その後のカティナ月も満了したならば、修行僧が阿蘭若(人里離れた静寂の地)に住み、その場所が疑念や恐怖を抱かせるような環境にある場合、そのような場所に住む比丘は、三衣(三枚の袈裟)の中から、一枚を村の住居に預けておくことを許される。比丘たちは、やむを得ない事情があるときは、衣を離れて宿泊することができ、その期間は最長六夜までである。もしそれを超えたならば、ニサルギ・パーイッティ(捨てるべき罪)に問われる。

「若比丘!知是僧物,自求入己者,尼薩耆波逸提(三十)。

比丘よ、もしこれが僧伽の財産であると知りながら、自ら求め、自分に取り入れる者は、尼薩耆波逸提(三十)に該当します。

「諸大德!我已說三十尼薩耆波逸提法。今問諸大德!是中清淨不?(如是三說)諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大徳の皆さま。私はすでに三十の尼薩耆波逸提法について説きました。今、諸大徳にお尋ねします。これらについて、清らかでありましょうか?(このように三度唱える)諸大徳。これらは清らかであります。皆が黙っておられるゆえに、この事柄はこのように保たれます。

「諸大德!是九十波逸提法,半月半月說,戒經中來。

諸大徳よ、これら九十の波逸提の法は、半月ごとに、戒経に説かれている通りに説かれます。

「若比丘!知而妄語者,波逸提。

比丘よ、もし知っていながら嘘をつくならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!種類毀呰語者,波逸提。

比丘よ、もし種族を誹謗する言葉を語るならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!兩舌語者,波逸提。

比丘よ、もし二枚舌を使うならば、それは波逸提の罪となる。

「若比丘!與女人同室宿者,波逸提。

もし比丘が女と同室に宿泊するならば、波逸提です。

「若比丘!與未受大戒人共宿,過二宿至三宿者,波逸提。

比丘が、正式な戒を受けていない者と共に宿泊し、二泊を超えて三泊に至った場合、波逸提の罪となります。

「若比丘!與未受大戒人共誦者,波逸提。

比丘よ、もし大戒を受けていない者と共に経典を唱えるならば、波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!知他比丘有麁惡罪,向未受大戒人說,除僧羯磨,波逸提。

比丘たちよ。もし他の比丘が重大な戒律違反を犯したことを知りながら、正式な出家者でない者にそのことを告げたならば、僧侶の正式な裁決による場合を除き、波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!向未受大戒人說過人法,言:『我見是,我知是。』實者,波逸提。

比丘よ、まだ大戒を受けていない人に向かって、自分が常人を超える境地に達していると語り、『私はこれを見た、私はこれを知っている』と言うならば、それは真実であっても波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!與女人說法過五、六語,除有知男子,波逸提。

比丘たちよ、女性に説法する際、五、六語を超えてはならない。ただし、理解ある男性が同席している場合は除く。これを破れば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!自手掘地,若教人掘者,波逸提(一十)。

比丘よ、自らの手で地面を掘り、あるいは人に掘らせるならば、波逸提(一十)に処せられる。

「若比丘!壞鬼神村者,波逸提。

比丘よ、鬼神の村を壊す者は、波逸提(懺悔すべき罪)に処せられる。

「若比丘!妄作異語惱他者,波逸提。

もし比丘が、虚偽の言葉を言って他者を悩ませるならば、波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!嫌罵者,波逸提。

比丘よ、もし人を罵り嫌うならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!取僧繩床、木床、若臥具、坐蓐,露地敷,若教人敷,捨去,不自舉,不教人舉,波逸提。

比丘よ、もし僧伽の縄床、木床、あるいは臥具、坐蓐を取って、露地に敷き、あるいは人に敷かせて、自ら挙げず、また人に挙げさせずに捨て去るならば、波逸提となる。

「若比丘!於僧房中,敷僧臥具,若自敷,若教人敷,若坐、若臥,去時,不自舉、不教人舉,波逸提。

比丘たちよ、僧房の中で、僧侶用の寝具を敷くとき、自分で敷くにせよ、人に敷かせるにせよ、そこで座ったり寝たりした後、立ち去る際に、自分で片付けず、また人に片付けさせもしないなら、それは波逸提(懺悔すべき過ち)である。

「若比丘!知先比丘住處,後來強於中間敷臥具止宿,念言:『彼若嫌迮者,自當避我去。』作如是因緣非餘,非威儀,波逸提。

比丘よ、もし先に住んでいる比丘の場所を知りながら、後から来て強引にその間に寝具を敷いて泊まり、『もし彼が狭いと嫌がるなら、自分から私を避けて行くだろう』と考えるなら、そのような理由で、他の理由でもなく、威儀にも反し、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!瞋他比丘,不喜,僧房中,若自牽出,教他牽出,波逸提。

比丘たちよ、もし他の比丘に対して怒りを抱き、その者を僧房から自ら引き出し、あるいは他の者に引き出させたならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!若房若重閣上,脫脚繩床、木床,若坐,若臥,波逸提。

比丘よ、もし家屋や楼閣の上で、脚付きの寝台や木製の寝台から足を外し、座ったり横になったりしたなら、それは波逸提(懺悔すべき過ち)である。

「若比丘!知水有蟲,若自澆泥、若澆草,若教人澆者,波逸提。

比丘よ、もし水の中に虫がいることを知りながら、自分で泥や草に水をかけること、あるいは他の人に水をかけるよう指示することは、波逸提(懺悔すべき罪)です。

「若比丘!作大房,戶扉窓牖,及餘莊飾具,指授覆苫,齊二、三節,若過者,波逸提(二十)。

比丘よ、大きな僧房を建てる時、戸や扉、窓や飾りつけなど、すべての造作を指図して、屋根を葺くのに二、三節を超えたならば、波逸提に相当します。

「若比丘!僧不差,教誡比丘尼者,波逸提。

比丘たちよ、僧伽の許可なく比丘尼を教え諭すならば、波逸提の罪となる。

「若比丘!為僧差,教授比丘尼,乃至日暮者,波逸提。

比丘よ、僧団から比丘尼を教えるよう任命され、日が暮れるまで教え続けたなら、波逸提(懺悔すべき罪)に当たる。

「若比丘!語餘比丘作如是語:『諸比丘為飲食故,教授比丘尼』者,波逸提。

もし比丘が他の比丘にこう言ったならば:「比丘たちは飲食のために比丘尼を教え導いている」と。これは波逸提(懺悔すべき罪)です。

「若比丘!與非親里比丘尼衣,除貿易,波逸提。

もし比丘が、親族でない比丘尼に衣を与えるならば、交換による場合を除いて、波逸提の罪となる。

「若比丘!與非親里比丘尼作衣者,波逸提。

比丘が、親族でない比丘尼のために衣を作るならば、波逸提(懺悔すべき罪)です。

「若比丘!與比丘尼在屏處坐者,波逸提。

比丘よ、もし比丘尼と人目につかない場所で共に座るならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!與比丘尼共期同一道行,從一村乃至一村間,除異時,波逸提。異時者,與估客行,若疑畏怖時,是謂異時。

比丘よ、もし比丘尼と約束して同じ道を共に歩み、一つの村から次の村までの間を同行するならば、特別な場合を除いて波逸提(懺悔すべき罪)となります。特別な場合とは、商人たちと一緒に行く時、または疑念や恐怖を感じる時を指します。これが特別な場合です。

「若比丘!與比丘尼,共期同乘一船,上水,下水,除直渡者,波逸提。

比丘たちよ、もし比丘が比丘尼と共に、同じ船に乗り、川を上り下りすることを約束したならば、直に渡る場合を除いて、波逸提の罪に問われる。

「若比丘!知比丘尼讚歎教化因緣得食食,除檀越先有意者,波逸提。

比丘よ、もし比丘尼が教化の因縁を称えて食事を施すことを知りながら、それを食べたならば、波逸提の罪となる。ただし、檀越が事前にその意図をもって施した場合は除く。

「若比丘!與婦女,共期同一道行,乃至一村間,波逸提(三十)。

もし比丘が、婦女と共に同じ道を約束して行き、たとえ一村の間であっても、波逸提となります。(三十)

「若比丘!施一食處,無病比丘應一食,若過受者,波逸提。

比丘よ、一食の施しを受けたならば、無病の比丘は一食のみを受けるべきである。もしそれ以上を受けたならば、波逸提の罪となる。

「若比丘!展轉食,除餘時,波逸提。餘時者,病時、施衣時,是謂餘時。

比丘たちよ、順々に食事を乞うてはならない。ただし、特別な場合を除く。特別な場合とは、病気の時と、衣を施される時である。これが特別な場合である。

「若比丘!別眾食,除餘時,波逸提。餘時者,病時、作衣時、施衣時、道行時、乘船時、大眾集時、沙門施食時,此是時。

比丘よ、別々に食事をすることは、特別な場合を除いて、波逸提(懺悔すべき過ち)である。特別な場合とは、病気の時、衣を作る時、衣を施す時、旅に出る時、船に乗る時、大勢が集まる時、沙門が食事を施す時である。これらがその時である。

「若比丘!至白衣家,請比丘與餅、麨、飯,若比丘欲須者,當二、三鉢受,還至僧伽藍中,應分與餘比丘食。若比丘無病,過二、三鉢受持,還至僧伽藍中,不分與餘比丘食者,波逸提。

比丘よ、在家の信者の家に赴き、餅や麺、飯などの供養を受けることがあるでしょう。もし必要であれば、二、三鉢まで受け取ることが許されます。ただし、僧院に戻ったら、他の比丘たちと分かち合って食べなければなりません。

もし病気でもないのに、二、三鉢を超えて受け取り、僧院に戻っても他の比丘と分かち合わないならば、それは波逸提(懺悔すべき過失)となります。

「若比丘!足食竟,或時受請,不作餘食法而食者,波逸提。

比丘よ、食事を済ませた後、あるいは招待を受けたとき、残りの食事を処理する作法を行わずに食べるならば、波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!知他比丘足食已,若受請,不作餘食法,慇懃請與食:『長老!取是食。』以是因緣,非餘,欲使他犯者,波逸提。

比丘よ、もし他の比丘が食事を終えたことを知りながら、食事の招待を受け、残りの食事を処理せずに、熱心に食事を勧めて「長老、この食事を取ってください」と言ったならば、その理由によって、他のことではなく、彼に罪を犯させようとする者は、波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!非時,受食食者,波逸提。

比丘よ、決められた時間以外に食事を受け取って食べるならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!殘宿食而食者,波逸提。

比丘よ、前日の食物を食べるならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!不受食,若藥著口中,除水及楊枝,波逸提。

比丘たちよ、もし食事や薬を受け取らずに口に入れたならば、水と歯木(楊枝)を除いて、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!得好美飲食,乳、酪、魚、及肉,若比丘如此美飲食,無病,自為己索者,波逸提(四十)。

比丘よ、もし乳やチーズ、魚や肉など、美味しい食事を得たならば、その比丘が病気でもないのに、自分自身のためにそれを求めたならば、それは波逸提(四十)に該当します。

「若比丘!外道男外道女自手與食者,皆波逸提。

「もし比丘が、外道の男や外道の女に自分の手で食物を与えるならば、それは波逸提となります。

「若比丘!先受請已,前食、後食行詣餘家,不囑授餘比丘,除餘時,波逸提。餘時者,病時、作衣時、施衣時,是謂餘時。

比丘たちよ、もし先に食事の招待を受けながら、朝食や昼食の時間に、他の比丘に断りもなく他家を訪れるならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)となります。ただし、以下の場合は例外です。病気の時、衣を作る時、衣を施す時、これらは例外とします。

「若比丘!在食家中有寶,強安坐者,波逸提。

比丘よ、もしも施主の家に宝物があり、無理に座り続けるならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!食家中有寶,在屏處坐者,波逸提。

比丘よ、もし、在家信者の家に財宝があり、その財宝のそばで独り座っているならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!獨與女人露地坐者,波逸提。

もし比丘が、ただ独りで女と露地に坐すれば、波逸提です。

「若比丘!語餘比丘作如是語:『大德!共至聚落,當與汝食。』彼比丘竟不教與是比丘食,語言:『汝去!我與汝一處,若坐、若語不樂,我獨坐獨語樂。』以此因緣非餘,方便遣去者,波逸提。

比丘よ、もし他の比丘にこのように言ったとします: 「尊師、一緒に村へ行きましょう。あなたに食事を差し上げます。」 しかし、その比丘は結局その比丘に食事を与えず、こう言います: 「行ってください。私はあなたと一緒にいるのが、座っていても話していても楽しくありません。一人で座り、一人で話すほうが楽しいのです。」 このような理由で、他の手段ではなく、わざと追い払った場合、波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!請四月與藥,無病比丘應受;若過受,除常請、更請、分請、盡形壽請者,波逸提

比丘たちよ、病気でない比丘が四月分の薬を請う場合、それは受け取るべきである。ただし、常に請う場合、改めて請う場合、分けて請う場合、一生涯請う場合を除き、これを過ぎて受け取るならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘往觀軍陣,除時因緣,波逸提。

比丘が軍の陣営を見物に行くことは、特別な理由がない限り、波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!有因緣,聽至軍中二宿、三宿,若過者,波逸提。

比丘よ、事情があれば、軍隊の駐屯地に二晩、三晩と泊まることは許されます。しかし、それを過ぎれば、波逸提(懺悔すべき過失)となります。

「若比丘!二宿、三宿軍中住,或時觀軍陣鬪戰,若觀遊軍象馬力勢者,波逸提(五十)。

比丘よ、もし二晩、三晩と軍中に留まり、時に軍陣の戦いを眺め、あるいは遊軍の象や馬の力勢を見物するならば、波逸提(五十)。

「若比丘!飲酒者,波逸提。

比丘よ、酒を飲む者は、波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!水中嬉戲者,波逸提。

比丘よ、水中で遊び戯れる者は、波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!以指相擊攊者,波逸提。

比丘たちよ、指を打ち合わせて音を立てるならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!不受諫者,波逸提。

比丘よ、もし諫めを受け入れないならば、波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!恐怖他比丘者,波逸提。

もし比丘が、他の比丘を恐怖させたならば、波逸提の罪となる。

「若比丘!半月洗浴,無病比丘應受,不得過,除餘時,波逸提。餘時者:熱時、病時、作時、風時、雨時、道行時,此是餘時。

比丘たちよ、半月に一度の沐浴は、病気でない比丘が受けるべきである。これを過ごしてはならない。ただし、特別な場合は除く。これを過ごせば波逸提の罪となる。特別な場合とは、暑い時、病気の時、仕事をする時、風の強い時、雨の時、旅路にある時である。これらが特別な場合である。

「若比丘!無病自為炙身故,在露地然火,若教人然,除時因緣,波逸提。

比丘よ、もし病気でもないのに、自分で体を温めるためと称して、野外で火を焚き、あるいは他人に焚かせたなら、特別な事情がない限り、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!藏他比丘衣、鉢、坐具、針筒,若自藏,教人藏,下至戲笑者,波逸提。

比丘よ、もし他の比丘の衣、鉢、坐具、針筒を隠し、自ら隠し、あるいは人に隠させ、戯れに隠すに至るまで、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!與比丘、比丘尼、式叉摩那、沙彌、沙彌尼衣,後不語主還取著者,波逸提。

比丘たちよ、もし比丘が、比丘尼、式叉摩那、沙彌、沙彌尼の衣を借りて、持ち主に断りなくそれを着用したならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!得新衣,應作三種壞色,一一色中隨意壞,若青、若黑、若木蘭。若比丘!不以三種壞色,若青、若黑、若木蘭,著餘新衣者,波逸提(六十)。

比丘よ、新しい衣を得たならば、三種の袈裟色に染め直すべきである。それぞれの色の中から、好きな色を選んで染め直すこと。青、黒、木蘭のいずれかである。

比丘よ、もし三種の袈裟色――青、黒、木蘭――で染め直さずに、他の新しい衣を身につけたならば、波逸提(六十)の罪となる。

「若比丘!故殺畜生命者,波逸提。

もし比丘が、わざと家畜の命を奪ったならば、波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!知水有蟲飲用者,波逸提。

比丘よ、もし水に虫がいることを知りながら、それを飲み用いるならば、波逸提に当たります。

「若比丘!故惱他比丘,令須臾間不樂者,波逸提。

比丘が、他の比丘をわざと困らせ、ほんの少しの間でも不快にさせたなら、それは波逸提(懺悔すべき罪)です。

「若比丘!知他比丘犯麁罪,覆藏者,波逸提。

比丘よ、もし他の比丘が重い罪を犯したことを知りながら、それを隠すならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!知年不滿二十,與受大戒,此人不得戒;彼比丘可呵,癡故,波逸提。

もし比丘が、年齢が二十歳に満たないことを知りながら、その者に大戒を授けたならば、その者は戒を得ることができない。その比丘は、愚かであるがゆえに責められるべきであり、波逸提の罪に当たる。

「若比丘!知諍事,如法懺悔已,後更發起者,波逸提。

比丘よ、もし争い事を知りながら、正しい作法に従って懺悔した後、再びその問題を蒸し返すならば、それは波逸提の罪となります。

「若比丘!知是賊伴,結要,共同一道行,乃至一村間者,波逸提。

比丘よ、もしこの者が賊の仲間であり、共に結託し、同じ道を歩み、一つの村の間まで同行したことを知るならば、波逸提に処せられる。

「若比丘!作如是語:『我知佛所說法,行婬欲,非障道法。』彼比丘諫此比丘言:『大德!莫作是語,莫謗世尊,謗世尊者不善,世尊不作是語,世尊無數方便,說行婬欲是障道法。』彼比丘諫此比丘時,堅持不捨,彼比丘乃至三諫。捨此事故,若三諫捨者善,不捨者,波逸提。

比丘よ、もしある比丘がこのように言うならば、「私は仏が説かれた法を知っている。淫欲を行っても、それは道を妨げるものではない」と。その比丘に対して、他の比丘は諫めて言うべきです。「大徳、そのようなことを言ってはなりません。世尊を謗ってはなりません。世尊を謗ることは善くありません。世尊はそのようなことは説かれません。世尊は数多くの方法で、淫欲を行うことが道を妨げるものであると説かれています」と。その比丘が諫められたとき、もしその主張を捨てないならば、その比丘は三度まで諫められるべきです。この事柄を捨てるために。もし三度の諫めで捨てるならば善いですが、捨てないならば、波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!知如是語人未作法,如是邪見而不捨,供給所須,共同羯磨,止宿言語者,波逸提。

比丘たちよ、もしこのような言葉を語る者が、正しい作法に従っていないことを知りながら、その邪な見解を捨てず、その者に必要なものを与え、共に儀式を行い、共に宿り語り合うならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!知沙彌作如是語:『我從佛聞法,行婬欲非障道法。』彼比丘諫此沙彌如是言:『汝莫誹謗世尊,謗世尊者不善。世尊不作是語。沙彌!世尊無數方便說婬欲是障道法。』彼比丘諫此沙彌時,堅持不捨。彼比丘應乃至再三呵諫,令捨此事故,乃至三諫,捨者善,不捨者,彼比丘,應語此沙彌言:『汝自今已去,不得言佛是我世尊,不得隨逐餘比丘,如諸沙彌得與比丘二、三宿,汝今無是事,汝出去、滅去,不應住此。』若比丘知如是眾中被擯沙彌,而誘將畜養共止宿言語者,波逸提(七十)。

比丘よ。もし、ある沙弥がこのようなことを言っていると知ったならば――『私は仏から聞いた。欲情にふけることは、悟りの道を妨げるものではない』と。その比丘は、その沙弥を戒めて、こう言わなければならない。『そなたは世尊を誹謗してはならない。世尊を誹謗することは、善からぬことである。世尊はそのようなことを説かれたのではない。沙弥よ、世尊は数限りないたとえをもって、欲情は悟りの道を妨げるものであると説かれたのだ』と。

その比丘が、その沙弥を戒めたとき、もし沙弥がその考えを固執して捨てないならば、その比丘は三度まで、繰り返し戒め、その考えを捨てさせるべきである。三度戒めて、捨てるならば善い。捨てないならば、その比丘は、その沙弥にこう告げなければならない。『そなたは今日より、仏は我が世尊であると言ってはならない。他の比丘たちに従って歩んではならない。他の沙弥たちが比丘と二、三晩を共に過ごすことは許されるが、そなたにはその資格はない。立ち去れ、消え去れ。ここに留まってはならない』と。

もし、比丘が、このように僧伽の中で追放された沙弥であると知りながら、その者を引き入れ、養い、共に止宿し、言葉を交わすならば、波逸提(七十)の罪となる。

「若比丘!餘比丘如法諫時,作如是語:『我今不學此戒。』當難問餘智慧持律比丘者,波逸提。若為知為學故,應難問。

比丘よ、他の比丘が正しく戒めを説く時、もし『私は今、この戒めを学びません』と言い、他の智慧ある戒律に通じた比丘に問い詰めようとするならば、それは波逸提(懺悔すべき過ち)である。ただし、真に知り学ぶために問うのであれば、それは許される。

「若比丘!說戒時,作如是語:『大德!何用說是雜碎戒為?說是戒時,令人惱愧懷疑。』輕呵戒故,波逸提。

比丘よ、戒律を説く時に、このように言うならば、「尊師よ、どうしてこのような細かい戒律を説く必要があるのでしょうか。このような戒律を説くのは、人を悩ませ、恥じさせ、疑いを抱かせるだけです。」戒を軽んじ、あざけるゆえに、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!說戒時,作如是語:『我今始知此法戒經所載,半月半月說,戒經中來。』餘比丘,知是比丘,若二、若三說戒中坐,何況多!彼比丘無知無解,若犯罪,應如法治,更重增無知罪。語言:『長老!汝無利,不善得。汝說戒時,不用心念、不一心攝耳聽法。』彼無知故,波逸提。

比丘たちよ。布薩の時、もしこのように言う者がいたならば、「私は今初めてこの戒律が、半月ごとに誦される戒本に載っていることを知りました」と。他の比丘たちは、その比丘が過去に二度も三度も、いやそれ以上、布薩の席に座っていたことを知っている。その比丘は無知であり、理解していなかったのだ。もし彼に罪があるならば、法に従って処置し、さらに無知の罪を重ねて問うべきである。こう言いなさい。「長老よ、あなたは得るところがなく、不善を得ました。あなたは布薩の時に心を留めず、耳を澄まして法を聞かなかったのです」と。この無知のゆえに、彼は波逸提の罪を犯す。

「若比丘!共同羯磨已後,如是語:『諸比丘,隨親厚以眾僧物與』者,波逸提。

比丘たちよ、もしも共同の議決が行われた後、このように言う者がいたならば、『諸比丘よ、親しい者に僧の物を与えよ』と。その者は波逸提の罪を犯す。

「若比丘!眾僧斷事未竟,不與欲而起去者,波逸提。

比丘よ、僧伽が事を裁く未だ終わらざるに、欲を与えずして立ち去る者は、波逸提(懺悔すべき罪)なり。

「若比丘!與欲已,後悔者,波逸提。

比丘よ、承諾を与えた後に後悔する者は、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!比丘共鬪諍已,聽此語向彼說,波逸提。

もし比丘が、他の比丘と争いをした後、その言葉を別の者に話したならば、波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!瞋恚故不喜,打比丘者,波逸提。

もし比丘が、怒りのために不快に思い、他の比丘を打つならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)となります。

「若比丘!瞋恚不喜,以手搏比丘者,波逸提。

もし比丘が、怒りや不満から他の比丘を手で打つならば、波逸提(懺悔すべき罪)です。

「若比丘!瞋恚故,以無根僧伽婆尸沙法謗者,波逸提(八十)。

比丘よ、もし怒りのために、根拠のない僧伽婆尸沙法で誹謗するならば、波逸提(八十)となる。

「若比丘!剎利水澆頭王種,王未出,未藏寶而入。若過宮門閾者,波逸提。

比丘よ、もしも剎帝利の灌頂王族の王が、まだ宝物を蔵に出さず、宮殿の門の敷居を越えて入るならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!若寶中寶莊飾具,若自捉,若教人捉,除僧伽藍中及寄宿處,波逸提。若比丘在僧伽藍中,若寄宿處,捉寶若寶莊飾具,自捉,教人捉,當作是意:『若有主識者當取。』作如是因緣非餘。

比丘よ、もし宝や宝の装飾品を、自ら手に取るか、あるいは人に取らせるならば、僧院の中と宿泊所を除いて、それは波逸提(懺悔すべき過失)となります。もし比丘が僧院の中や宿泊所において、宝や宝の装飾品を手に取る場合、自ら取るにせよ、人に取らせるにせよ、このように心に留めるべきです:『もし持ち主が気づくならば、受け取ろう。』このような理由に限るのであって、それ以外の理由ではいけません。

「若比丘!非時入聚落,不囑比丘者,波逸提。

比丘よ、時ならぬ時に村落に入り、他の比丘に告げずに行くならば、それは波逸提(懺悔すべき罪)である。

「若比丘!作繩床、木床,足應高如來八指,除入梐孔上截竟,若過者,波逸提。

比丘よ、縄の床や木の床を作る際、その脚の高さは、釈尊の八指分にすべきである。ただし、これは脚の先端を床の枠に差し込む部分を除いた長さである。もしこれを超えたならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!作兜羅綿,貯繩床、木床、大、小蓐,成者,波逸提。

比丘よ、もし綿を詰めた敷物や、木製の寝台、あるいは大小の敷物を作り上げたならば、波逸提の罪となります。

「若比丘!作骨、牙、角針筒,刳刮成者,波逸提。

比丘よ、もし骨や牙、角で作られた針筒を、削り出して完成させたならば、波逸提(懺悔すべき罪)となる。

「若比丘!作尼師檀,當應量作。是中量者,長佛二磔手,廣一磔手半,更增廣長,各半磔手,若過裁竟,波逸提。

比丘よ、坐具を作るならば、適切な大きさに作るべきである。その適切な大きさとは、長さは仏の二磔手、幅は一磔手半である。さらに長さと幅をそれぞれ半磔手増やすことは許されるが、それ以上に大きく作り終えたならば、波逸提の罪となる。

「若比丘!作覆瘡衣,當應量作。是中量者,長佛四磔手,廣二磔手,裁竟過者,波逸提。

比丘よ、覆瘡衣を作るならば、適切な大きさで作るべきである。ここで適切な大きさとは、長さは仏の四磔手、幅は二磔手である。これを超えて裁断したならば、波逸提(懺悔すべき過失)となる。

「若比丘!作雨浴衣,當應量作。是中量者,長佛六磔手,廣二磔手半,過者裁竟,波逸提。

比丘たちよ、雨浴衣を作るならば、適切な大きさに作るべきである。ここで適切な大きさとは、長さが仏陀の六磔手、幅が二磔手半である。これを超えた場合は、仕立て終えた時点で波逸提となる。

「若比丘!與如來等量作衣,若過量作者,波逸提。是中如來衣量者,長佛九磔手,廣六磔手,是謂如來衣量(九十)。

比丘よ、もし如来と同じ大きさの衣を作り、あるいはそれを超える大きさの衣を作るならば、それは波逸提(懺悔すべき過ち)となります。ここでいう如来の衣の大きさとは、長さが仏の九磔手、幅が六磔手のことを指します。これが如来の衣の大きさです。

「諸大德!我已說九十波逸提法。今問諸大德!是中清淨不?(如是三說)諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大徳方々、私はすでに九十の波逸提法について説きました。今、諸大徳にお尋ねします。ここにおいて清らかでしょうか。(このように三度唱える)諸大徳、ここにおいて清らかであり、皆が黙っていることから、このことはこのように保たれます。

「諸大德!是四波羅提提舍尼法,半月半月說,戒經中來。

諸大徳よ、これら四つの波羅提提舎尼の法は、半月ごとに、戒経に従って説かれます。

「若比丘!入村中,從非親里比丘尼,無病,自手取食食者,是比丘應向餘比丘悔過言:『大德!我犯可呵法,所不應為,我今向大德悔過。』是名悔過法。

比丘たちよ、もし比丘が村に入り、血縁でもない比丘尼から、病気でもないのに、自らの手で食べ物を受け取って食べたならば、その比丘は他の比丘に対して悔い改めを申し出なければなりません。『大徳、私は非難されるべき行いを犯しました。すべきではなかったことです。今、大徳に悔い改めを申し上げます』と。これを悔過法とします。

「若比丘!至白衣家內食,是中有比丘尼指示,與某甲羹,與某甲飯。是比丘應語彼比丘尼如是言:『大姊!且止,須諸比丘食竟。』若無一比丘語彼比丘尼如是言:『大姊!且止,須諸比丘食竟者。』是比丘應向餘比丘悔過言:『大德!我犯可呵法,所不應為,我今向大德悔過。』是名悔過法。

比丘よ、もし在家の家で食事をするとき、そこに比丘尼がいて、「あの人に汁物を、あの人にご飯を」と指示を出したならば、その比丘はその比丘尼にこう言わなければなりません。「大姉、どうかお待ちください。比丘たちが食事を終えるまで」。もし一人の比丘もその比丘尼に「大姉、どうかお待ちください。比丘たちが食事を終えるまで」と言わなかったならば、その比丘は他の比丘のところへ行き、悔い改めてこう言わなければなりません。「尊者、私は非難されるべき行いを犯しました。してはならないことをしました。今、尊者に悔い改めを申し上げます」。これを悔過法といいます。

「若先作學家羯磨,若比丘於如是學家,先不請,無病,自手受食食者,是比丘應向餘比丘悔過言:『大德!我犯可呵法,所不應為,我今向大德悔過。』是名悔過法。

もし先に学処の羯磨を行った場合、比丘がこのような学処に対して、事前に請うことなく、病気でもないのに、自らの手で食べ物を受け取って食べたならば、その比丘は他の比丘に向かって悔い改めを申し出なければなりません。『大徳よ、私は非難されるべき行いを犯し、なすべきでないことを行いました。今、大徳の前で悔い改めを申し上げます』と。これを悔過法といいます。

「若比丘!在阿蘭若逈遠,有疑恐怖處住。若比丘在如是阿蘭若處住,先不語檀越,若僧伽藍外不受食。在僧伽藍內,無病,自手受食食者,是比丘應向餘比丘悔過言:『大德!我犯可呵法,所不應為,我今向大德悔過。』是名悔過法。

比丘よ、もし遠く離れた阿蘭若(森林や静寂の地)に住み、疑念や恐怖を感じる場所にいるならば。そのような阿蘭若に住む比丘が、先に檀越(在家の施主)に告げず、また僧伽藍(寺院の敷地)の外で食事を受けず、僧伽藍の内で、病気でもないのに自ら手で食事を受け取って食べたならば、その比丘は他の比丘に向かって悔い改めを申し出なければなりません。『大徳、私は非難されるべき行いを犯しました。すべきではなかったことを、今、大徳に悔い改めます』と。これを悔過法と言います。

「諸大德!我已說四波羅提提舍尼法。今問諸大德!是中清淨不?(如是三說)諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大德よ、私はすでに四波羅提提舍尼の法を説きました。今、諸大德にお尋ねします。ここに清らかさはありますか?(このように三度言う)諸大德よ、ここに清らかさがあり、静寂であるゆえに、このことはこのように保たれます。

「諸大德!此眾學戒法,半月半月說,戒經中來。

諸大徳よ、この衆学戒法は、半月ごとに説かれるもので、戒律の経典に由来するものです。

「當齊整著涅槃僧,應當學。

涅槃僧を整えて着用すべし。学ぶべし。

「當齊整著三衣,應當學。

三衣を整えて着用すべし、学ぶべし。

「不得反抄衣,行入白衣舍,應當學。

在家の方々の家に入る時は、衣の端を内側に畳んで入るべきであり、そうすべきである。

「不得反抄衣,入白衣舍坐,應當學。

衣を裏返しにして、在家の人の家に入り座してはならない。

「不得衣纏頸,入白衣舍,應當學。

衣で首を覆って在家の家に入ってはなりません。このように学ぶべきです。

「不得衣纏頸,入白衣舍坐,應當學。

衣を首に巻きつけて、在家者の家に入って座してはなりません。これを学ぶべきです。

「不得覆頭入白衣舍,應當學。

覆いをかぶって在家の家に入ってはなりません。これを学ぶべきです。

「不得覆頭入白衣舍坐,應當學。

頭を覆って在家の家に入り座してはなりません。これを学ぶべきです。

「不得跳行入白衣舍,應當學。

在家の人の家に飛び込んだり跳ねたりして入ってはいけません。これは学ぶべきことです。

「不得跳行入白衣舍坐,應當學(一十)。

白衣の家に入って座るときは、跳ねたり走ったりしてはいけません。これを学ぶべきです(一十)。

「不得白衣舍內蹲坐,應當學。

在家の人の家の内で蹲踞して座ってはならない。これを学ぶべきである。

「不得叉腰行入白衣舍,應當學。

腰に手を当てて在家の家に入ってはならない。これを学ぶべきである。

「不得叉腰入白衣舍坐,應當學。

腰に手を当てて在家の家に入り座してはならない。学ぶべきである。

「不得搖身行入白衣舍,應當學。

在家の方々の家に入るときは、体を揺らしながら歩いてはいけません。このように学びなさい。

「不得搖身行入白衣舍坐,應當學。

在家の方々の家に入るときは、体を揺らして歩いてはいけません。これは学ぶべきことです。

「不得掉臂行入白衣舍,應當學。

在家の方々の家に入る際には、腕を振り回して歩いてはいけません。これを学ぶべきです。

「不得掉臂行入白衣舍坐,應當學。

在家の方の家を訪ねる際は、袖を振り回して歩いたり、勝手に座ったりしてはいけません。これを心がけなさい。

「好覆身入白衣舍,應當學。

衣をしっかりと身にまとって在家の方々の家に入る時は、心がけなければなりません。

「好覆身入白衣舍坐,應當學。

衣で身を覆い、在家の家に坐す時は、よく学ぶべし。

「不得左右顧視行入白衣舍,應當學(二十)。

左右を見回さずに在家の人の住居に入るべきであり、学ぶべきである(二十)。

「不得左右顧視行入白衣舍坐,應當學。

左右を見回したりせずに、在家の家に入って座るべきである。これを学ぶべし。

「靜默入白衣舍,應當學。

静かにして白衣の家に入るべし、学ぶべし。

「靜默入白衣舍坐,應當學。

静かにして在家の家に入り座るべし、学ぶべし。

「不得戲笑行入白衣舍,應當學。

在家の方々の家を訪れる際は、軽々しいふるまいや戯れ笑いを慎み、慎み深くあるように心がけなさい。

「不得戲笑行入白衣舍坐,應當學。

在家の方々の家を訪れる際は、軽々しいふるまいや冗談を言って笑いながら座ってはなりません。これを学び、実践すべきです。

「用意受食,應當學。

用意して食事を受け、学ぶべきである。

「平鉢受食,應當學。

平らな鉢で食事を受け取る時は、慎みなさい。

「平鉢受羹,應當學。

平鉢で羹を受けるときは、慎んで行いなさい。

「羹飯等食,應當學。

羹や飯などの食事は、慎みをもっていただきましょう。

「以次食,應當學(三十)。

次第に食すべし。

「不得挑鉢中而食,應當學。

鉢の中をかき回して食べてはなりません。

「若比丘無病,不得為己索羹飯,應當學。

比丘が病気でもないのに、自分のために汁物や飯を求めてはならない。これを学ぶべきである。

「不得以飯覆羹更望得,應當學。

ご飯で汁を覆って、さらに得ようと望んではならない。学ぶべきである。

「不得視比坐鉢中食,應當學。

比丘の坐鉢の中の食を見てはならず、学ぶべきなり。

「當繫鉢想食,應當學。

鉢のことを思って食べるべきであり、学ぶべきである。

「不得大摶飯食,應當學。

大さじでご飯を食べてはいけません。これを学ぶべきです。

「不得大張口待食,應當學。

大げさに口を開けて待たず、食事をいただくべきです。

「不得含飯語,應當學。

食事中に口に物を含んだまま話してはなりません。これを学ぶべきです。

「不得摶飯遙擲口中,應當學。

ご飯を口に投げ入れてはいけません。このように学びなさい。

「不得遺落飯食,應當學(四十)。

食事を無駄にせず、残さずいただくことを学ばなければなりません(四十)。

「不得頰食食,應當學。

食器を顔に近づけて食べてはなりません。

「不得嚼飯作聲食,應當學。

食べ物を噛む音を立ててはいけません。これは守るべき作法です。

「不得大噏飯食,應當學。

大盛りのご飯を食べてはなりません。学びなさい。

「不得舌舐食,應當學。

舌で食べ物を舐めてはならない。学ぶべきである。

「不得振手食,應當學。

手を振りながら食事をしてはなりません。これを学ぶべきです。

「不得手把散飯食,應當學。

手に握ったままのご飯を食べてはなりません。これを学ぶべきです。

「不得污手捉飲器,應當學。

手を汚して飲み物の器を取ってはならず、学ぶべきである。

「不得洗鉢水棄白衣舍內,應當學。

鉢を洗った水を白い衣を置く場所に捨ててはなりません。これを学び実践すべきです。

「不得生草葉上大、小便、涕、唾,除病,應當學。

草や葉の上に大小便や鼻水、唾をしてはなりません。ただし、病気の場合は除きます。これを学ぶべきです。

「不得水中大、小便、涕、唾,除病,應當學(五十)。

水中で大小便、鼻水、唾をしてはならない。病気の場合は除く。これを学ぶべきである(五十)。

「不得立大、小便,除病,應當學。

大小便を立ててはならず、病気の場合を除いて、学ぶべきである。

「不得與反抄衣不恭敬人說法,除病,應當學。

反抄衣の不敬な人に法を説いてはならない。ただし、病の場合は除く。これを学ぶべし。

「不得為衣纏頸者說法,除病,應當學。

衣で首を巻いている人には説法してはいけません。ただし病気の場合は除きます。このように学ぶべきです。

「不得為覆頭者說法,除病,應當學。

覆いを被っている者に説法してはならない。ただし、病気の場合は除く。このように学ぶべきである。

「不得為裹頭者說法,除病,應當學。

頭に布を巻いている者には、病気の場合を除いて説法してはならない。これを学ぶべきである。

「不得為叉腰者說法,除病,應當學。

腰に手を当てた人には法を説いてはならない。ただし、病気の場合は除く。このように学ぶべきである。

「不得為著革屣者說法,除病,應當學。

革靴を履いている者に説法してはならない。ただし、病気の場合は除く。これを学ぶべきである。

「不得為著木屐者說法,除病,應當學。

木靴を履いた者には説法してはならない。ただし、病気の場合は除く。このように学ぶべきである。

「不得為騎乘者說法,除病,應當學。

乗り物に乗っている者に対しては、病気の場合を除き、説法してはならない。これを学ぶべきである。

「不得在佛塔中止宿,除為守護故,應當學(六十)。

仏塔の中に宿泊してはならない。ただし、守護するためである場合は除く。これを学ぶべきである(六十)。

「不得藏財物置佛塔中,除為堅牢故,應當學。

仏塔の中に財物を蔵してはならない。ただし、堅固にするためである場合は除く。このように学ぶべきである。

「不得著革屣入佛塔中,應當學。

革靴を履いたまま仏塔に入ってはならない。これを学ぶべきである。

「不得手捉革屣入佛塔中,應當學。

革履を手に持って仏塔に入ってはなりません。これを学ぶべきです。

「不得著革屣繞佛塔行,應當學。

革靴を履いて仏塔を巡礼してはなりません。これを学ぶべきです。

「不得著富羅入佛塔中,應當學。

富羅を履いたまま仏塔に入ってはならない。これを学ぶべきである。

「不得手捉富羅入佛塔中,應當學。

富羅を手に取って仏塔に入ってはならない。これを学ぶべきである。

「不得佛塔下坐食,留草,及食污地,應當學。

仏塔の下で坐って食事をせず、草を残さず、食べ物で地面を汚さないように、学ぶべきです。

「不得擔死屍從佛塔下過,應當學。

死骸を担いで仏塔の下を通ってはならない。これは学ぶべきことである。

「不得在佛塔下埋死屍,應當學。

仏塔の下に死骸を埋めてはなりません。これは学ぶべきことです。

「不得在佛塔下燒死屍,應當學(七十)。

仏塔の下で死体を焼いてはなりません。学ぶべきことです(七十)。

「不得向佛塔燒死屍,應當學。

仏塔に向かって死体を焼いてはならない。これを学ぶべきである。

「不得佛塔四邊燒死屍,使臭氣來入,應當學。

仏塔の周囲で死体を焼き、その臭気が塔に入るのを防ぐべし。

「不得持死人衣,及床,從佛塔下過,除浣、染、香薰,應當學。
「不得佛塔下大、小便,應當學。
「不得向佛塔大、小便,應當學。

仏塔に向かって大小便をしてはなりません。これを学ぶべきです。

「不得繞佛塔四邊大、小便,使臭氣來入,應當學。

仏塔の周囲で大小便をしてはならない。臭気が塔に入るのを防ぐため、これを学ぶべきである。

「不得持佛像至大、小便處,應當學。

仏像を大小便の場所に持ち込んではなりません。これを学ぶべきです。

「不得在佛塔下嚼楊枝,應當學。

仏塔の下で楊枝を噛んではなりません。これは守るべき心得です。

「不得向佛塔嚼楊枝,應當學。

仏塔に向かって楊枝を噛んではなりません。これを学ぶべきです。

「不得佛塔四邊嚼楊枝,應當學(八十)。

仏塔の周囲で楊枝を噛んではなりません。これを学ぶべきです。

「不得在佛塔下涕唾,應當學。

仏塔の下で唾を吐いたり、鼻水を垂らしたりしてはなりません。

「不得向佛塔涕唾,應當學。

仏塔に向かって唾を吐いたり、鼻をかんだりしてはなりません。このように学びなさい。

「不得佛塔四邊涕唾,應當學。

仏塔の四辺に唾を吐いてはなりません。学ぶべきことです。

「不得向佛塔舒脚坐,應當學。

仏塔に向かって足を伸ばして座してはなりません。このように学びなさい。

「不得安佛像在下房,己在上房住,應當學。

仏像を下の部屋に置き、自分は上の部屋に住んではなりません。これを学ぶべきです。

「人坐,己立,不得為說法,除病,應當學。

人が座っているのに、自分が立ったままで説法してはならない。ただし、病気の場合はこの限りではない。このように学ぶべきである。

「人臥,己坐,不得為說法,除病,應當學。

人が横になっているとき、自分が座っているときは、説法してはいけません。ただし、病気の場合は除きます。このように学ぶべきです。

「人在座,己在非座,不得為說法,除病,應當學。

人が座っているところに、自分が座っていないなら、説法してはいけません。ただし、病気の場合は例外です。このように心がけるべきです。

「人在高坐,己在下坐,不得為說法,除病,應當學。

人が上座に座り、自分が下座に座っている場合、説法をしてはならない。ただし、病気の場合を除く。このことを学ぶべきである。

「人在前行,己在後,不得為說法,除病,應當學(九十)。

人が前を歩き、自分が後ろにいる場合、説法をしてはいけません。ただし、病気の場合は例外です。このように学びなさい(九十)。

「人在高經行處,己在下經行處,不得為說法,除病,應當學。

人が上段の経行(きんひん)の場所にいて、自分が下段の経行の場所にいるときは、説法してはならない。ただし、病気の場合は除く。このように学ぶべきである。

「人在道,已在非道,不得為說法,除病,應當學。

人が正しい道にいるとき、自分が間違った道にいるなら、その人に説法してはならない。ただし、病気の場合は別である。このように学ぶべきである。

「不得携手在道行,應當學。

手を携えて道を歩むことを得ず、学ぶべし。

「不得上樹過人頭,除時因緣,應當學。

木に登る時は人の頭より高く登ってはならない。ただし、特別な事情がある場合は除く。このように心がけるべきである。

「不得絡囊盛鉢貫杖頭,著肩上而行,應當學。

鉢を袋に入れて杖の先に掛け、肩に担いで歩いてはなりません。

「人持杖,不恭敬,不應為說法,除病,應當學。

杖を持って敬意を示さない人には、説法すべきではありません。ただし、病気の場合を除きます。このように学ぶべきです。

「人持劍,不應為說法,除病,應當學。

剣を持っている人には、法を説いてはいけません。ただし、病気の場合は除きます。このように学びなさい。

「人持鉾,不應為說法,除病,應當學。

人が鉾を持っている者には、説法すべきではありません。ただし、病気の場合は除きます。このように学びなさい。

「人持刀,不應為說法,除病,應當學。

刀を持っている人には、説法してはならない。ただし、病気の場合は除く。このように学ぶべきである。

「人持蓋,不應為說法,除病,應當學(一百)。

人が傘を持っている時は、説法をしてはならない。ただし病気の場合は除く。これを学ぶべきである。

「諸大德!我已說眾學戒法。今問諸大德!是中清淨不?(如是三說)諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大德よ。私はすでに、比丘が学び守るべき多くの細かい戒律について説きました。 今、諸大德にお尋ねします。ここに集う皆さんは、これらの戒律について清らかな心で守る決意がありますか? (この問いを三度繰り返す) 諸大德よ。ここに集う皆さんは清らかな心で守る決意があり、沈黙をもって同意されました。 よって、このように定めとしてお受け取りください。

「諸大德!是七滅諍法,半月半月說,戒經中來。若有諍事起,即應除滅。

諸大徳よ、この七つの諍いを滅する法は、半月ごとに戒律の経典に従って説かれます。もし諍い事が起こったならば、ただちにこれを除き滅すべきです。

「應與現前毘尼,當與現前毘尼。

現前毘尼に応じて、現前毘尼とすべし。

「應與憶念毘尼,當與憶念毘尼。

憶念毘尼を与えるべきであり、憶念毘尼を与えねばならない。

「應與不癡毘尼,當與不癡毘尼。

不痴の戒律を与えるべきであり、不痴の戒律を与えなければならない。

「應與自言治,當與自言治。

自ら申し出た者には、自ら申し出た者として対処すべきです。

「應與覓罪相,當與覓罪相。

罪相を探すべきであり、罪相を探さねばならない。

「應與多人覓罪,當與多人覓罪。

多くの人と共に罪を探し求め、多くの人と共に罪を探し求めなければならない。

「應與如草覆地,當與如草覆地。

草のように地を覆うべく、草のように地を覆うべし。

「諸大德!我已說七滅諍法。今問諸大德,是中清淨不?(如是三說)諸大德!是中清淨,默然故,是事如是持。

諸大徳よ、私はすでに七つの諍いを滅する方法を説きました。今、諸大徳にお尋ねします。これらは清浄でしょうか?(このように三度唱える)諸大徳よ、これらは清浄であり、皆が黙っていることから、この事柄はこのように受け止められます。

「諸大德!我已說戒經序,已說四波羅夷法,已說十三僧伽婆尸沙法,已說二不定法,已說三十尼薩耆波逸提法,已說九十波逸提法,已說四波羅提提舍尼法,已說眾學戒法,已說七滅諍法,此是佛所說戒經,半月半月說,戒經中來。

諸大徳よ、私はすでに戒律の経典の序文を説き、四波羅夷法を説き、十三僧伽婆尸沙法を説き、二不定法を説き、三十尼薩耆波逸提法を説き、九十波逸提法を説き、四波羅提提舍尼法を説き、衆学戒法を説き、七滅諍法を説きました。これらは仏陀が説かれた戒律の経典であり、半月ごとに誦されるべきものです。戒律の経典はここにあります。

「若更有餘佛法,是中皆共和合,應當學。

もしさらに他の仏法があれば、それらもすべて和合して学ぶべきである。

「忍辱第一道, 佛說無為最,
出家惱他人, 不名為沙門。

忍び耐えることが第一の道であり、 仏は無為を最も尊ぶと説かれました。 出家して他者を悩ます者は、 沙門とは呼べません。

「此是毘婆尸如來、無所著、等正覺,說是戒經。

これは毘婆尸如来、無所著、等正覚が説かれた戒の経です。

「譬如明眼人, 能避嶮惡道,
世有聰明人, 能遠離諸惡。

たとえば、目の見える人は、危険な道を避けることができるように、世の中の聡明な人は、あらゆる悪から遠ざかることができる。

「此是尸棄如來、無所著、等正覺,說是戒經。
「不謗亦不嫉, 當奉行於戒,
飲食知止足, 常樂在空閑,
心定樂精進, 是名諸佛教。

謗らず、嫉まず、 戒を守り行い、 飲食はほどほどに、 静寂を常に楽しむ。 心を定め、精進を喜ぶ、 これが諸仏の教えなり。

「此是毘葉羅如來、無所著、等正覺,說是戒經。

これは毘葉羅如来、無所著、等正覚が説かれた戒経である。

「譬如蜂採華, 不壞色與香,
但取其味去, 比丘入聚然。
不違戾他事, 不觀作不作,
但自觀身行, 若正若不正。

たとえば蜂が花を集める時、 色も香りも損なわず、 ただその蜜だけをいただくように、 比丘もまた集落に入る時はそうあるべきです。 他人の行いに干渉せず、 善し悪しを論じたりせず、 ただ自らの行いを見つめ、 それが正しいか否かを確かめるのです。

「此是拘樓孫如來、無所著、等正覺,說是戒經。

これは拘楼孫如来、無所著、等正覚が説かれた戒の経である。

「心莫作放逸, 聖法當勤學,
如是無憂愁, 心定入涅槃。

心を放逸に任せず、 聖なる法を勤めて学べ。 かくして憂いなく、 心定まって涅槃に入る。

「此是拘那含牟尼如來、無所著、等正覺,說是戒經。

これは拘那含牟尼如来、無所著・等正覚が説かれた戒経です。

「一切惡莫作, 當奉行諸善,
自淨其志意, 是則諸佛教。

一切の悪をなすことなく、 あらゆる善を行い、 自らの心を清らかにすること、 これが諸仏の教えである。

「此是迦葉如來、無所著、等正覺,說是戒經。

これは迦葉如来、無所著、等正覚が説かれた戒経である。

「善護於口言, 自淨其志意,
身莫作諸惡, 此三業道淨,
能得如是行, 是大仙人道。

言葉を慎み、 心を清らかにし、 身に悪をなさず、 この三つの行いが清らかならば、 このように実践する者は、 偉大な修行者の道を得る。

「此是釋迦牟尼如來、無所著、等正覺,於十二年中,為無事僧說是戒經。從是已後,廣分別說。諸比丘自為樂法、樂沙門者,有慚有愧,樂學戒者,當於中學。」

これは釈迦牟尼如来、無所著・等正覚が、十二年の間に、無事僧のためにこの戒経を説かれたものです。その後、広く分別して説かれました。諸比丘よ、自ら法を楽しみ、沙門の道を楽しむ者、慚愧の心ある者、戒を学ぶことを喜ぶ者は、ここに学びなさい。

明人能護戒, 能得三種樂,
名譽及利養, 死得生天上。
當觀如是處, 有智勤護戒,
戒淨有智慧, 便得第一道。
如過去諸佛, 及以未來者,
現在諸世尊, 能勝一切憂,
皆共尊敬戒, 此是諸佛法。
若有自為身, 欲求於佛道,
當尊重正法, 此是諸佛教。
七佛為世尊, 滅除諸結使,
說是七戒經, 諸縛得解脫。
已入於涅槃, 諸戲永滅盡,
尊行大仙說, 聖賢稱譽戒,
弟子之所行, 入寂滅涅槃。
世尊涅槃時, 興起於大悲,
集諸比丘眾, 與如是教誡。
莫謂我涅槃, 淨行者無護,
我今說戒經, 亦善說毘尼。
我雖般涅槃, 當視如世尊,
此經久住世, 佛法得熾盛,
以是熾盛故, 得入於涅槃。
若不持此戒, 如所應布薩,
喻如日沒時, 世界皆闇冥。
當護持是戒, 如𤛆牛愛尾,
和合一處坐, 如佛之所說。
我已說戒經, 眾僧布薩竟,
我今說戒經, 所說諸功德,
施一切眾生, 皆共成佛道。

賢明な人は戒律を守り、 三つの喜びを得ることができます。 名誉と利養、そして死後には天界に生まれます。 このような境地をよく観察しなさい。 智慧ある者は戒律を守ることに励み、 戒律が清らかで智慧があれば、最上の道を得るでしょう。

過去の諸仏も、未来の仏たちも、 今この世にいらっしゃる尊い方々も、 すべての憂いを乗り越え、 皆、戒律を尊敬されます。 これが諸仏の教えです。

もし自らのために、仏道を求めようとするなら、 正しい法を尊重しなさい。 これが諸仏の教えです。

七仏は世の尊い方として、 すべての煩悩を滅ぼし、 この七戒経を説かれました。 それによって、すべての束縛から解き放たれます。

すでに涅槃に入り、 すべての戯れは永遠に滅び尽きました。 尊い大仙が説かれたように、 聖賢は戒律を称賛します。 弟子たちが実践することによって、 静寂なる涅槃に入るのです。

世尊が涅槃に入られるとき、 大いなる慈悲を起こされ、 比丘たちを集めて、このように教え諭されました。 「私が涅槃に入っても、清らかな行者が守られる者なしと思ってはならない。 私は今、戒経を説く。また、よく毘奈耶(戒律)を説く。 私が般涅槃しても、世尊が在世するように見なさい。 この経典が世に長く留まり、仏法が盛んになるように。 その盛んなるがゆえに、涅槃に入ることができるのだ。 もしこの戒律を持たず、布薩(懺悔の儀式)をすべき時にしなければ、 まるで日が沈むときのように、世界は暗闇に包まれるだろう。 この戒律を守りなさい。牛が自分の尾を愛おしむように。 和合して一つの場所に座り、仏が説かれたようにしなさい。」

私は戒経を説き終えました。 僧伽の布薩も終わりました。 私は今、戒経を説き、そのすべての功徳を、 一切の衆生に施し、皆共に仏道を成じますように。

四分比丘戒本

四分律比丘戒本


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