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title: "兩部大法相承師資付法記 · 第二"
description: "海雲撰，唐代密宗重要文献。全称《两部大法相承师资付法记》，简称《海雲记》。记载了密教金刚界与胎藏界两部大法的传承谱系，详述自大日如来至金刚智、不空等唐代密宗祖师的付法历程。反映了唐密鼎盛时期的师资相承与教义体系，是研究汉传密宗历史与思想的核心典籍，对后世密法流传影响深远。"
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## 兩部大法相承師資付法記下

> 両部大法相承師資付法記 下巻

略敘傳大毘盧遮那成佛神變加持經大教相承付法次第記經題名大毘盧遮那成佛神變加持經。梵云摩訶此翻云大毘盧遮那此云光明遍照或云大日遍照正梵語應云吠無每反盧左曩毘盧遮那者古譯也。依金剛頂義決中解。此毘盧遮那義翻為無邊廣眼聚如來。眼者智也。言此法身如來智惠十眼無邊際故。神德智惠萬德已圓如虛空界量無邊際過數量故也或云毘盧遮那成道經。梵云吠盧左曩三母弟婆灑多素怛囕二合此云大日遍照尊經此經梵夾有三本。廣本十萬偈。若依梵本具譯可有三百餘卷已來。廣本在西國不到此土。梵經略本四千偈經。更有略本。二千五百偈。中天竺國大阿闍梨集今時所傳者四千偈。釋迦沙門三藏善無畏開元七年奉詔譯。沙門一行筆授。即大毘盧遮那成佛神變加持經是也。言此經是毘盧遮那如來神通變化之所加持也。依梵本。譯成六卷。又總集一部教持念次第共成一卷。成七卷。共成一部。編入大藏經。時毘盧遮那如來在金剛法界宮。與普賢等諸大菩薩十佛剎微塵數金剛牛祕密主等十佛剎微塵數諸執金剛護世主天等。其數無量不可稱說。皆是毘盧遮那如來自受用身海廣大法界之所加持也。經明修真言行菩薩修無上菩提心。超越一百六十種忘念心。住大菩提心。一念相應度三僧祇劫。初發心時即得阿耨多羅三藐三菩提心。此經依二種修行。菩提心為因。大悲為根方便為究竟。次明十緣生句。謂明修真言行菩薩了諸法如幻從緣所生故。又依勝義世俗二諦。若依勝義。修行建立法身曼荼羅。是故此經中說先枰虛空中曼荼羅。是故本尊法身遠離形色猶如虛空。住如是三摩地。若依世俗修行依四輪以為曼拏羅。本尊聖者若黃色住地輪曼荼羅其形方名金輪聖者若白色住水輪曼荼羅其形圓名水輪聖者若赤色住火輪曼荼羅其形三角聖者若青色若黑色住風輪曼荼羅其形如半月大曼荼羅安於八葉蓮華臺。五佛四菩薩安於臺葉中。曼荼羅外。又三種曼荼羅。一一切如來曼荼羅。二釋迦牟尼曼荼羅。三文殊師利曼荼羅。總名為大悲胎藏曼荼羅。弟子受灌頂法少曼荼羅極微細委曲餘部所不代。此中修行供養兼存二種。事與理是也。此經中說一百二十五種護摩爐。護摩火天有四十四種。就中一十二種火為最勝。其中極妙有五種智火。為初爐形。及木有乳果苦練。所用不同。東西南北所願各殊。內外護摩亦依五輪。求四種事。速疾成就。息災增益。降伏敬愛。所謂火天各各不同。寂靜熙怡。忿怒。喜怒。次第應智。苦依廣教行相。極多。今且略敘大毘盧遮那大教王經少分意趣。其次明從上相承師資傳法次第。但海雲慮恐大教傳持師資斷續大法淪墜年多廢忘。三藏善無畏云。此法從毘盧遮那佛。付囑金剛手菩薩金剛手菩薩經數百年傳付中印度那爛陀寺達磨掬多阿闍梨。達磨掬多阿闍梨次付中印度國三藏釋迦種善無畏梵云輪婆迦羅僧訶。唐云善無畏三藏學究五明教閑三藏五天藝業無不備能。斛飯王五十二代之孫也。捨襲王位。出家入道。開元七年從西國。將大毘盧遮梵夾經等來至此國。玄宗皇帝禮為國師。隨駕兩京。翻譯大毘盧遮那等經為大毘盧遮那曼荼羅灌頂大阿闍梨。無畏三藏和尚復將此大毘盧遮那大教王。付天竺國三藏金剛智三藏金剛智復將金剛界大教王授三藏善無畏。互為阿闍梨。遞相傳授。三藏金剛智梵云嚩日囉（二合）吉孃（二合）曩此云金剛智三藏善解大小乘。解聲明論。於一切有部。出家南天竺國國王之子亦捨王位。出家來遊震旦。誓弘聖教。玄宗皇帝禮為國師。隨駕兩京。翻譯金剛頂大教王等經。為金剛界曼荼羅灌頂阿闍梨三藏金剛智復將大毘盧遮那大教王。付大興善寺三藏不空智阿闍梨梵云阿目佉吉孃（二合）那梵云不空智三藏和尚蘊五部五祕要。入普賢之性海之心。住瑜伽則頓入佛乘。演真言。則天魔摧碎。三朝國書天子稽首自玄宗肅宗至于代宗。珍仰之心敬之如佛。代宗皇帝請為灌頂大阿闍梨。所傳大教四十餘年。所翻經論凡百餘部。大興善寺三藏和尚從大和尚金剛智三藏傳授金剛界法。已復恐大教未圓。自往南天竺國。親禮長年普賢阿闍梨重更諮受金剛界五部百千頌法。將得十萬偈經故此二本大教王祕密甚深堪傳者稀。經數百年方傳一人自佛法流傳東夏神州近一千餘年。所有持念祕密心地教門流行不過此二本大教王即大毘盧遮那大教王及金剛界大教王是也。統攝一切持念教門次有蘇悉地此云妙成就教。廣明三部。亦攝論持念法。此中但明事成就與金剛界及大毘盧遮那。義味相涉。亦是至極要妙法。三藏善無畏所譯兼前二部大教及蘇悉地共成三部大教。大興善寺三藏和尚再譯流傳。時善無畏三藏復將此大毘盧遮那大教王傳付大興善寺沙門一行及保壽寺新羅國沙門玄超。沙門一行既傳教已造大毘盧遮那義譯七卷成分為十四卷略譯二卷。大毘盧遮那形像圖樣壇儀一卷。標幟壇儀法一卷。契印法一卷。造金剛頂經義決三卷上卷有本。餘兩卷闕本大興唐寺一行和尚博膽天文。學通內外。唐梵經史無不洞明。每與玄宗皇帝行座相隨論理國及預翻經不暇傳法。次沙門玄超阿闍梨復將大毘盧遮那大教王及蘇悉地教傳付青龍寺東塔。

> 『大毘盧遮那成仏神変加持経』の伝承と法脈の次第について、ごく簡単に記します。 <note>経題は『大毘盧遮那成仏神変加持経』。梵語では「摩訶」は「大」と訳され、「毘盧遮那」は「光明遍照」、あるいは「大日遍照」と訳されます。</note> 正しい梵語では「吠<note>無毎反と読む</note>盧左曩<note>毘盧遮那は古い訳です。『金剛頂義決』の解釈によれば、この毘盧遮那の意味は「無辺広眼聚如来」と訳されます。眼とは智慧のことです。この法身如来の智慧である十眼は際限なく、その神徳と智慧は万徳を円満し、虚空界のように量り知れないほど広大無辺であるからです。</note>」、あるいは『毘盧遮那成道経』と言います。梵語では「吠盧左曩三母弟婆灑多素怛囕<note>二合。これは「大日遍照尊経」と訳されます。</note>」です。 この経の梵本には三つの本があります。広本は十万偈あり、梵本に従って全て訳せば三百巻余りになるでしょう。広本は西方の国にあり、この地には伝わっていません。梵本の略本は四千偈の経です。さらに略本として二千五百偈のものもあります。中天竺国の大阿闍梨が集めた、今伝わっているものは四千偈です。釈迦沙門の三蔵善無畏が開元七年に詔を奉じて訳し、沙門一行が筆受したものが、すなわち『大毘盧遮那成仏神変加持経』です。この経は毘盧遮那如来の神通変化によって加持されたものと言われています。 梵本に基づき、六巻に訳されました。さらに、一つの教えの全体と念誦の次第をまとめて一巻とし、合わせて七巻、一つの部として大蔵経に編入されました。 時に毘盧遮那如来は金剛法界宮におられ、普賢菩薩をはじめとする多くの大菩薩、十仏刹微塵数の金剛牛祕密主など、十仏刹微塵数の諸執金剛、護世主天など、その数は無量で言い表せません。これらは皆、毘盧遮那如来の自受用身の海、広大な法界によって加持されたものです。 経には、真言行を修める菩薩が無上の菩提心を修め、百六十種の妄念の心を超越し、大菩提心に安住し、一念相応して三阿僧祇劫を度り、初発心の時に即ち阿耨多羅三藐三菩提を得ると明かされています。この経は二種の修行に依ります。菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とします。次に十縁生句を明かします。すなわち、真言行を修める菩薩は、諸法が幻の如く、縁によって生じることを了知するからです。 また、勝義諦と世俗諦の二諦に依ります。勝義諦に依って修行するならば、法身曼荼羅を建立します。それゆえ、この経の中ではまず虚空の中に曼荼羅を描くことが説かれています。それゆえ、本尊である法身は形や色を離れ、虚空の如く、このような三摩地に住します。世俗諦に依って修行するならば、四輪を以て曼荼羅とします。本尊の聖者が黄色であれば地輪曼荼羅に住し<note>その形は方形で、金輪と呼ばれます</note>、聖者が白色であれば水輪曼荼羅に住し<note>その形は円形で、水輪と呼ばれます</note>、聖者が赤色であれば火輪曼荼羅に住し<note>その形は三角形です</note>、聖者が青色あるいは黒色であれば風輪曼荼羅に住します<note>その形は半月のようです</note>。 大曼荼羅は八葉の蓮華台に安置され、五仏四菩薩が台の葉の中に安置されます。曼荼羅の外には、さらに三種の曼荼羅があります。一は一切如来曼荼羅、二は釈迦牟尼曼荼羅、三は文殊師利曼荼羅です。総称して大悲胎蔵曼荼羅と言います。弟子が灌頂法を受けるための小曼荼羅は極めて微細で詳細であり、他の部では代わることはできません。 この中の修行供養には、事と理の二種が兼ね備えられています。この経には百二十五種の護摩炉が説かれています。護摩の火天には四十四種あり、その中で十二種の火が最も勝れています。その中でも極めて妙なる五種の智火があり、最初の炉の形と、乳木や苦練木など用いる木はそれぞれ異なり、東西南北で願うこともそれぞれ異なります。内外の護摩もまた五輪に依り、四種の事（息災、増益、降伏、敬愛）を求めて速やかに成就します。火天はそれぞれ異なり、寂静、熙怡、忿怒、喜怒など、次第に智慧に応じます。広い教えの行相に依るならば、極めて多いのですが、今は『大毘盧遮那大教王経』のほんの一部の意趣を略述するに留めます。 次に、上から相承された師資の伝法の次第を明かします。しかし、海雲は大教の伝持において師資の系譜が断絶し、大法が失われることを憂い、長年にわたり忘れ去られることを恐れました。 三蔵善無畏は言いました。この法は毘盧遮那仏から金剛手菩薩に付嘱され、金剛手菩薩から数百年を経て中インドの那爛陀寺の達磨掬多阿闍梨に伝えられ、達磨掬多阿闍梨から次いで中インド国の三蔵釈迦種の善無畏<note>梵語では輪婆迦羅僧訶。唐では善無畏と言います。</note>に伝えられました。三蔵は五明の教えを究め、三蔵に通じ、五天竺のあらゆる技芸に通じていませんでした。斛飯王の五十二代目の孫です。王位を継ぐことを捨てて出家し、開元七年に西方の国から『大毘盧遮那』の梵夾経などを持ってこの国に来られました。玄宗皇帝は国師として礼遇し、両京に随駕し、『大毘盧遮那』等の経典を翻訳され、大毘盧遮那曼荼羅の灌頂大阿闍梨となられました。 無畏三蔵和尚はさらにこの『大毘盧遮那大教王』を天竺国の三蔵金剛智三蔵に伝え、金剛智三蔵は『金剛界大教王』を三蔵善無畏に授け、互いに阿闍梨となり、伝授し合いました。 三蔵金剛智<note>梵語では嚩日囉（二合）吉孃（二合）曩。これは金剛智と言います。</note>三蔵は大小乗を善く理解し、声明論に通じ、一切有部で出家されました。南天竺国の国王の子であり、王位を捨てて出家し、震旦（中国）に来遊し、聖教を広めることを誓われました。玄宗皇帝は国師として礼遇し、両京に随駕し、『金剛頂大教王』等の経典を翻訳され、金剛界曼荼羅の灌頂阿闍梨となられました。 三蔵金剛智はさらに『大毘盧遮那大教王』を大興善寺の三蔵不空智阿闍梨<note>梵語では阿目佉吉孃（二合）那。梵語で不空智と言います。</note>に伝えました。三蔵和尚は五部五祕要を蘊み、普賢の性海の心に入り、瑜伽に住すれば即ち頓に仏乗に入り、真言を演ずれば則ち天魔を摧砕します。三朝（玄宗、粛宗、代宗）にわたり国師として天子から稽首の礼を受け、仏の如く敬仰されました。代宗皇帝は灌頂大阿闍梨として請じられ、大教を伝えて四十余年、翻訳した経論は凡そ百余部に及びました。 大興善寺の三蔵和尚は大和尚である金剛智三蔵から金剛界法を伝授されましたが、後に大教が未だ円満でないことを恐れ、自ら南天竺国に赴き、長年の普賢阿闍梨に親礼し、重ねて金剛界五部百千頌の法を諮受され、十万偈の経典を得られました。ゆえに、この二本の大教王は秘密甚深であり、伝えるに堪える者は稀で、数百年を経てようやく一人に伝えられます。 仏法が東夏神州（中国）に流伝してから近く一千余年になりますが、すべての持念秘密心地の教門で流行するものは、この二本の大教王<note>すなわち『大毘盧遮那大教王』及び『金剛界大教王』です。</note>を超えるものはありません。これらは一切の持念教門を統摂します。 次に『蘇悉地』<note>これは妙成就と訳します。</note>教があり、三部を広く明かし、論持念法をも摂します。この中ではただ事の成就を明かし、『金剛界』及び『大毘盧遮那』と義味が相通じ、これもまた至極の要妙の法です。三蔵善無畏が訳されたものは、前の二部の大教及び『蘇悉地』を兼ね、合わせて三部の大教を成しています。大興善寺の三蔵和尚が再び訳して流布されました。 時に善無畏三蔵はさらにこの『大毘盧遮那大教王』を大興善寺の沙門一行及び保寿寺の新羅国の沙門玄超に伝えました。沙門一行は教えを伝えられた後、『大毘盧遮那義釈』七巻<note>十四巻に分けられています。</note>、略訳二巻、『大毘盧遮那形像図様壇儀』一巻、『標幟壇儀法』一巻、『契印法』一巻、『造金剛頂経義決』三巻<note>上巻は現存しますが、残る二巻は欠本です。</note>を造られました。 大興唐寺の一行和尚は天文に博膽で、学問は内外に通じ、唐梵の経史に通じていないものはなく、常に玄宗皇帝と行座を共にし、国政を論じ、経典翻訳に預かり、伝法の暇がありませんでした。 次いで、沙門玄超阿闍梨はさらに『大毘盧遮那大教王』及び『蘇悉地』教を青龍寺東塔院に伝えました。

院惠果阿闍梨。阿闍梨又傳付成都府僧惟尚又云惟明汴州辨弘。新羅國僧惠日。悟真。日本國空海。當院僧義滿。義明。義證。義照。義操。義愍。法潤付法傳阿闍梨灌頂位者數百十二人或有在京傳持或有外方弘教。皆多淪沒次東塔院義操阿闍梨傳付同學僧義真。景公寺深達。淨住寺弟子海雲。崇福寺僧大遇。醴泉寺文苑已上五人皆傳教傳付次阿闍梨位。次東塔院法潤阿闍梨傳付淨法寺僧道昇。玄法寺法全。惟謹。此大毘盧遮那大教王又名大悲胎藏毘盧遮那者從如來大悲根本。發生大菩提心從菩提心成菩提行。次證大菩提及涅槃。皆從方便具足成就五智之身。即是長惡字門故經云方便為究竟。能成諸佛事。如轉輪聖王將欲受生託在聖后母腹。當知聖王不久生也。修瑜伽者發菩提心。住阿字觀觀法不生即是住毘盧遮那胎藏。如顯教大乘仁王般若云。伏忍聖胎三十人十住十行十迴向此名地前三十心。名住聖胎也。此約顯教漸悟菩薩地前修行。經一大阿僧祇劫。始名住聖胎菩薩。由名外凡夫修真言行菩薩則不如是。於一念頃具足五智身。住大毘盧遮那佛位。廓周法界為曼荼羅體纔住心名入聖胎。觀至究竟名成佛位。是名超越三僧祇劫而證菩提。上來具明眙藏教意。謹依顯密二教界略敘其由。教意深廣難窮其底。但海雲忝承佛蔭。得遇至教。親承法眼。傳於大毘盧遮那蘇悉地從上相承至今七葉。粗述宗旨。隨所見聞。略記次第諸有智者幸請指示稽首三際一切智。普賢祕密持金剛。迴茲讚演福群生。悉願同生安樂剎。

> 院の恵果阿闍梨。阿闍梨はさらに、成都府の僧・惟尚<note>また惟明ともいう</note>、汴州の辨弘、新羅国の僧・恵日、悟真、日本国の空海、当院の僧・義満、義明、義證、義照、義操、義愍、法潤<note>付法伝によれば、阿闍梨灌頂位を得た者は数百十二人</note>に伝授した。ある者は都で教えを伝え持ち、ある者は地方で教えを広めた。多くはすでに世を去っている。次に、東塔院の義操阿闍梨は、同学の僧・義真、景公寺の深達、淨住寺の弟子・海雲、崇福寺の僧・大遇、醴泉寺の文苑<note>以上の五人、皆に教えを伝授</note>に伝授し、次に阿闍梨位を伝えた。次に、東塔院の法潤阿闍梨は、淨法寺の僧・道昇、玄法寺の法全、惟謹に伝授した。 この大毘盧遮那大教王、またの名を大悲胎蔵毘盧遮那というのは、如来の大悲の根本から起こる。そこから大菩提心が生じ、菩提心から菩提行が成り、次に大菩提と涅槃を証得する。これらはすべて、方便が具足して成就した五智の身から生ずるものである。すなわち、これが長い「阿」の字門である。故に経には「方便は究竟なり」とあり、諸仏の事を成じうるのである。転輪聖王が生まれようとするとき、聖后の母胎に託生するように、修瑜伽者は菩提心を発し、阿字観に住して、観法が不生であることを観ずれば、すなわち毘盧遮那の胎蔵に住するのである。 顕教の大乗、仁王般若経には、「伏忍聖胎三十人、十住・十行・十廻向、これを地前三十分心という。これを聖胎に住すという」とある。これは顕教による漸悟の菩薩が、地前で修行し、一大阿僧祇劫を経て、初めて聖胎に住する菩薩と名づけられることを約したものである。それゆえ、外凡夫と名づけられる。しかし、真言行の菩薩の修行は、このようではない。一念のうちに五智身を具足し、大毘盧遮那仏の位に住し、法界に遍満して曼荼羅の体となる。わずかに心に住することをもって、聖胎に入るという。観が究竟に至ることを、仏位を成ずるという。これを、三僧祇劫を超越して菩提を証するという。 以上、胎蔵教の意を詳らかに述べた。謹んで顕密二教の大要に依り、その由縁を略述する。教意は深く広く、その底を窮めがたい。しかし、海雲は辱くも仏の加護を受け、この至高の教えに遇い、法眼を親しく承け、大毘盧遮那蘇悉地の法を伝承した。上より相承して今日に至るまで七葉、宗旨を粗述し、見聞に随い、次第を略記する。諸々の智者よ、幸いに指示を請う。三際一切智に稽首し、普賢秘密持金剛に回向す。この讃演の功徳をもって、群生に福を施し、すべて安楽剎に同生せんことを願う。

巨唐大和八年歲次甲寅十月上旬有八日淨住寺傳教苾芻海雲集記之

寬喜元年三月二十八日奉寫了

> 寬喜元年三月二十八日に奉って書き終えました。

金剛佛子

> 金剛の仏弟子

際辨交了

> 手際よく処理を終えた

此書異本兩三有之歟。

> この書物には、異本が二、三あるのではないでしょうか。

永仁五年十一月晦日。以上件御本書寫比校了。是則驚先師御名凌寒雪忘冷風書寫了　慈心記之。

> 永仁五年十一月三十日。以上の書物を書き写し、校正を終えました。これは、驚くべき先師の御名を敬い、寒さの厳しい雪の中、冷たい風も忘れて書き写したものです。慈心が記す。

康安元年延文六三晦改之。四月七日於東寺觀智院。以慈心上人本書寫了。但謬字多多可直之　金剛資賢寶生二十九。

同十日以寫本加校合了。此記異本有之。本朝圓仁圓載圓珍宗睿遍明等編載之本雖有之。今本不載之。恐是根歟。此記既大和八年撰集也。彼入唐學法大和以後星霜稍隔。爭可載彼名字乎。以知後人所致也。仍故所寫留此本也。

> 同じく十日に、写本をもとに校合を加え終えました。この記録には異本が存在します。我が国においては、円仁・円載・円珍・宗叡・遍明らが編纂・所持した本もありましたが、現在の本には記載されていません。おそらくこれが元になった本なのでしょう。この記録はすでに大和八年に編纂されたものです。彼らが入唐して学んだのは大和年間以降であり、時がかなり隔たっています。どうして彼らの名前を載せることができましょうか。後世の人が加えたものと知るべきです。それゆえ、もともと書き留められたこの本をそのまま残すことにしました。