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  1. 一百五十讚仏頌 (一百五十讚佛頌)
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一百五十讚仏頌 (一百五十贊佛頌)

「一百五十讚佛頌」について

唐 · 摩咥里制吒造 著 · 底本の訳者:義淨

3,134 字 · 約 10 分

摩咥里制咤は紀元二世紀の古代インド仏教詩人であり、本頌は唐代の高僧・義浄によって漢訳されました。この作品は百五十の頌をもって仏陀の功徳を讃え、仏陀の生涯、教え、そして優れた特質を網羅しており、大乗仏教における重要な礼讃文献に属します。その偈頌は極めて文学性が高く、虔信と哲学的思索を融合させており、後世の仏教讃頌文学に深遠な影響を与えました。初期大乗仏教の信仰と実践を研究する上での重要な典籍であり、漢伝仏教において崇高な地位を占めています。


一百五十讚佛頌

百五十仏讃頌

尊者摩咥里制吒造

尊者マティリチェータ作

大唐沙門義淨於那爛陀寺譯

大唐沙門義淨、那爛陀寺にて訳す

世尊最殊勝, 善斷諸惑種,
無量勝功德, 總集如來身。
唯佛可歸依, 可讚可承事,
如理思惟者, 宜應住此教。
諸惡煩惱習, 護世者已除,
福智二俱圓, 唯尊不退沒。
縱生惡見者, 於尊起嫌恨,
伺求身語業, 無能得瑕隙。
記我得人身, 聞法生歡喜,
譬如巨海內, 盲龜遇楂穴。
妄念恒隨逐, 惑業墮深坑,
故我以言詞, 歎佛實功德。
牟尼無量境, 聖德無邊際,
為求自利故, 我今讚少分。
敬禮無師智, 希有眾事性,
福慧及威光, 誰能知數量?
如來德無限, 無等無能說,
我今求福利, 假讚以名言。
我智力微淺, 佛德無崖際,
唯願大慈悲, 拯我無歸處。
怨親悉平等, 無緣起大悲,
普於眾生界, 恒作真善友。
內財尚能捨, 何況於外財,
尊無悋惜心, 求者滿其願。
以身護彼身, 以命贖他命,
全軀救一鴿, 歡喜無慳悋。
尊不畏惡道, 亦不貪善趣,
但為心澄潔, 尸羅由此成。
常離諸邪曲, 恒親質直者,
諸業本性空, 唯居第一義。
眾苦逼其身, 尊能善安慮,
正智斷諸惑, 有過悉興悲。
殉命濟他難, 生無量歡喜,
如死忽重蘇, 此喜過於彼。
怨對害其身, 一切時恒惱,
不觀其過惡, 常起大悲心。
正遍菩提種, 心恒所珍玩,
大雄難勝智, 無有能及者。
無等菩提果, 苦行是其因,
由此不顧身, 勤修諸勝品。
豪貴與貧賤, 等引以大悲,
於諸差別中, 而無高下想。
勝樂等持果, 心無有貪著,
普濟諸群生, 大悲無間斷。
尊雖遭極苦, 於樂不悕求,
妙智諸功德, 殊勝無能共。
染淨諸雜法, 簡偽取其真,
如清淨鵝王, 飲乳棄其水。
於無量億劫, 勇猛趣菩提,
於彼生生中, 喪身求妙法。
三僧祇數量, 精勤無懈惓,
持此為勝伴, 以證妙菩提。
尊無嫉姤心, 於劣除輕想,
平等無乖諍, 勝行悉圓成。
尊唯重因行, 非求果位圓,
遍修諸勝業, 眾德自成滿。
勤修出離法, 超昇眾行頂,
坐臥經行處, 無非勝福田。
拔除眾過染, 增長清淨德,
斯由積行成, 唯尊最無上。
眾福皆圓滿, 諸過悉蠲除,
如來淨法身, 塵習皆已斷。
資糧集更集, 功歸調御身,
欲求於譬類, 無能與佛等。
遍觀諸世間, 災橫多障惱,
縱有少分善, 易得為比對;
遠離諸過患, 湛然安不動,
最勝諸善根, 無能為譬喻。
如來智深遠, 無底無邊際,
世事喻佛身, 牛跡方大海。
深仁荷一切, 世間無有比,
大地持重擔, 喻此實為輕。
愚癡闇已除, 牟尼光普照,
世智非能譬, 如螢對日光。
如來三業淨, 秋月皎空池,
世潔喻佛身, 俱成塵濁性。
如上諸所引, 世中殊勝事,
佛法逈超過, 俗事可哀愍。
聖法珍寶聚, 佛最居其頂,
無上無比中, 唯佛與佛等。
如來聖智海, 隨樂歎少分,
鄙詞讚勝德, 對此實多慚。
時俗覩降魔, 一切咸歸伏,
觀彼同真性, 我謂等輕毛。
假令大戰陣, 智勇能摧伏,
聖德超世間, 降彼非為喻。
隣次降魔後, 於夜後分中,
斷諸煩惱習, 勝德皆圓滿。
聖智除眾闇, 超過千日光,
摧伏諸邪宗, 希有無能比。
三善根圓滿, 永滅貪恚癡,
種習悉已除, 清淨無能喻。
妙法尊恒讚, 不正法恒非,
於斯邪正處, 心無有憎愛。
於聖弟子眾, 及外道師徒,
於彼違順中, 佛心初無二。
於德情無著, 德者亦非貪,
善哉極無垢, 聖智恒圓潔。
諸根常湛寂, 永離迷妄心,
於諸境界中, 現量由親覩。
念慧窮真際, 非凡愚所測,
善安立語言, 證彼亡言處。
寂靜無礙光, 皎潔逾輝映,
妙色世希有, 孰不懷敬心?
若有暫初觀, 或復恒瞻覩,
妙相曾無二, 前後悉同歡。
最勝威德身, 觀者心無厭,
縱經無量劫, 欣仰似初觀。
所依之德體, 能依之德心,
性相二俱融, 能所初無異。
如斯善逝德, 總集如來躬,
離佛相好身, 餘非所安處。
我因先世福, 幸遇調御師,
仰讚功德山, 遠酬尊所記。
一切有情類, 皆因煩惱持,
唯佛能善除, 由悲久住世。
誰當先敬禮, 唯佛大悲尊,
聖德超世間, 悲願處生死。
尊居寂靜樂, 處濁為群生,
永劫久精勤, 慈心為一切。
從真還利俗, 由悲所引生,
如呪出潛龍, 興雲注甘雨。
恒居勝定位, 等觀以怨親,
兇嶮倡聒人, 投身歸聖德。
神通師子吼, 宣言三界尊,
久已厭名聞, 由悲自稱讚。
常修利他行, 曾無自利心,
慈念遍眾生, 於己偏無愛。
悲願無邊際, 逐器化群生,
隨處皆饒益, 猶如散祭食。
深心念一切, 恒不捨須臾,
利彼反遭辱, 由咎非佛作。
慈音演妙義, 誠諦非虛說,
廣略任機緣, 半滿隨時轉。
若聞尊演說, 孰不歎希奇,
縱令懷惡心, 有智咸歸信。
義詞恒善巧, 或復出麁言,
利益悉不虛, 故並成真妙。
柔軟及麁獷, 隨事化眾生,
聖智無礙心, 一味皆平等。
勝哉無垢業, 善巧喻良工,
成此微妙身, 演斯珍寶句。
覩者皆歡喜, 聞說並心開,
美顏宣妙詞, 如月流甘露。
慈雲灑法雨, 能清染欲塵,
如彼金翅王, 吞滅諸龍毒,
能殄無明闇, 喻如千日光,
摧碎我慢山, 譬猶天帝杵。
現證非虛謬, 靜慮除亂心,
如實善修行, 三事皆圓滿。
創聞佛所說, 心喜已開明,
從此善思惟, 消除諸垢染。
遭苦能安慰, 放逸令生怖,
著樂勸厭心, 隨事皆開誘。
上智證法喜, 中根勝解生,
淺劣發信心, 尊言遍饒益。
善拔諸邪見, 引之趣涅槃,
罪垢能洗除, 由尊降法雨。
一切智無礙, 恒住正念中,
如來所記莂, 一向非虛謬。
無非處非時, 亦無非器轉,
尊言不虛發, 聞者悉勤修。
一路勝方便, 無雜可修學,
初中後盡善, 餘教所皆無。
如斯一向善, 狂愚起謗心,
此教若生嫌, 無怨與斯等。
歷劫為群迷, 備經眾苦毒,
此教縱非善, 念佛尚應修。
況能大饒益, 復宣深妙義,
縱使頭被焚, 先應救此教。
自在菩提樂, 聖德恒淡然,
皆由此教生, 證彼亡言處。
世雄真實教, 邪宗聞悉驚,
魔王懷惱心, 人天生勝喜。
大地無分別, 平等普能持,
聖教利群生, 邪正俱蒙益。
暫聞佛所說, 金剛種已成,
縱未出樊籠, 終超死行處。
聞法方思義, 如實善修行,
次第三慧圓, 餘教皆無此。
唯獨牛王仙, 妙契真圓理,
斯教不勤修, 寧有怨過此?
暫聞除渴愛, 邪見信心生,
聽者發喜心, 依斯具淨戒。
誕應時咸喜, 成長世皆歡,
大化利群生, 示滅興悲感。
讚詠除眾毒, 憶念招欣慶,
尋求發慧明, 解悟心圓潔。
遇者令尊貴, 恭侍勝心生,
承事感福因, 親奉除憂苦。
尸羅具清潔, 靜慮心澄寂,
般若圓智融, 恒沙福所集。
尊容及尊教, 及尊所證法,
見聞思覺中, 此寶最殊勝。
漂流作洲渚, 害己恒為護,
怖者作歸依, 引之令解脫。
淨戒成妙器, 良田生勝果,
善友能饒益, 慧命由此成。
行恩及和忍, 見者咸欣悅,
廣集仁慈心, 功德無邊際。
身口無過惡, 愛敬由之生,
吉祥眾義利, 咸依善逝德。
導師能善誘, 墮慢使翹勤,
等持調曲心, 迷途歸正道。
善根成熟者, 駕馭以三乘,
𢤱悷不調人, 由悲故暫捨。
於遭厄能設, 安樂勸善修,
悲愍苦眾生, 利樂諸群品。
違害興慈念, 失行者生憂,
暴虐起悲心, 聖德無能讚。
恩深於罔極, 舉世所咸知,
於此返生怨, 尊恒起慈愍。
亡身救一切, 自事不生憂,
於諸崩墮人, 親能為援護。
二世行恩造, 超過諸世間,
於闇常照明, 尊為慧燈炷。
人天所受用, 隨類有差殊,
唯尊正法味, 平等無差別。
不觀於氏族, 色力及年華,
隨有善根人, 求者皆蒙遂。
廣現諸希有, 無緣起大慈,
聖眾及人天, 合掌咸親近。
嗚呼生死畏, 佛出乃光暉,
饒益諸眾生, 皆能滿其願。
惡人與共處, 推樂取憂危,
謗惱害其身, 猶如受勝德。
為物行勤苦, 曾無染著心,
世尊希有德, 難以名言說。
尊遊嶮惡道, 馬麥及牛鏘,
苦行經六年, 安受心無退。
尊居最勝位, 悲愍化群生,
縱遇輕賤人, 身語逾謙敬,
或位尊貴主, 曾無憍慢心,
屈己事眾生, 卑恭如僕使。
機情億萬種, 論難百千端,
如來慈善音, 一答疑皆斷。
恩深過覆載, 背德起深怨,
尊觀怨極境, 猶如極重恩。
怨於尊轉害, 尊於怨轉親,
彼恒求佛過, 佛以彼為恩。
邪宗妬心請, 毒飯與火坑,
悲願化清池, 變毒成甘露。
以忍調恚怒, 真言銷謗毀,
慈力伏魔怨, 正智降邪毒。
群迷從曠劫, 習惡以性成,
唯尊妙行圓, 一念翻令善。
溫柔降暴虐, 惠施破慳貪,
善語伏麁言, 唯尊勝方便。
難提摧巨慢, 鴦掘起慈心,
難調能善調, 誰不讚希有?
唯尊聖弟子, 法味自怡神,
草座以為安, 金床非所貴。
善知根欲性, 攝化任機緣,
或有待其請, 或無問自說。
初陳施戒等, 漸次淨心生,
後談真實法, 究竟令圓證。
怖畏漂流處, 唯佛可歸依,
勇猛大悲尊, 拯濟諸群品。
身雲遍法界, 法雨灑塵方,
應現各不同, 隨機故有異。
善淨無違諍, 唯尊可承奉,
廣利諸人天, 咸應興供養。
身口無起作, 善化遍群方,
所說妙相應, 此德唯尊有。
久修三業淨, 妙瑞現無邊,
普觀諸世間, 曾無此勝德。
況於極惡者, 純行最上悲,
廣利諸眾生, 勇猛勤精進。
聲聞知法者, 於尊恒奉事,
設使證涅槃, 終名為負債。
彼等諸聖眾, 為己而修學,
由捨利生心, 不名還債者。
無明睡已覺, 悲觀遍群方,
荷負起翹勤, 聖善宜親近。
魔怨興惱害, 佛力已能除,
無畏功德中, 斯但顯少分。
悲心化一切, 聖意絕希求,
利樂無不施, 能事斯皆畢。
如來勝妙法, 若或可遷移,
調達與善星, 不應投此教。
無始流轉中, 互為不饒益,
由斯佛出世, 開示化眾生。
鹿苑度俱隣, 堅林化須跋,
此土根緣盡, 更無餘債牽。
法輪久已轉, 覺悟諸群迷,
恒沙受學人, 皆能利三有。
以勝金剛定, 自碎堅牢身,
不捨於大悲, 自化猶分布。
二利行已滿, 色法兩身圓,
救攝一闡提, 雙林顯佛性。
悲心貫三有, 色像應群方,
粟粒以分身, 爾乃居圓寂。
善哉奇特行, 希有功德身,
大覺諸法門, 世所未曾有。
流恩遍含識, 身語恒寂然,
凡愚背聖恩, 於尊興謗怒。
法聚寶藏真無際, 德源福海實難量,
若有眾生曾禮尊, 禮彼亦名為善禮。
聖德神功無有盡, 我今智劣喻微塵,
欲讚如來功德山, 望崖怯退由斯止。
無量無數無邊境, 難思難見難證理,
唯佛聖智獨了知, 豈是凡愚所能讚。
一毫一相充法界, 一行一德遍心源,
清淨廣大喻芳池, 能療眾生煩惱渴。
我讚牟尼功德海, 憑斯善業趣菩提,
普願含生發勝心, 永離凡愚虛妄識。

世尊は最も勝れ、あらゆる煩悩の種を善く断ち切り、 無量の勝れた功徳を、如来の身に総集しています。

ただ仏にのみ帰依し、讃え奉り、お仕えすることができ、 道理にかなって思惟する者は、この教えに住するのがよいでしょう。

あらゆる悪しき煩悩の習気を、世の守護者はすでに除かれ、 福と智の二つともに円満で、ただ尊のみ退転することがありません。

たとえ悪しき見解を抱く者が、尊に対して嫌悪や恨みを起こし、 身と語の業を探し求めても、欠点を見出すことはできません。

私は人身を得たことを喜び、法を聞いて歓喜が生じます。 まるで広大な海の中で、盲目の亀が浮木の穴に出会うかのようです。

妄念は常に付き従い、煩悩の業は深い穴に堕ちます。 それゆえ私は言葉をもって、仏の真実の功徳を讃えるのです。

牟尼の無量の境地、聖なる徳は際限なく、 自らの利益を求めるゆえに、私は今少しばかりを讃えます。

師なくして得た智慧に敬礼し、稀有な衆事の本性に、 福徳と智慧と威光とは、誰がその量を知ることができましょう。

如来の徳は限りなく、等しいものなく、言葉で言い表せません。 私は今、福と利益を求め、仮の言葉をもって讃えるのです。

私の知力は微かで浅く、仏の徳は涯もなく、 どうか大いなる慈悲をもって、帰る処なき私をお救いください。

怨みも親しみもすべて平等に、無縁の大悲を起こし、 あまねく衆生の世界に、常に真実の善き友となられます。

内なる財(身体)さえも惜しみなく捨てられるのに、まして外なる財はなおさらです。 尊には惜しむ心がなく、求める者にはその願いを満たされます。

自らの身をもって彼の身を守り、自らの命をもって他者の命を贖い、 全身をもって一羽の鳩を救い、喜んで惜しむことがありません。

尊は悪道を恐れず、また善趣に貪りもせず、 ただ心を澄みきらせるため、戒律はこれによって成り立ちます。

常にあらゆる邪曲を離れ、常に質直な者に親しみ、 諸業の本性は空であり、ただ第一義に住されます。

衆苦がその身を迫っても、尊は善く安らかに慮り、 正しい智慧であらゆる煩悩を断ち、過ちある者にはすべて悲しみを起こされます。

命を捨てて他者の難を救い、無量の歓喜が生じます。 死から突然によみがえるような、この喜びはそれを超えています。

怨みを持つ者がその身を害し、常に悩ませても、 その過ちや悪を見ることなく、常に大悲心を起こされます。

正しく遍く菩提の種を、心は常に大切にし、 大雄の難勝の智慧は、及ぶ者があろうはずがありません。

等しいものなき菩提の果実は、苦行がその因であり、 これによって身を顧みず、あらゆる勝れた品を勤め修められます。

豪族も貧しい者も、平等に大悲をもって導き、 あらゆる差別の中にあって、高下の想いがありません。

勝れた楽の等持の果を、心に貪り執着せず、 あまねく諸々の群生を救い、大悲は間断なく続きます。

尊は極めて苦しい目に遭っても、楽を希求せず、 妙なる智慧と諸々の功徳は、勝れて他に並ぶものはありません。

染めも浄めも混ざった諸法から、偽りを簡び真実を取ります。 清らかな鵞鳥の王のように、乳を飲んで水を棄てるかのように。

無量億劫の間、勇猛に菩提に向かい、 その生々の中で、身を喪っても妙なる法を求めます。

三阿僧祇の数、精勤して倦むことがなく、 これを勝れた伴いとして持ち、妙なる菩提を証得されます。

尊には嫉妬の心がなく、劣った者への軽蔑の想いを除き、 平等で争いがなく、勝れた行いはすべて円満に成就されます。

尊はただ因の行いを重んじ、果位の円満を求めるのではなく、 あまねく諸々の勝れた業を修め、衆徳は自ずから満ちます。

出離の法を勤め修め、衆行の頂点を超え昇り、 坐り臥し経行する所は、すべて勝れた福田です。

衆過の染めを抜き除き、清浄の徳を増長させ、 これは積み重ねた行いによって成り、ただ尊のみが最も無上です。

衆福はすべて円満で、諸過はすべて除かれ、 如来の清浄なる法身は、塵の習気もすでに断たれています。

資糧を集めさらに集め、功は調御師の身に帰し、 譬えを求めようとしても、仏に等しいものはありません。

あまねく諸々の世間を見渡せば、災いや横難が多く障り悩ませ、 たとえ少しばかりの善があっても、容易に比べることができます。 あらゆる過患を遠く離れ、湛然として安らかで動かず、 最も勝れた諸々の善根は、譬えることができません。

如来の智慧は深遠で、底もなく際限もなく、 世の事で仏の身を譬えれば、牛の足跡と大海ほどの違いです。

深い仁はすべてを担い、世間に比べるものはなく、 大地が重い荷を支えることさえ、これを譬えれば実に軽いものです。

愚癡の闇はすでに除かれ、牟尼の光はあまねく照らし、 世の智慧では譬えることができず、蛍の光が日光に向かうようなものです。

如来の三業は清浄で、秋の月が澄んだ空の池に輝くようであり、 世の清らかさで仏の身を譬えても、ともに塵の濁った本性となります。

上に引いた諸々のことは、世の中の勝れた事柄ですが、 仏法ははるかにこれを超え、俗事は哀れむべきものです。

聖なる法の珍宝の集まり、仏は最もその頂点にあり、 無上で比べるものなき中で、ただ仏と仏のみが等しいのです。

如来の聖なる智慧の海を、楽しみに従って少しばかり讃え、 粗末な言葉で勝れた徳を讃えるのは、これに対して実に恥ずかしいことです。

世の人は降魔を見て、すべて帰伏しますが、 彼らが同じ真実の本性であると観じても、私は毛ほどの軽さに等しいと思います。

たとえ大戦陣であっても、知恵と勇気で打ち破ることができても、 聖なる徳は世間を超え、それを降伏させることは譬えになりません。

降魔のすぐ後に、夜の後分の中にあって、 あらゆる煩悩の習気を断ち、勝れた徳はすべて円満になりました。

聖なる智慧は衆闇を除き、千の日光を超え、 諸々の邪宗を打ち破り、稀有で比べるものはありません。

三つの善根は円満で、貪り・瞋り・癡は永遠に滅び、 種と習気はすでに除かれ、清浄で譬えることができません。

妙なる法を尊は常に讃え、正しくない法を常に非とし、 この邪正のところで、心に憎しみや愛着がありません。

聖なる弟子の衆にも、外道の師徒にも、 彼らの違うことと従うことの中で、仏の心は初めから二つではありません。

徳に対して情に執着せず、徳ある者も貪りません。 善きかな、極めて垢なく、聖なる智慧は常に円満で清らかです。

諸根は常に湛然として寂しく、永遠に迷いと妄りの心を離れ、 諸々の境界の中で、現量によって親しく見られます。

念と慧は真実の際限を窮め、凡愚の測るところではありません。 善く言葉を安立し、言葉を亡くしたところを証得されます。

寂静で妨げのない光は、皎潔で輝きを超え、 妙なる色は世に稀有で、誰が敬いの心を抱かないでしょう。

もし仮に初めて見たとしても、あるいは常に見つめても、 妙なる相はかつて二つなく、前後とも同じく歓喜します。

最も勝れた威徳の身は、見る者の心に飽きることがなく、 たとえ無量劫を経ても、初めて見たときのように欣び仰ぎます。

依り所となる徳の体と、それに依る徳の心とは、 性と相の二つがともに融け合い、能と所は初めから異なりません。

このような善逝の徳を、如来の身に総集し、 仏の相好の身を離れて、他に安住する所はありません。

私は前世の福によって、幸いにも調御師に出会い、 功徳の山を仰ぎ讃え、尊のお記しに遠く報います。

一切の有情の類は、皆煩悩によって支えられていますが、 ただ仏のみが善く除くことができ、悲しみによって久しく世に住されます。

誰が先に敬礼すべきか、ただ仏の大悲の尊に、 聖なる徳は世間を超え、悲願によって生死に住されます。

尊は寂静の楽に住しながら、濁った世で群生のために、 永遠の劫に久しく精勤し、慈しみの心を一切のために起こされます。

真実から還って俗を利し、悲しみによって引き起こされ、 呪文によって潜む龍が出るように、雲を起こして甘い雨を注ぎます。

常に勝れた定の位に住し、怨みも親しみも平等に観じ、 凶悪で騒がしい人も、身を投げて聖なる徳に帰します。

神通の師子吼で、三界の尊と宣言し、 久しく名声に飽きていながら、悲しみによって自らを称賛されます。

常に他を利する行いを修め、かつて自利の心がなく、 慈しみの念は衆生に遍く、自分に対しては偏って愛着がありません。

悲願は際限なく、器に従って群生を化導し、 至るところで皆を益し、まるで祭りの食を撒くかのようです。

深く心に一切を念じ、常に一瞬も捨てず、 彼らを利そうとしてかえって辱められても、それは仏の過ちではありません。

慈しみの音で妙なる義を演じ、誠実で虚言ではなく、 広く略すのは機縁に任せ、半ば満たすのは時に従って転じます。

もし尊の演説を聞けば、誰が稀有と嘆かないでしょう。 たとえ悪しき心を抱いていても、知恵ある者は皆帰依します。

義と詞は常に善巧で、あるいは粗い言葉も出しますが、 利益はすべて虚しくなく、それゆえともに真実で妙となります。

柔軟と粗獷とを、事に従って衆生を化導し、 聖なる智慧の妨げのない心は、一味で皆平等です。

勝れたかな、垢のない業は、善巧で良工に譬えられ、 この微妙な身を成し、この珍宝の句を演じます。

見る者は皆歓喜し、説くことを聞けば心が開け、 美しい顔で妙なる詞を宣べ、月が甘露を流すかのようです。

慈しみの雲が法の雨を降らせ、染欲の塵を清めることができ、 金翅鳥の王のように、諸々の龍の毒を呑み滅ぼし、 無明の闇を消し去ることができ、千の日光に譬えられ、 我慢の山を打ち砕き、天帝の杵に譬えられます。

現証は虚偽でなく、静慮は乱れた心を除き、 真実のままに善く修行すれば、三つの事柄はすべて円満になります。

初めて仏の説かれたことを聞き、心は喜びですでに明らかになり、 ここから善く思惟すれば、諸々の垢の染めを消除します。

苦難に遭えば慰め、放逸には怖れを生じさせ、 楽に執着すれば厭う心を勧め、事に従って皆を導きます。

上根の智は法喜を証し、中根は勝解が生じ、 浅く劣った者は信心を起こし、尊の言葉はあまねく益します。

諸々の邪見を善く抜き取り、涅槃へと導き、 罪の垢を洗い除くことができ、尊が法の雨を降らせるゆえです。

一切智は妨げなく、常に正念の中に住し、 如来の記別は、一貫して虚偽ではありません。

時でないこともなく、器でないこともなく、 尊の言葉は虚しく発せず、聞く者は皆勤め修めます。

一つの道の勝れた方便は、雑じり気なく修学でき、 初めも中も後もすべて善く、他の教えには皆ありません。

このように一貫して善いのに、狂った愚か者は誹謗の心を起こし、 この教えを嫌うならば、怨みなき者とこれに等しいことはありません。

劫を経て群迷のために、衆苦の毒を備え経て、 この教えがたとえ善くなくても、仏を念じるならばなお修めるべきです。

まして大いに益し、深く妙なる義を宣べるならば、 たとえ頭が焼かれようとも、まずこの教えを救うべきです。

自在の菩提の楽は、聖なる徳は常に淡泊で、 皆この教えによって生じ、言葉を亡くしたところを証得します。

世雄の真実の教えは、邪宗が聞けば皆驚き、 魔王は悩みの心を抱き、人天は勝れた喜びを生じます。

大地は分別なく、平等にあまねく支えることができ、 聖なる教えは群生を利し、邪も正もともに益を受けます。

仮に仏の説かれたことを聞けば、金剛の種はすでに成り、 たとえ籠から出ていなくても、ついに死の行くところを超えます。

法を聞いて初めて義を思惟し、真実のままに善く修行すれば、 次第に三つの慧が円満になり、他の教えにはこれがありません。

ただ牛王の仙のみが、妙に真実の円満の理に契い、 この教えを勤め修めなければ、どうしてこれ以上の怨みがあろうか。

仮に聞いても渇愛を除き、邪見から信心が生じ、 聞く者は喜びの心を起こし、これによって清浄な戒を具えます。

誕生の時は皆喜び、成長すれば世は皆歓喜し、 大いなる化導は群生を利し、示滅には悲しみの感が起こります。

讃詠は衆毒を除き、憶念は歓慶を招き、 尋求は慧明を発し、解悟は心を円満で清らかにします。

出会う者は尊貴にさせ、恭しく仕えると勝れた心が生じ、 承事すれば福の因を感じ、親しく奉れば憂い苦しみを除きます。

戒は清浄で潔く具わり、静慮は心が澄み寂しく、 般若は円満な智が融け合い、恒河の砂ほどの福が集まります。

尊の容姿と尊の教え、そして尊の証された法は、 見聞き思惟覚える中で、この宝が最も勝れています。

漂流する者には洲となり、自らを害する者には常に護りとなり、 怖れる者には帰依となり、導いて解脱させます。

清浄な戒は妙なる器を成し、良き田は勝れた果を生じ、 善き友は益することができ、慧命はこれによって成ります。

恩を行い和と忍を及ぼせば、見る者は皆欣悦し、 広く慈しみの心を集めれば、功徳は際限なく広がります。

身と口に過ち悪がなく、愛敬はこれによって生じ、 吉祥の衆義利は、皆善逝の徳に依ります。

導師は善く誘い、慢心に堕ちた者には勤めを起こさせ、 等持は曲がった心を調え、迷いの途から正道に帰します。

善根が成熟した者には、三乗をもって駕馭し、 頑なで調えられない人には、悲しみゆえに仮に捨てます。

厄難に遭えば安楽を設け、善を修めるよう勧め、 苦しむ衆生を悲しみ、諸々の群品を利楽します。

害を加える者には慈しみの念を起こし、行いを失う者には憂いを生じさせ、 暴虐には悲しみの心を起こし、聖なる徳は讃えることができません。

恩は極まりなく深く、挙世に知られていますが、 これに対してかえって怨みを生じても、尊は常に慈しみの念を起こされます。

身を亡くして一切を救い、自らの事には憂いを生じず、 諸々の崩れ堕ちる人には、親しく援護することができます。

二世に恩を行い造り、諸々の世間を超え、 闇の中に常に照明し、尊は慧の灯の柱です。

人天の受用するものは、類に従って差別がありますが、 ただ尊の正法の味は、平等で差別がありません。

氏族や色力や年華を見ず、善根ある人に従い、 求める者は皆その願いを遂げられます。

広く諸々の稀有を現じ、無縁の大慈を起こし、 聖衆も人天も、合掌して皆親しく近づきます。

嗚呼、生死の畏れは、仏が出て初めて光り輝き、 諸々の衆生

一百五十讚佛頌

百五十仏讃頌


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