No. 606-D
No. 606-D
玅法蓮華經弘傳序
妙法蓮華経 弘伝の序
終南山 釋 道宣 述
終南山 釋 道宣 述
△科文分三初翻譯元由五初標經意。
科文は三つに分かれる。初めに、翻訳の由来を示す。五つの初めに、経の意を標す。
玅法蓮華經者統諸佛降靈之本致也。
妙法蓮華経は、諸仏がこの世に現れ、衆生を導く根本の教えを統べるものである。
統該攝十方三世諸佛垂迹出現于世之意願也。
十方三世の諸仏がこの世に姿を現し、衆生を救おうとする願いのすべてをまとめ、含んでいるのです。
△二傳年數。
「二、伝年の数え方」
蘊結大廈。
この宮殿は、大切な人々の願いや思いが積み重なって建てられた、大きな建物です。
蘊結積集也大廈夏也西國美號。
出彼千齡。
その千年を超えて
佛生周昭王之代教來後漢明之朝則千年也。
仏は周の昭王の時代に生まれ、教えは後漢の明帝の朝廷に伝わりました。それから千年の歳月が流れました。
東傳震旦三百餘載。
東へ伝わり、震旦(中国)に渡ってから三百年余りが経過した。
或云真丹或作震旦。
あるいは「真丹」といい、また「震旦」とも表記される。
△三諸譯名。
三つの諸訳の名称。
西晉慧帝永康年中長安青門燉煌菩薩竺法護者初翻此經名正法華。
西晋の恵帝の永康年間、長安の青門に住んでいた燉煌出身の菩薩、竺法護という方が、この経典を初めて翻訳し、その名を『正法華』としました。
初翻有十卷題名無玅蓮。
初訳には十巻あり、題名は『無玅蓮』という。
東晉安帝隆安年中後秦弘始丘慈沙門鳩摩羅什次翻此經名玅法蓮華。
東晋の安帝の隆安年間、後秦の弘始の時代に、丘慈出身の沙門である鳩摩羅什が、この経典を翻訳し、「妙法蓮華経」と名付けました。
次在西晉之後翻加仍玅蓮什法師事迹見經首釋。
西晋の後に翻訳が加えられ、さらに妙法蓮華の什法師(鳩摩羅什)の事跡は、経典の冒頭の解説に記されている。
隨氏仁壽大興善寺北天竺沙門闍那笈多後所翻者同名玅法。
随氏の仁寿年間に、大興善寺の北インド出身の僧侶・闍那笈多が後になって翻訳したものも、同じく『妙法』という名前です。
闍那具云闍那崛多笈多具云達磨笈多二師同譯添品法華。
闍那の正式名称は闍那崛多、笈多の正式名称は達磨笈多。この二人の師が共に翻訳し、『法華経』の補足版(添品法華)を新たに加えた。
△四判文所尚。
四つの判断の根拠となる文が重要である。
三經重沓文旨互陳時所宗尚皆弘秦本。
三つの経典が重なり合い、内容の趣旨も互いに述べられている。当時、尊重され重視されたものは、いずれも秦の時代の版本によって広められたのである。
△五支品別偈。
五支分別の偈
自餘支品別偈。
その他の支分や別偈については、ここでは述べないこととする。
支品如添品添藥艸喻品也別偈者如普門品羅什譯無偈笈多後加。
添品には薬草喩品などの品が追加されています。また別の偈については、普門品では鳩摩羅什の訳には偈がありませんでしたが、笈多が後に加えたものです。
不無其流具如序歷故所非述。
その流れがないわけではなく、その詳しい次第は序に記されているとおりである。したがって、ここでは改めて述べることはしない。
△二感應所以二初通明機應二初機應相由。
二に感応の所以を明かす。初めに通じて機と応とを明かす。初めに機と応とが相由ることを明かす。
夫以靈嶽降靈非大聖無由開化適化所及非昔緣無以導心。
まさに、霊山に霊が降りてくるといえども、大聖人でなければ教えを開くことはできない。また、その教えが及ぶところ、昔からの縁がなければ心を導くことはできないのである。
靈嶽降靈者借用詩維嶽降靈生申及甫靈鷲垂迹適機開化自非宿昔大通之緣無由開導其心此言機稱於應。
霊山に霊が降りたもうというのは、詩経の「嶽に霊降りて申と甫とを生めり」という言葉を借りたものです。霊鷲山にその迹を垂れて、機に適いて開化したもう。もし過去世における大通の縁がなければ、その心を開き導く由もない。これは、衆生の機根が仏の応化に相応することを言うのです。
△二初後示義。
二つ目の初後(初めと終わり)の意味を示す。
所以仙苑告成機分小大之別。
ここに、仙人の苑がその教えを成就し、その機縁には小と大との区別がある。
華嚴大機鹿苑小機此二句言應必被機。
華厳の大機と鹿苑の小機、この二つの句は、教えが必ず機根に応じて説かれることを示している。
金河顧命道殊半滿之科。
金河の最後の教えにおいて、その道は半満の科(教えの区分)とは異なっている。
金河義詳名義諸水篇顧命出書顧命涅槃追說四教藏為半字教通別圓為滿字教此二句言機必稟教。
金河義詳名義諸水篇という資料によれば、『書経』の「顧命」に由来し、涅槃経では、四教(蔵・通・別・円)を追って説かれている。蔵教は半字教とされ、通教・別教・円教は満字教とされる。この二つの言葉は、教化を受ける機根(人々の素質・能力)が必ず教えを身に受けることを示している。
豈非教被乘時無足覈其高會。
これは、教えが時代や人々の機根に応じて説かれるものであり、その高邁な集いをことさらに論じる必要はないのではないだろうか。
△二別示今經三初揀眾得記。
二、別に今の経を示す。三つに分かち、初めに大衆を選び、成仏の記別を得ることを示す。
是知五千退席為進增慢之儔五百授記俱崇密化之迹。
これにより、五千人の退席は、慢心を増す者たちのための手段であり、五百人の授記は、ともに密かに教化する跡を尊ぶものであることが知られる。
五千退席佛云退亦佳矣雖曰斥他意在䇿進在座上慢不生退席之心也五百授記崇其密示輔佛行化之迹也。
五千人が退席した。仏は「退くのもまた良い」と言われた。これは他を責めているのではなく、その意図は向上を促すことにある。座にとどまる者には慢心が生じず、退席する者にも退く心がそれである。五百人に授記したのは、その密かな示しを尊び、仏の教化の働きを助ける跡を明らかにしたのである。
△二明序判正。
第二に、序分と正宗分を明らかにする。
所以放光現瑞開發請之教源。
そこで、光を放ち瑞相を現して、教えの源を開き請うたのです。
彌勒疑念文殊決答引昔證今開其教源。
弥勒が疑問を抱き、文殊がそれに答える。過去の教えを引き、今に照らして、その教えの源を明らかにする。
出定揚德暢佛慧之宏略。
ここに、仏の智慧の宏大な教えを弘めんと、師が定より出でて徳を揚ぐ。
從三昧起廣略開顯權實之法。
三昧より起(た)ちて、広く略して権実の法を開き顕(あらわ)す。
朽宅通入大之文軌化城引昔緣之不墜繫珠明理性之常在鑿井顯示悟之多方辭義宛然諭陳唯遠。
朽ちた家に通じる大きな教えの道筋、化城は昔の縁を引き、それは衰えることがない。珠を繋ぎとめて、理性が常に在ることを明らかにし、井戸を掘ることは悟りへの多様な道を示す。言葉と意味は明らかにそこにあり、その教えは遠くまで及んでいる。
舉經中四諭也。
経典の中で説かれる四つの譬えを挙げましょう。
△三總結歎。
それでは、ここまでの教えをまとめて称えます。
自非大哀曠濟拔滯溺之沈流。
大いなる慈悲をもって、とどまり沈む者を救い上げずにはおかない。
視勞生皆為己子也。
すべての生きとし生けるものは、わが子の如く慈しむべき存在である。
一極悲心拯昏迷之失性。
一際の大悲心で、迷い昏い者の本性を失ったことを救い給う。
觀法界性以為機也。
法界の本性を観じて、それをもって機(教化の対象)とするのである。
△三時代流通三初判時盛弘。
三つの時代にわたって経典が広く伝えられることを示す。最初に、教えが最も盛んに弘められた時代について明らかにする。
自漢至唐六百餘載總歷羣籍四千餘軸受持盛者無出此經。
漢の時代から唐の時代まで、およそ六百年余りの間、多くの経典、四千巻余りが伝えられてきましたが、その中で最も広く信仰され、受持されてきたものは、この経典に勝るものはありません。
△二明機比益。
ここでは、仏の教えを聞く人々の素質(機根)と、それに応じて得られる利益(利益)について明らかにします。
將非機教相扣竝智勝之遺塵。
智者の遺した教えの残り香に、機根が合致しない者を加え合わせること。
皆大通佛所結緣之眾也。
皆、大通仏と縁を結んだ人々である。
聞而深敬俱威王之餘勣。
並びにその深き敬いを聞き、威王の残余の功績を共にす。
深敬不怖由威王佛所聞常不輕所化也。
深く敬い、恐れることなく、威王仏の教えを聞き、常に軽んじることなく他者を教化した。
△三指文用序三初標起。
三本の指の文を用いる序。三つに分けて、初めにその起こりを示す。
輙於經首序而綜之。
また、経典の冒頭に序文を置き、全体をまとめて解説しています。
△二弘願。
二に、弘願について説く。
庶得早淨六根仰慈尊之嘉會速成四德趣樂土之玄猷。
願わくは、早く六根を清め、慈尊の尊き御会に遇い、速やかに四徳を成就し、楽土の玄妙なる道に趣かんことを。
△三謙贈。
三つの謙譲の贈り物。
弘贊莫窮永貽諸後云爾。No. 606
この教えの広がりは限りなく、永遠に後世に伝えられるべきである。ここに記す。
玅法蓮華經卷第一
妙法蓮華経 巻第一
四明 信人習善 徐行善(依科入註)
四明 信じる人は善を習い、ゆっくりと善を行う(科(分類)に従って註釈を入れる)
四明海慧教門住持 必昇 校證
四明海慧教門住持 必昇 校證