事師法五十頌(馬鳴菩薩集)
西天譯經三藏朝散大夫試鴻臚少卿宣梵大師賜紫沙門臣日稱等奉 詔譯
依諸經律祕密教, 略出承事師儀軌,
聞已愛樂發淨心, 當獲如來金剛智。
若於灌頂師, 三時伸禮奉,
則為已供養, 十方諸如來。
起最上恭敬, 合掌以持花,
散彼曼挐羅, 頭面接足禮。
彼師或在家, 及新受具戒,
置經像於前, 則息諸疑謗。
若出家弟子, 常淨心承事,
已坐當起迎, 唯除於致禮。
彼師及弟子, 當互審其器,
若不先觀察, 同得越法罪。
若忿恚無慈, 貪愛多散亂,
慠易恃種族, 以惠當揀擇。
具戒忍悲智, 尊重無諂曲,
了祕密儀範, 博閑諸論議,
善達真言相, 曼挐羅事業,
契證十真如, 諸根悉清淨。
若彼求法者, 於師生輕毀,
則謗諸如來, 常得諸苦惱。
由增上愚癡, 而獲於現報,
為惡曜執持, 重病相纏縛,
王法所逼切, 及毒蛇傷螫,
冤賊水火難, 非人得其便,
彼頻那夜迦, 常作諸障礙,
從此而命終, 即墮於惡趣。
勿令阿闍黎, 少分生煩惱,
無智相違背, 定入阿鼻獄,
受種種極苦, 說之深可怖。
由謗阿闍黎, 於中常止住,
彼阿闍黎者, 弘持正法藏,
是故當一心, 輒莫生輕毀。
常於阿闍黎, 承事而供養,
發生尊重心, 則蠲除障惱。
又復於師所, 樂行於喜捨,
不恡於己身, 何況於財物。
於無量億劫, 勇猛勤修習,
今始證菩提, 斯極為希有。
善護其深誓, 供養諸如來,
恭敬阿闍黎, 等同一切佛。
若於己所有, 最上諸珍玩,
求無盡菩提, 誠心而奉獻。
施佛阿闍黎, 念念常增長,
是最勝福田, 速得菩提果。
如是求法者, 具戒忍功德,
不虛誑於師, 當獲金剛智。
若足踏師影, 獲罪如破塔,
於床坐資具, 騎驀罪過是。
若師所教誨, 歡喜當聽受,
自己或不能, 則善言啟白。
由依止師故, 所作皆成就,
現樂及生天, 何敢違其命!
守護師財物, 猶若己身命,
於彼執侍人, 如親常敬奉。
不應於師前, 覆頂及乘御,
翹足手扠腰, 安然而坐臥。
或事緣令坐, 勿舒於雙足,
常具諸威儀, 師起速當起。
若於經行處, 不應隨舉步,
端謹立於傍, 無棄於涕涶。
亦勿於師前, 私竊而言說,
及隣近語笑, 謌舞作唱等。
或令坐或起, 各安徐禮敬,
若於險路中, 白已作前導。
又不應於前, 身現疲勞相,
屈指節作聲, 倚柱及牆壁。
或浣衣濯足, 及澡浴等事,
先白師令知, 所作無令見。
又復於師名, 不應輒稱舉,
設有固問者, 當示之一字。
師或令幹集, 當伺其遣使,
於彼所作事, 憶持常不忘。
或笑嗽伸㰦, 則以手遮口,
若有事啟聞, 當曲躬軟語。
若在家女人, 淨心來聽法,
合掌具威儀, 專視於師面。
聞已當奉持, 捨離於憍慢,
常如初適嫁, 低顏其慚𧹞。
於彼嚴身具, 無復生愛樂,
與善非相應, 皆思惟遠離。
常慕於師德, 不應窺小過,
隨順獲成就, 求過當自損。
說法度弟子, 曼拏羅護摩,
城邑同師居, 無旨不應作。
或說法所得, 淨施諸財物,
悉以奉其師, 隨得而可用。
同學及法裔, 不應為弟子,
亦不於師前, 受承事禮敬。
若以物上師, 二手持奉獻,
師或有所施, 當恭敬頂受。
自專修正行, 常憶持不忘,
他或非律儀, 愛語相教示。
若師所教勅, 或病緣不作,
當作禮咨陳, 斯則無其咎。
常令師歡喜, 離諸煩惱事,
當勤而行之, 恐繁故不述。
彼金剛如來, 親如是宣說,
及餘教所明, 依師獲成就。
若弟子清淨, 能歸依三寶,
設使命將終, 亦為宣法要,
及授祕密教, 令作正法器;
若現相誦持, 當獲根本罪。
若能隨順師行學, 則成一切諸功德,
以我所集斯善因, 願與眾生速成佛。
諸々の経典や律の密かな教えに基づいて、師に仕えるための儀則を簡潔に説きます。これを聞いて喜び、清らかな心を起こすならば、やがて如来の金剛の智慧を得ることができます。
灌頂を受けた師に対しては、一日を三つの時間に分けて礼を尽くして仕えれば、それはすでに十方の諸如来を供養したことになります。
この上ない恭敬の心を起こし、合掌して花を手に持ち、その曼荼羅に散らし、頭を地につけて足に礼拝します。
その師が在家の方であっても、あるいは受具戒を得たばかりの方であっても、経典や仏像を前に安置し、そうすれば様々な疑いや誹謗は静まります。
出家した弟子であれば、常に清らかな心で仕えます。すでに座っていても師が来られたら立ち上がって迎えます。ただし、礼をするときは別です。
その師と弟子とは、互いにその器量を見極めるべきです。もしあらかじめ観察しなければ、どちらも法を越えた罪を得ることになります。
もし怒りや恨みを抱き、慈しみがなく、貪りや愛着が多く心が散乱し、傲慢で家柄を頼みとするならば、智慧によって見極めて選び取るべきです。
戒を守り、堪え忍び、慈悲と智慧を備え、人を敬い、へつらう心がなく、密かな儀則をよく理解し、多くの論議に通じ、真言の意味をよく悟り、曼荼羅の作法に通じ、十の真如を証し、諸々の感覚器官がすべて清らかである方です。
もし法を求める者が、師に対して軽んじたり誹ったりするならば、それは諸如来を誹ることになり、常に様々な苦悩を受けることになります。
増上慢の愚かさによって、現世でその報いを受けます。悪い星に取りつかれ、重い病に縛られ、王の法に責められ、毒蛇に刺され、怨敵や盗賊、水や火の災難に遭い、人ならざる者に付け入る隙を与え、あの頻那夜迦が常に様々な障碍をなします。こうして命が終われば、ただちに悪趣に堕ちます。
阿闍黎に少しでも煩悩を起こさせてはいけません。無知のまま背いてしまえば、必ず阿鼻地獄に堕ち、様々な極苦を受けます。これを説けばまことに恐ろしい限りです。
阿闍黎を誹ることで、その中に常にとどまることになります。その阿闍黎は正法の蔵を広く保つ方です。ですから一心に、決して軽んじたり誹ったりしてはいけません。
常に阿闍黎に仕えて供養し、尊重の心を起こせば、障碍や悩みを除くことができます。
また師のもとにおいて、喜んで施しを行い、自分の身さえ惜しみません。まして財物においてはなおさらです。
無量億劫の間、勇猛に修行を重ね、今ようやく菩提を証することができました。これはまことに希有なことです。
その深い誓いをよく守り、諸如来を供養し、阿闍黎を恭敬することは、一切の仏に等しいのです。
もし自分の所有する最上の宝物を、尽きることのない菩提のために、誠心をもって捧げるならば、
仏や阿闍黎に施すことは、念々に常に増え、これが最も勝れた福田となり、速やかに菩提の果を得ます。
このように法を求める者は、戒と堪え忍びの功德を備え、師を偽らず、やがて金剛の智慧を得ることができます。
もし師の影を踏めば、塔を壊したほどの罪を得ます。まして寝台や座具を越えまたぐ罪はそれ以上です。
師の教えに対しては、喜んで聞き受け入れます。自分にできないことであれば、丁寧に言葉にして申し上げます。
師に依り止まるがゆえに、なすことは皆成就し、現世の楽しみと天に生まれることが得られます。どうしてその命に背くことがありましょうか。
師の財物を守ることは、わが身の命を守るようにします。師を支える人に対しては、親のように常に敬い仕えます。
師の前で頭を覆ったり、車に乗ったりしてはいけません。足を組んだり、手を腰に当てたり、のんびり座ったり寝たりしてはいけません。
用事があって座ることを許されたときも、両足を伸ばしてはいけません。常に威儀を備え、師が立たれたら速やかに立ちます。
経行する場所では、後に従って歩いてはいけません。端然と脇に立ち、唾を捨ててはいけません。
また師の前で、こっそり私語をしたり、近くで話し笑ったり、歌や舞を演じたりしてはいけません。
座ることを命じられても立つことを命じられても、それぞれ落ち着いて礼敬します。もし険しい道では、申し上げてから先導します。
また師の前で、疲れた様子を見せてはいけません。指の関節を鳴らしたり、柱や壁にもたれたりしてはいけません。
洗濯や足洗い、入浴などのことは、まず師に申し上げて知らせ、行うところを見られないようにします。
また師の名前は、みだりに挙げてはいけません。どうしても尋ねる人があれば、その一字を示すにとどめます。
師が用事を命じられたら、その使いをよく伺います。そのなすべき事は、常に心に留めて忘れません。
笑ったり咳をしたりあくびをしたりするときは、手で口を覆います。何か申し上げることがあれば、身をかがめて柔らかい言葉で話します。
もし在家の女人が、清らかな心で法を聞きに来たら、合掌して威儀を備え、ひたすら師の顔を見ます。
聞いたならば守り持って、驕りの心を捨て離れます。ちょうど嫁いだばかりの人のように、顔を低くして恥じ入ります。
その身を飾る道具に対しては、もはや愛着を起こしません。善に相応しないものは、皆遠ざけようと考えます。
常に師の徳を慕い、小さな過ちを覗いてはいけません。従えば成就を得、過ちを求めるならば自分を損ないます。
法を説いて弟子を導き、曼荼羅や護摩を行い、城や町で師と同じく住むことは、師の指示がなければ行ってはいけません。
あるいは法を説いて得た清らかな施しの財物は、すべて師に捧げます。得たものに応じて使うことができます。
同学や法の裔であっても、弟子にしてはいけません。また師の前で、仕え礼敬を受けてはいけません。
もし物を師に捧げるときは、両手で持って差し出します。師から何か施されたときは、恭敬して頭で受けます。
自分は専ら正しい行を修め、常に心に留めて忘れません。他人が律儀に背くならば、愛のある言葉で教え示します。
師の教えや勅しに対して、病のためになせないときは、礼をして申し上げます。そうすれば咎はありません。
常に師を喜ばせ、様々な煩悩の事を離れ、努めてこれを行います。煩雑を恐れて詳細は述べません。
あの金剛如来が、親しくこのように宣べられ、また他の教えに明らかなように、師に依ることで成就を得ます。
もし弟子が清浄で、三宝に帰依できるならば、たとえ命が終わろうとしても、法の要を説き、また秘密の教えを授けて、正しい法の器とします。もし現前に誦持すれば、根本罪を得ます。
もし師の行いに随順して学ぶことができれば、一切の諸功德を成就します。私が集めたこの善き因によって、願わくは衆生とともに速やかに成仏できますように。
事師法五十頌