△附錄親鸞破
△付録 親鸞破
親鸞傳繪云。建仁三年癸亥。四月五日。夜寅時。親鸞夢之記曰。六角堂救世菩薩。示現顏容端嚴之聖僧之形。而著白衲袈裟。坐廣大白蓮華。告命于善信言。行者宿報設女犯。我成玉女身被犯。一生之間能莊嚴。臨終引導生極樂。(文)。
親鸞の伝記絵巻にはこう伝えています。建仁三年癸亥の四月五日、夜の寅の刻、親鸞が見た夢の記録には次のようにあります。六角堂の救世菩薩が、端正で厳かな聖僧の姿となって現れ、白い衲の袈裟を着けて、大きな白蓮華の上に座られました。そして善信に告げられました。「行者よ、もし宿業の報いとして女犯の縁があれば、私は玉女の身となって犯されよう。一生の間、よく荘厳し、臨終には導いて極楽に生まれさせよう」と。(文)
大佛頂首楞嚴經六(三紙)觀音普現色身文中云。若有女子。好學出家。持諸禁戒。我於彼前。現比丘尼身。而為說法。令其成就。(至)。若有眾生。不壞男根。我於彼前。現童男身。而為說法。令其成就。(文)。
大仏頂首楞厳経六(三紙)の観音が普く色身を現す文の中にこう説かれています。「もし女子があって、出家して学ぶことを好み、もろもろの禁戒を保つならば、私はその者の前に比丘尼の身を現して法を説き、その成就を得させます」(至)。「もし衆生があって、男根を壊さないならば、私はその者の前に童男の身を現して法を説き、その成就を得させます」(文)。
續種論一(二紙)云。鸞雖愚昧。亦是住持僧寶之一分者也。寧為應以婦女身得度之人品乎。普現等流大士。豈有如斯不應人品之告勅乎。(至)。既揀不壞男根之人。寧却有說我成玉女身被犯之理乎。(至)。正使有此夢示。鸞也少有人心。猶須回顧。涅槃經云。如瞿師羅經中。佛為瞿師羅說。若天魔梵。變為佛形。具足莊嚴三十二相八十種好。圓光一尋。面貌圓滿。猶如月盛明。眉間毫相。白愈珂雪。如是莊嚴向汝者。汝當撿挍定其虛實。既覺知已。當降伏。世尊魔等。尚能變作佛形。況不能變作羅漢等四種之身。以是因緣。我於是中。心不生信。或有所說。不能稟受。亦無敬念而作依止。(文)。經文如是。鸞何不反照乎。(已上)涅槃經(北本七十二紙)迦葉菩薩。問出家婬欲持破曰。世尊若有比丘。夢行婬欲。是犯戒不。佛言不也。應於婬欲生臭穢想。乃至不生一念淨想。遠離女人煩惱愛想。若夢行婬。寤應生悔。(文)。
『続種論』一(二紙)にこう述べています。鸞は愚昧ではありますが、それでも住持の僧宝の一分を担う者です。どうして「婦女の身をもって度されるべき人」の類でありましょうか。普現等流の大士が、どうしてこのような、ふさわしくない人柄への告勅がありましょうか。(至)。すでに不壊男根の人を選び分けておられるのに、どうしてかえって「我は玉女の身を成して犯されよう」などという道理がありましょうか。(至)。たとえこのような夢の示しがあったとしても、鸞にも少しは人の心がありますから、なお顧みるべきです。涅槃経にこう説かれています。「瞿師羅経の中で、仏が瞿師羅のために説かれた。もし天魔や梵天が仏の姿に変わり、三十二相八十種好を具足して荘厳し、円光一尋、面貌円満で、まるで満月の明るく輝くようであり、眉間の毫相は白くして珂雪よりも白い。このように荘厳してあなたの前に現れたなら、あなたはよく調べ確かめて、その虚実を見定めなさい。すでに覚知したなら、降伏しなさい。世尊よ、魔などはなお仏の姿に変じることができます。まして羅漢など四種の身に変じることができないことがありましょうか。このようなわけで、私はこの中において心に信を生じません。説くところがあっても、受け入れず、また敬念を抱いて依り所とすることもありません」(文)。経文はこのとおりです。鸞はどうして反省しないのでしょうか。(已上)涅槃経(北本七十二紙)に、迦葉菩薩が、出家して婬欲を犯すことと持戒とについて問うて言いました。「世尊よ、もし比丘が夢の中で婬欲を行ったなら、これは犯戒でしょうか」。仏は言われました。「いいえ。婬欲に対しては臭穢の想いを生じ、乃至一念も浄想を生じてはならない。女人への煩悩と愛想から遠ざかりなさい。もし夢の中で婬欲を行ったなら、目覚めたときには悔いる心を生じなさい」(文)。
梵網戒經(十七紙)云。一切男子是我父。一切女人是我母。生生無不從之受生。故六道眾生。皆是我父母。而殺而食者。殺我父母。亦殺我故身。(文)。
梵網戒経(十七紙)にこう説かれています。「すべての男子は私の父であり、すべての女人は私の母です。生まれ変わるたびに、この父母から生まれないことはありません。ですから六道の衆生はみな、私の父母です。それを殺して食べることは、私の父母を殺すことであり、また私の過去の身を殺すことでもあります」(文)。