救拔𦦨口經序
『救抜焔口経』序
事有簡而易從者物有微而大濟者功有倍而召速者三者斯經備焉且陳一器之食呪之七返鳴指以施之呪亦不過數句此其易從也徹窮泉包九野塵沙莫數燄口之鬼皆甘嗜實腹此其大濟也夫報應之理統論三世其業廣而醇者謂之順現即感延齡此其召速也法王之制坦然明白可舉而行矣夫一摶之食一句之水有用無匱聞之者不能不惑苟推功神呪理歸不測又何惑焉夫龍一鱗蟲耳得一渧之水散之六虗以為洪流況至聖至良之神呪窮法界之至變者也焦腹矩口沉幽動劫仰天無訴非慈仁惻惻為心者展臂一惠雖一餐其可得乎大哉博施濟眾真斯謂也何必云堯舜病諸且能恕己之飢渴於彼之飢渴雖勞亦為況簡而易從也經曰如供百千俱胝佛者非直顯其功大抑亦戒令慎重而後施之必也重心則現招五果五果者一曰壽二曰色三曰力四曰辨五曰安昭然在文不復委引信夫一粒克於彼五福隆於此其猶影響焉詎有勤善聞斯而不遷者也一經凡兩譯此本八十三行一字合九百八言即三藏不空所翻也但加四如來及四真言為異用者存略任意官坊俗務不暇廣行直誦變食一呪於理已足實叉一本但一呪而已事備施食正名不復煩敘也。
事柄には簡潔で従いやすいものがあり、物には小さくとも大きな利益をもたらすものがあり、功徳には倍増して速やかに果報をもたらすものがあります。この三つの特長を、この経典はすべて備えています。ひとつの器の食物を用意し、七回呪文を唱え、指を鳴らして施すだけで、呪文もわずか数句にすぎません。これが「簡潔で従いやすい」所以です。その効果は、黄泉の底にまで及び、あらゆる世界を包み、数え切れない塵芥の如き餓鬼たちも皆、その味を喜び、腹を満たします。これが「大きな利益をもたらす」所以です。報いや応報の道理は、三世を通じて総合的に論じられます。その行いが広大で純粋なものは、「順現法受」と呼ばれ、即座に寿命が延びる感応があります。これが「速やかに果報をもたらす」所以です。法王(仏)の教えは明白で、そのまま行うことができます。ただひと掴みの食べ物と、ひと口の水が、用いれば尽きることなくあるのは、これを聞けば誰しも惑わずにはいられません。しかし、もし功徳を神聖な呪文に帰し、その理が計り知れないものであると理解すれば、また何の迷いがあろうか。龍はただの鱗のある虫に過ぎませんが、一滴の水を得て、それを虚空に散布すれば洪流となります。ましてや、至聖であり至善である神呪が、法界の極めて不可思議な変化を窮めることにおいては、なおさらです。腹は乾き、口は狭く、長い劫の間、暗い世界に沈み、天を仰いで訴える術もない者たちに対して、慈しみや哀れみの心を持たず、たとえ片腕を差し伸べる一度の施しであっても、ましてや一食を得ることなど、できるはずがありましょうか。なんと素晴らしいことでしょう。広く施し、大衆を救うとは、まさにこれを指すのです。どうして「堯舜でさえ難しい」などと言う必要がありましょうか。しかも、自分自身の飢えや渇きを、相手の飢えや渇きに置き換えて思いやることができれば、たとえ労苦があっても行うものです。ましてや、簡潔で従いやすいのであればなおさらです。経典には「百千の俱胝の仏を供養するが如し」とありますが、これは単にその功徳の大きさを示すだけでなく、慎重な心を持って施すように戒める意味もあるのです。必ずや深い敬虔の心をもって行えば、現世において五つの果報が得られます。五つの果報とは、第一に寿命、第二に容色、第三に体力、第四に弁才、第五に安穏です。これらは明らかに経典に記されており、改めて詳細に引用する必要はないでしょう。まことに、一粒の施しがかの者を満たし、五つの福がここに現れるのは、影や響きが形や声に従うが如くです。善を勧める言葉を聞いて、これに動かされない者がいるでしょうか。
この経典は、全部で二度翻訳されています。この版本は八十三行、一字、合わせて九百八言あり、三蔵法師不空が翻訳したものです。ただし、四如来の名号と四つの真言が加えられている点が異なっており、用いるにあたっては、その取捨や省略は任意です。官庁や市井の日常の務めに忙しく、広く実践する暇がない場合は、ただ「変食」の一つの呪文を直接唱えるだけでも、道理は十分です。実叉難陀の訳本には、ただ一つの呪文だけがあります。施食の事柄はこの正しい名称によって備わっており、改めて煩雑に叙述する必要はありません。