天台祖承記(事出付法藏傳)
天台法脈継承記
傳續莫大焉存存乎道緜緜其化猶日月之嗣照故聖人順可久之道廣無方之益賢林將遊乃顧命飲光曰汝傳吾大法觀機設教無使墜焉飲光曰諾於是乎結集三藏行 皇覺之訓二十餘年最後法付阿難阿難付商那和修修付毱多多付提迦多多付彌遮迦迦付佛陀難提提付佛陀蜜多多付脇比丘脇付富那奢奢付馬鳴鳴付毗羅羅付龍樹樹付提婆婆付羅睺羅羅付僧佉難提提付僧佉耶奢奢付鳩摩羅䭾䭾付闍夜郍郍付盤䭾䭾付摩奴郍郍付鶴勒夜郍郍付師子比丘始迦葉終師子二十三人皆祖述三藏之教非別有傳也今天台所承自第十三龍樹為高祖由者龍樹造無畏部出中觀論高齊間慧文禪師依中觀得道口授南嶽思禪師南嶽傳天台智者智者兼用法華三昧旋陀羅尼開拓一家教觀戶牖不與他同法傳章安灌頂頂傳縉雲智威威傳東陽慧威威傳左谿(法諱同聖祖)左谿傳荊谿湛然自龍樹至荊谿凡九世夫德業內充猶鍾鼓于宮聲聞于外奇表異迹各煥乎本傳嗚呼荊谿既沒法網漸散嫡承遂息後人皆講訓而已或曰何涉西祖乎曰總二土者略有三意一為顯所傳自金口故二為示一家祖龍樹故三為懲後代妄樹名故俾其觀斯位尊任重列紹四依昏庸其可繼乎。
伝承の継続はこの上なく大切である。道(ことわり)は絶え間なく続き、その教化は、あたかも太陽と月が絶えず照らし続けるかのようである。故に聖人は、長く続くべき道に従い、限りない利益を広く施した。
聖なる僧侶の集い(賢林)において、仏陀は弟子の迦葉(飲光)に告げて言われた。「汝、我が大法を伝えよ。衆生の機根を見極めて教えを施し、それを損なわせてはならない。」迦葉は「承知しました」と答えた。こうして三蔵(経・律・論)が結集され、仏陀の教えは二十余年もの間行われた。
最後に、法は阿難に付され、阿難から商那和修、商那和修から優波毱多、優波毱多から提迦多、提迦多から弥遮迦、弥遮迦から仏陀難提、仏陀難提から仏陀蜜多、仏陀蜜多から脇比丘、脇比丘から富那奢、富那奢から馬鳴、馬鳴から毘羅、毘羅から龍樹、龍樹から提婆、提婆から羅睺羅、羅睺羅から僧佉難提、僧佉難提から僧佉耶奢、僧佉耶奢から鳩摩羅駄、鳩摩羅駄から闍夜那、闍夜那から盤駄、盤駄から摩奴那、摩奴那から鶴勒夜那、鶴勒夜那から師子比丘へと伝えられた。
初めの迦葉から最後の師子まで、二十三人の祖師は皆、三蔵の教えを継承したのであり、別に何か特別な伝承があったわけではない。
さて、現在の天台宗が受け継ぐところは、第十三祖の龍樹を高祖とする。龍樹は『無畏論』を著し、『中観論』を出された。高斉の時代に慧文禅師がこの『中観論』によって悟りを得、その教えを口伝で南嶽慧思禅師に伝えた。南嶽はそれを天台智顗大師に伝えた。智顗大師は『法華三昧』を用い、旋陀羅尼(自由自在な智慧)を得て、一家の教えと観行の教えの体系を切り開き、その内容は他のどの宗派とも異なるものとなった。
この法は、章安灌頂に伝えられ、灌頂から縉雲智威、智威から東陽慧威、慧威から左谿玄朗(法諱は聖祖と同じ)へと伝わり、左谿から荊谿湛然へと伝えられた。龍樹から荊谿まで、合わせて九世である。
彼らの德行と業績は内に満ちあふれ、それはまるで宮殿の鐘や鼓がその音を外に響かせるかのようであり、その優れた特徴や珍しい跡は、それぞれの伝記に輝いている。
ああ、荊谿が世を去って後、法の網は次第に散り、正しい継承は途絶えてしまった。後の人々は皆、ただ講義や訓読をするだけであった。
ある人が言う。「なぜ西天(インド)の祖師に関わるのか。」と。
これに答える。「両方の地域(インドと中国)の祖師を総合することには、おおよそ三つの意味がある。第一に、伝承が仏陀の金口(実際の言葉)から出たものであることを明らかにするため。第二に、天台宗が龍樹を祖と仰ぐことを示すため。第三に、後代の者がみだりに名前を立てるのを戒めるためである