洞山大師語錄序
洞山大師語録の序
東西道邈。二三親傳。傳也已漸。真間為偽。當偽之交出時。醇乎真者。獨洞祖乎。自厥初詰問無眼耳乎其師。至發跡南泉之供真。異聞無情說眼處。慎柏巖姓名之問。不間雲巖雍容影。蹈斷過水浪。呵止雲居受天供路。終設愚癡齋。明去來之數事。則實為希世之師表矣。其語言章句。散在諸家之篇集。間有集錄也非。元文間。玄契老禪勤集號洞山錄。以藏梓于白華林。可謂幹祖考之蠱哉。然京師之途路萬里。為難為乏道之拜請。而去歲庚辰之秋。江都吉祥禪寺之眾徒責予復校。亦不忘祖家也。尋請老衲語。乃告曰。戲乎洞祖乎。真矣邃矣充矣。無偏矣。克中矣。固亦江漢以濯。秋日以曬。唯可以道心見之。不可以人心見之。若至其不可窺之。不可量之。不可移之。而無己獨立。則少林之下。實一人而已。贊寧言之。
道は遠く、二、三人の者だけが直接伝えた。その伝承も次第に薄れ、真実の間に偽りが混じるようになった。偽りが入り混じる時、純粋に真実なるものは、ただ洞山祖師だけが深く見通しておられた。初めに師に「眼も耳もないのか」と問いただしたことから、南泉の供養の真実を明かし、無情説法の眼目を聞き、柏巖の姓名の問いを慎み、雲巖の雍容たる影を絶やさず、過水の波を踏み断ち、雲居が天の供養を受ける道を呵して止め、最後には愚癡斎を設けた。去来の数々の事を明らかにされた。まことに世に稀なる師表である。その言葉や章句は、諸家の篇集に散在している。時に集録されたものもあるが、正しいとは言えない。元文の頃、玄契老禅が勤めて集めたものを『洞山録』と名づけ、白華林に版木を蔵した。まさに祖師の志を継ぐものと言えよう。しかし京師への道は万里、難儀で乏しい道の拝請であった。去る庚辰の秋、江都吉祥禅寺の僧たちが私に再校を求めた。これも祖家を忘れぬ心からである。そこで老衲に言葉を請うたところ、こう告げられた。「ああ、洞祖よ。真なり、深し、充てり。偏りなし。よく中を得たり。まさに江漢で濯ぎ、秋日で晒すがごとし。ただ道心をもって見るべし。人心をもって見るべからず。もしその窺い知れず、量り知れず、移し得ずして、おのれなく独立する境地に至れば、少林の下、まことに一人のみである。賛寧がこれを言った。
寶曆十一年辛巳正月穀旦。印指月焚香拜題。
宝暦十一年、辛巳の正月、吉日。印指月、香を焚いて謹んで題す。
筠州洞山悟本禪師語錄
筠州洞山悟本禅師語録
遠孫沙門慧印校訂
遠孫の沙門慧印、校訂す