無門開和尚、湖州報因禅寺の語録(月林和尚が開山し、第二代目の師となる)
侍者 普敬 録
師は嘉定十一年五月九日に入院され、三門を指さして言われた。 「父子相伝せず、百の中に一もなし。 狭き路で出会えば、門を押して臼に落つ。」
仏殿に向かって礼拝すること、それがそのまま仏法である。しかし、礼拝しないこともまた、そのまま仏法である。あの黄色い顔のゴータマ仏も、私の足の下にあるのだ。
山は霊園を囲み、水は佳城を巡る。言葉の中に響きがあり、句の下に明らかである。
法座。一段階一段と高く、一歩ごとに一歩と広がる。頂上の関門を撥ね開けば、天地の全体があらわになる。かくて座に昇り、香を拈って聖寿を祝し終えて、次に香を拈って云う。この香は触れれば眼は枯れ、嗅げば脳天は裂けん。これを分明に拈り出して、炉の中に焚き奉る。平江萬壽に両度住し、後に烏回に住した先師、月林和尚のために。恩徳に報いんと図るにあらず、ただ互いに鈍なるを置かんと要す。かくて跏趺して座す(問答は記さず)。乃ち云う。昔年曾て山中に向かいて去りしに、千手の大悲も攔み止めず。今朝又た山中に向かいて来たれば、優曇華は半天に開く。一来一去歴歴として分明、今日昔年頭頭として轍に合う。所以に道う、只だ旧時の人を解するも、旧時の行履処を解せず。正に麼の時に、且つ道え、去来に渉らざる一句如何に話会せん。盤陀石上に坐して深夜、一炷の清香月林に散ず。 復た云う。茅菴艸舍山深く住す、無奈檀那錯て訪尋す。了却す先師未了の底、悪声此れより叢林に満つ。
上堂。ある僧が雲門に問うたことを挙げる。「樹木が枯れ、葉が落ちるときはどうなりますか」と。雲門は答えて言う。「本体が金色の風にさらされる」と。師は言う。この僧は口を開けば胆が見え、雲門は心肝をさらけ出した。山僧もまた一偈を挙げて皆さんにお示ししよう。樹木が枯れ葉が落ち、本体が金色の風にさらされる。さらにどうなると問えば、目は見えず耳は聞こえぬ。
上堂。静けさの中に消息あり、騒がしさの中に観ず。騒がしさの中に消息あり、静けさの中に見る。静と騒ぎをひっくり返し、正しい教えを行じる。天に寄りかかる長剣、人を逼る寒さ。
上堂。五祖演和尚が大衆に示して云う。秋雲と秋水が互いに寄り添い、辺境の雁の声が青々とした山々を渡っていく。多くは洞庭湖の青草の岸辺に向かい、楚の空は広々として帰ることを知らない。師云う。大衆よ、演師祖がこのように語る意はどこにあるのか。しかも、今日、報因が水雲と相会し、声と声が相応じる一句はまたどうであろうか。畢竟、水は必ず海に向かって流れ、行き着くところ、雲は必ず山を求めて帰る。