黃龍死心新禪師小參
黄龍死心新禅師小参
諸上座。人身難得。佛法難聞。此身不向今生度。更向何生度此身。爾諸人要參禪麼。須是放下著。放下箇甚麼。放下箇四大五蘊。放下無量劫來許多業識。向自己脚跟下。推窮看。是甚麼道理。推來推去。忽然心華發明。照十方剎。可謂得之於心。應之於手。便能變大地作黃金。攪長河為酥酪。豈不暢快平生。莫只管冊子上念言念語。討禪討道。禪道不在冊子上。縱饒念得一大藏教諸子百家。也只是閒言語。臨死之時。總用不著。
諸上座よ、人身は得難く、仏法は聞き難いものです。この身を今生において救わずして、さらにどの生においてこの身を救うのでしょうか。皆さんは参禅したいと思われるでしょうが、まずは放下することが必要です。何を放下するのでしょうか。四大と五蘊を放下するのです。無量劫このかたの多くの業識を放下するのです。自分の足もとで、とことん突き詰めてごらんなさい。それはどういう道理なのかと。押し詰めたり押し戻したりしているうちに、忽然として心の花が咲き開き、十方の国土を照らします。これを心に得て手に応ずるといい、大地を黄金に変え、長河を酥酪にかき混ぜることもできるのです。これこそ人生の痛快事ではありませんか。ただ冊子の上で言葉を念じ言葉を唱え、禅を求め道を求めるばかりであってはなりません。禅も道も冊子の上にあるのではありません。たとえ一大蔵経や諸子百家を念じ通したとしても、それはただのむだ口にすぎません。死に臨むときには、何の役にも立たないのです。
評曰。不可見恁麼說。便謗經毀法。蓋此語為著文字。而不修行者戒也。非為不識一丁者。立赤幟也。
評していう。「このように説くを見て、すぐに経を誹謗し法を毀ることはできない。そもそもこの言葉は、文字に執着して修行しない者への戒めである。決して、一字も知らぬ者のために旗を立てたわけではない。」