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title: "禪關策進 · 心賦"
description: "明末高僧云栖袾宏辑录。本书成于晚明禅风略显疏狂之际，旨在匡正禅门流弊。内容汇集历代禅宗祖师精要开示、参禅决疑公案及实修方法，重在指导学人如何参透话头、突破疑情，是一本禅修实践的重要指南。在佛教史上被誉为禅门实修宝典，对后世禅者砥砺道心、精进用功影响深远。"
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### 心賦

> 心賦

堅求至道。 曉夕亡疲。 不向外求。 虛襟澄慮。 密室靜坐。端拱寧神。

> 一心一意に真理の道を求め、朝から夜まで疲れることを知らない。外に答えを求めるのではなく、心を空っぽにして静かに考え、密室で静かに座る。ただ真っ直ぐ座って、心を静めることに専念する。

評曰。靜業弟子。莫見不向外求。密室靜坐之說。便謂不必念佛。須知念字從心。佛即自己。以自心念自己。烏得為外求也。況念之不已。則成三昧。靜密孰加焉。

> 評して曰く、静業の弟子よ、外に向かって求めることなかれという密室静坐の説を見て、直ちに念仏は不要だと思うなかれ。知るべし、「念」の字は心から成り、仏はすなわち自己なり。自らの心をもって自己を念ずる、どうして外に求めることとなろうか。ましてや念じ続けること切れなければ、三昧を成ず。静かで密なること、これに勝るものはあろうか。

## 禪關策進終

> 禅関策進<note>終</note>

### 重刻禪關策進後序

> 重刻禅関策進後序

古人曰。明窓下古教照心。僧堂前坐禪辦道。猶如車兩輪。始可與祖意相應也。大凡無照心之辦道。必止小見。彼二乘外道并惡知識類是也。無辦道之照心。悉落學解。今教律神儒及祖師禪。蓋不出之也。是故如真正道人。以正坐禪研究根塵。以真古教精鍊定慧。況至鞭策怠慢激發中止者。佛祖先鑑。可仰以依行矣。吾闡提老翁。自從幼聞泥犁苦境頻求解脫已來。祈神誓佛。水火不怖。責身苦心。寢食稍廢。一朝見法華經因緣譬喻之說。錯為不足取。失力三四年也。十九歲復在禪叢眾寮。因見岩頭和尚末後為賊害。大叫一聲聞數里外。又大失志。以為現在之害尚不能轉。況於泥犁耶。古人秀逸者已如是。則我輩何得免脫。嗟呼佛法虛誕。參禪無實。僧也俗也。我進無所期。退有所羞焉。於是改志放意。惡見日加。次年至濃之瑞雲。從事馬翁。與溫馬山輩結伴。互論詩文。一日閑坐之次。翻然思曰。身僧而嗜俗事。志俗而預僧倫。大丈夫恁麼打過亦有不保處。時當晒書之節。內外經籍堆在堂上。翁竊往禮拜。懇禱曰。儒佛老莊諸家之道。我以何為師。願護法天龍。示我于正路。閉目良久。任手把著。得一小冊。名禪關策進。頂受披之。即撞著引錐自刺章。且其考記曰。昔慈明在汾陽時。與大愚瑯瑘等六七人結伴參究。河東苦寒。眾人憚之。明獨通宵坐不睡。自責曰。古人刻苦。光明必盛大也。我又何人。生無益于時。死不知于人。於理有何益。即引錐自刺其股。翁至此志氣憤激。如吞醍醐。遂乞求其書於馬翁。常為照心辦道之友。行住相隨。自是踏開岩頭醜面目。根塵剝落。觸著道鏡惡毒手。見知喪盡。年過不惑。見徹鷲嶺之藏祕。齡近耳順。闡揚龍峯之家私。其道走殺天下衲僧。其德驚動王侯士庶者。皆出於他囊中所貯一箇之策進者歟。是故翁常讚慈明語。誡學者曰。老僧少時。日三復此語。而不及也。今老焉止哉。又曰。雲棲一生之文字。但此書有補吾宗。汝等他日功有餘力。再刊行之。以報祝融之恨。雖然此書間以念佛參究自己。是則是甚奪衲僧頴氣。落往生門者不少。若依老僧意。一齊削去可也。何故。獅子不食雕殘。猛虎不飡伏肉。往生一機還他淨家。衲僧門下實智尚不要。何況假名耶。驅耕夫之牛。奪飢人之食。始可以為真參詳而已。客歲辛巳冬。參學虎上座與同友二三子。勠力欲補翁志。便有林氏渡氏等之檀信。遂捨淨財。王成其議。於是請予于加數語以辦來由。仍記先所親聞事實許多。遠傳之不朽云。

> 古人の言に曰く、「明窓の下に古教を照らし、僧堂の前に坐禪辦道す。これ猶お車の兩輪のごとし。ここにおいて始めて祖意に相應すべし」と。およそ照心なき辦道は、必ず小見に止まる。かの二乘・外道ならびに悪知識の類はこれなり。辦道なき照心は、ことごとく學解に落つ。今の教・律・神・儒および祖師禪も、おおよそこれより出でず。このゆえに、まことの道人は、正しき坐禪をもって根塵を研究し、真の古教をもって定慧を精錬す。いはんや怠慢を鞭策し、中止を激発するに至りては、佛祖の先鑑、仰いで依行すべきなり。 我が闡提老翁、幼きより泥犁の苦境を聞きて、たびたび解脫を求めてよりこのかた、神に祈り佛に誓ひ、水火を怖れず、身を責め心を苦しめ、寢食もしばしば廢せり。あるとき法華經の因緣・譬喻の説を見て、あやまって取るに足らざるものと思ひなし、力を失ふこと三四年。十九歳にして再び禪叢の衆寮にあり。岩頭和尚が末後に賊のために害され、大聲を発して數里の外に聞こえしを見て、また大いに志を失へり。現世の害すらなほ轉ずることあたはず、いはんや泥犁に於いてをや、と思へり。古人の秀逸なるものすらかくのごとし。いかんぞ我らのごとき輩が免脱を得んや。ああ佛法は虛誕にして、參禪は實なし。僧も俗も、我は進むに期するところなく、退くに羞ぢるところあり。ここにおいて志を改め意を放ち、悪見日ごとに加はる。 翌年、濃の瑞雲に至り、馬翁に事へ、温馬山の輩と伴をなし、互ひに詩文を論ず。一日閑坐の次、翻然として思へらく、「身は僧にして俗事を嗜み、志は俗にして僧倫に預かる。大丈夫かくのごとく打過ぐるも、また保たざるところあるべし」と。時に書を晒す節に當たり、内外の經籍、堂上に堆し。翁ひそかに往きて禮拜し、懇ろに禱りて曰く、「儒・佛・老・莊の諸家の道、我は何を以てか師とせん。願はくは護法天龍、我を正路に示せ」と。目を閉ずること良久しく、手に任せて把らしむるに、一小冊を得たり。名づけて『禪關策進』と曰ふ。頂戴してこれを披くに、すなはち引錐自刺の章に撞着す。かつその考記に曰く、「昔、慈明、汾陽に在りしとき、大愚・瑯瑘らと六七人、伴を結びて參究す。河東は苦寒にして、衆人これを憚る。明のみ通宵坐して寢ず、自ら責めて曰く、『古人の刻苦せるとき、光明必ず盛大なり。我また何人ぞ。生は時に益なく、死は人に知られず。理に於いて何の益かあらん』と。すなはち錐を引きて自らその股を刺す」と。翁ここに至りて志氣憤激し、醍醐を吞むがごとし。遂にその書を馬翁に乞ひ求め、常に照心辦道の友となし、行住相隨へり。 ここを以て岩頭の醜き面目を踏み開き、根塵は剝落し、道鏡の悪毒の手に觸れ、見知は喪盡せり。年、惑ひを過ぐるに及んで、鷲嶺の藏祕を見徹し、齡、耳順に近づきて、龍峯の家私を闡揚す。その道は天下の衲僧を走殺し、その徳は王侯士庶を驚動せり。これ皆、彼が囊中に貯ふる一つなる策進より出でたるならんか。 このゆえに翁は常に慈明の語を讚へ、學者に誡めて曰く、「老僧の若きとき、日に三たびこの語を復すといへども及ばず。今老いぬ。止まんのみ」と。また曰く、「雲棲一生の文字、ただこの書のみ吾が宗に益あり。汝ら他日に功餘力を有せば、再び刊行し、もって祝融の恨みを報ぜよ」と。 しかりといへども、この書、間に念佛參究自己を以てす。これはこれ、衲僧の穎氣を奪ふこと甚だしく、往生門に落つるもの少なからず。もし老僧の意に依らば、一斉に削去すべし。何の故ぞ。獅子は雕殘を食らはず、猛虎は伏肉を餐はざればなり。往生の一機は還た浄家にこれを與へよ。衲僧の門下に實智すらなほ要せず。いはんや假名に於いてをや。耕夫の牛を驅り、飢人の食を奪ふ。これにおいて始めて真の參詳たるべしのみ。 客歲、辛巳の冬、參學の虎上座、同友の二三子とともに力を戮せて翁の志を補はんとす。すなはち林氏・渡氏らの檀信ありて、つひに淨財を捨て、よくその議を成す。ここにおいて予に請うて數語を加へ、もって來由を辨ぜしむ。仍りて先に親聞せし事實の許多を記し、遠く傳へて不朽にせんと云ふ。

寶曆十二年龍集壬午孟正月

> 宝暦十二年、歳は壬午にあたり、睦月（正月）のことである。

住豆之龍澤東嶺頭陀圓慈恭書

> 豆の龍沢の東嶺に住む頭陀、圓慈が恭しく記す