ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 洪州百丈山大智禅師語録 (洪州百丈山大智禪師語錄)
  1. 百丈懐海禅師語録(四家語録巻二) (百丈懷海禪師語錄(四家語錄卷二))
  2. 洪州百丈山大智禅師語録 (洪州百丈山大智禪師語錄)

百丈懐海禅師語録(四家語録巻二) (百丈懷海禪師語錄(四家語錄卷二))

「百丈懷海禪師語錄(四家語錄卷二)」について

2,257 字 · 約 8 分

百丈懐海禅師語録は、唐代の高僧・百丈懐海の言行を記録したもので、『四家語録』巻二に収められています。原本は現存していません。百丈懐海は馬祖道一に師事し、禅宗の重要な継承者として、中唐期に禅林清規を創始し、農作業と禅修行を並行する修行方式を推進しました。語録の内容は、その禅法の教示や機鋒鋭い問答を網羅し、日常の労務そのものが修行であり、心性は本来清浄であることを強調しています。彼が制定した百丈清規は禅宗寺院の制度に深遠な影響を与え、「一日作さざれば、一日食らわず」の精神は禅門の模範となり、中国仏教における叢林制度の基礎を築き、禅宗発展史上、画期的な地位を占めています。


洪州百丈山大智禪師語錄

洪州百丈山大智禅師語録

師。諱懷海。福州長樂人也。俗姓王氏。丱歲離塵。三學該練。屬大寂闡化江西。乃傾心依附。與西堂智藏南泉普願。同號入室。時三大士。為角立焉。師侍馬祖行次。見一羣野鴨飛過。祖曰。是甚麼。師曰。野鴨子。祖曰。甚處去也。師曰。飛過去也。祖遂回頭。將師鼻一搊。負痛失聲。祖曰。又道飛過去也。師於言下有省。却歸侍者寮。哀哀大哭。同事問曰。汝憶父母邪。師曰。無。曰被人罵邪。師曰。無。曰哭作甚麼。師曰。我鼻孔。被大師搊得痛不徹。同事曰。有甚因緣不契。師曰。汝問取和尚去同事問大師曰。海侍者。有何因緣不契。在寮中哭。告。和尚為某甲說。大師曰。是伊會也。汝自問取他。同事歸寮曰。和尚道。汝會也。令我自問汝。師乃呵呵大笑。同事曰。適來哭。如今為甚却笑。師曰。適來哭。如今笑。同事罔然。次日。馬祖陞堂。眾纔集。師出。卷却席。祖便下座。師隨至方丈。祖曰。我適來未曾說話。汝為甚便卷却席。師曰。昨日被和尚搊得鼻頭痛。祖曰。汝昨日向甚處留心。師曰。鼻頭今日又不痛也。祖曰。汝深明昨日事。師作禮而退。(一本。作馬祖云。你什麼處去來。昨日偶有出入。不及參隨。馬祖喝一喝。師便出去)師再參侍立次。祖。目視繩牀角拂子。師曰。即此用離此用。祖曰。汝向後開兩片皮。將何為人。師取拂子竪起。祖曰。即此用離此用。師挂拂子於舊處。祖振威一喝。師直得三日耳聾。自此雷音將震。檀信請於洪州新吳界。住大雄山。以居處巖巒峻極。故號百丈。既處之。未期朞月。參玄之賓。四方麇至。溈山黃檗當其首。

師の諱は懐海。福州長楽の人である。俗姓は王氏。幼い頃に出家し、三学をよく修めた。折しも大寂(馬祖道一)が江西で教えを広めていたので、心から帰依した。西堂智蔵、南泉普願と共に、入室の弟子と称された。この三人の大士は、互いに肩を並べる存在であった。

ある時、師が馬祖に従って行脚していると、一群の野鴨が飛んでいくのが見えた。馬祖が言った、「あれは何だ」。師が答えた、「野鴨です」。馬祖が言った、「どこへ行くのか」。師が答えた、「飛んでいきました」。そこで馬祖は振り返り、師の鼻をつまんだ。師は痛さに声を上げた。馬祖が言った、「また『飛んでいきました』と言うのか」。師はこの言葉に悟りを得た。

師は侍者の寮に戻ると、声をあげて泣き叫んだ。同僚が尋ねた、「ご両親を思い出したのか」。師は「違う」と言った。「誰かに怒られたのか」。師は「違う」と言った。「ではなぜ泣くのか」。師は「私の鼻を、大師に摘まれて痛みが治まらないのだ」と言った。同僚が言った、「何か因縁が合わなかったのか」。師は言った、「和尚に尋ねてみなさい」。

同僚は大師のところへ行き、「海侍者に、何か因縁の合わないことがあるのでしょうか。寮で泣いております。和尚様、教えてください」と言った。大師は言った、「彼は分かったのだ。あなた自身が彼に尋ねなさい」。

同僚が寮に戻って、「和尚が言われた。『あなたは分かったのだ。あなた自身が彼に尋ねなさい』と」と言った。師は呵々大笑した。同僚が言った、「さっき泣いていたのに、今はなぜ笑っているのですか」。師は言った、「さっきは泣いていた。今は笑っている」。同僚は呆然とした。

翌日、馬祖が法座に昇った。大衆が集まったところで、師が出てきて座布団を巻き取った。馬祖はすぐに下座した。師が方丈まで従うと、馬祖が言った、「私はまだ何も話していないのに、なぜ座布団を巻き取ったのか」。師は言った、「昨日、和尚に鼻の頭を摘まれて痛かったものですから」。馬祖は言った、「昨日、お前はどこに心を留めていたのか」。師は言った、「鼻の頭は今日はもう痛くありません」。馬祖は言った、「お前は昨日のことを深く理解したのだ」。師は礼をして退いた。

(別の版には、馬祖がこう言ったとある。「お前はどこへ行って来たのか。昨日はたまたま出入りがあって、お前に随伴できなかった」と。馬祖が一声喝すると、師は出て行った。)

師が再び参じ、侍者として立ち侍っている時、馬祖が縄床の角にある払子に目を留めた。師が言った、「これを即用とし、これを離用とします」。馬祖は言った、「お前が後日、口を開いて人を教える時、何をもって人に示すのか」。師は払子を取って立てた。馬祖が言った、「即この用、離この用」。師は払子を元の場所に掛けた。馬祖が一喝し、師は三日間耳が聞こえなくなった。

この後、師の雷のような名声が轟き渡り、施主たちが洪州新呉の地にある大雄山での説法を請うた。住まいの岩山があまりに峻険だったため、「百丈」と号した。師がここに住することになるや、まだ一ヶ月も経たないうちに、悟りを求める賓客が四方から集まった。潙山霊祐と黄檗希運がその筆頭であった。

黃檗到師處。一日辭云。欲禮拜馬祖去。師云。馬祖已遷化也。檗云。未審。馬祖有何言句。師遂舉再參馬祖竪拂因緣言。佛法不是小事。老僧當時被因馬大師一喝。直得三日耳聾。檗聞舉。不覺吐舌。師云。子已後莫承嗣馬祖去麼。檗云。不然。今日因師舉。得見馬祖大機之用。然且不識馬祖。若嗣馬祖。已後喪我兒孫。師曰。如是如是。見與師齊。減師半德。見過於師。方堪傳授。子甚有超師之見。後溈山問仰山。百丈再參馬祖竪拂因緣。此二尊宿意旨如何。仰山云。此是顯大機之用。溈山云。馬祖出八十四人善知識。幾人得大機。幾人得大用。仰山云。百丈得大機。黃檗得大用。餘者。盡是唱道之師。溈山云。如是如是。

黄檗が百丈のもとを訪れていた時のこと。ある日、彼がこう言って辞去を申し出た。「馬祖に会いに行こうと思います」。すると百丈は言った。「馬祖はもう亡くなられたよ」。黄檗は「それは知りませんでした。馬祖は何かお言葉を残されましたか」と尋ねた。そこで百丈は、かつて自分が馬祖のもとを再び訪れた際、馬祖が仏塵を立てた因縁話を語り、こう言った。「仏法は些細なことではない。私はあの時、馬大師に一声喝されて、三日間も耳が聞こえなくなったのだ」。これを聞いて、黄檗は思わず舌を出した。百丈は言った。「お前はこれから馬祖の後継者になるつもりか?」黄檗は答えた。「いいえ。今日、師のお話を聞いて、初めて馬祖の大いなるはたらき(大機)を知ることができました。しかし、私は馬祖の真意をまだ理解していません。もし馬祖を継ぐなどと言えば、後々、私の弟子たちを誤らせることになるでしょう」。百丈は言った。「その通り、その通りだ。見識が師と同じなら、師の徳は半減する。見識が師を超えてこそ、真に伝えるに値する。お前には師を超える見識があるようだ」。

その後、潙山が仰山に尋ねた。「百丈が再び馬祖を訪れた際、馬祖が仏塵を立てたという因縁話。この二人の尊宿の意図はどこにあるのか?」仰山は答えた。「それは大いなるはたらき(大機)を顕わすものです」。潙山が問う。「馬祖のもとからは八十四人の善知識が出た。その中で、何人(なんぴと)が大機を得て、何人(なんぴと)が大用を得たのか?」仰山は答えた。「百丈は大機を得、黄檗は大用を得ました。その他は皆、仏法を説き広めるだけの師です」。潙山は言った。「その通り、その通りだ」。

馬祖一日問師。甚麼處來。師云。山後來。祖云。還逢著一人麼。師云。不逢著。祖云。為甚麼不逢著。師云。若逢着。即舉似和尚。祖云。甚麼處。得這箇消息來。師云。某甲罪過。祖云。却是老僧罪過。
上堂云。靈光獨耀。迥脫根塵。體露真常。不拘文字。心性無染。本自圓成。但離妄緣。即如如佛。

お堂に上がって言われた。

「魂の光がただ一筋、燦然と輝き、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と、その対象である色・声・香・味・触・法(塵)を、完全に超えている。その本体は真実と永遠を露わにしており、文字や言葉に縛られることはない。心の本性は本来、染まることがなく、初めから完全に成り立っている。ただ、迷いの縁を離れるならば、そのままで、あるがままの仏(如如仏)なのである。」

問。如何是奇特事。師云。獨坐大雄山。僧禮拜。師便打。
西堂問師。你向後作麼生開示於人。師以手卷舒兩過。堂云。更作麼生。師以手點頭三下。

西堂が師に尋ねた。「あなたは今後、どのようにして人々に教えを開き示すのですか?」

師は両手で(経巻を)二度、開いたり閉じたりする仕草をした。

西堂が言った。「それで、どうするのですか?」

師は手で三度、うなずく仕草をした。

馬祖。令人持書。并醬三甕與師。師令排向法堂前。乃上堂。眾纔集。師以拄杖指醬甕云。道得即不打破。道不得即打破。眾無語。師便打破。歸方丈。

馬祖が人に書物を届けさせ、三つの甕(かめ)に入った味噌を馬祖のもとから和尚に贈りました。和尚はその甕を法堂の前に並べさせ、説法のために上堂しました。僧たちが集まったところで、和尚は杖で味噌の甕を指し、「言い当てることができればこれを割らない。言い当てられなければ割る」と言いました。僧たちは何も言えませんでした。そこで和尚は甕を割り、そのまま方丈に戻りました。

有一僧哭入法堂。師云。作什麼。僧云。父母俱喪。請師揀日。師云。明日一時埋却。

ある僧が泣きながら法堂に入ってきた。老師が尋ねた。「どうしたのか。」僧が言った。「父母がともに亡くなりました。どうか老師が日取りを選んでください。」老師が言った。「明日、一度に埋めてしまえ。」

問。依經解義。三世佛冤。離經一字。如同魔說時如何。師云。固守動靜。三世佛冤。此外別求。如同魔說。
師有時說法竟。大眾下堂。乃召之。大眾回首。師云。是甚麼。
師因普請開田回。問運闍棃。開田不易。檗云。眾僧作務。師云。有煩道用。檗云。爭敢辭勞。師云。開得多少田。檗作鋤田勢。師便喝。檗掩耳而出。
師問黃檗。甚處來。檗云。山下採菌子來。師云。山下有一虎子。汝還見麼。檗便作虎聲。師於腰下取斧。作斫勢。檗約住便掌。師至晚上堂云。大眾。山下有一虎子。汝等諸人。出入好看。老僧今朝親遭一口。後溈山問仰山。黃檗虎話作麼生。仰山云。和尚如何。溈山云。百丈當時便合一斧斫殺。因什麼到如此。仰山云。不然。
溈山云。子又作麼生。仰山云。不唯騎虎頭。亦解把虎尾。溈山云。寂子。甚有險崖之句。
師每日上堂。常有一老人聽法。隨眾散去。一日不去。師乃問。立者何人。老人云。某甲於過去迦葉佛時。曾住此山。有學人問。大修行底人。還落因果也無。對云。不落因果。墮在野狐身。今請和尚代一轉語。師云。汝但問。老人便問。大修行底人。還落因果也無。師云。不昧因果。老人於言下大悟。告辭師云。某甲已免野狐身。住在山後。乞依亡僧燒送。師令維那白槌告眾。齋後普請送亡僧。大眾不能詳。師領眾至山後巖下。以杖挑出一死狐。乃依法火葬。至晚參。師舉前因緣次。黃檗便問。古人錯對一轉語。落在野狐身。今日轉轉不錯是如何。師云。近前來。向汝道。黃檗近前。打師一掌。師拍手笑云。將謂胡鬚赤。更有赤鬚胡。時溈山在會下作典座。司馬頭陀。舉野狐話問。典座作麼生。典座。以手撼門扇三下。司馬云。太麤生。典座云。佛法不是這箇道理。後溈山舉黃檗問野狐話。問仰山。仰山云。黃檗常用此機。溈山云。汝道。天生得。從人得。仰山云。亦是稟受師承。亦是自宗通。溈山云。如是如是。
黃檗問。從上古人。以何法施人。師良久未語。黃檗云。後代兒孫。將何傳授。師云。將謂你這漢是箇人。便歸方丈。
師與溈山作務次。師問。有火也無。溈山云。有。師云。在什麼處。溈山把一莖柴。吹過與師。師接過云。如蟲蝕木。
因普請鋤地次。有僧。聞鼓聲。舉起鋤頭。大笑歸去。師云。俊哉。此是觀音入理之門。後喚其僧問。你今日見甚道理。云某甲早晨未喫粥。聞鼓聲歸喫飯。師乃呵呵大笑。
問。如何是佛。師云。汝是阿誰。云某甲。師云。汝識某甲否。云分明箇。師竪起拂子問。汝見拂子否。云見。師乃不語。
師。令僧去章敬處。見伊上堂說法。你便展開坐具禮拜。起將一隻鞋。以袖拂却上塵。倒頭覆下。其僧到章敬。一依師旨。章敬云。老僧罪過。
溈山五峯雲巖侍立次。師問溈山。併却咽㗋脣吻。速道將來。溈山云。某甲道不得。請和尚道。師曰。不辭向汝道。恐已後喪我兒孫。又問五峯。峯云。和尚亦須併却。師云。無人處斫額望汝。又問雲巖。巖云。某甲有道處。請和尚舉。師云。併却咽喉脣吻。速道將來。巖云。師今有也未。師云。喪兒孫。
上堂。謂眾云。我要一人去。傳語西堂和尚。阿誰去得。五峯云。某甲去得。師云。汝作麼生傳語。峯云。待見西堂即道。師云。見後道什麼。峯云。却來舉似和尚。
因僧問西堂。有問有答。即且置。無問無答時如何。堂云。怕爛却那。師聞舉。乃曰。從來疑這箇老兄。云請和尚道。師曰。一合相不可得。
師謂眾曰。有一人。長不喫飯不道饑。有一人。終日喫飯不道飽。眾無對。
雲巖問。和尚。每日區區為阿誰。師曰。有一人要。巖云。因什麼不教伊自作。師曰。他無家活。
師。童年之時。隨母入寺拜佛。指尊像問母。此是何物。母云。是佛。童云。形容似人無異。我後亦當作焉。
師。凡作務執勞。必先於眾。眾皆不忍。蚤收作具。而請息之。師云。吾無德。爭合勞於人。師既徧求作具不獲。而亦忘食。故有一日不作一日不食之言。流播寰宇矣。師於唐元和九年正月十七日示寂。春秋九十五。長慶元年。勅諡大智禪師。塔曰大勝寶輪。
洪州百丈山大智禪師語錄

CBETA コード: X1322

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません