ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 仏説要行捨身経 (佛說要行捨身經)
  1. 要行捨身経 (要行捨身經)
  2. 仏説要行捨身経 (佛說要行捨身經)

要行捨身経 (要行捨身經)

「要行捨身經」について

1,523 字 · 約 5 分

『要行捨身経』は散逸した仏教経典であり、唐代の高僧・義浄によって漢訳されたと伝えられるが、真偽や作者については学術的に議論が続いている。この経典は、菩薩が無上正覚を求めて行う捨身布施という極端な修行法を主に説く。その歴史的背景は、中央アジアや中国北西部で広まった捨身供養の思想と関わりがある。内容は、血肉や身体の一部を布施することで功徳を積み、速やかに菩提を証得することを強調している。しかし、この教えは仏教の中道思想と相容れない面があり、主流の仏教には受け入れられなかった。仏教史上で特殊な位置を占めるこの経典は、特定の歴史時期における宗教的実践を反映する一方、その過激さゆえに正統な大蔵経には収録されず、古代仏教の民間信仰を研究する上での重要な文献として扱われている。


佛說要行捨身經

仏説 捨身修行経

如是我聞。一時佛在□□□□□□大苾芻眾千二百五□□□□□漢大迦葉波而為□□□□一千人俱。飛騰辟支而為上首。諸大菩薩八千人俱。地藏菩薩而為上首。大梵天王釋提桓因四天大王龍神八部。諸苾芻苾芻尼烏波索迦烏波斯加。

私はこのように聞きました。ある時、仏は□□□□□□にいらっしゃいました。大いなる修行者の僧団、千二百五十人の阿羅漢たちと共に。その中で大迦葉波が尊者でありました。さらに千人もの修行者たちが集い、飛騰する辟支仏が彼らの上首となりました。また、八千人の大菩薩たちが集い、地蔵菩薩がその上首でありました。さらに大梵天王、帝釋天、四天王、そして竜神八部の神々たち。そして、多くの修行者たち(比丘・比丘尼)や在家の信者たち(優婆塞・優婆夷)も集っていました。

爾時世尊於此眾中欣然而矣。放大光明照屍陀林及此大會。未久之間其光還復從口而入。端身而坐。正念不動。爾時迦葉波即從座起。偏露右肩。遶三匝。即於佛前右膝著地。而白佛言。世尊。如來何故於此眾中欣然而笑。放大光明照屍陀林及此大會。未久之間其光還復從口而入。端身而座。正念不動。唯願如來說其意志。佛言。善哉善哉。善男子。汝當諦聽善思念之。吾當為汝說其要法。我以佛眼觀此林中。捨身行者未來當獲正等菩提。若有有情能發勝上捨身之意。心生平等無有愛憎。不生慳悋。若能一發是心。雖未捨身是人已過二乘之行百千萬倍。即共諸菩薩等一切同志。況捨身命普及有情。如是功德。我若具說不可窮盡。迦葉波白佛言。世尊如來所言在屍陀林普及一切有情。是義不然不名為普。若是普者水性有情即無有分。唯願如來示我普義。佛言。善男子。我正許說汝方即問。若有有情能施身分。分為二分。一分水中。一分陸地。是人命欲終時。囑善知識同志願者。分割其身以為二分。是分身者所得功德。與捨身人功德無二。我念過去燃燈佛時。在舍衛國修菩提行。願捨身命皮肉筋骨。心心相續。彌勒于時為我善友。我命既盡即分二分。安置如法。慈氏合掌即發願言。以此微供普及有情水陸空行一切都食緣。是功德無始已來恒相值遇共為眷屬。次復作佛即其人也。我因捨身發大誓言。若有有情飢食我肉。渴飲我血。既飲噉已。願令一切有情因食我肉發菩提心離飢渴苦。未來當得法喜等食。資自性身。飲我血者離諸愛渴。當獲法水灌注心源。愛法王資變化身。以是義故疾得無上正等菩提。又迦葉波我於因地初發心時。三度死捨正第四生。即能生捨不貪愛。於空王佛時。以悟空理即薩埵王子。施身餓虎飼於七子。亦作月光大王。廣惠千首。亦為達拏太子。施妻子。亦為慈力悲王施軀於五夜叉。為求法故。於雪山邊求半句偈。以施其身餧其羅剎。我若廣說無始已來生。捨身命於百千劫不可說盡。何以故。都由因地初發心時死捨身故。迦葉放白佛言。世尊如是等人但行捨身功德無量。不審未施已前多生造罪。先世惡業捨身福報得滅以不。佛言。善男子。若有有情多生殺害一切有情。遍娑婆界。四重五逆謗方等經。乃至食噉有情血肉。如是等罪無量無邊。若有有情能施身分普濟有情。除飢渴苦。如上之罪悉皆消滅。從無始已來所有殃咎速滅無餘緣。捨身故即是大懺悔悉誠慚愧。十方一切諸佛皆共稱嘆。善男子。假使有人從無始已來作業。偷僧祇物常住僧物見前僧物不淨說法。大斗重秤如是等罪。應入奈落迦傍生餓鬼。百千劫中不得解脫。恐獲來苦即請召集。娑訶世界三明六通具八解脫大阿羅漢。若凡若聖一切僧尼聚在一處。欲滅其罪亦不可滅。何以即有百千殑伽娑訶世界。一切眾僧清淨眾海即不來集。以是因緣罪難除滅。是故稱云常住僧物。普通法界上至諸佛下至沙彌。悉皆有分不如有人。於一切生處。願捨此身皮肉筋骨。心心相續如上之罪。悉皆消滅。天曹地府所有薄籍自然除滅。以是因緣。我見是利故。勸諸有情當施身分必定獲得無上等覺。爾時世尊告彌勒菩薩言。慈氏如是輩經。汝等護持。於贍部洲廣宣流布無令斷絕。爾時彌勒菩薩白佛言。世尊。如來滅後惡世之中。若善男子善女人。發勇猛心。以身布施。一切有情為檀波羅蜜故。如是等人我於龍花初首皆令得度。唯願佛曰。更不有慮。大梵天王釋提桓因四天大王。龍神八部諸苾芻苾芻尼烏波索迦烏波斯迦。白佛言。世尊。如此人輩。我等從今為作衛護。不令有人作於留難。所以者何。如此人輩必定獲得無等正覺。爾時慶喜白佛言。世尊。當何名之。佛告慶喜。此經名諸佛要行捨身功德經。爾時一切天人阿素洛聞佛所說。信受奉行。

ここに、世尊はこの大衆の中で喜びの微笑みを浮かべられました。そして大いなる光明を放ち、屍陀林(シート林)とこの大集会を照らしました。しばらくして、その光は再び還って口から入りました。そして、世尊は身を正して座り、正念(正しい心の持ちよう)に留まり動かれませんでした。

その時、尊者カシャパ(迦葉波)が座を立ち、右肩を露わにし、三度、右に繞(めぐ)って、仏の前で右膝を地に着けて、こう申し上げました。「世尊よ、如来はなぜこの大衆の中で喜びの微笑みを浮かべられ、大いなる光明を放って屍陀林とこの大集会を照らし、しばらくしてその光は再び還って口から入り、身を正して座り、正念に留まり動かれないのでしょうか。どうか如来よ、そのお心の内をお示しください。」

仏は告げられました。「善いかな、善いかな。善男子よ、あなたはよく聞き、よく思いなさい。私はあなたのために、その大切な教えを説こう。私は仏の眼でこの林の中を見るに、身を捨てる行(ぎょう)を実践する者は、未来において正しい等しい覚り(正等菩提)を得るであろう。もし、ある有情が、この優れた身体を捨てようという心を起こし、心に平等を生じて愛憎なく、けちけちする心(慳悋)を生じなければ、このような心を一度でも発するならば、まだ身を捨てていなくとも、すでに二乗(声聞・縁覚)の行を百千万倍も超えている。すなわち、諸々の菩薩たちと一切の同じ志を持つ者たちと等しくなる。ましてや、身や命を施して、すべての有情にまで及ぼすならば、その功徳は、もし私が詳しく説こうとしても、尽きることはないであろう。」

カシャパは仏に申し上げた。「世尊よ、如来がおっしゃられる『屍陀林において、すべての有情に及ぼす』という意味は、道理に適いません。それを『普(あまね)し』とは言えません。もし『普し』であるならば、水の中に生きる有情には、その分がないことになります。どうか如来よ、私に『普し』の意味をお示しください。」

仏は告げられた。「善男子よ、私がまさに説こうとした時に、あなたはすぐに問うた。もし、ある有情が自らの身体の一部を施すことができるなら、その身体を二分し、一分を水の中に、一分を陸地に置くのである。その人が命を終えようとする時に、善知識(善き友)や同じ志を持つ者に、その身を二分することを託す。このように身を分ける者の得る功徳は、身を捨てる者の功徳と何ら変わらない。私はかつて燃燈仏の時代を思い出す。その時、私は舎衛国で菩提の行を修め、身・命・皮・肉・筋・骨を施すことを願い、その心を連続して絶やさなかった。弥勒菩薩がその時、私の善き友であった。私の命が尽きたならば、すぐに身体を二分し、正しく安置した。慈氏(弥勒)は合掌し、すぐに願いを発した。『この僅かな供養を、すべての有情、水・陸・空を行くもの、一切のものを食べる者にまで及ぼしますように。この功徳によって、無始の昔から常に互いに遇い、共に眷属となりますように。次に仏となる者は、まさにこの人です。』私は身体を捨てることで、大いなる誓いを発した。『もし、ある有情が飢えて私の肉を食べ、渇いて私の血を飲むならば、これを飲み食いしたならば、願わくば、一切の有情が私の肉を食べることによって菩提心を発し、飢えと渇きの苦しみから離れ、未来には法の喜びという等しい食(じき)を得て、自性の身を養うことができますように。私の血を飲む者は、すべての愛執と渇きから離れ、法の水を獲得して心の源を潤し、法王の資を愛して変化の身を成就しますように。このような理由から、速やかに無上の正しい等しい覚りを得るのです。』

また、カシャパよ、私は因位(修行の地)において初めて心を発した時、三度までは死んでから身体を捨て、第四番目の生で、初めて生きながら捨てることができ、貪りの心がなかった。空王仏の時には、空の道理を悟って、すなわちサッタ王子(薩埵王子)となり、飢えた虎に身を施して七匹の子を養った。また、月光大王として、広く千の首を施し、ダナ王子(達拏太子)として、妻と子を施し、また、慈力悲王として、五人の夜叉に身体を施した。また、法を求めるために、雪山の辺りで半偈(半ばの偈)を求め、その身を羅刹に施して食べさせた。もし私が無始の昔からの、身や命を捨てた生(しょう)を広く説こうとすれば、百千劫(こう)の間でも説き尽くすことはできない。それはなぜか。すべて、因位において初めて心を発した時に、死んでから身を捨てることを修行したからである。」

カシャパは、再び仏に申し上げた。「世尊よ、このような人々は、ただ身を捨てる行を実践するだけで、その功徳は無量であると説かれますが、詳しくは伺いません。この施しを行う以前の、多くの生で造った罪、先世の悪業は、この身を捨てる福報によって滅することができるのでしょうか、できないのでしょうか。」

仏は告げられた。「善男子よ、もし、ある有情が多くの生にわたって一切の有情を殺害し、娑婆世界に満ちるほどの四重罪・五逆罪を犯し、方等経を謗り、さらに、有情の血肉を食べるなど、このような罪は無量無辺である。しかし、もし、ある有情が自らの身体の一部を施して、すべての有情を救済し、飢えと渇きの苦しみを除くことができるならば、上述の罪はすべて消滅する。無始の昔からのすべての災いや咎も、速やかに滅し尽くして余りがない。身体を捨てるということは、すなわち大いなる懺悔であり、真心からの慚愧である。十方の一切の諸仏も、皆、共に称賛するのである。善男子よ、たとえ、ある人が無始の昔から罪を造り、僧祇物(僧団の物)や常住僧物(寺院の常備品)、眼前の僧物を盗み、不浄な説法をし、大きな斗や重い秤(不正な計量)を用いるなどの罪を犯したとしても、これらの罪は奈落迦(地獄)・傍生(畜生)・餓鬼に落ちるべきものであり、百千劫の間も解脱を得られない。もし、未来の苦しみを恐れて、すぐに招集を願ったとしても、娑呵世界の三明・六通・八解脱を具えた大阿羅漢、凡夫であれ聖者であれ、一切の僧尼が一か所に集まって、その罪を滅しようとしても、滅することはできない。それはなぜか。百千のガンジス河の沙の数ほどの娑呵世界の一切の僧侶という清らかな大海が集まらないからである。このような因縁によって、罪は除き滅することが難しい。それゆえに『常住僧物』と呼ばれるのだ。これは普通、法界に及び、上は諸仏より下は沙弥に至るまで、すべてが分け前を持つものである。しかし、誰かが、あらゆる生まれる場所において、この身の皮・肉・筋・骨を施すことを願い、その心を連続して絶やさないことには、及ばない。上述のような罪は、すべて消滅する。天曹や地府にあるすべての帳簿や記録も、自然と消え去る。このような因縁によって、私はこの利益を見たので、諸々の有情に対して、身体の一部を施すことを勧めるのである。そうすれば、必ず無上の等しい覚りを得ることができるであろう。」

その時、世尊は弥勒菩薩に告げられた。「慈氏よ、このような教えの経典を、あなたたちは護り持って、閻浮提(インド、人間界)において広く流布させ、絶えることがないようにしなさい。」

その時、弥勒菩薩は仏に申し上げた。「世尊よ、如来が滅度された後の悪しき世の中において、もし善男子・善女人が勇猛の心を起こし、身を布施して一切の有情に対して檀波羅蜜(布施の完全な実践)を行うならば、このような人々を、私は必ず最初の竜華樹の下の説法の集いで度し導きます。どうか仏よ、もうご心配なさらないでください。」

大梵天王、帝釈天、四天大王、龍神八部、そして諸々の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、仏に申し上げた。「世尊よ、このような人々に対して、私たちは今より守護者となり、妨害(留難)をする者を生じさせません。なぜなら、このような人々は必ず無上の等しい覚りを得るからです。」

その時、阿難(慶喜)は仏に申し上げた。「世尊よ、この経典は何と名付けるべきでしょうか。」

仏は阿難に告げられた。「この経典は『諸仏要行捨身功徳経』と名付けるべきである。」

その時、一切の天・人・阿修羅は、仏の説法を聞いて、深く信じ受け入れ、教えのままに実践した。

佛說要行捨身經
捨身願文 十方三世一切諸佛當證知。弟子某甲等。從無始已來及以今生盡未來際。恒以內財外財生施死施。弟子某甲今生既盡。又復分段之身。血肉皮骨頭目髓腦。及以手足施與一切飢餓眾生。以償宿債。仰效菩薩苦行之蹤。捨身血肉至屍陀林。所捨身善根以集當集。現集一切善根。以此善願共一切眾生生生之處。於身命財不生貪著。捨邪歸正。發菩提心。永除三障。永離貧窮。常見一切諸佛菩薩。

CBETA コード: T2895

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません