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  1. 潭州潙山霊祐禅師語録 (潭州溈山靈祐禪師語錄)
  1. 潭州潙山霊祐禅師語録 (潭州溈山靈祐禪師語錄)
  2. 潭州潙山霊祐禅師語録 (潭州溈山靈祐禪師語錄)

潭州潙山霊祐禅師語録 (潭州溈山靈祐禪師語錄)

「潭州溈山靈祐禪師語錄」について

明 · 語風圓信.郭凝之編 著

7,446 字 · 約 25 分

潭州溈山霊祐禅師語録は、明代の僧侶・語風円信と在家居士・郭凝之によって共同で編纂され、唐代に溈仰宗を創始した霊祐禅師の教え、機鋒問答、および生涯の事跡を収録したものです。この語録は明末に成立し、溈仰宗の禅法思想を研究する上で重要な文献となっています。内容は、霊祐禅師の「即事而真」「体用不二」という禅の宗旨を集約的に示しており、日常の労働の中で心を見極め本性を悟ること(明心見性)を強調し、後世の「農禅並重」の宗風に深い影響を与えました。この語録は、溈仰宗の根本典籍の一つであるだけでなく、中国禅宗思想の発展と実践を理解する鍵となるテキストであり、仏教史上において崇高な地位を占めています。


潭州溈山靈祐禪師語錄

潙山霊祐禅師語録

徑山沙門語風圓信無地地主人郭凝之 編集

徑山沙門・語風圓信、無地地主人・郭凝之 編集

師諱靈祐。福州長谿趙氏子。年十五出家。依本郡建善寺法常律師剃髮。於杭州龍興寺。究大小乘教。二十三。遊江西參百丈。百丈一見。許之入室。遂居參學之首。侍立次。百丈問。誰。師云。某甲。百丈云。汝撥爐中有火否。師撥之云。無火。百丈躳起。深撥得少火。舉以示之云。汝道無。這箇聻。師由是發悟禮謝。陳其所解。百丈云。此乃暫時岐路耳。經云。欲識佛性義。當觀時節因緣。時節既至。如迷忽悟。如忘忽憶。方省己物不從他得。故祖師云。悟了同未悟。無心亦無法。祇是無虛妄。凡聖等心。本來心法元自備足。汝今既爾。善自護持。次日。同百丈入山作務。百丈云。將得火來麼。師云。將得來。百丈云。在甚處。師乃拈一枝柴。吹兩吹。度與百丈。百丈云。如蟲禦木(徑山杲云。百丈若無後語。洎被典座瞞)時。師作典座。司馬頭陀。舉野狐話問師。作麼生。師以手撼門扇三下。司馬云。太麁生。師云。佛法說甚麼麁細。一日。司馬自湖南來。謂百丈云。頃在湖南。尋得一山名大溈。是一千五百人善知識所居之處。百丈云。老僧住得否。司馬云。非和尚所居。百丈云。何也。司馬云。和尚是骨人。彼是肉山。設居徒不盈千。百丈云。吾眾中。莫有人住得否。司馬云。待歷觀之。時。華林覺為第一座。百丈令侍者請至。問云。此人如何。司馬請謦欬一聲行數步。司馬云。不可。百丈又令喚師。師時為典座。司馬一見。乃云。此正是溈山主人也。百丈。是夜召師入室。囑云。吾化緣在此。溈山勝境。汝當居之。嗣續吾宗。廣度後學。華林聞之云。某甲。忝居上首。典座何得住持。百丈云。若能對眾下得一語出格。當與住持。即指淨瓶問云。不得喚作淨瓶。汝喚作甚麼。華林云。不可喚作木𣔻也。百丈乃問師。師踢倒淨瓶。便出去。百丈笑云。第一座。輸却山子也。師遂往焉。是山峭絕。敻無人煙。猿猱為伍。橡栗充食。經于五七載。絕無來者。師自念言。我本住持。為利益於人。既絕往還。自善何濟。即捨菴而欲他往。行至山口。見蛇虎狼豹。交橫在路。師云。汝等諸獸。不用攔吾行路。吾若於此山有緣。汝等各自散去。吾若無緣。汝等不用動。吾從路過。一任汝喫。言訖。蟲虎四散而去。師乃回菴。未及一載。安上座(即懶安也)同數僧。從百丈來。輔佐於師。安云。某甲。與和尚作典座。待僧至五百眾。乃解務。自後山下居民。稍稍知之。率眾共營梵宇。連帥李景讓。奏號同慶寺。相國裴公休。嘗咨玄奧。繇是。天下禪學輻輳焉。有得法上首仰山寂禪師。故世稱溈仰宗。

師は、諱を靈祐とおっしゃった。福州長谿の趙氏の家の出である。十五歳で出家し、故郷の建善寺にて法常律師のもとで剃髪した。杭州の龍興寺においては、大乗小乗の教えを究められた。二十三歳のとき、江西に遊学して百丈和尚に参じた。百丈和尚は一目見て、入室を許し、たちまち參学の首座となられた。

ある時、師が侍立しておられると、百丈和尚が問われた、「誰ぞ」。師は「某甲です」と答えた。百丈和尚が、「爐の中に火があるかどうか、かき起こしてみよ」と言われたので、師がかき起こして、「火はございません」と申し上げた。百丈和尚は身を起こして、深くかき起こしてかすかな火の気を得ると、それを取り出して示して、「お前は無いと言ったが、これは何だ」と言われた。師はこの言葉によって悟りを開かれ、禮をして感謝し、悟ったところを述べた。百丈和尚は言われた、「これはまだ一時の歧路に過ぎない。経に言う、仏性の義を知らんと欲せば、当に時節因緣を觀ずべし、と。時節が來れば、迷いのままに突然悟るように、忘れていたものを突然思い出すように、自分自身のものであり、他のものから得たものではないと、はじめて知るのである。だから祖師は言われた、悟っても悟らざるに同じく、心もなく法もない。ただ虛妄がなければ、凡夫も聖人も心は同じである。本來の心と法は、元より自ら具わっているのだ、と。お前も今そうなった以上、よく自分を守り保ちなさい」。

翌日、百丈和尚と共に山に入って働かれた。百丈和尚が「火を持って來たか」と問われた。師は「持ってまいりました」と答えた。百丈和尚が「どこにある」と言われると、師は一本の柴をつまみ上げ、二度吹きかけて、百丈和尚に差し出した。(徑山の大慧杲禪師は言われる、百丈和尚が後の言葉をおっしゃらなければ、典座に欺かれるところであった、と。)

その頃、師は典座を務めておられた。司馬頭陀が野狐の話を持ち出して師に問うた、「どういうことか」。師は手で門の戸を三度揺らされた。司馬が「あまりに粗雑ですな」と言うと、師は「佛法に粗い細いの何があるというのですか」と言われた。

ある日、司馬頭陀が湖南からやって來て、百丈和尚に言った、「だいぶ前に湖南で大溈という山を探し當てました。これは一千五百人の善知識が住むにふさわしい所です」。百丈和尚が「老僧が住めないものか」と問われると、司馬は「和尚の住まれる所ではありません」と答えた。百丈和尚が「なぜか」と問われると、司馬は「和尚は骨の人であり、あそこは肉の山です。たとえ住まれても、人は千人に満たないでしょう」と言った。百丈和尚が「我が會下の者で、誰か住める者はいるか」と問われると、司馬は「一人ずつ見てみましょう」と答えた。

その時、華林覺が第一座を務めていた。百丈和尚は侍者に命じて招き寄せて、問われた、「この者をどう見るか」。司馬は、彼に咳払いを一つさせ、數歩歩かせてから言った、「いけません」。百丈和尚はまた師を呼ばせた。師はその時典座であった。司馬は一目見るなり、「これこそまさに溈山の主となるべき人です」と言った。

百丈和尚はその夜、師を部屋に招いて、こう言い含められた、「私はこの地で教化の縁がある。溈山は勝れた境地であるから、お前がそこに住み、我が宗を受け継ぎ、後の學人を廣く導きなさい」。華林はこれを聞いて言った、「某甲は上首の座を辱うしております。典座がどうして住持になれましょうか」。百丈和尚は「衆の前で、型にはまらない一句を言うことができたら、住持を許そう」と言い、浄瓶を指して問われた、「これを浄瓶と呼んではならぬ。お前は何と呼ぶか」。華林は「木𣔻とは呼べませんですね」と答えた。百丈和尚はそこで師に問われた。師は浄瓶を蹴り倒して、そのまま出て行かれた。百丈和尚は笑って言われた、「第一座は、この山の子に負けたな」。

師はそこで大溈山へ行かれた。この山は切り立って險しく、人煙もまばらで、猿や鹿が仲間であり、橡の実を食いつなぐような場所であった。五七年が過ぎても、訪れる者は全くいなかった。師は自ら思われた、「私は本來、人々を利益するために住持となった。そもそも人の來往が絶えてしまったのでは、自分だけが善であって何の助けになろうか」。そこで庵を捨てて、他へ移ろうと思われた。山口まで來ると、蛇や虎、狼や豹が道を橫に塞いでいた。師は言われた、「お前たち諸獣よ、我が行く道を塞いではならない。私がもしこの山に縁があるならば、お前たちはそれぞれ立ち退きなさい。もし縁がなければ、お前たちは動かなくてよい。私がこの道を通る時、お前たちの好きに食べるがよい」。言い終わると、蟲も虎も四方へ立ち去って行った。師はそれで庵に戻られた。

それから一年も經ないうちに、安上座(すなわち懶安である)が數人の僧と供に百丈のもとからやって來て、師を助けられた。安が言った、「某甲が和尚のために典座を務めましょう。僧が五百人に達したなら、その時に務めを解きましょう」。その後、山下の住民も次第にこのことを知り、皆で集まって寺院を建てた。連帥の李景讓が上奏して、同慶寺と號することを許された。相國の裴公休も、しばしば深遠な教えを尋ねられた。これによって、天下の禪の學人が集まることとなった。法を得た上首として仰山寂禪師がいたので、世に溈仰宗と稱えられるのである。

上堂。夫道人之心。質直無偽。無背無面。無詐妄心。一切時中。視聽尋常。更無委曲。亦不閉眼塞耳。但情不附物。即得。從上諸聖。祇說濁邊過患。若無如許多惡覺情見想習之事。譬如秋水澄渟。清淨無為。澹泞無礙。喚他作道人。亦名無事人。時有僧問。頓悟之人。更有修否。師云。若真悟得本。他自知時。修與不修。是兩頭語。如今初心。雖從緣得。一念頓悟。自理猶有。無始曠劫習氣。未能頓淨。須教渠淨除現業流識。即是修也。不可別有法教渠修行趣向。從聞入理。聞理深妙。心自圓明。不居惑地。縱有百千妙義。抑揚當時。此乃得坐披衣。自解作活計始得。以要言之。則實際理地。不受一塵。萬行門中。不捨一法。若也單刀直入。則凡聖情盡。體露真常。理事不二。即如如佛。

上堂。修行者の心とは、素直で偽りがなく、裏表もなく、欺いたり迷ったりする心がありません。いつでも見ることも聞くこともごく自然で、わざとらしさがなく、目を閉じたり耳を塞いだりすることもありません。ただ、心が物事に執着しなければ、それでよいのです。

歴代の聖者たちは、煩悩にまみれた側の過ちや問題について説いてきました。もし、多くの悪しき思いや執着、習慣などがなければ、まるで秋の水が澄み渡り、清らかで何もせず、静かで何にも妨げられないようなものです。そのような人を「道人」と呼び、また「無事人」とも言います。

その時、ある僧が尋ねました。「頓悟した人には、さらに修行が必要でしょうか。」

師は答えました。「もし本当に根本を悟ったなら、その人は自ずと時を知るでしょう。修行するかしないかというのは、二つの極端な言葉です。今、初心者が縁によって一瞬で悟りを得ても、自らの心の中には、無始の昔からの長い習慣がまだ残っており、すぐには清らかにはなりません。そのため、現在の業や流転する意識を清めることを教えなければなりません。これが修行です。それ以外に、何か別の方法で修行や方向付けを教える必要はありません。聞くことから道理に入り、道理の深遠さを知れば、心は自ずと円満に明るくなり、迷いの地にとどまることはありません。たとえ千もの優れた教えがあって、その場で褒めたりけなしたりしても、それは座って衣をまとうことから始まり、自ら生き方を解き明かすことです。

要するに、真実の境地には塵一つも受け入れず、すべての行いにおいては一つの法も捨てません。もし一気に真髄に迫れば、凡夫と聖者の区別はなくなり、真の姿が現れ、道理と事象は一つになります。それがすなわち、真実そのものの仏です。

鄧隱峯。到溈山。便入堂。於上板頭。解放衣鉢。師聞師叔到。先具威儀。下堂內相看。隱峯見來。便作臥勢。師便歸方丈。隱峯乃去。少間。師問侍者。師叔在否。云已去。師云。去時有甚麼語。云無語。師云。莫道無語。其聲如雷。

鄧隠峯が溈山に到着すると、すぐに堂に入り、上座の板の上で衣鉢を解き放った。師(溈山霊祐)は師叔(鄧隠峯)が来たと聞き、まず威儀を整えて堂から下り、会いに行った。隠峯は彼が来るのを見ると、横になる姿勢をとった。師はすぐに方丈に戻った。隠峯はそれで去った。

しばらくして、師は侍者に尋ねた。「師叔はまだいるか?」侍者が「もう去りました」と答えると、師は言った。「去る時に何か言葉はあったか?」「何もありませんでした」と侍者が答えると、師は言った。「『何もなかった』と言うな。その声は雷のようだったのだから。」

雲巖到溈山。師問。承聞長老在藥山弄師子。是否。雲巖云。是。師云。長弄有置時。雲巖云。要弄即弄。要置即置。師云。置時。師子在甚麼處。雲巖云。置也。置也(法昌遇云。好一場師子。只是有頭無尾。我當時若見溈山道置時師子在甚麼處。便與放出踞地金毛。直教溈山藏身無路)。

雲巖が溈山を訪れた。師が尋ねた。「長老が薬山で獅子を弄んでいたと聞いたが、本当か」雲巖が答えた。「はい」師が言った。「長く弄んでいれば、置く時もあるだろう」雲巖が言った。「弄べば弄ぶ、置けば置く」師が言った。「置いた時、獅子はどこにあるのか」雲巖が言った。「置いた、置いた」(法昌遇が言う。「立派な獅子の芸だ。ただ頭だけで尾がない。もし私が当時、溈山が『置いた時、獅子はどこにあるのか』と言うのを見たら、すぐに地を這う金毛の獅子を放ち、溈山に身を隠す道もなくしてやっただろう」)

師問雲巖。菩提以何為座。雲巖云。以無為為座。雲巖却問師。師云。以諸法空為座。又問道吾。作麼生。道吾云。坐也聽伊坐。臥也聽伊臥。有一人不坐不臥。速道速道。師休去。

師が雲巖に問うた。 「菩提は何を座としますか」

雲巖が答えた。 「無為を座とします」

雲巖が逆に師に尋ねた。 師は答えた。 「諸法の空を座とします」

また道吾に尋ねた。 「どうですか」

道吾が答えた。 「坐るのもそのままに坐らせ、臥すのもそのままに臥させる。 坐らず臥さぬ者が一人いる。 さあ、早く言え、早く言え」

師はそれ以上問わなかった。

師問雲巖。聞汝久在藥山。是否。雲巖云。是。師云。如何是藥山大人相。雲巖云。涅槃後有。師云。如何是涅槃後有。雲巖云。水灑不著。雲巖却問師。百丈大人相。如何。師云。巍巍堂堂。煒煒煌煌。聲前非聲。色後非色。蚊子上鐵牛。無汝下嘴處。

師が雲巖に尋ねた。「聞くところでは、あなたは長く薬山のもとにいたそうだな。そうか?」雲巖が答えた。「はい。」師が言った。「では、薬山の大人の相とは、どのようなものか?」雲巖が言った。「涅槃の後にあり。」師が言った。「涅槃の後にありとは、どういうことか?」雲巖が言った。「水をかけても、かからない。」雲巖が今度は師に尋ねた。「では、百丈の大人の相とは、どのようなものですか?」師が言った。「高く聳え、堂堂として、輝き煌めく。声の前には声にあらず、色の後ろには色にあらず。蚊が鉄の牛の上に止まっても、くちばしを刺すところがないようなものだ。」

師問道吾。甚麼處去來。道吾云。看病來。師云。有幾人病。道吾云。有病底。有不病底。師云。不病底。莫是智頭陀麼。道吾云。病與不病。總不干他事。速道速道。師云。道得也與他沒交涉。

師が道吾に尋ねた。「どこから来たのか」 道吾が答えた。「病人を見舞ってきました」 師が言った。「何人病人がいるのか」 道吾が言った。「病んでいる者もいれば、病んでいない者もいます」 師が言った。「病んでいない者は、智頭陀のことではないか」 道吾が言った。「病んでいるか病んでいないかは、いずれも彼とは関係ありません。早く言え、早く言え」 師が言った。「言えたとしても、彼とは何の関係もない」

德山來參。挾複子上法堂。從西過東。從東過西。顧視方丈云。有麼有麼。師坐次。殊不顧眄。德山云。無無。便出(雲竇著語勘破了也)至門首乃云。雖然如此。也不得草草。遂具威儀。再入相見。纔跨門。提起坐具云。和尚。師擬取拂子。德山便喝。拂袖而出(雲竇著語勘破了也)師至晚問首座。今日新到。在否。首座云。當時背却法堂。著草鞋出去也。師云。此子。已後向孤峯頂上。盤結草菴。呵佛罵祖去在(雲竇顯云。雪上加霜五祖戒云。德山。大似作賊人心虛。溈山。也是賊過後張弓)。

徳山が参拝に来た。袈裟を挟んで法堂に上がり、西から東へ、東から西へと歩き回り、方丈の方を見て言った。「あるか、あるか」。師は座ったまま、まったく顧みなかった。徳山は「無い、無い」と言って出て行った(雲竇が注釈を付けて、見抜いた)。門のところまで来て言った。「そうは言っても、いい加減にはできない」。そこで威儀を整え、再び入って面会した。門を跨いだ途端、座具を掲げて言った。「和尚」。師が払子を取ろうとすると、徳山は一喝し、袖を払って出て行った(雲竇が注釈を付けて、見抜いた)。師は夕方になって首座に尋ねた。「今日来た新参者は、まだいるか」。首座が答えた。「さっき法堂を背にして、草鞋を履いて出て行きました」。師は言った。「この者は、後々、孤峰の頂に草庵を結び、仏を罵り祖を罵るようになるだろう(雲竇顕が言う。雪の上に霜を重ねるようだ。五祖戒が言う。徳山は、まるで泥棒が心に疚しさを抱くようだ。溈山もまた、賊が去った後に弓を張るようなものだ)」。

石霜抵溈山為米頭。一日篩米次。師云。施主物莫拋散。石霜云。不拋散。師于地上拾得一粒云。汝道不拋散。這箇是甚麼。石霜無對。師又云。莫輕這一粒。百千粒。盡從這一粒生。石霜云。百千粒。從這一粒生。未審這一粒。從甚麼處生。師呵呵大笑。歸方丈。

石霜が溈山に来て、米係を務めていた。ある日、米をふるっていると、師が言った。「施主の物を無駄にしてはいけないよ」。石霜が「無駄にはしていません」と答えると、師は地面から一粒の米を拾い上げて言った。「無駄にしていないと言うが、これは何だ?」石霜は答えられなかった。師はさらに言った。「この一粒を軽んじてはいけない。百千の粒も、みなこの一粒から生まれるのだから」。石霜が「百千の粒がこの一粒から生まれるというなら、ではこの一粒はどこから生まれたのでしょうか」と尋ねると、師は呵呵と大笑いし、方丈へと帰っていった。

夾山在溈山作典座。師問。今日喫甚麼菜。夾山云。二年同一春。師云。好好修事著。夾山云。龍宿鳳巢。

夾山が溈山で典座(食事の担当)を務めていた時のことです。 師が尋ねました。「今日はどんな菜(おかず)を食べるのかね。」 夾山は答えました。「二年、同じ春でございます。」 師は言いました。「よろしい、しっかりと務めを果たすがよい。」 夾山は言いました。「龍が宿り、鳳凰が巣くうところでございます。」

仰山問。如何是祖師西來意。師指燈籠云。大好燈籠。仰山云。莫祇這便是麼。師云。這箇是甚麼。仰山云。大好燈籠。師云。果然不見。

仰山が尋ねた。「祖師が西方から来られた真意とは、いかがなるものですか」 師は提灯を指さして言った。「見事な提灯だな」 仰山が言った。「まさかこれだけのことではありますまい」 師が言った。「これは何だ」 仰山が言った。「見事な提灯です」 師が言った。「やはり見えていないな」

一日。師謂眾云。如許多人。祇得大機。不得大用。仰山舉此語。問山下菴主云。和尚恁麼道。意旨如何。菴主云。更舉看。仰山擬再舉。被菴主踏倒。仰山歸舉似師。師呵呵大笑。
師摘茶次。謂仰山云。終日摘茶。祇聞子聲。不見子形。仰山撼茶樹。師云。子祇得其用。不得其體。仰山云。未審。和尚如何。師良久。仰山云。和尚祇得其體。不得其用。師云。放子三十棒。仰山云。和尚棒。某甲喫。某甲棒。阿誰喫。師云。放子三十棒(首山云。夫為宗師。須具擇法眼始得。當時不是溈山。便見扶籬摸壁瑯琊覺云。五更侵蚤起。更有夜行人又云。若不是溈山。洎合打破蔡州。白雲。端云。父子相投。意氣相合。機鋒互換。啐啄同時。雖然如是。畢竟如何道得體用雙全去。溈山放子三十棒。也是養子之緣 蔣山懃云。張公乍與李公友。待罰李公一盞酒。倒被李公罰一盃。好手手中呈好手玉泉璉云。直饒體用兩全。爭奈當頭蹉過。過則且止。放子三十棒。又作麼生。三盞酒粧公子而。一枝花插美人頭)。

師が茶摘みをしている時、仰山に言った。 「一日中、茶を摘んでいるが、お前の声は聞こえても、姿が見えないな」 仰山は茶の木を揺らした。 師は言った。 「お前はその働きはわかっても、本体はわかっていない」 仰山が言った。 「和尚はどうなさいますか」 師はしばらく黙っていた。 仰山が言った。 「和尚は本体はわかっても、働きはわかっていません」 師は言った。 「お前に三十棒だ」 仰山が言った。 「和尚の棒は私がいただきます。私の棒は誰がいただきますか」 師は言った。 「お前に三十棒だ」

師坐次。仰山入來。師云。寂子速道。莫入陰異。仰山云。慧寂信亦不立。師云。子信了不立。不信不立。仰山云。祇是慧寂。更信阿誰。師云。若恁麼。即是定性聲聞。仰山云。慧寂佛亦不立。

師が座っていると、仰山が入ってきた。師が言う、「寂子よ、早く言え。陰界に入るな」。仰山が言う、「慧寂は信も立てない」。師が言う、「お前は信じて立てないのか、信じないから立てないのか」。仰山が言う、「ただ慧寂があるだけです。他に誰を信じましょうか」。師が言う、「もしそうなら、それは定性の声聞だ」。仰山が言う、「慧寂は仏も立てない」。

師問仰山。涅槃經四十卷。多少是佛說。多少是魔說。仰山云。總是魔說。師云。已後無人奈子何。仰山云。慧寂即一期之事。行履在甚處麼。師云。祇貴子眼正。不說子行履。

師が仰山に問うた。「『涅槃経』四十巻、そのうちどれだけが仏の説法で、どれだけが魔の説法か?」 仰山が答えた。「すべて魔の説法です。」 師が言った。「これから先、誰もお前にかなわないだろう。」 仰山が言った。「慧寂(私)はただ一時のことに過ぎません。日々の行いはどこにあるのでしょうか?」 師が言った。「私はただ、お前の見解(眼)が正しいことを重視する。お前の行い(行履)については問わない。」

仰山蹋衣次。提起問師云。正恁麼時。和尚作麼生。師云。正恁麼時。我這裏無作麼生。仰山云。和尚有身而無用。師良久。却拈起問云汝正恁麼時作麼生。仰山云。正恁麼時。和尚還見伊否。師云。汝有用而無身。師後忽問仰山。汝春間有話未圓。今試道看。仰山云。正恁麼時。切忌勃訴。師云。停囚長智。

仰山が衣をたたんでいる時、衣を取り上げて師に問うた。「まさにそんな時、和尚はどのような様子でおられますか。」師は言った。「まさにそんな時、わしのところには『どのような様子』というものはない。」仰山が言った。「和尚には身体があっても、働きがありません。」師はしばらく黙っていたが、やがて衣を取り上げて仰山に問うた。「お前はまさにそんな時、どのような様子か。」仰山が言った。「まさにそんな時、和尚はそれ(私)をご覧になりますか。」師は言った。「お前には働きがあっても、身体がない。」師はその後、ふと仰山に問うた。「お前は春の間に、言い足りないことがあったな。いま一度、言ってみよ。」仰山が言った。「まさにそんな時、くれぐれも慌てふためいてはいけません。」師は言った。「囚人を止めておくと、知恵がつくものだ。」

師過淨瓶與仰山。仰山擬接。師却縮手云。是甚麼。仰山云。和尚還見箇甚麼。師云。若恁麼。何用更就吾覓。仰山云。雖然如此。仁義道中。與和尚提瓶挈水。亦是本分事。師乃過淨瓶與仰山。

師が浄瓶を仰山に渡そうとした。仰山が受け取ろうとすると、師は手を引っ込めて言った。「これは何だ?」

仰山は言った。「和尚は何か見えたのですか?」

師は言った。「それなら、どうしてわざわざ私のところに求めて来るのだ?」

仰山は言った。「たとえそうであっても、仁義の道において、和尚のために瓶を提げ水を汲むのも、私の本分の務めです」

そこで師は浄瓶を仰山に渡した。

師與仰山行次。指柏樹子問云。前面是甚麼。仰山云。柏樹子。師却問耘田翁。翁亦云。柏樹子師云。這耘田翁。向後亦有五百眾(溈山喆云。山僧則不然。耘田公子吾不如汝。且道。大圓是。山僧是。若人辨得。許汝具擇法眼。若也不辨。佛法熾然生滅 神鼎諲云。為復意在耘田處。為復意在仰山分上。為復總不恁麼。諸上座。一切諸法摐然。更不用生事。他是父子說法。同道方知)。

師が仰山と歩いている途中、柏の木の子を指して尋ねた。「前にあるのは何だ?」仰山は言った。「柏の木の子です。」師はまた田を耕す翁に同じ問いをかけた。翁もまた「柏の木の子です」と答えた。師は言った。「この田を耕す翁も、後には五百人の弟子を従えるようになるだろう。」

〈注釈〉溈山哲禅師は言った。「私ならそうは言わない。田を耕す翁よ、私はお前に及ばない。さあ、言ってみよ。大円(師)の言うことが正しいのか、私の言うことが正しいのか。もしこの道理を判別できたなら、お前に法を見極める目があると認めよう。もし判別できなければ、仏法は盛んに生滅のままである。」

神鼎諲禅師は言った。「この話の意図は田を耕す翁のところにあるのか、それとも仰山のところにあるのか、はたまたどちらでもないのか。皆さん、すべての諸法はそのままに整っている。わざわざ事を起こす必要はない。彼らは父子で説法しているのだ。同じ道を歩む者だけが理解するのである。」

師問仰山。何處來。仰山云。田中來。師云。禾好刈也未。仰山作刈禾勢。師云。汝適來。作青見作黃見。作不青不黃見。仰山云。和尚背後是甚麼。師云。子還見麼。仰山拈禾穗云。和尚何曾問這箇。師云。此是鵝王擇乳。

師が仰山に尋ねた。「どこから来たのか」 仰山が答えた。「田んぼから来ました」 師が言った。「稲はもう刈り頃かね」 仰山は稲を刈る仕草をした。 師が言った。「今、お前は青い稲穂を見たか、黄色い稲穂を見たか、それとも青くも黄色くもない稲穂を見たか」 仰山が尋ねた。「和尚、あなたの後ろにあるものは何ですか」 師が言った。「お前はそれを見ているのか」 仰山は稲穂を手に取って言った。「和尚は一体何をお尋ねになったのですか」 師が言った。「これはまるで鵞王が乳を選ぶようなものだ」

師問仰山。天寒人寒。仰山云。大家在這裏。師云。何不直說。仰山云。適來也不曲。和尚如何。師云。直須隨流師上堂云。仲冬嚴寒年年事。晷運推移事若何。仰山進前。叉手而立。師云。我情知汝答這話不得。香嚴云。某甲。偏答得這話。師躡前問。香嚴亦進前。叉手而立。師云。賴遇寂子不會。

師が仰山に問うた。「寒さは天の寒さか、人の寒さか。」仰山が言った。「皆ここにおります。」師が言った。「なぜ直接言わないのか。」仰山が言った。「今申し上げたことも曲がっておりません。和尚はどうお考えですか。」師が言った。「まさに流れに従うべきだ。」師が上堂して言った。「真冬の厳しい寒さは毎年のこと。時が移り変わるのをどうするか。」仰山が前に進み出て、手を組んで立った。師が言った。「お前がこの言葉に答えられないのは分かっていた。」香厳が言った。「私はこの言葉に答えることができます。」師が先ほどの問いを繰り返した。香厳も前に進み出て、手を組んで立った。師が言った。「幸いにも寂子は理解しなかった。」

師坐次。仰山從方丈前過。師云。若是百丈先師見。子須喫痛棒始得。仰山云。即今事作麼生。師云。合取兩片皮。仰山云。此恩難報。師云。非子不才。廼老僧年邁。仰山云。今日親見百丈師翁來。師云。子向甚麼處見。仰山云。不道見。祇是無別。師云。始終作家。

老師が座っておられた時、仰山和尚が方丈の前を通りかかった。老師は言われた。「もし百丈先師がこの様子をご覧になれば、お前は痛い棒を喰らうべきだぞ。」仰山が問うた。「では、今この時のことはどうお考えですか?」老師は言われた。「その二枚の唇を閉じなさい。」仰山が言った。「この御恩は報じ難うございます。」老師は言われた。「お前が無能なのではない。ただ老僧が年を取っただけのことだ。」仰山が言った。「今日こそ実際に百丈の老師様を目の当たりにいたしました。」老師が問うた。「お前はどこで見たのか?」仰山が答えた。「見たとは申しません。ただ、別け隔てがないというだけです。」老師は言われた。「初めから終わりまで、まさに達者な人物だ。」

師問仰山。即今事且置。古來事作麼生。仰山叉手近前。師云。猶是即今事。古來事作麼生。仰山退後立。師云。汝屈我。我屈汝。仰山便禮拜(蔣山懃云。仰山雖善進前退後。發明古今。其奈溈山向胡餅裏呷汁。壓沙覓油。雖然如是。且道。仰山叉手意作麼生。若也知得。行脚事辦。其或未然。老僧不曾孤負諸人。自是諸人孤負老僧)。

師が仰山に尋ねた。「今のことはひとまず置いて、昔からのことはどうなっているか」 仰山は手を組み、前に進み出た。 師は言った。「それでもまだ今のことだ。昔からのことはどうなっているか」 仰山は後ろに下がって立った。 師は言った。「お前は私を屈した。私はお前を屈した」 仰山はすぐに礼拝した(蔣山懃が云う。仰山は前進と後退を巧みに使い、古今の道理を明らかにしたが、溈山は胡餅の中から汁をすすり、砂を押して油を探すようなものだ。とはいえ、仰山が手を組んだ意味は何か。もしそれがわかるなら、修行の道は成就する。もしわからなければ、老僧は皆を裏切ったことはない。皆が自ら老僧を裏切ったのだ)。

仰山香嚴侍立次。師舉手云。如今恁麼者少。不恁麼者多。香嚴從東過西立。仰山從西過東立。師云。這個因緣。三十年後。如金擲地相似。仰山云。亦須是和尚提唱始得。香嚴云。即今亦不少。師云。合取口(南堂靜云。象王頻呻。師子哮吼。踞地盤空。移星換斗。坐斷舌頭。合取狗口。一回擲地作金聲。九曲黃河徹底清)。

仰山と香厳が傍らに立って侍っていると、師が手を挙げて言われた。 「今、このような者は少ない。このようでない者は多い」 香厳は東から西へと歩いて立ち、仰山は西から東へと歩いて立った。 師が言われた。 「この因縁は、三十年後には、金を地に投げるようになるだろう」 仰山が言った。 「やはり和尚が提唱なさる必要があります」 香厳が言った。 「今もまた少なくはありません」 師が言われた。 「口を閉じるがよい」(南堂靜云。象王頻呻。師子哮吼。踞地盤空。移星換斗。坐斷舌頭。合取狗口。一回擲地作金聲。九曲黃河徹底清)。

師坐次。仰山入來。師以兩手相交示之。仰山作女人拜。師云。如是如是。

師が座っていると、仰山が入ってきた。 師は両手を交差させて示した。 仰山は女の人のように拝礼をした。 師は言った。「その通りだ、その通りだ。」

師方丈內坐次。仰山入來。師云。寂子近日宗門令嗣作麼生。仰山云。大有人疑著此事。師云。寂子作麼生。仰山云。慧寂祗管困來合眼。健即座禪。所以未曾說著在。師云。到這田地也難得。仰山云。據慧寂所見。祇如此。一句也著不得。師云。汝為一人也不得。仰山云。自古聖人。盡皆如此。師云。大有人。笑汝恁麼祗對。仰山云。解笑者。是慧寂同參。師云。出頭事作麼生。仰山繞禪床一匝。師云。裂破古今(蔣山懃云。動絃別曲。葉落知秋。自古自今。築著磕著。鳥道玄路。許他父子親遊。若是荊棘林中。猶欠悟在。以何為驗。只如仰山。繞禪床一匝。溈山云。裂破古今若是明眼衲僧。瞞他一點不得)。

師が方丈の中に座っていると、仰山が入ってきた。 師が言った。「寂子よ、近ごろ宗門の後継者たちはどうしているかね」 仰山が答えた。「このことを疑っている人はたくさんいます」 師が尋ねた。「寂子はどうかね」 仰山が言った。「慧寂はただ、眠くなれば目を閉じ、元気があれば座禅をしているだけです。だから、まだ何も語る段階には至っていません」 師が言った。「そこまで至るのは難しいことだ」 仰山が言った。「慧寂の見るところでは、ただこの通りで、一言も付け加えることはできません」 師が言った。「お前は一人としても足りない」 仰山が言った。「古来の聖人たちも皆、このようなものでした」 師が言った。「お前のこの答え方を笑う者は大勢いるだろう」 仰山が言った。「笑うことができる者は、慧寂の同参です」 師が言った。「表に現れた事柄はどうなっているか」 仰山は禅床を一周した。 師が言った。「古今を裂き破る(蔣山懃が言う。弦を動かせば別の曲が生じ、葉が落ちれば秋を知る。古より今に至るまで、ぶつかり、躓きながら、鳥の通うような玄妙な道を、彼ら父子は親しく遊んだ。もし荊棘の林の中ならば、まだ悟りに欠けるところがあろう。何をもって証とするか。ただ仰山が禅床を一周したのを見よ。溈山は『古今を裂き破る』と言った。もし明眼の衲僧であれば、少しもごまかすことはできない)」

仰山香嚴侍立次。師云。過去未來現在。佛佛道同。人人得箇解脫路。仰山云。如何是人人解脫路。師回顧香嚴云。寂子借問。何不答伊。香嚴云。若道過去未來現在。某甲却有個祇對處。師云。子作麼生祇對。香嚴珍重便出。師却問仰山云。智閑恁麼祇對。還契寂子也無。仰山云。不契。師云。子又作麼生。仰山亦珍重出去。師呵呵大笑云。如水乳合。

仰山と香厳がそばに立ってお仕えしている時、師が言われた。 「過去・未来・現在、どの仏も道は同じ。誰もが解脱への道を得ているのだ」 仰山が尋ねた。 「では、誰もが得ている解脱への道とは何ですか?」 師は振り返って香厳を見て言われた。 「寂子(仰山)が尋ねている。どうして答えてやらないのか」 香厳が言った。 「過去・未来・現在について問われれば、私には答えようがあります」 師が言われた。 「お前はどう答えるのか」 香厳は合掌して礼をし、そのまま出ていった。 師は仰山に尋ねられた。 「智閑(香厳)がこのように答えたのは、寂子の問いに合っているか?」 仰山が答えた。 「合っていません」 師が言われた。 「では、お前はどうするのか」 仰山もまた合掌して礼をし、出ていった。 師は呵呵と大笑いして言われた。 「まるで水と乳が一つに溶け合ったようだ」

一日。師翹起一足。謂仰山云。我每日得他負載。感伊不徹。仰山云。當時給孤園中。與此無別。師云。更須道始得。仰山云。寒時與他襪著。也不為分外。師云。不負當初。子今已徹。仰山云。恁麼更要答話在。師云。道看。仰山云。誠如是言。師云。如是如是。

ある日、師は片足を上げて仰山に言った。「私は毎日、この足に支えられて過ごしている。その恩に感じ入って、尽きることがない」仰山は言った。「それはかつて祇園精舎でなされたことと、何ら変わりはありません」師は言った。「もう一歩、言葉を尽くしてみよ」仰山は言った。「寒い時には靴下を履かせてやるのも、分外のことではありません」師は言った。「最初の志に背かず、今、お前は悟りを開いた」仰山は言った。「それでは、さらに答えるべき言葉があります」師は言った。「言ってみよ」仰山は言った。「まさにその言葉の通りです」師は言った。「その通り、その通りである」

師問仰山。生住異滅。汝作麼生會。仰山云。一念起時。不見有生住異滅。師云。子何得遣法。仰山云。和尚適來問甚麼。師云。生住異滅。仰山云。却喚作遣法。

師が仰山に尋ねた。「生住異滅について、あなたはどう理解しているか」 仰山は答えた。「一念が起こるとき、生住異滅があるとは見えません」 師が言った。「お前はどうして法を捨て去ることができるのか」 仰山は尋ねた。「和尚さま、今何をお尋ねになりましたか」 師が答えた。「生住異滅だ」 仰山は言った。「それこそが、法を捨て去るということです」

師問仰山。妙淨明心。汝作麼生會。仰山云。山河大地。日月星辰。師云。汝祇得其事。仰山云。和尚適來問甚麼。師云。妙淨明心。仰山云。喚作事得麼。師云。如是如是。

師が仰山に尋ねました。「妙なる清らかで明らかな心とは、どう理解するか」 仰山は答えました。「山河大地、日月星辰です」 師は言いました。「お前はただ事象だけを捉えている」 仰山は尋ねました。「和尚様、今何をお尋ねになりましたか」 師は答えました。「妙なる清らかで明らかな心だ」 仰山は言いました。「それを事象と呼んでよいでしょうか」 師は言いました。「その通りだ、その通りだ」

石霜會下。有二禪客。到云。此間無一人會禪。後普請搬柴。仰山見二禪客歇。將一橛柴。問云。還道得麼。俱無對。仰山云。莫道無人會禪好。仰山歸舉似師云。今日二禪客。被慧寂勘破。師云。甚麼處被子勘破。仰山舉前話。師云。寂子又被吾勘破(雲居錫云。甚處是溈山勘破仰山處)。

石霜和尚の会下に、二人の禅客がやってきて言いました。「ここには一人として禅を会得した者はいない」と。 その後、普請で薪を運んでいるとき、仰山は二人の禅客が休んでいるのを見て、柴の一束を手に取り、尋ねました。「さあ、言えるか?」二人とも答えられませんでした。 仰山は言いました。「誰も禅を会得していないなどと言わないほうがよい」 仰山は戻って、このことを師匠に報告しました。「今日、二人の禅客は慧寂に見破られました」 師匠は尋ねました。「どこで見破られたというのか?」 仰山が先ほどの話を挙げると、師匠は言いました。「寂子よ、お前もまた、わしに見破られたのだ」 (雲居の錫は言う、「どこが溈山が仰山を見破ったところか」と。)

師睡次。仰山問訊。師便回面向壁。仰山云。和尚何得如此。師起云。我適來得一夢。爾試為我原看。仰山取一盆水。與師洗面。少頃。香嚴亦來問訊。師云。我適來得一夢。寂子為我原了。汝更與我原看。香嚴乃點一椀茶來。師云。二子見解。過於鶖子(蔣山懃云。夢中說夢。深許溈山。妙用神通。須還二子。傳茶度水。耀古騰今。年老心孤。憐兒惜子。向衲僧門下。一人在門外。一人在門裏。更有一人。遍界不曾藏。佛眼覷不見 南堂靜云。撥草瞻風。孤峰獨宿。鼓無絃琴。唱無生曲。溈仰香嚴。鼎之三足。臨機不費纖毫力。任運分身千百億)。

師が眠っていると、仰山が挨拶に来ました。 師はすぐに壁の方を向きました。 仰山が言いました。 「和尚さま、どうしてそんなことをなさるのですか」 師は起き上がって言いました。 「さっき、私は夢を見た。あなたが私の夢を解いてみてくれ」 仰山は一つの洗面器の水を取って、師に顔を洗わせました。 しばらくして、香厳も挨拶に来ました。 師は言いました。 「さっき、私は夢を見た。寂子(仰山)が私の夢を解いてくれた。あなたももう一度私の夢を解いてみてくれ」 香厳はそこで一碗のお茶を点てて持って来ました。 師は言いました。 「二人の見解は、舎利弗(シャーリプトラ)よりも優れている」

師。因僧問。如何是祖師西來意。師竪起拂子。後僧遇王常侍。侍問。溈山近日有何言句。僧舉前話。常侍云。彼中兄弟。如何商量。僧云。借色明心。附物顯理。常侍云。不是這箇道理。上座快回去好。某甲敢寄一書到和尚。僧得書遂回持上。師拆開見。畫一圓相。內寫箇日字。師云。誰知千里外有箇知音仰山侍次。乃云。雖然如是。也祇是箇俗漢。師云。子又作麼生。仰山却畫一圓相。於中書日字。以脚抹却。師乃大笑。

師匠。ある僧が尋ねました。「祖師が西方から来られた真意は何でしょうか」。師匠は払子を立てました。

後日、その僧が王常侍にお会いしました。常侍が尋ねます。「溈山和尚は近ごろ、どんな言葉を残されましたか」。僧は先の話を挙げました。常侍は言います。「あの寺の兄弟たちは、それをどう解釈していますか」。僧は答えました。「色を借りて心を明らかにし、物に付けて理を顕わす、と」。常侍は言います。「それは道理ではない。上座、急いで戻ったほうがよい。私から和尚に一通の手紙をお願いしたい」。

僧は手紙を受け取り、戻って師匠に差し出しました。師匠が開けて見ると、円相が描かれており、中に「日」の字が書かれていました。師匠は言いました。「千里の外にも知音がいるとは、誰が知ろうか」。

仰山がそばに侍っていて、言いました。「そうは言っても、やはりただの俗人です」。師匠は言います。「お前はどう思う」。仰山は一つの円相を描き、中に「日」の字を書いて、足でそれを消しました。師匠は大笑いしました。

師坐次。仰山問。和尚百年後。有人問先師法道。如何祇對。師云。一粥一飯。仰山云。面前有人不肯。又作麼生。師云。作家師僧。仰山便禮拜。師云。逢人不得錯舉。

師が座っていると、仰山が尋ねた。「和尚が百年の後、もし誰かが先師の法道について尋ねたら、どう答えればよいのでしょうか。」 師は言った。「一粥一飯(日常の食事のように、当たり前のことだ)。」 仰山が言った。「目の前にいる人が納得しなかったら、どうすればよいのでしょうか。」 師は言った。「それは立派な修行僧だ。」 仰山は礼拝した。 師は言った。「人に会っても、間違って伝えてはならない。」

師問仰山。終日與子商量。成得箇甚麼邊事。仰山於空中畫一畫。師云。若不是吾。終被子惑。

師が仰山に尋ねました。「一日中、あなたと話し合っているが、いったい何ができたというのか」 仰山は空中に一筋の線を描きました。 師は言いました。「もし私でなかったら、とうとうあなたに惑わされるところだった」

仰山問。百千萬境一時來作麼生。師云。青不是黃。長不是短。諸法各住自位。非干我事。仰山乃作禮。

仰山が尋ねた。「百千万の境が一度にやって来たら、どうすればいいのでしょうか」 師は言われた。「青は黄ではない。長いは短くない。すべてのものはそれぞれ自らの位置に留まっている。それは私の関わることではない」 仰山は礼拝した。

合醬次。師問仰山。這箇用多少鹽水。仰山云。某甲不會。不欲祗對。師云。却是老僧會。仰山云。不知用多少鹽水。師云。汝既不會。我亦不答。晚間。師却問仰山。今日因緣。子作麼生主持。仰山云。待問即答。師云。現問次。仰山云。耳背眼昏。見聞不曉。師云。凡有問答。出子此語不得。仰山禮謝。師云。寂子今日忘前失後。不是小小。

醤を合わせる。師が仰山に尋ねた。「これにどれくらいの塩水を使うかね?」仰山は言った。「私は分かりません。ただ答えるだけではしたくありません。」師は言った。「しかし、この老僧には分かる。」仰山は言った。「どれくらいの塩水を使うのか、分かりません。」師は言った。「お前が分からないなら、私も答えない。」夕方になって、師は仰山に尋ねた。「今日の縁について、お前はどう取り計らうつもりか?」仰山は言った。「尋ねられたら答えます。」師は言った。「今、尋ねている。」仰山は言った。「耳が遠く、目がかすんで、見聞きしても分かりません。」師は言った。「これから問答があれば、お前はこの言葉を離れてはならない。」仰山は礼をして感謝した。師は言った。「寂子よ、今日は前を忘れ後を失う、小さなことではないぞ。」

師謂仰山云。汝須獨自回光返照。別人不知汝解處。汝試將實解。獻老僧看。仰山云。若教某甲自看。到這裏無圓位。亦無一物一解得獻和尚。師云。無圓位處。原是汝作解處。未離心境在。仰山云。既無圓位。何處有法。把何物作境師云。適來是汝作與麼解。是否。仰山云。是。師云。若恁麼。是具足心境法。未脫我所心在。元來有解。爭道無解獻我。許汝信位顯。人位隱在。

師が仰山に言われた。 「お前は、自ら内に光を返して照らし、自分自身を見つめなければならない。 他人は、お前がどこまで理解しているか知ることはできない。 さあ、お前が本当に理解しているところを、この老僧に示してみよ。」

仰山が申し上げた。 「もし自分自身で見よとおっしゃるのであれば、ここに至っては、円満なる位もなく、また一つの物も一つの理解も、和尚様に献ずるべきものはございません。」

師が言われた。 「円満なる位がないところ、それがそもそもお前が理解しているところだ。 まだ心と境(対象)から離れていない。」

仰山が申し上げた。 「すでに円満なる位がないのであれば、どこに法があるというのでしょうか。 何を境(対象)として捉えればよいのでしょうか。」

師が言われた。 「さきほど、お前がそのように理解した。そうではないか。」 仰山が申し上げた。 「はい、その通りです。」 師が言われた。 「もしそうであるならば、それは心と境と法を具足している。 まだ『我』と『我のもの』という心から脱していない。 もともと理解があるのに、どうして理解がないなどと言って、私に献じようとするのか。 お前の信位(信心の段階)は明らかであるが、人位(真

師因見仰山來。遂以五指搭地畫一畫。仰山以手於項下畫一畫。復拈自己耳。抖擻三五下。師休去。

師は仰山が来たのを見て、五本の指で地面に一本の線を引いた。仰山は自分の首の下で線を引き、さらに自分の耳をつまんで、三五回揺らした。師はそれを見て、そのまま立ち去った。

師。一日見香嚴仰山作餅次。師云。當時百丈先師。親得這箇道理。仰山與香嚴。相顧視云。甚麼人答得此話。師云。有一人答得。仰山云。是阿誰。師指水牯牛云。道道。仰山取一束草來。香嚴取一桶水來。放牛前。牛纔喫。師云。與麼與麼。不與麼不與麼。二人俱作禮。師云。或時明。或時暗。

師。ある日、香厳と仰山が餅を作っているのを見た。師は言った。「かつて百丈先師が、この道理を直接悟られた時があった。」仰山と香厳は顔を見合わせて言った。「この問いに答えられる者は誰か。」師は言った。「一人、答えられる者がいる。」仰山が言った。「それは誰か。」師は水牛を指さして言った。「言え、言え。」仰山は一束の草を取って来た。香厳は一桶の水を取って来た。牛の前に置くと、牛は食べ始めた。師は言った。「あるがまま、あるがまま。そうでないがまま、そうでないがまま。」二人は共に礼をした。師は言った。「時に明らか、時に暗し。」

師。一日索門人呈語。乃云。聲色外與吾相見。時有幽州鑒弘上座。呈語云。不辭出來耶箇人無眼。師不肯。仰山。凡三度呈語。第一云。見取不見取底。師云。細如毫末。冷似雪霜。第二度云。聲色外誰求相見。師云。祇滯聲聞方外榻。第三度云。如兩鏡相照。於中無像。師云。此語正也。仰山却問。和尚於百丈師翁處。作麼生呈語。師云。我於百丈先師處。呈語云。如百千明鏡鑒像。光影相照。塵塵剎剎。各不相借。仰山於是禮拜。

師はある日、門弟たちに悟りの境地を言葉で示すよう求められた。そして言われた。「声色の外で、われと相見えよ」

その時、幽州の鑑弘上座が言葉を呈した。「出て来るのを辞さないが、この人には眼がない」 師は認められなかった。

仰山は三度にわたって言葉を呈した。 第一に「見取せず見取せざる底」 師は言われた。「細やかには毛の先のようで、冷たさは雪霜のようだ」

第二に「声色の外、誰か相見を求めん」 師は言われた。「ただ声聞の域に留まり、方外の境地に達せず」

第三に「両面の鏡が互いに照らし合うがごとく、その中に像なし」 師は言われた。「この言葉は正しい」

仰山が逆に尋ねた。「和尚は百丈師翁のもとで、どのような言葉を呈されましたか」 師は答えられた。「私は百丈先師のもとで、こう言葉を呈した。『百千の明鏡が像を映すがごとく、光と影が互いに照らし合い、塵塵刹刹、互いに借りることなし』と」 仰山はそこで礼拝した。

師。一日問香嚴。我聞。汝在百丈先師處。問一答十。問十答百。此是汝聰明靈利。意解識想。生死根本。父母未生時。試道一句看。香嚴被問。直得茫然。歸寮將平日看過底文字。從頭要尋一句酬對。竟不能得。乃自嘆云。畫餅不可充饑。屢乞師說破。師云。我若說似汝。汝已後罵我去。我說底是我底。終不干汝事。香嚴。遂將平昔所看文字燒却云。此生不學佛法也。且作箇長行粥飯僧。免役心神。乃辭師。直過南陽。覩忠國師遺跡。遂憩止焉。一日芟除草木。偶拋瓦礫。擊竹作聲。忽然省悟。遽歸。沐浴焚香。遙禮師云。和尚大慈。恩逾父母。當時若為我說破。何有今日之事。乃有頌云。一擊忘所知。更不假修時。動容揚古路。不墮悄然機。處處無蹤跡。聲色外威儀。諸方達道者。咸言上上機。師聞得。謂仰山云。此子徹也。仰山云。此是心機意識。著述得成。待某甲親自勘過。仰山後見香嚴云。和尚讚歎師弟發明大事。爾試說看。香嚴舉前頌。仰山云。此是夙習記持而成。若有正悟。則更說看。香嚴又成頌云。去年貧未是貧。今年貧始是貧。去年貧猶有卓錐之地。今年貧錐也無。仰山云。如來禪。許師弟會。祖師禪。未夢見在。香嚴復有頌云。我有一機。瞬目視伊。若人不會。別喚沙彌。仰山乃報師云。且喜。閑師弟。會祖師禪也(玄覺云。且道。如來禪與祖師禪。是分不分 長慶稜云。一時坐却 雲居錫徵云。眾中商量。如來禪淺。祖師禪深。只如香嚴。當時何不問如何是祖師禪。若置此一問。何處有也 瑯琊覺云。武帝求仙不得仙。王喬端坐却昇天 溈山喆云。香嚴可謂上無片瓦。下無卓錐。露躶躶赤灑灑。沒可把。若不是仰山。幾乎放過這漢。何故。不得雪霜力。焉知松柏操 徑山杲云。溈山晚年好則極教得一棚肉傀儡。直是可愛。且作麼生是可愛處。面面相看手脚動。爭知語話是他人)。

師。ある日、香厳に問うた。「私は聞いている。お前は百丈先師のもとで、一を問われれば十で答え、十を問われれば百で答えたそうだな。これはお前の聡明さ、機転の利くところだ。しかし、それは意識や分別による理解に過ぎず、生死の根本である。父母が生まれる前の本来の面目を、一言で言ってみよ」

香厳は問われて、茫然自失となった。部屋に戻り、これまで読んできた書物を探し、一言でも答えを見つけようとしたが、とうとう見つからなかった。そこで自ら嘆いて言う。「絵に描いた餅では飢えをしのげない」。何度も師に、その意味を説き明かしてほしいと乞うた。

師は言った。「もし私がお前に説き明かしたなら、お前は後で私を罵るだろう。私が説くのは私のものであって、つまるところお前のものではないのだから」

香厳は、そこでこれまで読んできた書物をすべて焼き捨てて言った。「この生涯、もう仏法など学ぶまい。ただ粥や飯を食べて過ごすだけの僧となり、心を煩わせることはやめよう」。そして師に別れを告げ、まっすぐ南陽へと向かった。そこで忠国師の遺跡を目にし、そこに留まることにした。

ある日、草木を刈り払っていると、たまたま瓦礫を投げた。それが竹に当たり、音を立てた。その瞬間、忽然と悟りを開いた。急いで戻り、身を清め香を焚いて、遥か遠くの師を礼拝して言った。「和尚の大いなる慈悲は、父母の恩をも超えています。あの時、もし和尚が私に説き明かしてくださっていたなら、どうして今日のようなことがあったでしょうか」。そして次の頌を作った。

一撃にして知ったことを忘れ 更に修行を借りることもない 動きや表情は古の道を顕わし 静寂の機微に堕することもない どこにもその跡はなく 形や音を超えた威儀がある 諸方の道を悟った者は皆 これこそ最上の機根だと言う

師はこれを聞き、仰山に言った。「この者は徹したな」 仰山は言った。「これは心の機微や意識によって、作り上げられたものかもしれません。私が直接、確かめてみましょう」 その後、仰山は香厳に会い、言った。「和尚は、師弟が大事を発明したと賞賛しておられる。さあ、説いてみよ」 香厳は先の頌を挙げた。 仰山は言った。「これは過去の習いや記憶によるものだ。もし本当に悟ったのなら、さらに説いてみよ」 香厳はまた頌を作った。

去年の貧しさは貧しさではなかった 今年の貧しさこそが真の貧しさだ 去年の貧しさにはまだ錐を立てるほどの地があった 今年の貧しさには錐さえもない

仰山は言った。「如来禅については、師弟が会得したことを認めよう。しかし祖師禅については、夢にも見ておらん」 香厳はさらに頌を作った。

私は一つの機微を持っている 瞬きして彼を見る もし人が会得しなければ 別に沙弥を呼べ

仰山はそこで師に報告して言った。「喜ばしいことに、閑師弟は祖師禅を会得しました」(玄覚が云う。「さて、如来禅と祖師禅は、分けるべきか分けざるべきか」長慶稜が云う。「一時に坐り去れ」雲居錫が問う。「衆の中で、如来禅は浅く、祖師禅は深いと論じている。ただ、香厳はあの時、どうして『如何なるか是れ祖師禅』と問わなかったのか。もしこの一問を置いていたなら、どこに(このような論議の)余地があろうか」瑯琊覚が云う。「武帝は仙を求めて仙を得ず、王喬は端坐して却って天に昇る」溈山喆が云う。「香厳は、上には一片の瓦もなく、下には錐を立てる地もない、露わで何のとりえもない状態と言えよう。もし仰山がいなければ、この漢を見逃すところだった。なぜか。雪霜の厳しさがなければ、どうして松柏の節操を知ることができようか」径山杲が云う。「溈山は晩年、極めてよく一棚の肉傀儡(操り人形)を教え導いた。実に可愛らしい。では、どこが可愛らしいのか。面と向かって手足を動かし合い、どうしてその言葉が他人のものであるかを知るだろうか」)

師上堂云。汝等諸人。祇得大機。不得大用。時九峯在眾。便抽身出去。師召之。九峯更不回顧。師云。此子。堪為法器。一日辭師云。某甲。辭違和尚。千里之外。不離左右。師動容云。善為。

師が上堂して言われた。 「あなた方一同は、大いなる機縁を得てはいるが、大いなる活用ができていない。」 その時、九峯が大衆の中にいたが、すっと身を引いて出て行こうとした。 師が彼を呼び止めた。九峯はさらに振り返ろうともしなかった。 師は言われた。 「この者は、法を伝える器となり得る。」 ある日、九峯は師に別れを告げて言った。 「私は和尚の元を離れます。たとえ千里の外にいても、和尚の傍を離れることはありません。」 師は心を動かされ、言われた。 「よろしく努めよ。」

靈雲。初在溈山。因見桃花悟道。有偈云。三十年來尋劍客。幾回落葉又抽枝。自從一見桃華後。直至如今更不疑。師覽偈。詰其所悟。與之符契。師云。從緣悟達。永無退失。善自護持。

霊雲は、最初に溈山で修行していた時、桃の花を見て悟りを開いた。その時に詠んだ偈がある。

「三十年間、剣の使い手を探し求めてきたが、 幾度も葉が落ち、また枝が伸びるのを見てきた。 しかし、一度桃の花を見てからというもの、 今に至るまで、もはや疑うことはなくなった。」

師匠はこの偈を見て、彼が悟った内容を尋ね、それが真実と合致していることを確かめた。そして言われた。

「縁によって悟りに至ったならば、その境地は永遠に失われることはない。 よく自分を護り、保ち続けなさい。」

上林參師。師云。大德作甚麼來。上林云。介冑全具。師云。盡卸了來。與大德相見。上林云。卸了也。師咄云。賊尚未打。卸作甚麼。上林無對。仰山代云。請和尚屏却左右。師以手揖云。喏喏。上林。後參永泰。方諭其旨。

上林が参禅に来ると、師が言った。「大徳、何しに来たの?」 上林が答えた。「鎧兜を身につけて参りました」 師が言った。「全部脱いでから、大徳と会おう」 上林が言った。「脱ぎました」 師は叱るように言った。「賊はまだ討っていないのに、何を脱いだというのか」 上林は返答できなかった。 仰山が代わりに言った。「和尚、どうか周りの者を退けてください」 師は手を合わせて言った。「はいはい、上林よ」 上林は後に永泰和尚に参じて、ようやくその意味を悟った。

疎山到參。值師示眾云。行脚高士。直須向聲色裏睡眠。聲色裏坐臥始得。疎山問。如何是不落聲色句。師竪起拂子。疎山云。此是落聲色句。師放下拂子歸方丈。疎山不契。便辭香嚴。香嚴云。何不且住。疎山云。某甲與和尚無緣。香嚴云。有何因緣。試舉看。疎山遂舉前話香嚴云。某甲有箇語。疎山云。道甚麼。香嚴云。言發非聲。色前不物。疎山云。元來此中有人。遂囑香嚴云。向後有住處。某甲却來相見。乃去。師問香嚴云。問聲色話底矮闍黎在麼。香嚴云。已去也。師云。試舉看。香嚴舉前話。師云。他道甚麼。香嚴云。深肯某甲。師失笑云。我將謂這矮子有長處。元來祇在這裏。此子向去。若有箇住處。近山無柴燒。近水無水喫。

疎山が参上した。ちょうど師が大衆に示していた。「行脚の高士は、まさに声と色の中で眠り、声と色の中で坐臥しなければならない」。疎山が問うた。「声と色に落ちない言葉とは何でしょうか」。師は払子を立てた。疎山は言う。「これは声と色に落ちる言葉です」。師は払子を下ろして方丈に帰った。疎山は納得できず、香厳に別れを告げようとした。香厳が言う。「どうしてしばらく留まらないのか」。疎山は答える。「私は和尚と縁がありません」。香厳が尋ねる。「どんな因縁があるのか、話してみよ」。疎山は先ほどの話を挙げた。香厳は言う。「私に一言ある」。疎山が問う。「何とおっしゃるのですか」。香厳は答える。「言葉は発せられても声ではなく、色の前にあっても物ではない」。疎山は言う。「なるほど、ここには人がいる」。そして香厳に頼んだ。「後で住むところがあれば、私はまた会いに来ましょう」。そして去った。師が香厳に尋ねた。「声と色について問うたあの背の低い闍黎はいるか」。香厳は答える。「もう去りました」。師は言う。「話してみよ」。香厳は先の話を挙げた。師が問う。「彼は何と言ったか」。香厳は答える。「私の言葉を深く認めてくれました」。師は笑って言う。「私はあの小僧に何か長所があるかと思っていたが、やはりただここにいるだけか。この子が将来、どこかに住むようになれば、山の近くでも薪が焼けず、水の近くでも水が飲めないだろう」。

師因資國來參。乃指月示之。資國以手撥三下。師云。不道汝不見。祇是見處太麁。

師が資国が参拝に来たとき、月を指して示した。資国は手で三度払った。師は言った、「お前が見えないとは言わないが、ただ見方があまりにも粗雑だ」と。

師在法堂坐。庫頭擊木魚。火頭擲却火杪。拊掌大笑。師云。眾中也有恁麼人。遂喚來問。爾作麼生。火頭云。某甲不喫粥肚饑。所以歡喜。師乃點頭(後鏡清怤云。將知溈山眾裏無人。臥龍球云。將知溈山眾裏有人)。

師が法堂に座っておられた。庫頭が木魚を打つと、火頭が火箸を投げ捨て、手を打って大笑いした。師は言われた。「大衆の中にも、このような人がいるのだな。」そこで呼んで尋ねられた。「お前はどうしたのだ。」火頭は答えた。「私は粥を食べずにお腹が空いていたので、喜んだのです。」師はうなずかれた(後に鏡清怤は言った。「これで分かる、溈山の衆には人がいなかったと。」臥龍球は言った。「これで分かる、溈山の衆には人がいたと。」)。

師因泥壁次。李軍容來。具公裳。直至師背後。端笏而立。師回首見。便側泥盤。作接泥勢。李便轉笏。作進泥勢。師便拋下泥盤。同歸方丈(巖頭奯聞云。噫。佛法澹泊也。大小溈山。泥壁也不了 明招謙云。當時合作麼生。免被巖頭點撿。代云。却轉泥盤。作泥壁勢。便拋下歸去 黃龍新云。巖頭錯下名言。殊不知。溈山軍容。弄巧成拙)。

師が壁を塗っている最中の出来事である。李軍容が来て、正式な礼服を身にまとい、師の背後にまで進み、笏を正しく構えて立っていた。師が振り返ってこれを見ると、すぐに泥の入った盆を傾け、泥を受け取るような仕草をした。李は笏を回して、泥を渡すような仕草をした。師はそのまま泥の盆を投げ捨て、共に方丈へと戻った。

(巖頭奯がこれを聞いて言った。「ああ、仏法は実に淡泊なものだ。大きな沩山が、壁塗りさえもやり遂げられないとは。」 明招謙が言った。「その時、どうすれば巖頭の指摘を免れられたのだろうか。」代わりにこう言った。「むしろ泥の盆を回して、壁を塗るような仕草をし、そのまま投げ捨てて帰るのが良かっただろう。」 黄龍新が言った。「巖頭は言葉を誤った。沩山と軍容が、かえって巧みなことをしたのに、それを知らなかったのだ。」)

師因陸侍御入僧堂。乃問。如許多師僧。為復是喫粥飯僧。為復是參禪僧。師云。亦不是喫粥飯僧。亦不是參禪僧。侍御云。在此作甚麼。師云。侍御自問他看。

師が陸侍御と共に僧堂に入ったとき、侍御が尋ねた。 「この多くの僧たちは、粥や飯を食べる僧なのか、それとも座禅を組む僧なのか」 師は答えた。 「粥や飯を食べる僧でもなければ、座禅を組む僧でもない」 侍御が言った。 「では、ここで何をしているのか」 師は言った。 「侍御、ご自身で彼らに尋ねてみてください」

師。一日見劉鐵磨來。師云。老牸牛汝來也。劉云。來日臺山大會齋。和尚還去麼。師乃放身作臥勢。劉便出去(淨慈一云。眾中道。放身便臥是不去。劉鐵磨慷㦬而行。有甚交涉。殊不知。溈山老漢。平生一條脊梁拗不曲。被劉鐵磨一推推倒直至如今起不得若要扶起溈山。請大眾下一轉語。眾無語。師以拄杖一時趕散)。

師。ある日、劉鐵磨が来るのを見て、師は言った。「老いた牝牛よ、来たのか」。劉が言うには、「明日、臺山で大斎会がありますが、和尚は行かれますか」。師は身を横たえて寝るふりをした。劉はそのまま出て行った(淨慈が言うには、大衆の中で、「身を横たえて寝たのは行かないという意味だ」と言う者がいる。劉鐵磨が慌てて去っていったが、何の関係があろうか。知らないのは、溈山の老和尚が、平生から一本の背骨が曲がらないほどの方であったのに、劉鐵磨に一押しで押し倒され、今に至るまで起き上がれないということだ。もし溈山を起こそうと思うなら、大衆は一転語を下しなさい。大衆は言葉を発しなかった。師は杖で一斉に追い散らした。)。

師一日喚院主。院主便來。師云。我喚院主。汝來作甚麼。院主無對(曹山代云。也知和尚不喚某甲)又令侍者喚首座。首座便至。師云。我喚首座。汝來作甚麼。首座亦無對(曹山代云。若令侍者喚。恐不來。法眼云。適來侍者喚)。

ある日、師が院主を呼んだ。院主がすぐにやって来ると、師は言った。「私は院主を呼んだのだ。お前が来てどうするのだ」院主は返答できなかった(曹山が代わりに言った。「和尚が私を呼んでいないことは分かっています」)。また、侍者に命じて首座を呼ばせた。首座がすぐに来ると、師は言った。「私は首座を呼んだのだ。お前が来てどうするのだ」首座も返答できなかった(曹山が代わりに言った。「もし侍者に呼ばせたなら、おそらく来ないでしょう」。法眼が言った。「さっき侍者が呼びました」)。

上堂。僧出云。請和尚為眾說法。師云。我為汝得徹困也。僧禮拜(後人舉似雪峰。雪峰云。古人得恁麼老婆心切。玄沙云。山頭和尚。蹉過古人事也。雪峰聞之。乃問玄沙云。甚麼處。是老僧蹉過古人事處。玄沙云。大小溈山。被那僧一問。直得百雜碎。雪峰乃駭然)。

上堂した。僧が出てきて言った。「和尚、どうか大衆のために説法してください」 師は言った。「私はお前のために、すっかり困り果てている」 僧は礼拝した(後人がこの話を雪峰に挙げて聞かせた。雪峰は言った。「古人はなんと老婆心が切実だったことか」玄沙は言った。「山頭和尚(雪峰)は、古人の真意を取り違えている」雪峰はこれを聞いて、玄沙に尋ねた。「どこが、この老僧が古人の真意を取り違えたところか」玄沙は言った。「大いなる溈山和尚でさえ、あの僧の一問によって、粉々に砕かれてしまわれたのです」雪峰はそこで愕然とした)。

有僧來禮拜。師作起勢。僧云。請和尚不用起。師云。老僧未曾坐。僧云。某甲未曾禮。師云。何故無禮。僧無對(同安代云和尚不怪)。

ある僧がやって来て礼拝した。師が立ち上がるふりをした。僧が言った、「和尚、起たなくて結構です」。師が言った、「老僧はまだ座ってもいないのだ」。僧が言った、「私はまだ礼拝してもいません」。師が言った、「ではなぜ礼がないのか」。僧は返答できなかった(同安が代わって言った、和尚、お咎めなきよう)。

僧問。不作溈山一頂笠。無繇得到莫傜村。如何是溈山一頂笠。師喚云。近前來。僧近前。師與一踏。

僧が尋ねた。 「溈山の笠をかぶらなければ、莫傜村にたどり着く道はないという。 では、溈山の一頂笠とは何でしょうか」 師は呼びかけた。 「近くに来なさい」 僧が近づくと、師は一踏みをした。

師問僧。甚處來。僧云。西京來。師云。還得西京主人公書來麼僧云。不敢妄通消息。師云。作家師僧。天然猶在。僧云。殘羹餿飯。誰人喫之。師云。獨有闍黎不喫。僧作嘔吐勢。師云。扶出這病僧著。僧便出去。

師が僧に尋ねた。「どこから来たのか」 僧は答えた。「西京からです」 師が言った。「西京の主君からの手紙は持ってきたか」 僧は言った。「勝手に連絡を取るわけにはまいりません」 師が言った。「立派な修行僧だ。自然のままの境地がまだ残っている」 僧が言った。「残り物の冷めた飯など、誰が食べましょうか」 師が言った。「ただあなただけは食べないようだ」 僧は吐き出すような仕草をした。 師が言った。「この病気の僧を外に連れ出せ」 僧はそのまま出て行った。

僧問。如何是道。師云。無心是道。僧云。某甲不會。師云。會取不會底好。僧云。如何是不會底。師云。祇汝是。不是別人。復云。今時人。但直下體取不會底。正是汝心。正是汝佛。若向外得一知一解。將為禪道。且沒交涉。名運糞入。不名運糞出。污汝心田。所以道不是道。

僧が尋ねました。「どうすれば道を得られますか」 師は答えました。「無心こそが道です」 僧が言いました。「私は理解できません」 師は言いました。「理解できないというその状態を、しっかりと受け止めなさい」 僧が尋ねました。「理解できない状態とは、どのようなものですか」 師は答えました。「それは、まさにあなた自身のことです。他の誰でもありません」 さらに師は言いました。「今の人々は、ただひたすらに、この『理解できない』という状態を体得しなさい。それがまさにあなたの心であり、まさにあなたの仏なのです。もし外に向かって何か知識や理解を得ようとし、それを禅の道だと思い込むならば、それはまったく見当違いです。それは糞を運び込むようなもので、糞を運び出すことにはなりません。あなたの心の田を汚してしまうだけです。だからこそ、それは道ではないと言うのです」

有僧參衛國。問。何方來。僧云。河南來。衛國云。黃河清也未。僧無對。師代云。小小狐兒。要過但過。用疑作甚麼。

ある僧が衛国和尚のもとを訪れた。 「どちらからおいでですか」と衛国が尋ねると、 僧は「河南から参りました」と答えた。 衛国が「黄河の水は、もう澄みましたか」と問うと、 僧は答えられなかった。

そこで、師(洞山)が代わりに言った。 「小さな狐め、渡りたければ渡ればよい。 なぜためらう必要があろうか」

師示眾云。汝等諸人。各呈所悟看。時有志和上座。出作禮。師云。不思善不思惡。正與麼時。還我志和上座本來面目。志和云。正與麼時。是某甲放身命處。師云。子莫落空不。志和云。某甲若見有空可落。何曾是放身命處。師云。到這裏。何不問去。志和云。某甲到這裏。亦不見有和尚可問。師云。汝福薄。扶吾宗不起。

師が大衆に示して言われた。「あなた方諸人は、それぞれ悟ったところを示してみよ。」その時、志和という上座が出てきて礼拝した。師は言われた。「善を思わず悪を思わず、まさにこの時、わが志和上座の本来の面目を返せ。」志和は言った。「まさにこの時、これこそが私の命を放つところです。」師は言われた。「お前は空に落ちるのではないか。」志和は言った。「私に落ちるべき空があると見るならば、どうして命を放つところと言えましょうか。」師は言われた。「ここまで来て、なぜ問わないのか。」志和は言った。「私はここまで来て、問うべき和尚があるとも見えません。」師は言われた。「お前は福が薄い。我が宗を支えることはできぬ。」

師。因見仰山與北菴主。上問訊。時有官客喫茶次。師乃指示官人云。同參古佛來。菴主云。百年後。覓箇人舉這話也難得。師云。即今作麼生。菴主云。結舌有分。答即不得。師云。官人見在。自己也道不得。菴主云。仰山不甘此對。師云。作箇菴主也難得。

師は、仰山が北庵の主と共に上問訊に来たのを見た。ちょうど役人がお茶をいただいているところだった。師は役人を指さして言った。「同じく古仏に参じる者が来たよ」。庵主は言った。「百年後、この話を挙げてくれる人を探すのも難しいでしょう」。師は言った。「今はどうなのか」。庵主は言った。「口を閉ざす分はあるが、答えることはできません」。師は言った。「役人がここにいるのに、自分でも言えないのか」。庵主は言った。「仰山はこの答えに満足していないでしょう」。師は言った。「庵主になるのも難しいものだ」。

師。一日呈起如意。復畫此...相云。有人道得。便得此如意。道道。時有僧云。此如意。本不是和尚底。師云。得而無用。又有僧云。設與某甲。亦無著處。

師は、ある日、如意を掲げて示し、またこの[图片: ../figures/T/T47p0581_01.gif]という相を描いて言った。 「誰かこれについて語れる者がいれば、この如意を得ることができる。語れ、語れ」 すると、ある僧が言った。 「この如意は、もともと和尚のものではありません」 師は言った。 「得ても用はない」 また別の僧が言った。 「仮に私に与えられたとしても、それを置く場所がありません」

師因僧問。從上諸聖。直至如今。和尚意旨如何。師云。目前是甚麼物。僧云。莫祇這便是麼。師云。阿那箇。僧云。適來祇對底。師云。爾擬那箇去莫生事(蔣山懃云。問頭太嶮答處太賖。二俱不了)。

ある僧が師に尋ねた。 「歴代の聖者たちから、今に至るまで、和尚の教えの核心はどのようなものでしょうか」 師は言った。 「今、目の前にあるのは何か」 僧が言った。 「まさか、これがそのままというわけではないでしょうね」 師は言った。 「『それ』とはどれか」 僧が言った。 「さきほどお答えになったものです」 師は言った。 「お前はどれを指そうというのか。余計なことを考えるな」 (蒋山懃は言った。「問いが険しすぎ、答えが遠すぎる。どちらも理解できていない」)

僧問。如何是百丈真。師下禪床叉手立。云如何是和尚真。師却坐。

僧が尋ねました。「百丈の真実とは何でしょうか」 師は禅床から下り、手を組み合わせて立ちました。 僧がまた尋ねました。「和尚の真実とは何でしょうか」 師は再び座り直しました。

師上堂云。老僧百年後。向山下作一頭水牯牛。左脇下書五字云。溈山僧某甲。當恁麼時。喚作溈山僧。又是水牯牛。喚作水牯牛。又是溈山僧。畢竟喚作甚麼即得。仰山出禮拜而退...(雲居膺云。師無異號 資福寶。代作一圓相拓起芭蕉清。代作此[○@牛]相呈之。又云。同道者方知南塔涌云。一千五百人善知識。只得一半 芭蕉徹代。當時作此相呈之。又云。說也說了。註也註了。悟取好保寧勇云。和尚一等是入泥入水)。

師が上堂して言われた。 「老僧が百年の後、山の下で一頭の水牛になるであろう。その左脇の下に五文字を書き記す。『溈山僧某甲』と。 その時、これを溈山僧と呼べば、また水牛である。水牛と呼べば、また溈山僧である。 いったい何と呼ぶのがよいのか」 仰山が出て礼拝し、下がった。

師。敷揚宗教。凡四十餘年。達者不可勝數。大中七年正月九日。盥漱敷坐。怡然而寂。壽八十三。臘六十四。塔於本山。諡大圓禪師。塔曰清淨。

師は、宗教を広く説き明かし、およそ四十余年にわたり、悟りを開いた者は数え切れないほどであった。大中七年正月九日、口をすすぎ身を清めて座につき、穏やかな心で静かに息を引き取られた。享年八十三、僧侶としての修行年数は六十四。本山に塔を建てて葬り、諡号を大圓禅師、塔の名を清淨とされた。


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