大秦景教流行中國碑頌(并序)
大秦景教流行中国碑頌(并序)
大秦寺僧景淨述
大秦寺僧景淨による述作
粵若。常然真寂。先先而無元。窅然靈虛。後後而妙有。總玄摳而造化。妙眾聖以元尊者。其唯 我三一妙身無元真主阿羅訶歟判。十字以定四方。鼓元風而生二氣。暗空易而天地開。日月運而晝夜作。匠成萬物然立初人。別賜良和令鎮化海。渾元之性虛而不盈。素蕩之心本無希嗜。洎乎娑殫施妄。鈿飾純精。間平大於此是之中。隙冥同於彼非之內。是以三百六十五種。肩隨結轍。競織法羅。或指物以託宗。或空有以淪二。或禱祀以邀福。或伐善以矯人。智慮營營。恩情役役。茫然無得。煎迫轉燒。積昧亡途久迷休復。於是 我三一分身景尊彌施訶。戢隱真威。同人出代。神天宣慶。室女誕聖。於大秦景宿告祥。波斯覩耀以來貢。圓二十四聖有說之舊法。理家國於大猷。設 三一淨風無言之新教。陶良用於正信。制八境之度。鍊塵成真。啟三常之門。開生滅死。懸景日以破暗府。魔妄於是乎悉摧。棹慈航以登明宮。含靈於是乎既濟。能事斯畢。亭午昇真。經留二十七部。張元化以發靈關。法浴水風。滌浮華而潔虛白。印持十字。融四照以合無拘。擊木震仁惠之音。東禮趣生榮之路。存鬚所以有外行。削頂所以無內情。不畜臧獲。均貴賤於人。不聚貨財示罄遺於我。齋以伏識而成。戒以靜慎為固。七時禮讚。大庇存亡。七日一薦。洗心反素。真常之道。妙而難名。功用昭彰。強稱景教。惟道非聖不弘。聖非道不大。道聖符契。天下文明太宗文皇帝。光華啟運。明聖臨人。大秦國有上德。曰阿羅本。占青雲而載真經。望風律以馳艱險。貞觀九祀至於長安 帝使宰臣房公玄齡總仗西郊賓迎入內。翻經書殿。問道禁闈。深知正真。特令傳授。貞觀十有二年秋七月。詔曰道無常名。聖無常體。隨方設教。密濟群生。大秦國大德阿羅本。遠將經像來獻上京。詳其教旨。玄妙無為。觀其元宗。生成立要。詞無繁說。理有忘筌。濟物利人。宜行天下。所司即於京義寧坊造大秦寺。一所度僧二十一人。宗周德𬽐。青駕西昇。巨唐道光。景風東扇。旋令有司將 帝寫真轉摸寺壁。天姿汎彩。英朗景門。聖迹騰祥。永輝法界。案西域圖記及漢魏史策。大秦國南統珊瑚之海。北極眾寶之山。西望仙境花林。東接長風弱水。其土出火浣布.返魂香.明月珠.夜光璧。俗無寇盜。人有樂康。法非景不行。主非德不立。土宇廣濶。文物昌明。 高宗大帝。克恭纘祖。潤色真宗。而於諸州各置景寺。仍崇阿羅本為鎮國大法主。法流十道。國富元休。寺滿百城。家殷景福。聖曆年。釋子用壯。騰口於東周。先天末。下士大笑。訕謗於西鎬。有若僧首羅含.大德及烈.並金方貴緒.物外高僧。共振玄網。俱維絕紐 玄宗至道皇帝。令寧國等五王親臨福宇建立壇場。法棟暫橈而更崇。道石時傾而復正。天寶初。令大將軍高力士送 五聖寫真寺內安置。賜絹百匹。奉慶睿圖。龍髯雖遠。弓劍可攀。日角舒光。天顏咫尺。三載大秦國有僧佶和。瞻星向化。望日朝尊。詔僧羅含僧普論等一七人。與大德佶和。於興慶宮修功德。於是天題寺牓。額戴龍書。寶裝璀翠。灼爍丹霞。睿扎宏空。騰淩激曰。寵賚比南山峻極。沛澤與東海齊深。道無不可。所可可名。聖無不作。所作可述 肅宗文明皇帝。於靈武等五郡。重立景寺。元善資而福祚開。大慶臨而皇業建 代宗文武皇帝。恢張聖運。從事無為。每於降誕之辰。錫天香以告成功。頒御饌以光景眾。且乾以美利故能廣生。聖以體元故能亭毒 我建中聖神文武皇帝。披八政以黜陟幽明。闡九疇以惟新景命。化通玄理。祝無愧心。至於方大而虛。專靜而恕。廣慈救眾苦。善貸被群生者。我修行之大猷。汲引之階漸也。若使風雨時。天下靜。人能理。物能清。存能昌。歿能樂。念生響應。情發目誠者。我景力能事之功用也。大施主金紫光祿大夫。同朔方節度副使。試殿中監。賜紫袈裟僧伊斯。和而好惠。聞道勤行。遠自王舍之城。聿來中夏。術高三代。藝博十全。始効節於丹庭。乃策名於王帳。中書令汾陽郡王郭公子儀。初總戎於朔方也 肅宗俾之從邁。雖見親於臥內。不自異於行間。為公爪牙。作軍耳目。能散祿賜。不積於家。獻臨恩之頗黎。布辭憩之金罽。或仍其舊寺。或重廣法堂。崇飾廊宇。如翬斯飛。更効景門。依仁施利。每歲集四寺僧徒。虔事精供。備諸五旬。餧者來而飯之。寒者來而衣之。病者療而起之。死者葬而安之。清節達娑。未聞斯美。白衣景士。今見其人。願刻洪碑。以揚休烈。詞曰 真主無元。湛寂常然。權輿匠化。起地立天。分身出代。救度無邊。日昇暗滅。咸證真玄 赫赫文皇。道冠前王。乘時撥亂。乾廓坤張。明明景教。言歸我唐。翻經建寺。存歿舟航。百福偕作。萬邦之康 高宗纂祖。更築精宇。和宮敞朗。遍滿中土。真道宣明。式封法主。人有樂康。物無災苦 玄宗啟聖。克修真正。御牓揚輝。天書蔚映。皇圖璀璨。率土高敬。庶績咸熈。人賴其慶 肅宗來復。天威引駕。聖日舒晶。祥風掃夜。祚歸皇室。祅氛永謝。止沸定塵。造我區夏 代宗孝義。德合天地。開貸生成。物資美利。香以報功。仁以作施。暘谷來威。月窟畢萃 建中統極。聿修明德。武肅四溟。文清萬域。燭臨人隱。鏡觀物色。六合昭蘇。百蠻取則。道惟廣兮。應惟密強。名言兮演三一 主能作兮臣能述。建豐碑兮頌元吉。
(原文に基づく現代日本語訳)
永遠に変わらぬ真実の寂静は、すべての始まりよりも先にありながら、その根源を持たない。深遠なる霊的な虚無は、すべての果てよりも後にありながら、妙なる存在として現れる。あらゆる神秘を統括し造化を営み、あらゆる聖者を超えて最も尊い存在――それこそが、我が三位一体の妙なる御身、根源なき真の主、アロハーである。
十字架をもって四方を定め、元の風を鼓して二気を生じた。暗黒と虚空が変わり天地が開かれ、太陽と月が巡り昼夜が生じた。万物を造り上げて最初の人を立て、別に善き調和を授けて世界を治めさせた。渾然たる元の性質は虚にして満ち足りず、素直な心はもともと欲望を持たなかった。
しかし、サタンが虚偽を施し、純粋な精髄を飾り立てた。この是の中に大いなる間隙を設け、その非の中に冥き隙間を潜ませた。ここにおいて三百六十五種の教えが群れをなし、互いに法の網を織り競った。ある者は物に依りて宗を託し、ある者は空や有に執着して二辺に堕ち、ある者は祈り祀って福を求め、ある者は善を誇って人を欺いた。知恵と思いは忙しなく動き、恩情は絡み合い、茫然として得るものなく、煎じ詰められて焼かれるように苦しみ続けた。長く迷い続けて道を失い、久しく真に帰ることを忘れたのだ。
そこで、我が三位一体の分身である光栄の主ミシアー(メシア)は、真の威光を内に秘め、人と共に世に現れた。神々と天が祝いを宣べ、処女が聖なる者を産んだ。大秦国では光景が吉兆を告げ、ペルシャでは輝きを見て貢ぎ物を持って来た。二十四聖人の古き法を全うし、家と国を大いなる道に整えた。三位一体の清き風による無言の新しき教えを設け、正しき信によって良き器を陶冶した。八つの境の度を制し、塵を錬って真と成した。三つの常の門を開き、生を開き死を滅ぼした。光景の日を掲げて暗き府を破り、魔の妄念ことごとく摧かれた。慈しみの船を漕ぎ出して明るき宮に登らせ、含霊(生きとし生けるもの)はことごとく救われた。その御業はことごとく成し遂げられ、真昼に天に昇られた。二十七部の経典を遺し、元の化を張って霊の関を開いた。水と風の法によって沐浴し、浮華を洗い清めて虚白を潔くした。十字を持ちて印とし、四方の光照らして拘わりなきに融け合わせた。木を撃って仁恵の音を震わせ、東を礼して生栄の道に向かう。鬚を蓄えるのは外に行き、頭を剃るのは内に情なし。奴隷を蓄えず、人に貴賤の平等を示す。財貨を積まず、我が身に残らず施すことを示す。斎戒は識を伏せて成し、戒めは静かに慎むを固めとする。七度の時節に礼拝し讃え、存亡を大いに庇う。七日ごとに一度清め、心を洗い素に帰る。
真常の道は妙にして名指し難いが、その働きは明らかに顕れる。それをかりに景教と呼ぶ。道は聖なる者なくして弘まらず、聖は道なくして大ならず。道と聖とが符節を合わせる時、天下は文明となる。
太宗文皇帝は、光華をもって運を開き、明聖にして人を治められた。大秦国に上徳の士あり、名を阿羅本という。青雲を占めて真経を携え、風を観て道を求め艱難を駆け抜けた。貞観九載、長安に至る。帝は宰臣・房玄齢公に命じ、総仗をもって西郊にて賓迎し内に入れしめた。経典を殿堂にて翻訳し、禁中にて道を問うた。その真実の深さを知り、特に伝授を許した。
貞観十二年の秋七月、詔して曰く、「道は常の名無く、聖は常の体無し。方に随って教えを設け、密かに群生を済う。大秦国大徳阿羅本、遠く経像を携えて上京に来献す。その教旨は玄妙にして無為、その元宗は生成立要、詞は説くに煩わしくなく、理は筌を忘るるに至る。物を済い人を利す、天下に行うべきなり。所司はすなわち京の義寧坊に大秦寺を造り、一度に僧二十一人を度せよ」と。
周の徳が衰え、青駕が西に昇った後、巨唐の道は光り、景風は東に扇く。すぐに有司に命じて帝の真影を寺の壁に写させた。天の姿は汎く彩り、英朗たる景門。聖蹟は騰祥して、永遠に法界を輝かす。
西域図記及び漢魏の史策によれば、大秦国は南は珊瑚の海を統べ、北は衆宝の山を極め、西は仙境花林を望み、東は長風弱水に接す。その国では火浣布、返魂香、明月珠、夜光璧を産す。俗は寇盗無く、人には楽しみと康寧あり。法は景なくして行われず、主は徳なくして立たず。土宇は広く、文物は明らかに盛んである。
高宗大帝は、敬いて祖業を継ぎ、真宗を潤色された。そして諸州にそれぞれ景寺を置き、なお阿羅本を鎮国大法主と崇めた。法は十道に流れ、国は元の休みに富み、寺は百城に満ち、家々は景福に殷やかであった。
聖暦年間、仏教の徒が勢いに乗じ、東周にて口を競った。先天の末、下士たちは大声に笑い、西鎬にて謗った。かかる時、僧首・羅含、大徳・及烈。いずれも西方貴き緒、物外の高僧。共に玄の網を振るい、絶えた紐を繋ぎとめた。
玄宗至道皇帝は、寧国等の五王をして親しく福宇に臨ませ、壇場を建立せしめた。法の棟は一時挫けたが更に高く、道の石は時に傾いたが再び正された。天宝初年、大将軍高力士に命じて五聖の真影を寺内に安置せしめ、絹百匹を賜い、睿図を奉じて慶んだ。龍鬚は遠くとも、弓剣は攀じ得る。日角は光を舒べ、天顔は咫尺に在り。三載、大秦国に僧・佶和あり、星を瞻て化に志し、日を望んで尊を朝す。詔して僧・羅含、僧・普論ら一七人と大徳・佶和をして、興慶宮において功徳を修せしめた。ここにおいて天の題する寺の額、龍書を戴く。宝装は璀璨とし、丹霞に灼える。睿札は広く空を覆い、激日に凌ぐ。寵賚は南山の高きに比し、沛澤は東海と同じく深し。
道は可否なく、可は名づくる所に在り。聖は作さざるなく、作は述ぶる所に在り。
肅宗文明皇帝は、霊武等の五郡に再び景寺を立てられた。元善を資けて福祚開け、大慶臨みて皇業建つ。
代宗文武皇帝は、聖運を恢張し、無為に従事された。降誕の辰毎に、天香を賜い以て功に告げ、御饌を頒ち以て景衆を光らせた。そもそも、乾は美利をもって故に広く生じ、聖は体元をもって故に育み養うのだ。
我が建中聖神文武皇帝は、八政を披いて幽明を黜陟し、九疇を闡いて景命を惟新せしめた。化は玄理に通じ、祝に愧じて心なし。方にして大かつ虚、専静にして恕あるに至り、広く慈しみて衆苦を救い、よく貸して群生を被うこと、これ我が修行の大猷、汲引の階漸である。もし風雨時を得、天下静かに、人よく理め、物よく清く、存してよく昌え、亡びてよく楽しみ、念い生ずれば響き応じ、情発すれば目誠なりというならば、これ我が景力の能事の功用である。
大施主金紫光禄大夫、同朔方節度副使、試殿中監、賜紫袈裟僧・伊斯は、和にして恵みを好み、道を聞けば勤めて行う。遠く王舎の城より来たり、中夏に至る。術は三代に高く、芸は十全に博し。初め丹庭に節を効し、王帳に名を策す。中書令汾陽郡王郭公子儀は、初め朔方にて総戎するや、肅宗は彼に従って進むことを許した。臥内に親しまるるも、行間に自ら異にせず。公の爪牙となり、軍の耳目と為る。能く禄賜を散じ、家に積まず。臨恩の玻璃を献じ、辞憩の金罽を布く。或いはその旧寺に因り、或いは重ねて法堂を広くす。廊宇を崇飾し、雉の飛ぶが如く輝く。更に景門に効い、仁に依りて施しを利す。
毎年、四寺の僧徒を集め、虔事精供を備え、五旬の諸を全うす。飢えたる者来たれば之に飯し、寒き者来たれば之に衣せ、病める者癒し之を起こし、死せる者葬りて安んず。清節達娑、未だ斯の美を聞かず。白衣景士、今其の人を見る。願わくは洪碑を刻み、以て休烈を揚げん。
詞に曰く、 真主は元無く、湛寂常なり。 権輿して造化し、地を起こし天を立てる。 身を分けて代に出現し、救度すること辺なし。 日昇りて暗滅び、皆真玄を証す。
赫赫たる文皇、道は前王に冠たり。 時に乗じて乱を撥し、乾は廓き坤は張る。 明明たる景教、言いていに我が唐に帰す。 経を翻し寺を建て、存没の舟航なり。 百福偕を作し、万邦の康なり。
高宗は祖を纂ぎ、更に精宇を築く。 和宮は敞朗として、遍く中土に満つ。 真道宣明せられ、式して法主に封ず。 人には楽しみ康寧あり、物には災い苦しみ無し。
玄宗は聖を啓き、能く真正を修む。 御榜は輝きを揚げ、天書は蔚として映ず。 皇図璀璨として、率土高く敬う。 庶績皆熈わしく、人は其の慶に頼る。
肅宗来り復し、天威は駕を引く。 聖日は舒ぶも晶き、祥風は夜を掃う。 祚は皇室に帰し、祅氛は永く謝す。 沸きを止め塵を定め、我が区夏を造る。
代宗は孝義あり、徳は天地に合う。 開貸生成し、物は美利に資く。 香を以て功に報い、仁を以て施しを作す。 暘谷の威来たり、月窟は畢ず集まる。
建中は極を統べ、明徳を聿修す。 武は四溟に肅い、文は万域を清む。 燭は人の隠を臨み、鏡は物の色を観る。 六合は昭蘇し、百蛮は則を取る。
道は広きかな、応は密なるかな。 強いて名辞を用いて三一を演べよ。 主よく作り臣よく述ぶ。 豊碑を建てて元吉を頌わん。
大唐建中二年歲在作噩太蔟月七日大耀森文曰建立 時法主僧寧恕知東方之景眾也
唐の建中2年、太蔟の月の7日、大いに輝く森羅の文は言う。建立の時、法主である僧・寧恕が東方の景物の衆を知る。
朝議郎前行台州司士參軍呂秀巖書
朝議郎、元台州司士参軍の呂秀巌が書をしたためました。
助撿挍試太常卿賜紫袈裟寺主僧業利
撿挍建立碑僧行通
建立された碑を検校した僧、行通
僧靈寶 僧內澄 僧光正
僧霊宝 僧内澄 僧光正
僧和明 僧立本 僧法源
僧和明、僧立本、僧法源の三人。
僧審慎 僧寶靈 僧玄覽
僧は慎み深く、僧には宝のような霊性があり、僧は深く見通す。
僧景通 老宿耶俱摩 僧明一
沙門の景通は、老師の耶俱摩に申し上げます。沙門の明一は。
僧保國 僧志堅 僧義濟
僧保国、僧志堅、僧義済
僧玄德 僧利用 僧元□
僧玄徳、僧利明、僧元□
僧奉真 僧至德 僧和光
僧奉真、僧至徳、僧和光
僧景福 僧太和 僧崇德
僧景福 僧太和 僧崇徳
僧德建 僧去甚 僧廣德
僧徳建は言った、「僧去甚」。僧去甚は言った、「僧広徳」。
僧福壽 僧□□ 僧寶達
僧□明 僧和吉 僧□□
僧は明らかに、僧は和やかに、僧は平安である。
僧遙□ 僧日進 □□輪
僧は遥かに続き、僧は日々に進み、法輪は絶え間なく巡る。
僧延和 僧崇敬 僧惠通
僧[僧侶]の和、僧[僧侶]の崇敬、僧[僧侶]の恵通
僧□□ □居信 僧文貞
僧□□ 僧居信 僧文貞
僧文明 僧昭德 僧曜原
僧文明、僧昭徳、僧曜原
僧仁□ 僧玄真 僧明泰
僧仁生(にんにん) 僧玄真(げんしん) 僧明泰(みょうたい)
僧利□ 僧敬德 僧元□
僧利、僧敬徳、僧元
僧乾□ 僧守一 僧光□
僧乾□、僧守一、僧光□
僧聞順 僧普濟 僧凝□
僧聞順(そう・もんじゅん) 僧普濟(そう・ふさい) 僧凝□(そう・ぎょう□)
僧冲和 僧英德 僧靈德
僧冲和、僧英徳、僧霊徳
僧靈壽 僧還淳 □敬真
僧霊寿(そうれいじゅ) 僧還淳(そうげんじゅん) 敬真(きょうしん)
後一千七十九年咸豐己未武林韓泰崋來觀幸字畫完整重造碑亭覆焉惜故友吳子苾方伯不及同遊也為悵然久之。
西暦1859年、咸豊の歳、己未の年、武林の韓泰崋が訪れました。幸いにも文字や絵が完全に残っていたため、碑亭を再建して覆いました。ただ、故き友人の呉子苾方伯が共に訪れることができなかったのは、本当に残念でなりません。長い間、心に引っかかっています。