ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 楽邦文類 (樂邦文類)
  2. 第一 (第一)
  3. 経 (經)
←と→
矢印キーでページをめくれます

楽邦文類 (樂邦文類)

「樂邦文類」について

宋 · 宗曉編 著

11.0 万字 · 約 367 分

『楽邦文類』は、南宋の宗暁法師によって慶元六年に編纂された浄土宗の重要な文献集成です。この書は、東晋から宋代に至る二百名以上の僧俗による西方浄土信仰に関する論述を収録しており、論文、詩偈、発願文などを含み、浄土宗の教義と実践を体系的に整理しています。その編纂は南宋仏教の繁栄期に行われ、浄土法門の正統性と継承を確立することを目的としていました。中国仏教史上初の浄土宗文集として、『楽邦文類』は浄土思想の発展を研究する上での核心文献を提供し、後世に深遠な影響を与え、漢伝仏教における浄土信仰を理解するために欠かせない古典となっています。


經(凡四十六處)

経<注>全四十六か所</注>

大藏專談淨土經論目錄

大蔵経における浄土経論の目録

法華經 彌陀迹中化緣之始

法華経 弥陀の迹において教化の縁を結ぶ始まり

悲華經 三聖因願授記名號

悲華経 三人の聖者が願いを立て、名号を授けられた記録

出生菩薩經 彌陀因行成就眾生

# 出生菩薩經 弥陀の因行、衆生を成就す

あるとき、世尊はシャーラヴァスティーの祇園精舎におられた。

そこで世尊は、尊い者たちにこう説かれた。

「比丘たちよ、よく聞きなさい。私はこれから、過去の生涯において、私がどのようにして悟りへの道を歩み、すべての生きとし生けるものを救済へと導いたかを語りましょう。

遠い昔、無量劫のあの方、宝蔵如来という仏が世に現れました。その時代に、無諍念という名の転輪聖王がいました。彼は仏の教えを聞き、深く心を動かされました。

王は宝蔵如来のもとを訪れ、こう問いました。 『尊き方よ、私はすべての衆生を救いたいと願っております。どのような行を積めば、この願いを成就できますでしょうか。』

宝蔵如来は微笑み、こう答えました。 『善いかな、善いかな。王よ、あなたの心は尊い。すべての衆生のために、大いなる誓いを立てなさい。』

そこで無諍念王は、五体を地に投げ打って、こう誓いました。

『私が未来に悟りを得るとき、私は浄土を建立し、そこにすべての生きとし生けるものを迎え入れましょう。声を聞いて救いを求める者があれば、その願いに応じ、決して置き去りにすることはありません。』

この誓いを立てたとき、大地は六種に震動し、天からは花びらが降り注ぎました。

宝蔵如来は王に告げました。 『あなたの誓いは大いなるもの。あなたは未来の世において、阿弥陀仏として知られるでしょう。』

時を経て、無諍念王は修行を続け、無数の劫をかけて慈悲の心を育てました。彼は王位を捨て、森に入り、瞑想と倫理の実践に専念しました。飢えた者には食を与え、渇いた者には水を与え、病める者には慰めを与え、悲しむ者には希望を与えました。

彼は考えました。 『私一人の悟りは小さな成就に過ぎない。私の光がすべての闇を照らし、私の慈悲がすべての苦しみを包むまで、私は涅槃に入ることはない。』

こうして彼は、四十の誓願を立て、さらに深い修行を重ねました。

その修行は、ただ静かに座することだけではありませんでした。彼は野にある獣たちを見守りました。それは、師のいないいのちにも慈しみを向けたからです。山や川、木々の間を歩き、そこで生まれ変わりながら苦しむすべてのいのちに対して、まさに自分自身の苦しみのように感じることができました。

ある夜、深い瞑想の中で、彼は無数の世界の無数の衆生が苦しみの中にあるのを見ました。その光景に心を痛め、彼はさらに力を尽くすことを決意しました。

『ああ、もし光明を得たなら、その光明ですべての闇を破ろう。もし智慧を得たなら、その智慧を分かち合い、すべての迷いを断とう。もし力を得たなら、その力で凡ての者を支え、渡そう。』

彼の行いは、食事を惜しんで施し、眠りを惜しんで説法し、冷たい夜には布団を譲り、暑い日には日陰を提供するといった、小さな実践の積み重ねでもありました。

多くの劫が過ぎました。ついに彼は悟りの境地に達しました。

そのとき、十方のすべての仏たちが彼を讃えて言いました。 『善いかな、浄土を成就せよ。すべての衆生を救済せよ。』

彼の名は、その後、阿弥陀如来として広く知られるようになりました。彼の浄土は極楽と呼ばれ、そこに生まれることを願うすべての者が、彼の光明と慈悲に照らされて、安らぎの世界へと導かれます。

このように、比丘たちよ、私の過去の行いはすべての衆生の成就のためのものでした。私は多くの生涯を、皆さんを導くことに費やしてきました。

したがって、すべての人は信じなさい。そして、善い行いを続けなさい。なぜなら、仏の慈悲は尽きることがなく、その光はすべての人に届いているからです。

世尊がこの経を説き終えられたとき、大いなる歓喜が生じ、多くの者が悟りの心を開いた。

ご説法、まずご清聴いただきありがとうございました。

無量壽經 法藏發願莊嚴妙土

無量寿経 法蔵が願を発して、荘厳な浄土を造り上げる

彌陀偈經 彌陀本願取土之相

阿弥陀仏の偈経 弥陀の本願が浄土を選び取った様子

首楞嚴經 大勢至獲念佛圓通

大勢至菩薩は、念佛によって円通を得た——楞厳経より

鼓音王經 彌陀國城父母親屬

鼓音王経 弥陀の国・城・父母・親族

阿彌陀經 極樂過十萬億佛土

阿弥陀経 極楽は十万億の仏国土を超えた先にあります

阿彌陀經 七日不亂感佛往生

阿弥陀経 七日の間、心を亂さずに念佛し続ければ、佛の迎えを受けて極樂に生まれ變わる

觀無量壽經 行三種業得生西方

『観無量寿経』には、三種の業を行うことで西方(極楽浄土)に生まれ変わることができると説かれています。

觀無量壽經 初修日觀送想西方

観無量寿経 初めて日想観を修行し、想いを西方に送る

觀無量壽經 第八像觀約心觀佛

『観無量寿経』 第八 像観 ― 心をもって仏を観ずる

ここで教えられるのは、心をととのえて仏の姿を観ずる行である。 その像は、ただ心のなかにあらわれる。 心が清らかになれば、仏もまたそこに映る。 仏を観ずるとは、すなわち自らの心を観ずることである。

この観法を修する者は、やがて仏の功徳をこの身に受けるであろう。

觀無量壽經 具三種心即得往生

観無量寿経には、三つの心をそなえれば、すぐに往生できると説かれています。

觀無量壽經 下品下生十念功成

観無量寿経 下品下生・十念功成(じゅうねんくこうじょう)

「この経典に説かれるところによれば、下品下生の者が、ただ十回の念仏(お念仏)を称えることで、その功徳が成就する。」

觀無量壽經 韋提侍女皆得往生

観無量寿経 韋提希とその侍女たちも、すべて往生を遂げることができた

阿彌陀經 以疑惑心生西方界邊

阿弥陀経 疑いの心を持って西方の辺境に生まれる

無量壽經 不了佛智胎宮受生

無量寿経 仏の智慧を理解しなければ、胎宮に生まれることになる

菩薩處胎經 生染著心墮懈慢國

『菩薩處胎経』に説かれるように、執着の心を生じさせるならば、懈怠(けたい)と慢心の世界に堕ちてしまう。

平等覺經 淨土聲聞修行證果

平等覚経 浄土の声聞たちは修行を完成し、その果報を証得する

無量壽經 揀五逆謗法不得往生

『無量寿経』では、五逆の罪を犯した者や、仏法を誹謗する者は、浄土に生まれ変わることができないと説かれています。

無量壽經 三輩修因往生之相

無量寿経 三輩の修行による因と往生の様相

無量壽經 較量二土修善不同

無量寿経 二つの浄土における善の修行の違いを比較する

無量壽經 往生淨土菩薩眾多

無量寿経 浄土に生まれゆく菩薩たち、数限りなし

無量壽經 法滅留經百歲度人

無量寿経によれば、法が滅びようとする時、経典はなお百年の間、人々を救い導くとされています。

無量壽經 勸各精進努力求之

無量寿経――皆に精進して努力し、それを求めよと勧める。

無量壽經 無量壽佛光明普照

無量寿経 無量寿仏の光明あまねく照らしたまう

無量壽經 寶鉢飲食自然盈滿

無量寿経 宝鉢の飲食は自然に満ち溢れる

華嚴經 較量二土晝夜長短

華厳経 二つの浄土の昼夜の長さを比べる

文殊說般若經 修一行三昧專稱佛名

文殊師利菩薩が説かれた般若経——一つの行を修して三昧に入り、ひたすら仏の名号を称えること。

般舟經 修佛立三昧專念彌陀

般舟経 仏を修め、三昧を立て、専ら弥陀を念ず

方等大集經 修佛立三昧中道觀法

方等大集経 仏立三昧を修する中道観法

華嚴經 解脫長者得唯心念佛門
華嚴經 依普賢願得生極樂

華厳経 普賢の願に依って極楽に生まれることを得る

法華經 聞經修行即得往生

法華経を聞いて修行すれば、すぐに浄土へ生まれ変われる。

大寶積經 發十種心得生極樂

『大宝積経』に説かれた、十種の心を発すれば、極楽に生まれることができる。

隨願往生經 娑婆濁惡偏讚西方
大集日藏經 念佛隨心見大見小
目連所問經 無量壽國易往易取
十往生經 念佛之人菩薩守護
觀佛三昧經 佛記文殊當生極樂
文殊發願經 文殊發願求生極樂
入楞伽經 佛記龍樹往生樂國
善信摩親經 善信厭女求生西方
首楞嚴經 約情想多少論報高下
守護國界主經 命終善惡感報優劣

樂邦文類序
呪

CBETA コード: T1969A

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません