大方廣佛華嚴經入法界品四十二字觀門
大方広仏華厳経 入法界品 四十二字観門
開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戶賜紫贈司空諡大鑒正號大廣智大興善寺三藏沙門不空奉 詔譯
開府儀同三司・特進・試鴻臚卿・肅國公・食邑三千戸・紫衣賜与・
爾時善財童子從天宮下,向迦毘羅城,至善知眾藝童子所,頭頂禮敬於一面立,白言:「聖者!我已發阿耨多羅三藐三菩提心,而未知菩薩云何學菩薩行?云何修菩薩道?我聞聖者善能教誨,願為我說。」時彼童子告善財言:「善男子!我得菩薩解脫,名善知眾藝。我恒稱持入此解脫根本之字。
その時、善財童子は天宮を下り、迦毘羅城に向かい、善知衆芸童子のもとに至った。頭を地につけて礼拝し、傍らに立って言った。
「聖者よ、私はすでに阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。しかし、菩薩がどのように菩薩行を学び、どのように菩薩道を修めるのか、まだ知りません。聖者がよく教え導かれると聞きました。どうか私に説いてください。」
その時、童子は善財に告げた。
「善男子よ、私は菩薩の解脱を得て、それを『善知衆芸』と名づけています。私は常にこの解脱の根本となる文字を唱え、それを保ち続けているのです。」
「阿上字時,名由菩薩威德入無差別境界般若波羅蜜門,悟一切法本不生故。
その時、阿上字菩薩は、威徳によって無差別の境地に入る般若波羅蜜の門を体得し、すべての法は本来生じないものであることを悟りました。
「囉字時,入無邊際差別般若波羅蜜門,悟一切法離塵垢故。
羅字の時、無辺際差別般若波羅蜜門に入り、一切の法が塵垢を離れることを悟る。
「跛字時,入法界際般若波羅蜜門,悟一切法勝義諦不可得故。
跛の字を唱える時、法界の極みに入り、般若波羅蜜の境地に至る。一切の法の勝義諦は、得られるものではないと悟るからである。
「左輕呼字時,入普輪斷差別般若波羅蜜門,悟一切法無諸行故。
左の軽やかな呼び声を発する時、普輪の差別を断つ般若波羅蜜の門に入り、一切の法に諸行無きことを悟る。
「曩舌頭呼字時,入無阿賴耶際般若波羅蜜門,悟一切法性相不可得故。
「ナウ」の舌頭音を唱える時、無阿頼耶際の般若波羅蜜門に入り、一切の法の性と相が得られないことを悟る。
「攞字時,入無垢般若波羅蜜門,悟一切法出世間故,愛支因緣永不現故。
「清浄」という言葉を聞くとき、それは無垢の智慧(般若波羅蜜)の境地へと導きます。すべての事柄が世俗を超えた真実であることを悟り、愛着の因縁が二度と現れないからです。
「娜字時,入不退轉加行般若波羅蜜門,悟一切法調伏寂靜真如平等無分別故。
「ダ」の字を観じるとき、不退転の加行である般若波羅蜜の境地に入り、一切の法が調伏され、寂靜であり、真如が平等で無分別であることを悟る。
「麼字時,入金剛場般若波羅蜜門,悟一切法離縛解故。
「麼」の字を観ずる時、金剛場の般若波羅蜜の門に入り、一切の法は束縛も解脱も離れていることを悟る。
「拏上字時,入普遍輪般若波羅蜜門,悟一切法離熱矯穢得清凉故。
「ナ」の字を観じるとき、普遍輪の般若波羅蜜門に入り、一切の法は熱さや偽り、穢れを離れて清涼を得ることを悟る。
「灑字時,入海藏般若波羅蜜門,悟一切法無罣礙故。
文字を振りまく時、海蔵の般若波羅蜜の門に入り、一切の法に罣礙なきことを悟るが故に。
「嚩字時,入普遍生安住般若波羅蜜門,悟一切法言語道斷故。
「ヴァ」の字を観ずる時、普遍に生じる安住の般若波羅蜜の境地に入り、一切の法は言葉の道を断たれたものであると悟る。
「多上字時,入照曜塵垢般若波羅蜜門,悟一切法真如不動故。
「多上字の時に入りて、照曜塵垢の般若波羅蜜門を開き、一切の法は真如にして動かざることを悟る。
「野字時,入差別積聚般若波羅蜜門,悟一切法如實不生故。
「野」の字の時、差別積聚般若波羅蜜門に入り、一切の法が実の如く生ぜざることを悟る。
「瑟吒二合上字時,入普遍光明息除熱惱般若波羅蜜門,悟一切法制伏任持相不可得故。
「瑟吒」の二つの音を合わせる時、普遍の光明が現れ、熱い悩みを静める般若波羅蜜の門に入る。一切の法は制御し保持する相が得られないことを悟る。
「迦上字時,入差別種類般若波羅蜜門,悟一切法作者不可得故。
普賢菩薩がこの文字を説いたとき、差別の種類を超えた般若波羅蜜の境地に入り、一切の法には固定的な作者がいないことを悟られました。
「娑上字時,入現前降霔大雨般若波羅蜜門,悟一切法時平等性不可得故。
この世に現れた時、目の前に降り注ぐ大雨のような般若波羅蜜の境地に入り、すべての法の時が平等であり、とらえどころがないことを悟った。
「莽輕呼字時,入大迅疾眾峯般若波羅蜜門,悟一切法我所執性不可得故。
「大いなる迅疾衆峯般若波羅蜜門に入り、一切の法における我執の自性が得られないことを悟る。
「誐字時,入普遍輪長養般若波羅蜜門,悟一切法行取性不可得故。
「阿」の字を説くとき、普遍の輪に入り、般若波羅蜜を長く養う門を開く。一切の法は、行い取るという性質が得られないことを悟るゆえである。
「他上字時,入真如無差別般若波羅蜜門,悟一切法處所不可得故。
他の上字の時、真如に差別なき般若波羅蜜の門に入り、一切の法の処所、得べからざることを悟るが故に。
「惹字時,入世間流轉窮源清淨般若波羅蜜門,悟一切法能所生起不可得故。
「一つの文字を惹き起こすとき、世間の流転の根源が清らかになる般若波羅蜜の境地に入り、一切の法が生起する主体も客体も得られないことを悟る。
「娑嚩二合字時,入念一切佛莊嚴般若波羅蜜門,悟一切法安隱性不可得故。
「サヴァ(二合)の字の時、一切の仏の荘厳なる般若波羅蜜門に入り、一切の法の安穏なる性は得られざることを悟る。
「馱字時,入觀察法界道場般若波羅蜜門,悟一切法能持界性不可得故。
一切の法は、世界の本質を支えるものとして捉えられないことを悟りました。
「捨字時,入隨順一切佛教般若波羅蜜門,悟一切法寂靜性不可得故。
諸々の文字を捨て去る時、あらゆる仏の教えに随順する般若波羅蜜の境地に入り、すべての法は寂静なるものであり、捉えどころのないものであることを悟る。
「佉上字時,入現行因地智慧藏般若波羅蜜門,悟一切法如虛空性不可得故。
「智慧の宝蔵である般若波羅蜜の門に入り、すべての法が虚空の如く、得るべきものがないことを悟ったからです。
「訖灑二合字時,入決擇息諸業海藏般若波羅蜜門,悟一切法窮盡性不可得故。
「バン(vaṃ)」という字を唱えるとき、すべての業の海の蔵である般若波羅蜜の門に入り、一切の法が究極において得られないという性質を悟る。
「娑多二合上字時,入摧諸煩惱清淨光明般若波羅蜜門,悟一切法住持處非處令不動轉性不可得故。
娑多の音が響くとき、それは「一切の煩悩を打ち砕く清浄なる光明の般若波羅蜜」の境地に入ることを示します。そこでは、すべての事象が存在する場所も、存在しない場所も、それ自体が確固として動かぬ実体を持たないことを悟るのです。
「孃輕呼上字時,入生世間了別般若波羅蜜門,悟一切法能所知性不可得故。
「娘よ、軽やかに上字を呼ぶとき、生世間の了別般若波羅蜜門に入り、一切の法が能知・所知の性質を得られないことを悟る。
「囉他二合上字時,入逆生死輪智道場般若波羅蜜門,悟一切法執著義性不可得故。
「ラタ(二合、上字の時)」は、逆生死輪の智道場、般若波羅蜜の門に入る。一切の法は執着の義性、得ること不可なることを悟るが故に。
「婆引去字時,入一切宮殿道場莊嚴般若波羅蜜門,悟一切法可破壞性不可得故。
その時、ヴァーラヒは「去」という字に入り、すべての宮殿の道場を荘厽する般若波羅蜜の門を開き、すべての法は破壊可能な性質を持たないことを悟りました。
「磋上字時,入修行加行藏蓋差別道場般若波羅蜜門,悟一切法欲樂覆性不可得故。
そのとき、普賢菩薩は、修行の実践を深める蔵の差別道場に入り、般若波羅蜜の門を開き、一切の法は欲望や楽しみに覆われた性質が得られないことを悟りました。
「娑麼二合字時,入現見十方諸佛旋般若波羅蜜門,悟一切法可憶念性不可得故。
「サマ」の二合字の時に、現に見る十方の諸仏が般若波羅蜜の門をめぐる境地に入り、一切の法が記憶すべき性質を持たず、得られないことを悟る。
「訶嚩二合字時,入觀察一切眾生堪任力遍生海藏般若波羅蜜門,悟一切法可呼召性不可得故。
マハーヴァ(二合字)の時に、一切の衆生が堪えられる力を観察し、生の海蔵の般若波羅蜜門に遍入して、一切の法は呼び起こす性質が得られないことを悟る。
「哆娑二合字時,入一切功德海趣入修行源底般若波羅蜜門,悟一切法勇健性不可得故。
「タ(二合)の字の時に、一切の功徳の海に入り、修行の源底に趣入する般若波羅蜜の門を開く。一切の法は勇健なる性質が得られないことを悟るが故に。
「伽去字時,入持一切法雲堅固海藏般若波羅蜜門,悟一切法厚平等性不可得故。
「伽」の字が去る時、一切の法の雲を抱き、堅固なる海の蔵である般若波羅蜜の門に入る。一切の法の厚き平等性は得られざることを悟るが故に。
「姹上字時,入願往詣十方現前見一切佛般若波羅蜜門,悟一切法積集性不可得故。
その時、普賢菩薩は、十方に現前する一切の仏を見る般若波羅蜜の法門に入り、一切の法が積み重なった性質は得られないことを悟りました。
「儜上字時,入字輪積集俱胝字般若波羅蜜門,悟一切法離諸諠諍無往無來行住坐臥不可得故。
「儜」という字を観じた時、字輪積集無量の般若波羅蜜多の法門に入り、一切の法はあらゆる論争を離れ、来ることも去ることもなく、行住坐臥という固定的な相も得られないことを悟った。
「頗字時,入成熟一切眾生際往詣道場般若波羅蜜門,悟一切法遍滿果報不可得故。
その時、一切の衆生を成熟させ、道場へと至る智慧の完成の境地に入り、あらゆる法が遍満する果報も得られないことを悟った。
「塞迦二合上字時,入無著無礙解脫地藏光明輪普照般若波羅蜜門,悟一切法積聚蘊性不可得故。
「ヴァイシャリャ(二合、上字の時)、無著無礙解脱の境地に入り、蔵光明輪が普く般若波羅蜜の門を照らす。一切の法が積聚し蘊性を成すも、得るべきもの無きことを悟る故に。
「也娑上二合字時,入宣說一切佛法境界般若波羅蜜門,悟一切法衰老性相不可得故。
「ヴァ」という音を聞いたとき、一切の仏法の境地を説く般若波羅蜜の門に入り、一切の法には老衰という性質や相が得られないことを悟る。
「室左二合上字時,入一切虛空以法雲雷震吼普照般若波羅蜜門,悟一切法聚集足跡不可得故。
その時、虚空蔵菩薩は、一切の虚空に入り、法雲の雷鳴のように響き渡り、般若波羅蜜の智慧の門をあまねく照らし、一切の法が集まり、その足跡さえも得られないことを悟った。
「吒上字時,入無我利益眾生究竟邊際般若波羅蜜門,悟一切法相驅迫性不可得故。
「吒」の上字の時、無我の境地に入り、一切の衆生を利益する究極の彼岸に至る般若波羅蜜の門を開く。一切の法の相は、追い立てるような性質が得られないことを悟るゆえに。
「荼引去字時,入法輪無差別藏般若波羅蜜門,悟一切法究竟處所不可得故。
荼引去字の時に、法輪の無差別蔵である般若波羅蜜の門に入り、一切の法が究極の処所を得られないことを悟る。
「善男子!我稱如是入諸解脫根本字時,此四十二般若波羅蜜為首,入無量無數般若波羅蜜門。
「善き男子よ、私はこのように諸々の解脱の根本となる文字に入ることを説くとき、この四十二の般若波羅蜜を先頭として、無量無数の般若波羅蜜の門に入るのです。
「又善男子!如是字門,是能悟入法空邊際。除如是字,表諸法空更不可得。何以故?如是字義不可宣說、不可顯示、不可執取、不可書持、不可觀察,離諸相故。善男子!譬如虛空是一切物所歸趣處,此諸字門亦復如是,諸法空義皆入此門方得顯了。若菩薩摩訶薩於如是入諸字門得善巧智,於諸言音所詮所表皆無罣礙,於一切法平等空性盡能證持,於眾言音咸得善巧。若菩薩摩訶薩能聽如是入諸字門,印阿(上)字印,聞已受持、讀誦通利、為他解說,不貪名利,由此因緣得二十種殊勝功德。何等二十?謂得強憶念;得勝慚愧;得堅固力;得法旨趣;得增上覺;得殊勝慧;得無礙辯;得總持門;得無疑惑;得違順語不生恚愛;得無高下平等而住;得於有情言音善巧;得蘊善巧、處善巧、界善巧;得緣起善巧、因善巧、緣善巧、法善巧;得根勝劣智善巧、他心智善巧;得觀星曆善巧;得天耳智善巧、宿住隨念智善巧、神境智善巧、死生智善巧;得漏盡智善巧;得說處非處智善巧;得往來等威儀路善巧。是為得二十種殊勝功德。善男子!我唯知此入諸解脫根本字智。如諸菩薩摩訶薩能於一切世間善巧之法,以智通達到於彼岸。而我云何能知能說彼功德行?」時善財童子頭面敬禮眾藝之足,遶無數匝,戀仰而去。
また善男子よ、このような字門は、法の空なる境地を悟り入れることができるものである。このような字を除いては、諸法の空なることを表すものは、さらに得ることができない。なぜならば、このような字の意義は、言葉で説くことも、示し現すことも、執着して捉えることも、書き記して保つことも、観察して考えることもできないからである。それはあらゆる相を離れているからである。善男子よ、たとえば虚空があらゆる物の帰するところであるように、これらの字門もまた同様に、諸法の空なる意義は、皆この門に入って初めて明らかに現れるのである。もし菩薩摩訶薩が、このような諸字門に入る善巧なる智慧を得たならば、あらゆる言葉や音声が表す意味について、何の妨げもなく、一切の法の平等なる空性をことごとく証し保つことができ、あらゆる衆生の言葉や音声にも善巧を得ることができる。もし菩薩摩訶薩が、このような諸字門に入ることを聞き、阿字の印を確認し、聞いた後に受け持ち、読誦し、通達し、他の者に解き説き、名利を貪らないならば、この因縁によって二十種の殊勝なる功徳を得る。どのような二十か。すなわち、強き憶念を得、勝れた慚愧を得、堅固なる力を得、法の旨趣を得、増上なる覚りを得、殊勝なる智慧を得、妨げなき弁才を得、総持の門を得、疑惑なく、順逆の言葉に対しても怒りや愛着を生じず、高下なく平等に住し、有情の言葉や音声に善巧を得、蘊・処・界に善巧を得、縁起・因・縁・法に善巧を得、根の勝劣を知る智慧に善巧を得、他心を知る智慧に善巧を得、星や暦を観ることに善巧を得、天耳の智慧に善巧を得、宿住随念の智慧に善巧を得、神境の智慧に善巧を得、死生の智慧に善巧を得、漏尽の智慧に善巧を得、処非処を説く智慧に善巧を得、往來などの威儀の道に善巧を得る。これが二十種の殊勝なる功徳を得ることである。善男子よ、私はただこの諸解脱の根本となる字の智慧を知るのみである。あらゆる菩薩摩訶薩のように、一切の世間における善巧なる法を、智慧によって通達し彼岸に到ることはできない。どうして私が、彼らの功徳の行いを知り、説くことができようか。時に善財童子は、頭を地につけて衆芸の足を敬礼し、数え切れないほど回り、慕い仰ぎつつ去って行った。