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  1. 仏説無常経 (佛說無常經)
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仏説無常経 (佛說無常經)

「佛說無常經」について

唐 · 底本の訳者:義淨

2,096 字 · 約 7 分

『仏説無常経』は、唐代の高僧である義浄法師によって漢訳されました。義浄法師は西方への求法の旅から帰国後、仏典の漢訳に尽力し、この経典もその過程で生まれました。本経の核心は、「諸行無常」という仏教の根本教義を明らかにすることにあります。生命の老い、病、死、そして万物が移り変わり流転する現象を描くことで、世の人々に警告を与えています。この世の一切は、生じ、とどまり、変化し、滅びる過程の中にあり、執着すべきではない。解脱を求めて、精進して修行に励むべきである、と説きます。 仏教において、この経典は重要な基礎経典と見なされ、臨終の際のケアや追善供養の法要でしばしば読誦されます。それは、修行者に「死と無常」を思い起こさせ、この世への執着を離れようとする心(出離心)を起こさせるためです。その教えは「三法印」の思想に深く根ざしており、崇高な地位を占めています。


佛說無常經(亦名三啟經)

仏説無常経(三啓経とも)

大唐三藏法師義靜奉 制譯

唐三蔵法師義静、詔によりて訳す

稽首歸依無上士, 常起弘誓大悲心,
為濟有情生死流, 令得涅槃安隱處。
大捨防非忍無倦, 一心方便正慧力,
自利利他悉圓滿, 故號調御天人師。
稽首歸依妙法藏, 三四二五理圓明,
七八能開四諦門, 修者咸到無為岸。
法雲法雨潤群生, 能除熱惱蠲眾病,
難化之徒使調順, 隨機引導非強力。
稽首歸依真聖眾, 八輩上人能離染,
金剛智杵破邪山, 永斷無始相纏縛。
始從鹿苑至雙林, 隨佛一代弘真教,
各稱本緣行化已, 灰身滅智寂無生。
稽首總敬三寶尊, 是謂正因能普濟,
生死迷愚鎮沈溺, 咸令出離至菩提。

恭恭敬敬に、この世で最も尊い方(仏陀)に帰依いたします。 常に大きな誓いを立て、限りない慈悲の心を起こし、 迷いの世界である生死の流れの中にいる生きとし生けるものを救い、 安らぎの境地である涅槃へと導いてくださいます。

完全な施し、戒律を守ること、忍耐、倦むことない努力、 一つの心に集中すること、方便、そして智慧の力によって、 自らの利益と他者の利益を完全に満たし尽くした、 その故に「調御丈夫・天人師」と名づけられています。

恭恭敬敬に、素晴らしい教えの宝庫(仏法)に帰依いたします。 四諦・十二因縁など、様々な真理が明らかに説かれ、 八正道は四諦の門を開き、 これに修行する者は皆、煩わしさのない彼岸(涅槃)に至ります。

法の雲、法の雨が全ての生きとし生けるものを潤し、 熱き悩みを除き、様々な病を癒し、 教え導きにくい人々をも柔らかに従わせ、 その人に応じて導き、無理強いすることはありません。

恭恭敬敬に、真実の聖なる僧団(僧伽)に帰依いたします。 八つの位の優れた方々は、すでに汚れを離れ、 金剛の智慧の杵で邪見の山を砕き、 無始の昔から続く束縛を永遠に断ち切りました。

最初の鹿野苑から最後の沙羅双樹の林に至るまで、 仏陀の一代に従って真実の教えを弘め、 それぞれが本来の縁に従って教化を終えた後は、 肉体も消え、智慧も滅し、静かな涅槃に入られました。

恭恭敬敬に、三宝(仏・法・僧)の尊い方々をすべて敬います。 これこそが、全ての人を救う真の因であり、 生死の迷いに沈んでいる人々を、 皆、迷いから出離させ、悟りへと至らせてくださいます。

生者皆歸死, 容顏盡變衰,
強力病所侵, 無能免斯者。
假使妙高山, 劫盡皆壞散,
大海深無底, 亦復皆枯竭,
大地及日月, 時至皆歸盡,
未曾有一事, 不被無常吞。
上至非想處, 下至轉輪王,
七寶鎮隨身, 千子常圍遶,
如其壽命盡, 須臾不暫停,
還漂死海中, 隨緣受眾苦。
循環三界內, 猶如汲井輪,
亦如蠶作繭, 吐絲還自纏。
無上諸世尊, 獨覺聲聞眾,
尚捨無常身, 何況於凡夫。
父母及妻子, 兄弟并眷屬,
目觀生死隔, 云何不愁歎。
是故勸諸人, 諦聽真實法,
共捨無常處, 當行不死門。
佛法如甘露, 除熱得清涼,
一心應善聽, 能滅諸煩惱。

生ある者は皆、死に向かう。 容姿はすべて衰えゆく。 強さも病に打ち負かされ、 これを免れ得る者はいない。 たとえ須弥山の頂きも、 劫の終わりには崩れ散る。 大海は深く底知れずとも、 やがて枯れてしまう。 大地も、太陽も、月も、 時が来れば尽きてしまう。 無常に飲み込まれないものは、 一つとしてないのだ。

上は非想処に至るまで、 下は転輪王に至るまで、 七宝を身にまとい、千人の子に囲まれていても、 その寿命が尽きれば、 一瞬も留まることなく、 死の海に漂い、 縁に従って様々な苦しみを受ける。

三界の中を巡り続けるのは、 井戸の水を汲む輪のよう。 また、蚕が繭を作り、 糸を吐いて自らを縛るようでもある。 無上の諸々の世尊も、 独覚や声聞の衆も、 なお無常の身を捨てるのだ。 ましてや凡夫においてはなおさらだ。

父母や妻子、 兄弟や親族たち。 目の前で生死の別れを見ながら、 どうして嘆き悲しまずにいられようか。 それゆえ、皆に勧める。 真実の法をよく聞き、 共に無常の場所を捨てて、 不死の門を行こう。

仏の教えは甘露の如く、 熱を取り除いて清涼を得させる。 一心に、よく聴くべきである。 それは諸々の煩悩を滅ぼすことができるのだ。

如是我聞:

私が聞いたところでは、次のように語られました。

一時薄伽梵在室羅伐城逝多林給孤獨園。爾時佛告諸苾芻:「有三種法,於諸世間是不可愛、是不光澤、是不可念、是不稱意。何者為三?謂老、病、死。汝諸苾芻,此老病死於諸世間實不可愛、實不光澤、實不可念、實不稱意。若老、病、死世間無者,如來、應、正等覺不出於世,為諸眾生說所證法及調伏事。是故應知此老、病、死,於諸世間是不可愛、是不光澤、是不可念、是不稱意。由此三事,如來、應、正等覺出現於世,為諸眾生說所證法及調伏事。」

ある時、世尊(バガヴァン)は室羅伐城(シュラーヴァスティー)の逝多林(ジェータ林)の給孤独園(アナータピンディカ園)におられました。その時、仏は比丘たちに告げられました。

「三つの法(ものごと)がこの世にはあり、それらは愛すべきものではなく、輝くものではなく、心に留めるべきものではなく、満足できるものではありません。その三つとは、老いること、病むこと、死ぬことです。比丘たちよ、この老・病・死は、実に、この世において愛すべきものではなく、輝くものではなく、心に留めるべきものではなく、満足できるものではありません。

もし、この世に老・病・死が存在しなかったなら、如来(タターガタ)であり、応供(アラハン)であり、正等覚者(サンマーサンブッダ)である私は、この世に現れることはなかったでしょう。そして、衆生のために、自ら悟った法や、調伏(心を整えること)について説くこともなかったでしょう。

ですから、知るべきです。この老・病・死は、この世において、愛すべきものではなく、輝くものではなく、心に留めるべきものではなく、満足できるものではないと。この三つの事柄があるからこそ、如来・応供・正等覚者はこの世に現れ、衆生のために、自ら悟った法や調伏のことを説かれるのです。」

爾時世尊重說頌曰:

その時、世尊は偈を説いて言われた。

「外事莊彩咸歸壞, 內身衰變亦同然,
唯有勝法不滅亡, 諸有智人應善察。
此老病死皆共嫌, 形儀醜惡極可厭,
少年容貌暫時住, 不久咸悉見枯羸。
假使壽命滿百年, 終歸不免無常逼,
老病死苦常隨逐, 恒與眾生作無利。」

外側の飾りは皆、壊れてしまうもの。 内なる身体もまた同じく衰えゆく。 ただすぐれた真理(法)だけは滅びることがない。 だから、智慧ある人は、よくよく観察すべきである。

この老いと病と死は、すべての人が厭うものであり、 姿かたちは醜く、極めて嫌われるものである。 若く美しい姿も、ただ一時とどまるだけ。 やがて皆、痩せ衰え、枯れ果ててしまう。

たとえ寿命が百年いっぱい続いたとしても、 最後には無常の迫り来るのを免れない。 老い・病・死の苦しみは常に追いかけてきて、 絶えず生きとし生けるものにとって、何の益ももたらさない。

爾時世尊說是經已,諸苾芻眾、天、龍、藥叉、揵闥婆、阿蘇羅等,皆大歡喜,信受奉行。

その時、世尊はこのお経を説き終えられました。 比丘たちや天、竜、薬叉、乾闥婆、阿修羅といったすべての者たちは、大いに喜び、深く信じてその教えを受け入れ、実践しました。

常求諸欲境, 不行於善事,
云何保形命, 不見死來侵?
命根氣欲盡, 支節悉分離,
眾苦與死俱, 此時徒歎恨。
兩目俱飜上, 死刀隨業下,
意想並慞惶, 無能相救濟。
長喘連胸急, 短氣喉中乾,
死王催伺命, 親屬徒相守。
諸識皆昏昧, 行入險城中,
親知咸棄捨, 任彼繩牽去。
將至琰魔王, 隨業而受報,
勝因生善道, 惡業墮泥犁。
明眼無過慧, 黑闇不過癡,
病不越怨家, 大怖無過死。
有生皆必死, 造罪苦切身,
當勤策三業, 恒修於福智。
眷屬皆捨去, 財貨任他將,
但持自善根, 險道充糧食。
譬如路傍樹, 暫息非久停,
車馬及妻兒, 不久皆如是。
譬如群宿鳥, 夜聚旦隨飛,
死去別親知, 乖離亦如是。
唯有佛菩提, 是真歸仗處,
依經我略說, 智者善應思。
天阿蘇羅藥叉等, 來聽法者應至心,
擁護佛法使長存, 各各勤行世尊教。
諸有聽徒來至此, 或在地上或居空,
常於人世起慈心, 晝夜自身依法住。
願諸世界常安隱, 無邊福智益群生,
所有罪業並消除, 遠離眾苦歸圓寂。
恒用戒香塗瑩體, 常持定服以資身,
菩提妙華遍莊嚴, 隨所住處常安樂。

常に快楽の対象を求め、善い行いを怠る者は、 どうして身と命を守れるだろうか。死の訪れを見ないというのに。

命の根元である息が絶えようとし、手足の関節が一つ一つ分かれ、 無数の苦しみが死と共に訪れる。その時になって、ただ嘆き悲しむだけだ。

両の目は見開き、死の刃は業に従って振り下ろされる。 心は恐れおののき、誰も助けることはできない。

長く息を吸い込み胸は苦しく、息は絶え喉は乾き、 死神は命を奪う時を迫る。親族はただ見守るばかり。

すべての意識は朦朧とし、魂は恐ろしい城の中へと進む。 親しい者たちは皆、見捨てて去り、業の縄に引かれるままに。

閻魔大王のもとへ連れて行かれ、業に従って報いを受ける。 善い因は善い世界へ導き、悪い業は地獄に落とす。

明るい目とは智慧に勝るものはなく、暗闇とは愚かさに勝るものはない。 病は恨みの相手に勝らず、最大の怖れは死に勝るものはない。

生あるものは皆、必ず死ぬ。罪を造れば苦しみが身に迫る。 三つの行いを励み、常に福徳と智慧を積みなさい。

眷属は皆去り、財産は他者のものとなる。 ただ自分の善い行いの根だけを持ち、危険な道の糧とするのだ。

道端の木に一時休むように、すべては長くは続かない。 馬車も妻や子も、すべてはすぐにこうなる。

群れで眠る鳥が夜に集まり、朝になれば散り行くように、 死に際して親しい者と別れるのも、同じように離ればなれになる。

ただ仏の悟りのみが、真の拠り所である。 私は経典に従って略説した。賢者はよく考えるべきである。

天、アスラ、夜叉などの法を聞く者は、心を込めて聞きなさい。 仏法を守り長く続けさせ、それぞれが尊き教えを実践しなさい。

ここに集まった聞く者のすべて、地にいる者も空にいる者も、 常に世の人々に慈しみの心を起こし、昼夜自ら法に従って生きなさい。

すべての世界が常に安穏でありますように。無量の福徳と智慧が人々を益しますように。 すべての罪業が消え去り、苦しみを離れて涅槃に帰しますように。

常に戒の香で身を磨き、瞑想の衣を身にまとって、 悟りの華を飾りとし、住むところに常に安らかでありますように。

佛說無常經

仏説無常経

若苾芻、苾芻尼,若鄔波索迦、鄔波斯迦,若見有人將欲命終,身心苦痛。應起慈心,拔濟饒益。教使香湯澡浴清淨,著新淨衣,安詳而坐,正念思惟。若病之人自無力者,餘人扶坐。又不能坐,但令病者右脇著地,合掌至心,面向西方。當病者前,取一淨處,唯用牛糞香泥塗地,隨心大小。方角為壇,以華布地,燒眾名香,四角燃燈。於其壇內懸一綵像,令彼病人心心相續,觀其相好了了分明,使發菩提心。復為廣說三界難居,三塗苦難非所生處,唯佛菩提是真歸仗。以歸依故,必生十方諸佛剎土,與菩薩居,受微妙樂。

もし比丘、比丘尼、あるいは鄔波索迦、鄔波斯迦が、人がまさに命終しようとしているのを見て、身心に苦痛があるならば、慈しみの心を起こして、救い助け利益を与えるべきです。香湯で清らかに沐浴させ、新しい清らかな衣を着せ、安らかに座らせ、正念に思いを巡らせます。もし病の人が自力で座れないなら、他の人が支えて座らせます。また座れない場合は、ただ病者を右脇を地につけさせ、合掌して心を込め、西を向かせます。病者の前に、一つの清らかな場所を選び、ただ牛糞の香泥で地を塗り、心のままに大きさを決めます。四角に壇を作り、花を地に敷き、さまざまな名香を焚き、四隅に灯をともします。その壇の中に一枚の彩色の像を懸け、その病人の心が途切れることなく、その像をはっきりと分明に観て、菩提心を起こさせます。さらに広く、三界は住み難く、三塗の苦難は生まれるべき場所ではないと説き、ただ仏の菩提こそが真の帰依すべきよりどころであると説きます。帰依するがゆえに、必ず十方の諸仏の刹土に生まれ、菩薩とともに住み、微妙な楽を受けることができます。

問病者言:「汝今樂生何佛土也?」病者答言:「我意樂生某佛世界。」時說法人,當隨病者心之所欲,而為宣說佛土因緣、十六觀等,猶如西方無量壽國,一一具說,令病者心樂生佛土。為說法已,復教諦觀,隨何方國,佛身相好。觀相好已,復教請佛及諸菩薩,而作是言:「稽首如來、應、正等覺,并諸菩薩摩訶薩,願哀愍我,拔濟饒益。我今奉請,為滅眾罪;復將弟子,隨佛菩薩生佛國土。」第二第三亦如是說。既教請已,復令病人稱彼佛名。十念成就,與受三歸,廣大懺悔。懺悔畢已,復為病人受菩薩戒。若病人困不能言者,餘人代受及懺悔等。除不至心,然亦罪滅得菩薩戒。既受戒已,扶彼病人北首而臥、面向西方,開目閉目諦想於佛三十二相、八十隨形好,乃至十方諸佛亦復如是。又為其說四諦因果、十二因緣無明老死、苦空等觀。

病に苦しむ人に問う。「あなたは今、どの仏の国に生まれたいと望みますか?」病人が答える。「私は、ある仏の世界に生まれたいと願っています。」その時、教えを説く人は、病人の心の願いに従い、その仏の国における因縁や十六観などを、あたかも西方の極楽浄土の教えのように、一つ一つ詳しく説き、病人の心がその仏の国に生まれたいと楽しみに思えるようにする。教えを説き終えたなら、さらに病人に、その方角の仏の身の相や好を、つぶさに観想するよう教え、その観想ができたら、次に、仏と菩薩たちを請じるよう教え、次のように唱えさせる。「南無如来・応供・正等覚、ならびに諸々の菩薩摩訶薩よ。どうか私を哀れみ、悩みを取り除き、利益を与えてください。私は今、あなた方を請じます。それは、もろもろの罪を滅ぼすためです。さらに、私の弟子たちと共に、仏・菩薩に従って、仏の国に生まれたいと願います。」二度、三度、同じように唱えさせる。このように請じることを教えたなら、さらに病人に、その仏の名号を称えさせる。十念が成就したなら、三帰依を受けさせ、広大な懺悔を行わせる。懺悔が終わったら、さらに病人に菩薩戒を受けさせる。もし病人が弱って言葉を発せられない場合は、他の人が代わりに受けたり、懺悔したりする。心から真剣でなければ罪滅ぼしはできないが、それでも罪は滅し、菩薩戒は得られる。戒を受けたら、その病人を頭を北向き、顔を西に向けて横たえ、目を開けたり閉じたりしながら、仏の三十二相や八十種の随形好を、さらには十方の諸仏もまた同様に、しっかりと観想させる。さらに、そのために四諦の因果、十二因縁の無明や老死、苦・空などの観想を説く。

若臨命終,看病餘人但為稱佛,聲聲莫絕。然稱佛名,隨病者心稱其名號,勿稱餘佛,恐病者心而生疑惑。然彼病人命漸欲終,即見化佛及菩薩眾,持妙香花來迎行者。行者見時便生歡喜,身不苦痛、心不散亂,正見心生如入禪定,尋即命終,必不退墮地獄、傍生、餓鬼之苦。乘前教法,猶如壯士屈伸臂頃即生佛前。

もし臨終の際に、看病する人が他のことに気を取られずに、ただ仏の名を称えさせ、声を絶やさずに続けさせなさい。ただし、その仏の名を称える時は、病者の心に合わせてその名号を称え、他の仏を称えてはなりません。病者が心に疑いを生じるからです。やがてその病者は命が終わろうとする時、化身の仏や菩薩たちが、見事な香り高い花を持って迎えに来るのを見るでしょう。行者がそれを見れば、たちまち歡喜の心が生じ、身体に苦しみはなく、心も亂れることなく、正しい見解が心に生じて、あたかも禪定に入るかのようになり、そのまま命終わります。決して地獄・畜生・餓鬼の苦しみに墮ちることはありません。先の教えの力によって、まるで壯士が腕を伸ばしたり曲げたりするほどの短い間に、仏の前に生まれることができるのです。

若在家鄔波索迦、鄔波斯迦等,若命終後,當取亡者新好衣服及以隨身受用之物,可分三分,為其亡者將施佛陀、達磨、僧伽。由斯亡者業障轉盡,獲勝功德福利之益。不應與其死屍著好衣等將以送之。何以故?無利益故。若出家苾芻、苾芻尼及求寂等,所有衣物及非衣物,如諸律教,餘同白衣。

在家の鄔波索迦(優婆塞)や鄔波斯迦(優婆夷)などが命を終えた後は、亡くなった人の新しい良い衣服や身につけていた受用の物を取って、三分に分け、亡くなった人のために仏陀・達磨・僧伽に施すことができます。これによって亡くなった人の業障は転じて尽き、すぐれた功徳と福利の利益を得ることができます。死体に良い衣服などを着せて送り出すべきではありません。なぜでしょうか。利益がないからです。出家した苾芻・苾芻尼や求寂などについては、所有する衣物や非衣物は、もろもろの律の教えに従いますが、その他の点は在家の者と同じです。

若送亡人至其殯所,可安下風,置令側臥,右脇著地,面向日光。於其上風,當敷高坐,種種莊嚴。請一苾芻能讀經者昇於法座,為其亡者讀無常經。孝子止哀勿復啼哭,及以餘人,皆悉至心為彼亡者燒香散花,供養高座、微妙經典及散苾芻,然後安坐,合掌恭敬一心聽經。苾芻徐徐應為遍讀。若聞經者,各各自觀己身無常,不久磨滅,念離世間,入三摩地。讀此經已,復更散花燒香供養。又請苾芻隨誦何呪,呪無蟲水滿三七遍,灑亡者上。復更呪淨黃土滿三七遍,散亡者身。然後隨意,或安窣堵波中,或以火焚,或屍陀林乃至土下。

亡者の遺体を埋葬または荼毘の場所に運んだら、風上の場所に安置します。その際、遺体を横向きにし、右脇を地面につけ、顔を日光の方向に向けさせます。その風上の方に高い座を設け、様々に荘厳します。経典を読める比丘(僧侶)の一人をその高座に昇らせ、亡者のために「無常経」を読誦してもらいます。孝子たちは悲しみを止め、泣き叫んではなりません。また他の人々も皆、心を込めて亡者のために香を焚き、花をまき、高座や微妙な経典に供養し、さらに比丘に花をまきます。その後、皆それぞれ座り、合掌して敬意を払い、一心に経典を聴聞します。比丘はゆっくりと経典を最後まで読誦すべきです。この経を聴く者は、各自が自分の身体も無常であり、長く保たず間もなく消滅するものであると観じ、世間への執着を離れ、三昧(さんまい)に入る思いで聴きなさい。経典を読誦した後、再び花をまき、香を焚いて供養します。さらに比丘に、何か呪文を唱えてもらい、虫のいない水にその呪文を二十一遍唱えてから、亡者の上に振りまきます。また清浄な黄土にも同様に呪文を二十一遍唱えてから、それを亡者の身体にまき散らします。その後は、各自の状況に応じて、塔の中に安置するか、火葬にするか、屍陀林(しかだりん・野ざらしの場)に置くか、あるいは地中に埋めても構いません。

以此功德因緣力故,令彼亡人,百千萬億俱胝那庾多劫,十惡、四重、五無間業、謗大乘經一切業報等障,一時消滅。於諸佛前獲大功德,起智斷惑,得六神通及三明智,進入初地。遊歷十方,供養諸佛,聽受正法,漸漸修集無邊福慧。畢當證得無上菩提,轉正法輪度無央眾,趣大圓寂成最正覺。

この功徳と因縁の力によって、あの亡き人は、百千万億・俱胝・那庾多という計り知れないほどの劫(長い時間)の間に積んだ、十悪、四重罪、五無間業、大乗経典を誹謗したことによるすべての業報の障りを、一時に消し去ることができます。そして、諸仏の前で大きな功徳を得て、智慧を起こし、迷いを断ち切り、六神通と三明を獲得して、初地に入ります。さらに、十方の世界を巡り、諸仏に供養し、正しい教えを聞き受け、少しずつ無限の福徳と智慧を積み集めていきます。最後には、無上の悟り(無上菩提)を証得し、正しい法の輪を転じて無数の衆生を救い、大いなる涅槃に入り、完全なる正覚を成就するのです。

臨終方訣

臨終の際の心得


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