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  1. (古今図書集成)釈教部彙考 ((古今圖書集成)釋教部彙考)
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(古今図書集成)釈教部彙考 ((古今圖書集成)釋教部匯考)


晉
晉時。洛中佛圖。四十二所。僧人。始服雜色衣 按魏書釋老志。自洛中構白馬寺。盛飾佛圖。畫迹甚妙。為四方式。凡宮塔制度。猶依天竺舊狀。而重構之。從一級。至三五七九。世人相承。謂之浮圖。或云佛圖。晉世。洛中佛圖。有四十二所矣。漢世。沙門皆衣赤布。後乃易以雜色。
簡文帝咸安元年。以星變。詔僧法曠禳之 按晉書簡文帝本紀。不載 按續文獻通考。簡文帝為會稽王時。好談名理。支道林許詢諸人。常在齋頭。支為法師。許為都講。支通一義。四坐皆厭心。許送一難。眾人皆抃舞。及即帝位。有星變。詔僧法曠。禳之。
咸安二年。勅長干寺造塔 按晉書簡文帝本紀。不載 按佛法金湯編。簡文帝咸安二年。勅長干寺造塔。壯麗殊偉。畢工之日。光照簷宇。帝。每讀佛經。以為陶鍊精神。則聖人可至。
孝武帝太元六年。春正月。帝。始立精舍於殿內 按晉書孝武帝本紀。太元六年春正月。帝。初奉佛法。立精舍於殿內。引諸沙門。以居之。
恭帝□□□年。造丈六佛像。親於瓦官寺迎之 按晉書恭帝本紀。帝。深信浮屠道。鑄貨千萬。造丈六金像。親於瓦官寺迎之。步從十許里。

吳
宋

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