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献花巌志 (獻花巖志)

「獻花巖志」について

陳沂著 著

8,753 字 · 約 29 分

『献花巖志』は、明代の文人・陳沂によって著された仏教典籍であり、南京の献花岩の歴史、伝説、および仏教文化を記録しています。陳沂は明代の著名な学者であり、その著作は歴史考証と文学的筆致を融合させ、献花岩の地理的風貌、寺院の沿革、高僧の事跡を詳細に描写しています。この書は、明代の仏教地理を研究する上での重要な文献であるだけでなく、当時の仏教と文人社会との交流をも反映しています。献花岩は仏教の聖地として、南朝の高僧・宝志禅師にまつわる伝承があり、深い宗教的意義を持っています。『献花巖志』は仏教史および地方志研究において重要な位置を占め、後世に貴重な史料を提供しています。


金陵諸山在北者皆石負大江蟠踞都邑崖壁峻削高數十仞𨹖䧢關阻莫之可越西為城闉之限而石者亦多故隋置石頭城自北以東鍾山為都邑之鎮青龍黃鹿延亘於秣陵淳化者土石相半城南山多子石去十里外皆土不甚高惟牛頭山去城三十里石居土之十七僻奧而鬱秀兩峯角立望之若牛頭然上有浮圖佛宮釋氏書云江左牛頭是也山之南五里有峯起相埒自麓至顛皆碧石被蘚藤樹雜糅與石相生崖之半一石窟曰獻花巖釋氏書謂唐釋師法融居此雪中有奇花又有鳥銜花之異巖因以名而山亦以巖顯故金陵稱叢林必曰牛首獻花巖祖堂而地實相連舊剎惟牛頭幽棲寺即今弘覺寺此巖惟僧菴耳
皇明成化間山東僧古道師至巖下堅坐不動數年黔國之宰何公飯僧於祖堂之山北望雲氣被彩踄岡而北氣自巖出何公愕然步至巖見古道危坐問之不答而貌又古益怪異之是年即捐金為佛宮別治堂與之居請勅賜寺額曰花巖古道化去弟子再傳者曰德逹善弘教受祠部劄子領之踰年尋山之蹤窮水之源芟闢灌莽夷衍碕砠因高為臺緣曲為梯懸虛以為樓閣挹曠以為軒檻凡幽潛祕匿之所始畢張大榜之於木刊之於石何公之志至此益廣由是獻花巖之名大盛於牛頭山予覽而奇之四年與諸大夫五宿山房踄歷甚徧考索彌詳因志其山石巖洞水泉臺甃官宇卉木異蓄各一章具載于篇題詠諸詩別附于後卷云

序
志山石第一

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