No. 1543-A東林十八高賢傳序
No. 1543-A 東林十八高賢伝序
往余令鍾陵。曾過東林寺虎谿橋上遠公社。竟作牛馬走騷驛之場。為之慨然。去今十餘年。乃得東林十八高賢傳讀之。諸公皆糞壤富貴。膏肓泉石。心超淨穢之區。境際人天之勝。令人脉脉心動。摳從亡階。況親承接引。妙契因依。豈必入淨土而極樂。上蓮座而興瞻哉。此傅刻在廬山。未獲流布。樂愚上人謀新業于棲賢山中。尋授吳門毗耶室梓行。予故喜而序之。使信奉此傳。人人見遠師。人人會廬山也。余謂上人尚宜索龍眠十八賢圖附之。以傳千載。何羨蘭亭輞川哉。昔宗少文對衡陽王有言。祿如秋草。時過即腐。試問學道人。此片白蓮花。有腐敗不。不也。
昔、私は鍾陵に赴任した折、一度東林寺の虎谿橋を渡り、遠公の社を訪ねたことがありました。しかし結局は、馬や牛のように奔走する役人の世界に追われ、ただ感慨に耽るばかりでした。それから十数年が過ぎ、今ようやく『東林十八高賢伝』を手にすることができました。この書に登場する方々は皆、富貴を糞土のように捨て、泉石に心を深く寄せ、その心は清らかさと汚れの区別を超え、境涯は人間と天人の勝れた境地に達しておられます。その様子を拝見すると、自然と心が動かされ、彼らの教えを受けたい気持ちが湧いてきます。ましてや直接指導を受け、不思議な縁に結ばれれば、浄土に至らずとも極楽を味わい、蓮台に上らずとも敬慕の念が湧くでありましょう。この伝記は廬山に刻まれましたが、世に広まっておりません。そこで楽愚上人が栖賢山の中で新たに版を起こすことを計画し、やがて呉門の毘耶室に托して印制することとなりました。私は喜んでこの序文を書き、この伝記を信じる人々が、皆遠師に会い、皆廬山を体感できるようにと願っています。私は上人に、さらに李龍眠が描いた十八賢図を添えて、千年にわたり伝えることをお勧めします。それこそ、蘭亭や輞川に劣るものではないでしょう。昔、宗少文が衡陽王に申しました。「禄は秋草の如し、時が過ぎれば腐る」と。さあ、道を学ぶ方に問います。この一片の白蓮の花に、腐敗することなどありましょうか。いや、決してありません。
武林寓生 黃汝亨 書
武林に寓する生、黄汝亨、書す