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title: "東林十八高賢傳 · 周續之"
description: "東林十八高賢傳由唐代僧人釋某撰寫，記述東晉時期廬山東林寺慧遠大師與十八位高賢結社念佛、共修淨業的事跡。該傳反映了淨土宗早期發展的歷史背景，詳載高僧們的修行與弘法歷程，彰顯了念佛往生西方的思想。此傳雖已失傳，但作為中國佛教淨土宗的重要文獻，對後世淨土信仰的傳播與結社修行模式產生了深遠影響，是研究早期淨土宗歷史和慧遠大師思想的重要依據。"
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### 周續之

> 周続之

周續之。字道祖。鴈門人。父歿過江。因居豫章。八歲喪母。哀戚過于成人。十二詣范𡩋受業。通五經五緯。時號十經童子。養志閒居。窮研老易。公卿交辟無所就。入廬山事遠公。預蓮社。以為身不可遺。餘累宜絕。遂終身不娶。布衣蔬食。劉毅鎮姑熟。命為撫軍。復辟太學博士。俱不就。以稽康高士傳。得出處之正。為之註譯。宋武帝北伐。太子居守。迎館安樂寺。入講禮月餘。復還山。江州太守劉柳。薦于武帝。辟太尉掾不就。武帝踐祚。召至都間館東郭外。乘輿行幸問禮經。慠不可長。與我九齡射于矍圃三義。辨析精異上甚說。或問身為處士。時踐王庭何也。答曰。心馳魏闕者。以江湖為桎梏。情致兩忘者。市朝亦岩穴耳。時號通隱先生。續之素患風痺。不復堪講。乃移病鍾山。景平元年卒。春秋六十七。

> 周続之。字は道祖。鴈門の人。父が亡くなり長江を渡ったため、豫章に住むこととなった。八歳で母を失い、その悲しみは大人以上であった。十二歳で范寧のもとへ学びに赴き、五経と五緯に通じたため、当時「十経の童子」と呼ばれた。志を養い閑居し、老子と易経を深く研究した。公卿たちが次々と招聘したが、応じることはなかった。廬山に入り、慧遠法師に師事して蓮社に加わった。身を捨てることはできないが、余計な煩わしさは断つべきだと考え、生涯妻を娶らず、粗衣粗食の生活を送った。 劉毅が姑熟を鎮守していたとき、撫軍に任じようとし、さらに太学博士に挙げようとしたが、いずれも応じなかった。嵆康の『高士伝』は出処進退の正しさを表しているとして、これに注釈を加えた。宋の武帝が北伐を行った際、太子が留守を守ることとなり、周続之を安楽寺に迎え、一月余りにわたり礼の講義を行った後、再び山に戻った。江州の太守劉柳が武帝に彼を推挙し、太尉の属官に招かれたが、応じなかった。 武帝が即位すると、彼を都に召し出し、東郭の外に宿舎を設けた。武帝が車駕で訪れ、礼経について質問した。「傲慢は長じてはならない」「我に九齢を与え、矍圃で射る」という三つの義について、その辨析は極めて精妙であり、武帝は大いに喜んだ。ある人が「あなたは処士でありながら、時に王廷に足を踏み入れるのはなぜか」と問うた。答えていうには、「心が宮中の御殿に馳せている者は、江湖を足かせと見なす。情と志を共に忘れ去った者にとっては、市朝もまた岩穴と同じである」と。当時、彼は「通隠先生」と呼ばれた。 続之はもともと風痺の病を患っており、もはや講義に耐えられなくなったため、病を理由に鍾山に移った。景平元年に没した。享年六十七。