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title: "金剛般若經集驗記 · 救護篇第一(并序十九章)"
description: "唐代孟献忠所撰《金剛般若經集驗記》是一部汇集金刚经灵验事迹的佛教著作。该书以《金刚经》为核心，辑录了大量持诵此经获得感应与功德的真实故事，内容涵盖消灾解难、智慧增长及往生善道等。在历史背景上，它反映了唐代佛教民间信仰的盛行，尤其突显了《金刚经》在中国佛教中的重要地位。作为一部灵验记类文献，它不仅强化了信徒对般若经典的信心，也为研究唐代佛教社会史提供了珍贵资料，是汉传佛教中宣扬经典神力与实践价值的重要著作。"
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### 救護篇第一并序十九章

> 第一章 救護篇

昔者魯連談笑而秦軍自却。干木偃息而魏主獲安。聞鄭玄之名。群兇不入。憚太公之化。神女銜悲。況乎象帝之先。法王之母。三明八正。待思而成。九惱六纏。因之而滅。無名無相。則萬德俱圓。無取無行。則眾功咸備。若持若誦。護國護身。投烈火而不然。溺層波而詎沒。般若之力。其大矣哉。故以救護之篇。冠於章首。蕭瑀音雨金剛般若經靈驗記曰。邢州治中柳儉。隋末任扶風岐陽官監。初為李密王事。橫被牽引。在大理禁。常誦金剛般若。猶有兩紙來未遍。忽然睡。夢見一婆羅門僧語儉云。檀越早誦經遍。即應得出。儉即驚覺。音教晝夜勤誦。不敢懈息。更經兩日。至日午時。忽然有勑放赦。追向朝堂。遂蒙釋放。儉後一時家中夜在房外誦般若經。三更忽聞奇異香氣。儉起尋香。周無燒處。以此證驗是誦般若功德之力也。爾來倍更恭敬。晝夜精勤。不敢懈怠。專心誦持。已得五千餘篇。至今不闕。

> 昔、魯連（ろれん）が笑いながら語りかけると、秦の軍は自ら退きました。干木（かんぼく）が静かに身を休めると、魏の君主は安らぎを得ました。鄭玄（じょうげん）の名を聞けば、大勢の賊も侵入しませんでした。太公（たいこう）の教えを畏れるならば、神女も悲しみを抱きました。ましてや、象（かたち）あるものの根源であり、法（のり）の王の母であり、三明（さんみょう）と八正（はっしょう）は、思惟によって完成します。九惱（くのう）と六纏（ろくてん）は、それによって消え去ります。名もなく、形もないならば、あらゆる徳が円かにそろいます。執着もなく、行いもなければ、あらゆる功徳がすべて備わります。これを身に帯び、または唱えるならば、国を守り身を守り、火の中に投じても燃えず、激しい波に沈んでも溺れません。般若（はんにゃ）の力は、なんと大きいことでしょう。ゆえに、救い護る篇（へん）として、章のはじめに置きました。 蕭瑀（しょうう）<note>音は雨</note>が著した『金剛般若経霊験記』にこうあります。「邢州（けいしゅう）の治中（ちちゅう）であった柳儉（りゅうけん）は、隋の時代の末期に、扶風（ふふう）岐陽（きよう）の官監（かんかん）を務めていました。初め、李密（りみつ）のために政務を執っていましたが、誤って罪に引き合わされ、大理寺（たいりじ）の牢獄に拘束されました。常に金剛般若経を誦していましたが、まだ二枚ほど最後まで達していませんでした。すると、突然眠気に襲われ、一人のバラモン僧が夢に現れて、柳儉に言いました。「施主よ、早く経を最後まで誦しなさい。そうすればすぐにここを出られるはずです。」柳儉はすぐに驚いて目覚めました。<note>音は教</note>そして昼夜熱心に誦し、怠けたり休んだりすることをやめませんでした。さらに二日が過ぎ、正午ごろのこと、突然、恩赦の詔（みことのり）があり、朝廷へ呼び出され、ついに釈放されました。後に、ある時、柳儉が家の外で夜に般若経を誦していました。夜中の三更（さんこう）ごろ、突然、不思議な香りが漂ってきました。柳儉は起きて香りを尋ねましたが、周囲に香をたく場所はありませんでした。このことから、般若経を誦する功徳の力であると証されました。それ以来、さらに倍して敬虔になり、昼夜熱心に努め、怠けることなく、一心に誦し続けて、すでに五千編以上に達し、今に至るまで欠かすことがありません。」

郎餘令冥報拾遺曰。京兆杜之亮。元明隨仁壽中為漢王諒府參軍事。諒於并州舉兵反。諒敗之後。之亮與僚屬等皆繫獄。惶懼母氏為憂。日夜悲泣。忽於夢中見一沙門。曰。但能誦金剛般若經。可度此厄。及曉便求此經誦之。寢食之餘。未曾蹔輟。無幾。主司引囚伏法。之亮身預其中。唱名咸死。唱訖。之亮輙漏無名。如此者三。主與屬皆被鞭撻。俄而會赦音舍免。明慶中卒於黃州餘令與之亮鄉親。先〔所〕知委〔也〕。

> 郎余令の『冥報拾遺』に曰く、京兆の杜之亮（と・しりょう）、元明（げんめい）は、仁寿年間に漢王・諒（りょう）の府の参軍事を務めていた。諒が并州で兵を挙げて反乱を起こしたが、敗れた後、之亮は同僚たちとともに獄につながれた。彼は恐怖におののき、母のことを案じて日夜涙にくれていた。ある時、夢の中に一人の沙門（僧）が現れて言った。「ただ『金剛般若経』を唱えなさい。そうすればこの苦難を乗り越えられるでしょう。」 夜が明けるとすぐにこの経典を求め、それを唱え始めた。寝食の間も、一時も休むことなく唱え続けた。程なくして、役人が囚人たちを引き出して処刑しようとした。之亮もその中にいたが、名前を呼ばれるたびに死を宣告された。ところが、名を読み終えると、之亮の名だけがなぜか漏れて呼ばれなかった。これが三度も続いた。役人たちは罰として鞭打たれた。 しばらくして恩赦があり、之亮は免罪となった。明慶年間に黄州で亡くなった（余令は之亮の同郷の知人であり、この事情をよく知っている）。

宗正卿竇音豆彈正上也德玄。麟音隣德元年中。被使揚州按察。渡於淮水。船已去岸數十步。見岸上有一人。手賷小幞。形容慘悴。日復將暮。更無餘船。德玄慜之。令船却就岸。喚此人上船同渡。至中流。玄食次。並與之食。及至渡訖。其人不離馬後。行可數里。玄問云。汝是何人。答云。是鬼王。令於揚州追竇大使。玄云。竇大使名何。答云。名德玄。玄即求守鬼。作何方便得免。鬼去甚。媿公賜食。為公先去。公但誦金剛般若經一千遍。即來相報。玄至揚州。經一月餘。日誦經數足。其鬼即來。云。公誦經數已足。大好。終須相隨見王。於是公却入房。因便悶絕。經一宿始覺。初與鬼相隨。至一所。高門列戟。如大州門。鬼曰。請公且住此。某當先報王。鬼即先入。玄於屏障。遙聽聞王語鬼云。你為他作計。遂笞音癡鬼三十。鬼即出來。袒而示之云。為公喫杖。便引玄入。見一著紫人。下階相揖曰。公有大功德。尚未合來。請公即還。出門落坑。便覺其鬼復來。見玄索食及紙錢。玄即與食及紙錢。鬼云。公猶有傍厄。須遣道士上章。其正報誦經已銷訖。侍上章了。還來報公。玄即請道士上章。鬼即來云。上章不達。為有錯字。又更上章。鬼又云。還錯一字。玄即自勘之。果並錯字。即更令上章。鬼云。此迴達訖。更無厄難。德玄問鬼以官祿年命之事。鬼云。公從宗正卿。次任殿中監。次任大司憲。次任太子端尹。次任司元太常伯。次任左相。年六十四。鬼便不見。後所歷官。果如鬼言。當時道士集記此事。號為竇大使上章錄云。玄亦奏知。奉勑告群臣。各令誦金剛般若經德玄曾孫提於梓州過。〔具說〕錄之。

> 宗正卿の竇<注（音は豆）>德玄という人がいました。麟<注（音は隣）>徳元年の頃、揚州へ巡察使として派遣され、淮水を渡ることになりました。船が岸を離れて数十歩進んだとき、岸の上に一人の男が立っていました。手には小さな包みを携え、その姿はやつれ果て、日も暮れようとしているのに、他の船はありません。德玄は哀れに思い、船を岸に戻させて、この男を乗せて共に渡ることにしました。 川の真ん中あたりで、德玄が食事をとる時、その男にも食べ物を与えました。川を渡り終えた後、その男は德玄の馬の後ろを離れず、数里ほど歩いたところで、德玄が尋ねました。「あなたは何者ですか？」すると男は答えました。「私は鬼の王です。揚州で竇大使を捕らえるよう命じられています。」德玄が「竇大使とは何という名前か？」と尋ねると、男は「名は德玄と言います」と答えました。 德玄はすぐに鬼にすがりつき、「どうすればこの難から逃れられるでしょうか？」と尋ねました。鬼は言いました。「あなたが食事をご馳走してくださったので、私は先にあなたのために動きましょう。あなたはただ『金剛般若経』を千回誦経すればよい。そうすれば、私はまた知らせに来ます。」 德玄が揚州に着いてから一ヶ月余り、毎日誦経を続け、回数が満ちた時、その鬼が現れて言いました。「あなたの誦経の数は満ちました。素晴らしいことです。しかし、最後に王にお目にかからねばなりません。」すると德玄は部屋に入り、そのまま気絶してしまいました。一晩経ってからようやく意識が戻りました。 初め、鬼と共に一つの場所にたどり着きました。そこは高い門に矛が並び、大きな州の役所のようでした。鬼が言いました。「ここでお待ちください。私が先に王に知らせてまいります。」鬼が先に入ると、德玄は屏風越しに、王が鬼に言うのを遠くで聞きました。「お前、あの者に手を貸したのか。」そして鬼を三十回鞭打つ音が聞こえました。鬼は出てきて、背中をまくって見せながら言いました。「あなたのために鞭を受けてきました。」そして德玄を中へ連れて行きました。 中には紫色の服を着た人がいて、階段を降りてきてお辞儀をし、「あなたには大きな功徳があります。まだ来るべき時ではありません。どうぞお帰りください」と言いました。德玄が門を出て穴に落ちると、その瞬間に意識が戻りました。 すると再び鬼が現れ、食事と紙銭を求めました。德玄が与えると、鬼は言いました。「あなたにはまだ別の厄難があります。道士に上章（祈願文を天に奏上すること）をしてもらう必要があります。本来の報いである誦経は既に消滅させました。上章が済んだら、また知らせに来ます。」德玄は道士に上章を依頼しました。すると鬼が来て言いました。「上章が届きません。誤字があります。」そこで再度上章を依頼すると、鬼は言いました。「まだ一字誤っています。」德玄が自分で調べてみると、確かに誤字がありました。改めて上章を依頼すると、鬼は言いました。「今回は届きました。もう厄難はありません。」 德玄が鬼に官位や寿命について尋ねると、鬼は言いました。「あなたは宗正卿から、次に殿中監、次に大司憲、次に太子端尹、次に司元太常伯、次に左相となります。寿命は六十四歳です。」そう言うと鬼は姿を消しました。その後、德玄が歴任した官職は、まさに鬼の言葉の通りでした。 当時、道士たちが集まってこのことを記録し、「竇大使上章録」と名付けました。德玄もこのことを奏上し、勅命によって群臣に知らされ、皆に『金剛般若経』を誦経するよう命じられました。<注>德玄の曾孫が梓州を訪れた際に、〔詳しく語って〕これを記録した。</注>

廣平游珣。貞既久視年中任桂府戶曹參軍事。有一女。患瘦病已經數年。珣考滿歸至洪州。女病漸困。珣與妻宋氏謀云。既是惡病。恐後相染。必若不救。弃之水中。俗云利後。遂即轝出此女。女云。某乙生年讀金剛般若經。請於主人佛堂。暫讀一遍。冥目無恨。珣夫妻既聞此言。一時流泣。即於佛堂中。撿得此經。女既漸困。自不能視。口不能言。珣夫妻及主人等。為讀數遍。俄頃之間。女遂能開目。以手指經。意似索讀。及至授經。竟不能語。以眼觀經。以心誦之。須臾佛堂中光明照外。經函裡亦有光出。眾人咸驚異之。女忽然頭面流汗。須臾遍身汗定。便即得睡。經一宿。所苦並除。不逾旬日。痊復如故。自後合家之內。咸誦此經前定州安嘉縣主簿長孫楷親知。具說之。

> 広平の游珣（ゆうしゅん）という人物がいた。貞既（じょうき）の久視年間に、桂府の戸曹参軍事（こそうさんぐんじ）という役職に就いていた。ある日、彼の娘がやせ細る病気にかかり、すでに数年が経過していた。珣が任期を終えて洪州に戻った時には、娘の病状はますます悪化していた。珣は妻の宋氏と相談して言った。「これは悪い病だ。このまま放っておけば、後に私達に移るかもしれない。もし助からないなら、水中に棄てよう。世間ではそうすることで後の災いを防ぐと言う」。こうして娘を連れ出そうとした。すると娘は言った。「私は幼い頃から『金剛般若経』を読んでいました。どうか主人の仏堂で、もう一度だけ経を読ませてください。たとえ目を閉じることになっても悔いはありません」。珣夫妻はこの言葉を聞くと、涙を流しながら、すぐに仏堂で経を探し出した。娘はすでに衰弱しており、自ら目を開けることも、口をきくこともできなかった。珣夫妻や家の主人たちが代わりに何度か読経すると、しばらくして娘は目を開けることができるようになり、手で経を示し、読んでほしいと求めた。経を手渡されたものの、彼女は言葉を発することができなかった。しかし目で経を見つめ、心で唱えていた。すると間もなく、仏堂の中が外まで明るく照らされ、経箱の中からも光が現れた。人々は皆、驚き不思議に思った。娘は突然、額や顔に汗をかき始め、やがて全身に汗が広がり、そのまま眠りについた。一晩経つと、あらゆる苦しみは消え去り、十日も経たないうちに回復して元の通りになった。それ以来、一家全員でこの経を唱えるようになった<note>前定州安嘉県の主簿であった長孫楷（ちょうそんかい）の親しい知人が、このことを詳しく語った</note>。

前嘉州平羗苦良反縣令王崇一。常誦金剛般若經。以永昌年中。緣親累被入理寺。斷以極法。臨欲被刑。禁在京大理寺。崇一常誦經不輟。又被婢真如。重於都下告反。奉勑差御史鄭思齊往京取崇一。令固身送都勘。當行至陝州東十餘里。忽逢一僧。當道而立。語崇一云。請蹔下馬。禮拜四方。御史不許。僧口云。何惜縱其下馬。禮拜四方。御史即縱下馬。依禮四方訖。即不見此僧。御史懼然。怪其靈異。又行至洛州界。夜臥驛廳上。忽聞人語聲。報王崇一。真如所告。此是延命大吉。御史亦同聞之。其事御史將為妖恠。至洛州。具以此事奏聞。主上甚驚。即喚崇一親自勘問。卿在路。何因有此妖恠。崇一答云。臣實不知。遂却付法。令子細推勘。未逾旬日之間。遂逢大赦。免死。年八十七。終於平羗縣令同前。定州安嘉縣主簿長孫楷所錄。

> 昔、嘉州平羌県の県令であった王崇一という者がいた。彼は常に『金剛般若経』を誦していた。永昌年間のこと、親族の罪に連座して大理寺に送られ、極刑を宣告された。刑の執行を目前に、都の大理寺に拘禁されていたが、崇一は誦経を絶やさなかった。 そこへまた、婢の真如という者が都で反逆を告発したため、勅命により御史の鄭思斉が都から崇一を引き取りに向かい、身柄を拘束して都へ送るよう命じられた。行路、陝州の東十余里のところで、忽然として一人の僧が道の真ん中に立ちはだかり、崇一に言った。「しばし馬を下りて、四方を礼拝されたい。」御史はこれを許さなかったが、僧が「どうして馬を下りて四方を礼拝するのを惜しむことがありましょうか」と言うので、御史はついに馬を下りるのを許した。崇一が教えの通り四方を礼拝し終えると、その僧は忽然と姿を消した。御史は驚愕し、その霊異を怪しんだ。 さらに洛州の境に至り、夜、駅の庁に臥せっていると、ふと人の声が聞こえた。「王崇一に告げる。真如の告発は、これは寿命を延ばす大吉の報せである。」御史も同じようにこの声を聞いた。御史はこれを妖異のこととして、洛州に到着すると、詳しくこの事を奏上した。主上は大いに驚き、すぐに崇一を召し出して自ら尋問された。「そなた、路中にて、どうしてこのような妖異があったのか。」崇一は答えた。「臣、実は存じませぬ。」そこで再び法に付され、細かく推問するよう命じられたが、旬日を経ずして大赦に遭い、死を免れた。その後、八十七歳で平羌県令の職を終えた。

前定州司戶任環。常誦金剛般若經。因使入洛。將一駄綾絹歸。在路夜行。忽逢群賊來劫。并殺一奴。仍持刀棒趂環。環既事急。即暎一樹而避。眾賊趂及亂斫任環。竟不著環。唯斫著樹。其賊曳將別處。怪而慍之。更斫數刀。棒打無數。一無傷損。遂即佯死。賊等將為實死。因即俱散。任環即起。徐行尋賊。其賊不越三四里間。遂不得去。任環仍向草中潛隱。聞賊等相共語曰。此處由來無水。今忽四面水流。此乃天殃我輩。有一賊云。向者煞錢主時。空中聞人語聲。莫殺錢主。此人常誦金剛般若。大是善人。眾賊一時同驚。咸曰俱聞此語。並舉手彈指。嗟歎久之。須臾天即漸明。其賊並不得去。尋被州縣括撿擒捕。任環尋亦却得本物同前。定州安嘉縣主簿長孫楷所錄。

> 昔、定州の司戸を務めていた任環という人がいました。彼は常に金剛般若経を読誦していました。ある時、洛陽へ公務で向かう途中、一頭の馬に絹織物を積んで帰路につきました。夜道を進んでいると、突然、賊の集団に襲われ、一人の使用人を殺され、さらに任環に向かって刀や棒を振りかざして追いかけてきました。 任環は危機一髪のところ、木陰に身を隠してやり過ごそうとしました。賊たちは追い付くと、任環めがけて無造作に刀を振り下ろしましたが、どういうわけか任環には全く当たらず、木だけを切りつけていました。賊たちは彼を別の場所に引きずっていき、不思議に思いながらも腹を立て、さらに数回刀で斬りつけ、棒で何度も殴りつけました。しかし、任環には傷一つ負いませんでした。そこで任環は死んだふりをしました。 賊たちは本当に死んだものと思い、その場から立ち去りました。任環は起き上がり、ゆっくりと賊の跡を追いました。すると賊たちは、わずか三四里も進まないうちに、なぜかそれ以上進めなくなっていました。任環が草むらに隠れて様子をうかがっていると、賊たちが互いに話し合っているのが聞こえました。 「この辺りは元々水がなかったはずなのに、今や四方から水が流れ込んできている。これは天が我々を罰しているのだ。」 一人の賊が言いました。「さっき、金の主を殺そうとした時、空から声が聞こえたんだ。『その金の主を殺してはならない。この者は常に金剛般若経を読誦している、大変な善人である』と。」 すると賊たちは皆、一斉に驚いて、「我々も同じ言葉を聞いた」と言い合い、手を打ち鳴らし、しばらく嘆息していました。 やがて夜が明け始めると、賊たちは皆、その場から動けなくなり、その後、州や県の捜索によって捕らえられました。任環もまた、無事に奪われた品々を取り戻すことができました。 <note>同前。定州安嘉県の主簿・長孫楷による記録。</note>

王昌言者。京兆萬年縣人也。去久視元年。於表兄楊希言崇仁坊中撿校質庫。因遂患瘻。繞項欲帀。併至胸前。疼痛呻吟。不能撿校。遂即發心誦金剛般若。自誦之後。無時暫輟。其瘡苦痛不復可言。夜臥之間。忽見一僧。以錫杖為捺。口云。為汝持經之故。與汝療之。因而遂驚。不覺大叫。堂內人數箇。即起同看。所患之瘡。咸有汁出。如小豆汁一升已上。因茲一度。瘻音漏即疼除。其後專心受持。常誦不絕。年六十九。長安元年壽終表兄楊希言所說。

> 王昌という者は、京兆府万年県の出身である。久視元年、従兄の楊希言が住む崇仁坊の質屋で、品物の管理をしていた。ところが、ある時、首の周りにできものができ、ぐるりと一周しようとしていた。さらに胸のあたりにも広がり、痛みでうめき声をあげ、仕事もままならなくなった。そこで心に誓って『金剛般若経』を読誦し始めた。それ以来、一時も怠ることなく唱え続けた。その瘡の苦しみは言葉にできないほどであったが、ある夜、寝ているうちに、一人の僧が現れ、錫杖で患部を押さえながら、「お前が経を読んでいるから、治してやろう」と言った。そこで驚いて、思わず大声をあげた。家の中にいた数人の者が起きて、一緒に見ると、患部からは小豆ほどの膿が一升以上も出ていた。これを境に、瘻の痛みはすっかり消えた。その後も、心を込めて経を受持し、絶えず唱え続けた。そして六十九歳で、長安元年にこの世を去った。

亳蒲愽反州譙音樵縣令王令望。每自說八歲能誦金剛般若。常受持不闕。初。弱冠時。遊劒南邛其恭反州臨溪苦□反縣。過山路峻嶮。忽遇猛獸。令望惶懼。計無所出。即誦般若經。虎遂不前。東西跳廳了反躑。誦至二三遍。遂曳尾而走。流涎數升。又任安州判佐。送租至楊子津。屬風浪暴起。時租船有五百餘艘。橫江沈浮。遲明諸船多皆被沒。唯令望誦金剛般若不輟。若有神助。賴此獨全司勳郎中王潛所說。

> 亳州（はくしゅう）譙県（じょうけん）の県令・王令望（おう・れいぼう）は、幼い頃からよくこう語っていた。「八歳で『金剛般若経』を暗唱できた」と。彼は生涯、この経を欠かさず受持し続けた。 若い頃、剣南の邛州臨溪県を旅した時のこと。険しい山道で突然、猛獣に出くわした。令望は恐怖に震え、為す術もなく、ただ『金剛般若経』を唱え始めた。すると虎は近づかず、あちこちに飛び跳ねながらも、二三度経を唱えると、尾を引きずりながら走り去った。その跡には何升ものよだれが垂れていた。 また、安州の判佐（補佐官）を務めていた時、租税の米を楊子津まで運んだ。折しも風波が荒れ狂い、五百艘あまりの租税船が川を横切って、浮き沈みしていた。夜明けまでに、多くの船は沈んでしまった。しかし、令望だけは絶え間なく『金剛般若経』を唱え続け、まるで神の助けがあったかのように、無事に船を守り抜いたのである。

芳州司馬崔文簡。常誦金剛般若經。屬吐蕃大下。被捉將去。吐蕃鎖著。防護極嚴。其人精心誦持金剛般若經。遂經三日。其鎖無故忽然自開。捺著還開。吐蕃將為私擅開鎖。欲笞撻之。其人答云。鎖實自開。非簡所掣。齒曳反賊云。汝何法術。得鎖自開。報云。為持金剛般若經。應緣此致。吐蕃云。我今却鎖著汝。若誦經鎖開。我即放汝還國。若誦經不開。我即殺汝。吐蕃於傍。咸共看誦。誦仍未徹。鎖劃華穫反然開。吐蕃異之。竟如前言而放洛州司倉張〔璲〕所說。

> 芳州の司馬、崔文簡という人物がいた。彼は常に金剛般若経を読誦していた。ある時、吐蕃の大軍が来襲し、彼は捕らえられて連れて行かれた。吐蕃の者たちは彼に鎖をかけ、厳重に見張った。しかし、彼は心を込めて金剛般若経を唱え続けた。三日が経つと、その鎖が理由もなくひとりでに外れてしまった。何度締め直しても、また開いてしまった。吐蕃の者たちは、彼が勝手に鎖を外したのだと思い、打ち据えようとした。崔文簡は答えた。「鎖は本当にひとりでに開いたのです。私がこじ開けたのではありません。」賊は尋ねた。「お前は何の術を使ったのだ。鎖がひとりでに開くとは。」崔文簡は答えた。「金剛般若経を唱えているからで、その功徳によるのでしょう。」吐蕃の者は言った。「もう一度お前に鎖をかける。経を唱えて鎖が開けば、国に帰してやろう。もし開かなければ、お前を殺す。」吐蕃の者たちはそばで、彼が経を唱えるのを見守った。すると、まだ唱え終わらないうちに、鎖がパッと開いた。吐蕃の者たちはこれを不思議に思い、約束の通りに彼を解放した。（洛州の司倉、張璲の語るところによる。）

河東裴宣禮。時為地官侍郎負既。久視年之初。正多大獄。所有推勘。多在新開。虗吏束索之徒。用法深刻。一經追問。五毒參并。所有用徒。十不全一。宣禮深心正信。少小誦持金剛般若經。每至心誦念。枷鎖斷壞。當時主吏侯鞠。音掬逾嚴不信其言。以為擅脫枷鎖具。以此狀諮白判官。勵以威稜。對令其誦。誦至半卷。索然解散。因此神驗。遂得清雪梓州刺史韋慎名所說。

> 河東の裴宣礼という人物がいた。 当時、彼は地官侍郎という官職にあった。 久視年間の初めのこと、国では大きな裁判沙汰が相次ぎ、 尋問の多くは新しく設けられた役所で行われていた。 残酷な役人や虎の如き取調官たちは、法を厳格に用い、 ひとたび追及を受ければ、五種類の拷問が一斉に加えられた。 そのため、取り調べを受けた者のうち、十人のうち一人も生き残れなかった。 宣礼は心から深く信心を抱き、幼い頃より『金剛般若経』を誦持していた。 彼が一心にこの経を唱えると、枷や鎖が自ら破れ落ちた。 当時、責任者の役人である侯鞠（侯鞠という人物）は、 これを頑なに信じず、 「自分で勝手に枷や鎖を外したのだ」と言って、 その旨を判官に申し立てた。 判官は厳しい態度で威圧し、彼に経を読誦させた。 彼が経の半分ほどを唱えたところ、 枷や鎖は音を立ててほどけ、散り散りになった。 この霊験により、彼はついに罪を晴らされ、無罪となった。 （梓州刺史の韋慎名が語った話である。）

京兆韋利克勤。常念誦金剛般若經。因征遼東。遂沒高麗。數年之後。逢官軍度遼伐罪。乘夜欲投官軍。出城之外。並是高麗村落。正逢月暗。行之莫知所出。遂見一明如燈。引之而去。不逾少選。遂至官軍營幕。克勤仕至中郎。遍向親知說此徵驗。嗟歎般若之力不思議梓州刺史韋慎名所說。

> 京兆の韋克勤という人は、常に『金剛般若経』を読誦していました。遼東への遠征に従軍した際、高句麗に捕らわれてしまいました。数年後、唐の官軍が遼を渡り罪を討つ機会があり、彼は夜陰に乗じて官軍に投降しようとしました。城外は一面の高句麗の村々で、折しも月が暗く、進むべき道が分かりませんでした。その時、灯りのような明るさが現れ、彼を導くように動きました。ほどなくして、官軍の営地にたどり着くことができました。克勤は後に中郎の官にまで昇進し、その不思議な体験を親しい人々に語り、「般若の力は想像を絶する」と嘆息しました。 <note>梓州刺史・韋慎名が語ったところによる。</note>

梓州郪音妻縣人唐晏。受持金剛般若波羅蜜經。一從念誦已來。未曾空過。以長安元年。逃寄住普州安岳縣。經十二年。與彼土豪人姚詮等數十家交好。至開元二年。逢前郪縣令竇界慎男湜音寔。緣祖懷貞之累。從閬州左降為普州員外參軍。與刺史崔從俗親。遂差湜攝安岳縣令。晏以湜昔日本部郎君參議之後。便同疇昔為湜設計。糺察豪人客戶。因此起恨。至開元三年。雅州刺史劉朏普沒反。左降為普州刺史。遂受豪人等言。以晏浮逃生文。陰擬躓音致頓。晏夜夜常夢見一道人。再三云。何不歸去。何不歸去。不知豪人潛欲致害。賴得縣錄事廳仁勗相報。晏遂走至遂州方義縣王孝古庄。潛伏其庄。去普州八十餘里。以十二月二十三日。劉刺史差司法王泯。領手力十人。來至孝古庄捉晏。其庄後唯有一大竹林。東西南北並是熟地。更無茅草。晏既惶急。走竄竹林。却倚一樹。唯念誦金剛般若經。聲聲不輟。其手力十人。交橫於竹林內。樹前樹後。來去覔晏。至竟不見。便即却迴。晏即走至遂州市內張希閏家停止。又以開元四年正月。劉刺史又差普康縣錄事張瓘。將書屬長史韋伯良捉晏。又逢主人張希閏作佐史。歸報晏云。今日有普康縣錄事張瓘。把劉刺史書與長史。不知何事。晏聞此語。葢復驚惶。當夜夢見一大蟲。欲來食晏。忽驚起坐。見床頭壁角。有一神王立地。晏於床上再視。須臾散滅。其夜三更便走。正月七日至通泉縣。停止十日。果得主人張閏書報。昨七日平明。韋長史差不良人於閏家搜掩足下。幸知之也。千萬好去。遂到故里。得至今日。皆是般若神力之所衛護。然晏有去處。前非便利。即見一蛇橫過。雖盛冬之月。亦屢是蛇。自誦經來。雖入疾病之家。不曾染病患獻忠時任梓州司馬。親問其人。

> 梓州郪県（音は「妻」）の人、唐晏は、金剛般若波羅蜜経を受持していた。念誦を始めてからというもの、一度も欠かさずに続けてきた。長安元年、逃れて普州安岳県に身を寄せ、十二年もの間そこに留まった。その地の豪族、姚詮ら数十家と親しく交わっていた。 開元二年、かつて郪県の県令であった竇界慎の息子・湜（音は「寔」）に出会った。湜は、祖父の懐貞の事件に連座して、閬州から左遷され、普州の員外参軍となっていた。刺史の崔従俗と親しい縁から、湜は安岳県令を代理することとなった。 晏は、湜がかつて故郷の役所で同僚だったことから、昔と変わらず親しく接し、彼のために策を巡らせて豪族や流民の取り締まりを助けた。そのため、豪族たちの恨みを買うこととなった。 開元三年、雅州刺史の劉朏（音は「普没反」）が左遷され、普州刺史となった。彼は豪族たちの言葉を受け入れ、「晏は身分を偽って浮浪し、逃亡の書状を書いている。密かに罪に陥れよう」と企んだ。 晏は毎晩のように夢の中で一人の道士を見た。その道士は繰り返し「なぜ帰らないのか。なぜ帰らないのか」と言った。晏は、豪族たちが密かに自分を害そうとしていることに気づいていなかった。 幸いにも、県の録事である庁仁勗が知らせてくれたおかげで、晏は遂州方義県の王孝古の屋敷へ逃げ込み、そこに潜伏した。普州から八十里余り離れた場所だった。 十二月二十三日、劉刺史は司法の王泯に命じ、手練れの者十人を連れて王孝古の屋敷に晏を捕らえに来させた。屋敷の裏手には大きな竹林があるだけで、東西南北すべてが耕作地であり、雑草すら生えていなかった。 晏は慌てふためき、竹林の中に逃げ込み、一本の木に寄りかかって、ただ金剛般若経を念誦した。その声は絶え間なく続いた。 手練れの十人は竹林の中を縦横に駆け回り、木の前や後ろを探し回ったが、ついに晏を見つけられず、やむなく引き返した。 晏はすぐに遂州市の中の張希閏の家に逃げ込んで身を隠した。 開元四年正月、劉刺史は再び普康県の録事・張瓘に命じ、長史の韋伯良に書状を届けさせて晏を捕らえようとした。すると、主人の張希閏が佐史を務めていた縁で、帰宅して晏に知らせた。「今日、普康県の録事・張瓘が劉刺史の書状を長史に届けに来ました。何事かはわかりません。」 晏はこの言葉を聞いて、ますます恐れおののいた。その夜、夢の中で巨大な獣が自分を食べようとしているのを見た。驚いて起き上がると、床の頭側の壁際に一人の神王が立っていた。晏は床の上から二度見つめたが、やがて消え去った。 その夜の三更、晏は逃げ出した。正月七日に通泉県に到着し、十日間滞在した。すると果たして、主人の張閏からの手紙が届いた。「七日の夜明けに、韋長史は役人を遣わし、閏の家を捜索させました。あなたのことを知っています。どうかご無事で旅を続けてください。」 こうして故郷にたどり着き、今日に至ることができた。これらすべては金剛般若経の神力が守護してくださったからにほかならない。 また、晏がどこかに行こうとして、前方に障害があると、必ず蛇が横切るのを見た。真冬の季節でさえ、しばしば蛇が現れた。 経典を読み始めてからは、病人の家を訪れても、一度も病気に感染したことはなかった。 （※献忠が当時梓州司馬であった時に、直接この人物から話を聞いたものである。）

絳州正平縣人郭守瓊。時任鴻臚掌客。因歸貫去家數十里作客。日遂將衣。方始言歸。時屬天陰。兼以微雨。舊云此路左側。既多墳墓。乘前鬼火。迷惑行人。或於冢間。或墮坑壍。因遂亡失魂魄。時月而終。守瓊兢惶。計無所出。初見鬼火。數十里間。或十炬或二十炬。倐忽而至。唯騎一馬。更不將人。舊誦般若多心經。遂即抗聲而誦。其火迸散。極望眇然。既見火遙。遂少停誦。不逾少選。鬼火還集。依前更誦。火即漸遠。則知般若之力。通於幽明郭瓊于時同作營田判官郭瓊自說。

> 絳州正平県の郭守瓊という人がいた。当時、鴻臚寺で客をもてなす役目を務めていた。ある時、故郷へ帰る途中、家から数十里離れた場所で他人の客となった。その日の夕方、衣を整えてようやく帰路についた。時は曇り空で、小雨も降っていた。昔からこの道の左側には墓が多く、以前も鬼火が出て道行く人を惑わせたという。墓の間で迷ったり、穴に落ちたりして、そのまま正気を失い、一ヶ月ほどで命を落とす者もいたという。 守瓊は恐れおののき、どうすればよいか途方に暮れた。最初、鬼火が見えた。数十里の間に、時には十の松明、時には二十の松明が、忽然と現れては近づいてくる。彼はただ一頭の馬に乗っており、連れはいなかった。昔から『般若多心経』を暗唱していたので、声高に唱え始めた。すると鬼火は炸裂するように散り散りになり、見渡す限りかき消えた。火が遠くへ行ったのを見て、しばらく唱えるのをやめた。するとすぐに、また鬼火が集まってきた。再び唱えると、火は次第に遠ざかっていった。このことから、般若の力は幽明の世界に通じていることが分かる<note>郭瓊は当時、同じく営田判官を務めていた郭瓊自身が語った話である</note>。

梓州玄武縣福會寺僧釋神晏。俗姓劉音流氏。去萬歲通天元年。被鄉人馮知悌橫告於房中停止劫賊盧金柱等。遂走於瀘州逃避。因逢資州大雲寺陳行貞。瀘州講說知光火賊。使此州司馬張涉牒資州追行貞。資州差首望張蘭往瀘州掩捉。便於瀘州縣禁。神晏舊誦得金剛般若經。晝夜勤誦。四十餘日。至五月二十七日。獄中夜明。有同於晝。囚徒驚駭。將謂火來。其門著枷釘鍱𪹼補劾反裂。如用斧鑿之。聲應時斷壞。其杻元無開處。自然脫落。其擊柱鎖。亦為數段段。瀘州縣丞車詢瞋。獄典□更喚䥫匠木匠。別作枷杻牢。而及至天明。遣典瀘望更主細奴藺音恡老等各打三十反。又窄音責釘鍱彌壯。神晏憂懼。至心誦經。未至亥時。依前斷壞。車詢迴心敬信。倍加頂禮。日餉送齊食。悔遇慇懃。合州共聞。競送飲食。及送還此。使司斷移卿勝州。仍被法服。配勝州寶幢寺。神晏喜此神驗。念誦不輟。逢神龍元年二月十五日。制放迴本州。至此還俗獻忠親自追問。具說源流。神晏當時始年三十八也。

> 梓州玄武県の福会寺に住む僧、釋神晏（しゃくじんあん）は、俗姓が劉氏であった。昔、万歳通天元年に、同郷の馮知悌から「部屋に強盗の盧金柱らをかくまっている」と偽りの告発を受けた。そのため神晏は逃亡し、瀘州へと逃れた。そこで資州の大雲寺にいる陳行貞と出会った。陳行貞は瀘州で、火をつける強盗の話をしていた。これにより、この州の司馬である張渉が、資州に対し陳行貞を引き渡すよう公文を送った。資州は有力者の張蘭を遣わし、瀘州で陳行貞を捕らえ、瀘州の県で拘禁した。 神晏は以前から金剛般若経を暗誦しており、昼夜熱心に唱え続け、四十余日が過ぎた。ある年の五月二十七日、獄中が夜になっても昼のように明るくなった。囚人たちは驚き怖れ、火事かと思った。すると、門にある枷や釘やかすがいが、「ばりばり」と斧や鑿で打ち砕くような音を立てて、音と同時に壊れていった。手枷は元々開くところが無いのに、自然に外れてしまった。柱につないだ鎖も、いくつもの断片に砕け散った。 これを聞いた瀘州県の丞、車詢は怒り、獄の役人に鉄工や大工を呼んで、もっと頑丈な枷や手枷を新たに作らせた。そして夜が明けると、役人の瀘望や細奴、藺老らに、それぞれ三十回の鞭打ちを命じた。さらに、より強いかすがいで厳重に打ち付けた。 神晏は心配でたまらなかったが、心から信心して経を唱え続けた。午後九時にもならないうちに、以前のように枷などは再び壊れてしまった。これを見た車詢は心を改め、敬意と信仰を抱くようになり、ひときわ厚く礼拝した。毎日食事を差し入れ、心から過ちを悔いた。州中がこの噂を聞き、競って飲食物を差し入れた。やがて神晏が送り返されることになり、この役所の裁決で、彼は卿州（または勝州）へ移され、僧衣を着せられて、勝州の宝幢寺に配属された。 神晏はこの神験を喜び、念誦を絶やさなかった。そして神龍元年二月十五日、詔によって元の州に戻ることが許された。そこで彼は還俗した（献忠が自ら問いただし、詳しい事情を聞き出した。神晏は当時、まだ三十八歳だったという）。

博陵崔善沖者。先天初載時任梓州銅山縣丞。常受持金剛般若經。當時姚雋音邃州蠻部落有反叛者。監軍御史李知古以善沖為判官。既在軍營。住雋州界。知古志圖功効。遂招慰諸蠻首領。降而殺之。蠻落因茲遂皆反叛。報其讎音酬怨。共殺知古。善沖當即奔竄。麤亂反罔知所之。與二十餘人結伴同走。奔馳迷之。已經日夜。不知途路。遙見一火。准度近遠可十里餘。將有人家。擬投作食。迄至于曉。猶趂不及。乃至昆明縣路投得縣城。盇是神力護持。潛加引導。濟以厄急。實冥助焉獻忠任梓州司馬崔善沖親說。

> 博陵の崔善沖という人物がいた。先天年間の初め、梓州銅山県の丞（補佐官）を務めていた。彼は常に金剛般若経を受持していた。当時、姚巂州の蛮族の部落に反逆する者がいた。監軍御史の李知古は、善沖を判官に任命した。軍営は巂州の境界に置かれていた。知古は功績を挙げようと志し、諸蛮の首領たちを招いて懐柔し、降伏させた後にこれを殺害した。蛮族の者たちはこのために皆反逆し、その仇討ちを行い、共に知古を殺した。善沖はただちに逃走した。混乱のまま逃げ惑い、行き先もわからなかった。二十数人の者と連れ立って共に走り、ひたすら走り続けて道に迷い、一昼夜が過ぎたが、道筋はわからなかった。遠くに一つの火の光が見えた。距離を測るとおよそ十里余り先だった。人家があるかと思い、そこに立ち寄って食事を取ろうと考えたが、夜が明けてもなお追いつけなかった。ようやく昆明県の道に至り、県城にたどり着くことができた。これはまさに神力が護持し、密かに導きを与え、艱難の危急を救ったものであり、実に冥助（目に見えぬ助け）であった。（献忠が梓州司馬の崔善沖から直接聞いた話である。）

邛局龍反州安仁縣令尚行琮。常誦金剛般若。因事左授翼水縣丞赴任。至義州界。山路嶮峻。閣道危縣。乘夜而行。忽墜於閣。在半崕上乘落騎一樹枝。猶疑是馬。遂不知覺。須臾之間。家人叫聲。方知墜閣。口誦金剛般若。尚不輟聲。覺後狀如在夢。一無所損邛州司戶胡延祚所說也。

> 邛州の安仁県令、尚行琮（しょうこうそう）という人物がいました。彼は常に『金剛般若経』を読誦していました。ある事情で官職を左遷され、翼水県の県丞として赴任することになりました。 任地へ向かう途中、義州の境界にさしかかった時のこと。山道は険しく、崖に沿った木道は危険なほど高く架かっていました。夜道を急いでいたところ、誤ってその木道から落ちてしまいました。 半ば崖の上、彼は落ちながらも、一本の木の枝にからだを乗せていましたが、馬に乗っているのだと思い込み、意識がはっきりしませんでした。しばらくして、家族の叫び声でようやく自分が崖から落ちたことに気づきました。 しかし、その間も彼の口は『金剛般若経』を唱え続けていました。我に返った時、それはまるで夢のようでしたが、彼のからだにはどこにも傷がありませんでした。 （この話は、邛州の司戸である胡延祚が語ったものです。）

前陵州仁壽縣尉陳惠妻王氏者。京兆人也。初王氏在家之時。為表兄褚敬。慇懃欲娶。其王氏父母不許共褚為婚。其褚敬每云。若不嫁與我為妻。作鬼終不相放。後嫁與陳惠。數載褚敬遂亡。其王氏隨夫在仁壽縣。每夜寐之後。夢敬即來相親。宛若平生。遂覺懷姙。經十七箇月。身漸重而不產。不知為計。將作鬼胎。遂入佛堂。取得金剛般若。至心啟請。轉讀此經。每轉經時。精意發願。若是懷孕。願早平安。若是鬼胎。必早銷化。因念誦之力。漸覺身輕。所懷鬼胎。即自散滅。從此之後。轉更精懃。遂常受持。至今不絕崇福寺僧釋惠遠者。其兄于翽。（呼來反）時任梓州司戶。因來至此。親所知見。故具錄焉。

> 昔、陵州仁寿県の尉であった陳惠の妻、王氏は、京兆の出身である。 初め、王氏が実家にいた頃、従兄の褚敬が熱心に娶ろうとしたが、王氏の両親は褚敬との結婚を許さなかった。 褚敬はことあるごとに、「もし私の妻にならないなら、死してなお決して逃がさない」と言っていた。 その後、王氏は陳惠と結婚した。幾年か経って褚敬は亡くなった。 王氏は夫と共に仁寿県に住んでいたが、毎晩眠りにつくと、夢の中に褚敬が現れて親しげに近づいてくる様子は、生きていたときと全く同じであった。 やがて懐妊したことがわかったが、十七か月が経ち、次第に体は重くなるものの出産には至らず、どうしたものかと途方に暮れた。 鬼胎であろうと思い、仏堂に行き、金剛般若経を取り出して、心を込めて祈り、この経を読誦した。 経を読むたびに、心を込めて願をかけた。「もし正常な妊娠であれば、どうか早く安らかに産まれますように。もし鬼胎であれば、速やかに消え去りますように。」 この読誦の力によって、次第に体が軽くなり、宿っていた鬼胎は自然に消え去った。 それ以後、ますます精進に努め、常にこの経を受け持って読誦し、今日に至るまで絶えることはなかった。 <note>崇福寺の僧、釈恵遠によれば、その兄の于翽（読みは「呼来」の反切）が当時梓州司戸を務めており、ここに来て自ら見聞きしたことである。よって詳しく記録したものである。</note>

虢孤獲反州朱陽縣尉向仁悊。河內人也。去龍朔年中。從雲玄運米向遼東。至海中。路遇惡風。般破氛氳。黑暗不知東西。仁悊先誦得金剛般若經。晝夜至心。口誦不輟。略記可得三百餘遍。忽然似睡。即有一僧云。緣汝誦經。明日使汝等著岸。須臾即明。日影出水之上。遙見一枝有似馬鞭。誦經轉急。遂即到岸。同船六十餘人。一人不損。諸船漂沒略盡。豈非般若力乎邢州〔指〕仁縣令隻思敬所說。

> 虢州朱陽県の尉である向仁悊は、河内の出身でした。龍朔年間のある時、雲玄から米を運んで遼東へ向かいました。海の途中で暴風に遭い、船は破れ、あたりは暗闇に包まれ、東西もわからなくなりました。仁悊は以前から『金剛般若経』を暗誦しており、昼夜を問わず心を込めて口ずさみ、ざっと数えて三百回以上は唱えていました。すると、うとうととした瞬間に、一人の僧が現れて言いました。「お前が経を読誦しているので、明日にはお前たちを岸に着けさせよう。」しばらくすると空が明るくなり、日の光が海面に映りました。遠くに馬の鞭のようなものが一つ見え、さらに一心に経を唱えると、ついに岸にたどり着きました。同じ船に乗っていた六十余人のうち、一人も傷つくことはなく、他の船々はほとんどが沈んでしまいました。これこそ、般若の力によるものではなかったでしょうか（邢州指仁県令の隻思敬が語ったところによる）。

懷州武德縣令何澋。常誦金剛般若經。天授二年。因假入洛。八月還縣。驢馬九箇。總有十人。行至河陽。正逢水漲橋斷。行旅來往之人。咸以船渡。時有邢音形州平鄉縣尉陳乾福。亦至水次。相屬仲秋月晦暮。番滿兵迴。人有歸心。崩騰爭上。何陳二子並亦上船。陳君懼船將重。却下衣物。何公鞍乘既多。因而遂過。不逾一二十步。船即沉沒。澋私心念。生來受持金剛般若。今日豈無徵乎。澋初上船。恐船搖動。遂以手把角䭾索。蘇洛反一從水沒。直下數。又澋時有姪。亦先在船。船覆水中。其姪得上船底。湍流既疾崩岸。又高岸腹縣蘆延蔓音萬于水。澋隨浪轉。攀得蘆根。欲去復留。逐波搖蕩。覆船泛直趣澋邊。其姪攀援引澋而上。水浸繩急。手入繩間。拔手既難。䭾亦隨出。自餘人馬。任水㳂音緣洄。或遇淺逢。查殆無死者。番兵向餘八十。生者唯有一人。斯則般若良因。潛加拯護者矣邢州平鄉縣尉陳乾福所說。

> 懐州武徳県令の何澋は、常に金剛般若経を読誦していた。天授二年、休暇を取って洛陽に入り、八月に県へ戻る途中、驢馬九頭と、総勢十人の一行であった。河陽に到着した時、ちょうど増水で橋が切れ、旅人は皆、船で渡っていた。その時、邢州平郷県尉の陳乾福も水辺に来ていた。仲秋の月末、日も暮れようとしていた。兵士たちは任期を終えて帰路につき、皆が故郷を想い、我先にと殺到して船に乗り込んだ。何と陳の二人もまた船に乗った。陳は船が重くなり過ぎるのを恐れて、荷物を下ろした。何は鞍や荷物が多かったが、そのまま渡った。ところが、わずか二十歩も進まないうちに、船は沈んでしまった。澋は心の中で思った。「生まれてこのかた、この金剛般若経を受持してきた。今日、その功徳が現れないことがあろうか」と。澋が初めて船に乗った時、船が揺れるのを恐れて、手で角に結んだ䭾索（荷を縛る縄）を掴んでいた。水に没してから、真っ逆さまに数尺沈んだ。また、澋には甥がいて、先に船に乗っていた。船が転覆した後、その甥は船底に上がることができた。激しい流れは速く、岸は険しく切り立っていた。さらに岸の腹には蘆（あし）が蔓（つる）を延ばして水面に垂れていた。澋は波に漂い、その蘆の根に掴まった。離れようとしても離れられず、波に揺られながら流された。転覆した船が流れに乗って澋のそばに漂ってきた。甥が澋を引き上げようと手を貸した。水に浸かって縄がきつく締まり、手が縄の間に挟まって抜け出るのが難しかったが、荷物も共に浮かび上がった。その他の人や馬は、ただ水の流れに任せて漂うばかりであった。中には浅瀬に漂着した者もいたが、調査によれば死者は出なかった。兵士たちは八十人ほど残っていたが、生き残ったのはたった一人であった。これこそ、金剛般若経の善き因縁が、密かに助け守ってくれたのである。（邢州平郷県尉の陳乾福が語ったところによる。）

贊曰。禪慧之門。菩提之路。無行無得。唯救唯護。三界歸依。四生開悟。一切苦厄。乘茲永度。

> 賛していわく、 禅と慧の門は、菩提への道。 行くこともなく、得ることもなく、 ただ救い、ただ護る。 三界のよりどころ、四生を目覚めさせる。 あらゆる苦しみと厄災は、 これによって永遠に乗り越えられる。