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title: "名僧傳抄 · 惠精"
description: "名僧传抄由南朝梁代僧人宝唱撰写，是研究南北朝佛教史的重要文献。该书辑录了东汉至梁代众多高僧的传记，内容涵盖他们的生平、修行及弘法事迹。原书已佚，现存为后世节抄本。它反映了当时佛教在中国的传播与发展状况，为后世高僧传的编纂提供了重要基础，具有极高的史料价值，是了解早期中国佛教人物与思想的重要依据。"
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### 惠精

> 精進

又名曇戒。本姓卓。南陽人。晉外兵郎㯤陽令潛之弟也。幼而家貧。無衣著。不得從師友。負薪炙火。披翫六籍。後聞于法道講放光經。借衣聽焉。告其兄曰。始悟儒淺近。道教虗曠。不能復馳騁方內。政欲自放人外耳。潛曰。誠復人各有心。何能獨善其志。年十九投釋道安。安津為同學。甚相知敬。遊方請業數四年中。忽請安曰。世間之苦難可大堪。百年俄頃復不待人。雖苦之速。德行為先。精學足以導心。今就行道去。安曰。兼之為勝。如不能兼。各從其志。吾助爾憙。誦經五十萬言。禮佛為業。時禪法未傳。依經獨坐。晉臨川王雅相禮待。資給四事。後與安同憩長安太后寺。安平後隆安中疾病。口誦彌勒。未甞懈息。弟子智生侍疾。問曰。何不願生西方。而專呼彌勒。答曰。吾等道安八人先發誓願。願生兜率。面見彌勒。道願悉以先見。唯吾尚存。欲遂本願。語畢。即有光照于身。容顏更悅。俄而遷化。春秋七十。葬于道安墓右云云。

> またの名を曇戒（どんかい）という。本姓は卓氏。南陽の人である。晋の外兵郎・㯤陽令を務めた潜（せん）の弟にあたる。 幼い頃、家は贫しく、着る服もなく、師や友人に従って学ぶことができなかった。薪を背負い、火を焚きながら、六経を繰り返し学んだ。後になって于法道が《放光経》を講じるのを聞き、衣服を借りてそれを聴きに行った。兄に告げて言った、「私はようやく儒教の教えが浅く近いものであり、道教の教えが虚ろで広大であることを悟りました。もはや世の中（世俗の束縛）の中で奔走することはできません。ただ外の人として自由に生きたいのです」。潜は言った、「確かに人それぞれに心があるものだ。どうして自分の志だけを貫くことができようか」。 十九歳で釈道安のもとに赴いて弟子となった。道安は彼を同輩として遇し、非常に親しく尊敬し合った。四方を遊学し教えを請うこと、四年の間であった。あるとき突然道安に請いて言った、「世の中の苦しみはとても耐え難いものです。百年の命もあっという間で、人を待ってはくれません。苦しみが早いとしても、徳行を修めることが先決です。精進して学ぶことは心を導くのに十分です。今から修行の道に赴きます」。道安は言った、「兼ね備えるのが最も優れている。もし兼ねられないなら、それぞれが自分の志に従いなさい。私はお前の意志を喜ぼう」。 経典を五十万言も誦し、仏に礼拝することを日課とした。当時、禅法はまだ伝わっておらず、経典に依って独り坐禅した。晋の臨川王は彼を丁重に礼遇し、衣・食・住・薬の四つの事を供養した。 後に道安と共に長安の太后寺に住んだ。道安が亡くなった後、隆安年間に病にかかったが、口に弥勒を唱え、怠ることはなかった。弟子の智生が看病しながら問うた、「なぜ西方浄土に生まれたいと願わず、ひたすら弥勒を唱えられるのですか」。答えられた、「我々、道安の弟子八人は先に誓願を立てました。兜率天に生まれ、弥勒仏に面会したいと願ったのです。道安師はすでに先に見ておられます。ただ私だけがなお存命です。もとの誓いを果たしたいのです」。 この言葉を終えると、たちまち光がその身を照らし、容貌は一層喜びに満ちた。やがて遷化した。春秋七十歳。道安の墓の右側に葬られた。