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title: "揞黑豆集 · 觚語四則"
description: "揞黑豆集是清代佛教典籍，由心圆拈别、火莲集梓整理编纂。该书汇集了禅宗公案、语录及修行要旨，内容涵盖参禅法门、心性探讨与解脱之道，反映了明清时期禅宗的演变与特色。作为禅宗重要文献，它延续了临济宗风，强调直指人心、见性成佛，对研究清代佛教思想与禅法实践具有重要价值。其语言简练深邃，既承袭唐宋禅学精髓，又融入时代特色，在佛教典籍中占有独特地位，为后世学人提供了重要的禅修参考。"
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### 觚語四則

苕溪曰。吾有大病。非世所醫。釋迦醫王也。文殊。醫相也。降而歷代祖師。古今善知識。皆醫國手也。然而自醫則可。醫人則否。故曰吾有大病。非世所醫。且既非世所醫。彼醫者即病者。既不自醫。胡能醫人。故無論言句是病。揚眉瞬目亦是病。擎拳豎拂亦是病。行棒行喝亦是病。既皆是病。醫可廢乎。廢醫則醫病。敗種焦芽不廢醫則眾生病。聲求色見且廢醫則醫先病。而後眾生病。不廢醫則醫不病。而眾生有病有不病。眾生有病有不病。而醫仍病。必也眾生皆無病無不病。而醫乃不病。降而論之。等病也。有已病之病。有益病之病。何謂已病之病。著著向未舉以前打脫透過者是也。何謂益病之病。步步在既舉以後輾轉摸索者是也。其服未舉以前藥者。吾不能言其味。瘳者自知之。服既舉以後藥者。譬猶調味之鹽。適口之醬。鹽為飯而醬為飲。其與砒鴆相去幾何哉。要之非醫咎也。故眾生雖有病有不病。而醫總不病。醫不病。信吾病。苕溪一語。洵久病之良醫也。打○相云。已上病供。心圓押字。

我宗止破法。無成法。破家散宅。即作活計。昔南泉住菴時。有一僧至菴。泉曰。我上山作務。待齋時。作飯自喫了。送一分上來。其僧作飯自喫了。却一時打破家事。就牀臥。泉待不見來。便歸菴。見僧臥。泉亦就伊邊臥。僧便起去。諸公還識此僧喫南泉飯不孤負南泉底作用麼。還見此僧送絕好一分飯與南泉。南泉到口便吞麼。譬如世尊出世四十九年拆一間屋。拆樑拆椽。拆柱拆礎。拆成一片白地。然後椽樑柱礎。件件精嚴。所以南泉一見。便印可道。汝既如是。吾亦如是。古人云。若有一法過於涅槃。我說亦如夢幻。參學人具此眼目。方始好看教。辨別得諸方邪正。不則到處墮坑落塹。披枷帶鎻。卒未有出頭日在。

> 我が宗は、ただ法を破るのみ。成す法はなし。家を破り、住処を散らし、そのまま生計を立てる。 昔、南泉が庵に住んでいた時、一人の僧が庵を訪れた。南泉は言った。「私は山へ仕事に行く。お斎の時間になったら、自分で飯を炊いて食べ、一分を私に届けてくれ。」その僧は飯を炊き、自分で食べ終えると、一気に家財道具を打ち壊し、床に寝転がった。南泉は待っても来ないので、庵に戻った。僧が寝ているのを見て、南泉も彼のそばに寝た。すると僧は起き上がって去って行った。 皆さん、この僧が南泉の飯を食べて、南泉の意図を裏切らなかった働きを、お見通しでしょうか。この僧が極上の一分の飯を南泉に届け、南泉が口にしたらすぐに飲み込んだ様子を、お見通しでしょうか。 たとえば世尊が世に出て四十九年、一軒の家を解体なさった。梁を外し、垂木を外し、柱を外し、礎石を外し、一面の白地にまで解体なさった。そしてその後、垂木も梁も柱も礎石も、一つひとつが精妙に整えられた。それゆえ南泉は一目見て、すぐに印可して言われた。「汝がかくの如しならば、吾もかくの如し。」 古人は言う。「もし涅槃を超える一法があれば、私はそれもまた夢幻の如しと言う。」参学の人はこの眼目を備えてこそ、初めて経典をよく読み、諸方の邪正を見分けることができる。そうでなければ、至る所で落とし穴に落ち、枷をかけられ鎖をかけられ、ついに頭を上げる日は訪れない。

南泉云。此是風力所轉。終成敗壞。此老眼光。觀千古事。如掌中菴摩羅果。今有孔被楔塞者。巧匠乃以楔出之。而無奈彼楔既出。人即以此出楔之楔。奉為至寶。遂至彼楔既出。此楔旋已牢著孔中。更出一楔。更填一楔。如是輾轉。經百千劫。楔終不盡。孔終不出。又其甚者。彼楔未出。此楔羼入。楔楔相並。更無孔穴。間有黠者。視出楔已。旋更添穴。或吹一吹。或拂一拂。孔穴之中。更安孔穴。是又一楔也。噫。

佛法大要。一言以蔽之。曰淨地上勿屙。古德云。修證即不無。染汙即不得。但形文彩。即屬染汙。佛見法見。左降鐵圍。纔生便齩。自然無事。自然露倮倮地。即是從緣薦得相應疾也。雖然心圓恁麼道。早已屙了一地。更說誰屙。伶俐學人。向者裏著得一隻眼。見人說禪說道。說妙說元。驀口便築。教伊合取屎孔去。却有些子氣息。忽有箇齩人矢橛底惡狗奴出來道。雖復不以言語見。亦復不著無言說。心圓不覺大怒。跳下禪牀。擒住此奴。問伊有甚麼言說。速道速道。眼目定動。奮金剛拳。碎魔子首。猶如微塵。咄。

> 仏法の大要は、一言で言い表すならば、「清らかな地面に汚物を垂れ流すな」ということだ。古徳はこう言った。「修行と悟りは確かにあるが、汚れに染まることは許されない。ただ形や言葉を飾るだけで、すでに汚れに属してしまう。仏への執着も法への執着も、鉄囲山の左に落とされる。わずかでも生じれば、すぐに噛みつかれる。自然に無事であれ。自然にありのままに露わであれ。これこそが縁によって悟りを得、速やかに相応する道である。」 しかし、心円がこのように語った時点で、すでに地面に汚物を垂れ流してしまった。いったい誰が垂れ流したというのか。聡明な学人は、ここに一目を注ぎ、人が禅を説き、道を説き、妙を説き、玄を説くのを見れば、たちまち口を突いて、「その糞穴を塞げ」と教える。それでもなお、わずかな気配が残る。 もし、人を噛みつく矢尻のような悪辣な奴が現れて、「言葉によって見ることもなく、無言によって説くことにも執着しない」と言い出したら、心円は思わず大いに怒り、禅床から飛び降り、その奴を捕らえて尋ねるだろう。「お前に何の言葉があるというのか。早く言え、早く言え！」と。目が定まらず動揺すれば、金剛拳を奮い起こし、魔の子の首を微塵に砕く。咄！

偶閱拂子源流。舉此數語。此圓操觚大意也。居士選本成集。為後人學佛津梁。但使讀居士集者。人人成佛作祖。不必人人作唱導師。庶幾不孤負居士一番選刻之意。鄙見如此。陳之執事。他日書成。以為䟦也可。以為序也亦可。圓頓白。