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雑阿含経 (雜阿含經)

「雜阿含經」について

9,258 字 · 約 31 分

雑阿含経は原始仏教の経典の一つであり、仏陀の弟子たちによって結集されたと伝えられ、仏陀の教えと初期僧団の生活を記録しています。この経は阿含部に属し、漢伝仏教における四阿含の一つで、内容は四聖諦、八正道、縁起法などの核心的な教義を網羅し、禅修と智慧による解脱を強調しています。その成立は紀元前5世紀から前3世紀にかけてであり、原始仏教思想を研究する上で重要な文献です。雑阿含経は漢訳の過程で一部の章節が散逸し、現存する版本は南北朝時代の求那跋陀羅などの訳師によって翻訳されたものです。この経は、仏陀の原始的な教法に最も近い経典の一つと見なされており、南伝仏教では相応部に対応し、非常に高い権威を持ち、仏教の基礎理論と実践における重要なよりどころとなっています。


雜阿含經

このように私は聞きました。

あるとき、仏は舎衛国の祇樹給孤独園におられました。

そのとき、世尊は比丘たちに告げられました。

「比丘たちよ、色(物質的な現象)は無常です。受(感受作用)・想(表象作用)・行(意志などの形成力)・識(認識作用)もまた無常です。比丘たちよ、このように観察する者は、これを正見といいます。もし、このように観察するならば、厭離(執着を離れること)を生じ、喜(執着)を離れ、解脱を得るのです。

比丘たちよ、もし比丘が色において喜を離れ、受・想・行・識において喜を離れるならば、喜を離れることによって心は解脱します。心は解脱すれば、すなわち安住し、安住すればすなわち満足し、満足すればすなわち解脱します。これを『自ら証知して、生はすでに尽き、梵行はすでに立ち、なすべきことはすでになし終え、後世の存在を受けることはない』と知るのです」

附吳魏二錄

呉・魏の二録を附す。

(一)

呉・魏の二録を附します。

聞如是:

このように聞きました。

一時佛在拘薩國,多比丘俱行往竹中,一竹中止,行止𨽁中柏樹間。在時,佃家婆羅門,姓為蒲盧,一竹外多犁者共會飯,能五百犁。是時佛念日尚早,今居前一竹中,行到佃家。多犁者飯時會,佛便至佃家飯會處。佃家見佛從來,已見為說如是:「我為自犁自種,已自犁自種為食;卿具譚行者,可犁可種,已犁已種當食。」佛報佃家說如是:「我亦犁亦種,已犁已種食。」佃家報佛如是:「雖佛說如是,我為犁為種,已犁已種食。我不見卿種具,若牛、若槅、若轅、若扠鄧,但言佃家種,從後說絕。我不見種具,說種具令我知種。」佛報:「信為種,行為水,慧為牛,慚為犁,心為鄧,意為金,身守口守食為壟,至誠治不止為竟,精進不舍槅,行行為安隱,行不復還已,行無有憂。如是已種,從是致甘露;如是種,一切從苦得脫。」便佃家滿器飯至佛上:「真佛能佃,實佛大佃,願取我飯,哀故。」佛報說如是:「已說經故不可食,行者自知是法已問。佛說經常法如是,增法不必從是望道,但結盡疑索意止。是飯食飲供養祠,如是地入與中大福。」婆羅門復白佛:「我今為是食與誰?」佛報如是:「無有世間若天、若魔、若梵、若沙門,一切令是飯食不能得消,但佛亦得道者,持是飯行,至無有虫水便投中,若空地無有草掘埋。」婆羅門已受佛言便行,無有虫水投中,已投中烟出燃沸大沸作聲,譬喻如揣鐵赤葉鐵一日在火燒,便投水便熱出滊出沸大沸有聲。如是已婆羅門持飯著水中,便烟出然沸大沸作聲。婆羅門驚怖毛起,便持頭面著佛足作禮言:「我可從佛得作沙門,離惡受教誡,從佛受行。」佛言:「可淨行道已從是。」婆羅門從佛受教誡,竟佛法到得不著道。

あるとき、仏は拘薩国におられました。多くの比丘たちとともに竹の林へと向かい、一本の竹の下でお休みになり、歩いたり止まったりしながら、竹の間や柏の木の間を進んでおられました。

そのとき、農家の婆羅門で、姓を蒲盧という者がおりました。竹の林の外で、多くの耕す者たちとともに食事の集いを開いており、五百の鋤を備えておりました。

そこで仏はお考えになりました。「日はまだ早い。今、目の前の竹の林から、あの農家へ行ってみよう」と。多くの耕す者たちが食事をする集いのとき、仏はその農家の食事の集いの場所へと至りました。

農家の者は、仏がこちらへ来られるのを見て、こう言いました。「私は自分で耕し、自分で種をまき、自分で耕して種をまいたものを食べています。あなたも修行者であるなら、耕し、種をまき、耕して種をまいたなら、食べるがよいでしょう。」

仏は農家の者にこうお答えになりました。「私もまた耕し、種をまきます。耕し、種をまいたので、食べるのです。」

農家の者は仏にこう言いました。「仏がそのようにおっしゃっても、私は耕し、種をまき、耕して種をまいて食べています。あなたが種をまく道具――牛や、軛や、轅や、鋤先など――を、私は見ておりません。ただ農家が種をまくと言われるだけで、その後の言葉は途切れております。種をまく道具が見えないのですから、種をまく道具を説いて、私に種をまくことを知らせてください。」

仏はお答えになりました。「信を種とし、行を水とし、慧を牛とし、慚を鋤とし、心を柄とし、意を金(刃)とし、身を守り口を守り食を守ることを畝とし、至誠をもって治めて止まないことを畦とし、精進して軛を捨てず、行いを行じて安隠とし、行いがもはや還ることなく、行いに憂いのないこととする。このようにしてすでに種をまいたなら、そこから甘露がもたらされます。このように種をまけば、すべての者が苦から解脱します。」

そこで農家の者は、器を飯で満たして仏の上に差し出し、「まことの仏はよく耕すことができます。実に仏は大いなる耕作者です。どうか私の飯をお受けください。哀れみのためです」と言いました。

仏はこうお答えになりました。「すでに経を説いたので、これを食べることはできません。修行者は自らこの法を知り、すでに問うたのです。仏が経を説くときの常の法はこのとおりです。法を増すことは、必ずしもこれによって道を望むのではありません。ただ結を尽くし、疑いの索を尽くし、意を止めるのです。この飯食や飲み物を供養や祠にささげるなら、このように地に入れて、中でも大きな福となります。」

婆羅門はまた仏に申し上げました。「私は今、この食べ物を誰に差し上げればよいのでしょうか。」

仏はこうお答えになりました。「世間には、天も、魔も、梵も、沙門も、この飯食を消化できる者はおりません。ただ仏と、また道を得た者だけです。この飯を持って行き、虫のいない水、あるいは草のない空地に掘って埋めなさい。」

婆羅門は仏の言葉を受けてすぐに行い、虫のいない水に投げ入れました。投げ入れると、煙が出て、燃え沸き、大いに沸き立って音を立てました。たとえば、鉄の塊や赤く焼けた鉄を一日火で焼き、それを水に投げ入れると、熱して蒸気が出て、沸き立ち、大いに沸いて音を立てるようなものです。このように、婆羅門が飯を水に入れると、煙が出て、燃え沸き、大いに沸き立って音を立てました。

婆羅門は驚き怖れて毛が逆立ち、頭と顔を仏の足につけて礼をし、こう言いました。「どうか私は仏のもとで沙門となることを許してください。悪を離れ、教誡を受け、仏のもとで修行を受けたいのです。」

仏は言われました。「よろしい。清らかに行道しなさい。これからそうしなさい。」

婆羅門は仏の教誡を受け、ついに仏法において、執着のない道を得るに至りました。

佛說如是。

仏は、このように説かれました。


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