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title: "新修往生傳 · 杭州慧日永明寺智覺禪師延壽"
description: "王古辑撰的《新修往生传》是宋代重要的佛教净土宗文献。作者王古为北宋居士，精通净土教义。该书在《往生传》传统基础上增补修订，汇集了历代念佛修行者往生西方净土的灵验事迹。其内容旨在通过具体案例，宣扬净土信仰，坚定修行者信心。该书反映了宋代净土宗的兴盛与民间信仰的普及，是研究中国佛教净土思想发展、往生传记文学及宋代宗教社会史的重要史料，在佛教史上具有承前启后的地位。"
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### 杭州慧日永明寺智覺禪師延壽

餘杭人。姓王氏。總角之歲。六旬之內。誦法華經全袟。既冠不茹葷。日惟一食。長為縣衙校。壯年慕道。棄吏業。投翠巖禪師出家。衣不繒纊。食不重味。爾後參見韶國師。授以心法。初住天台智者嵓。九旬習定。有烏巢衣裓中。修法華懺經七年。禪觀中見觀音菩薩。親以甘露灌于口。遂獲觀音辨才。下筆成文。盈卷乃已。志求西方淨土。著神棲安養賦。證驗賦。萬善同歸集。宗鏡錄共數百卷。住持雪竇山院。朝暮演法。夜則念阿彌陀佛。行道發願。日課一百八事。未甞癈輟。錢忠懿王。請住永明。徒眾二千。晝夜修持愈精進。學者參問。則壁立千仞。總心為宗。以悟為訣。日暮往別峯。行道念佛。自為難繼。不欲強眾。然密相隨者。常及百人。夜靜四旁行人。聞山中螺唄天樂之聲。伺求之。見師於山腹中平夷處。旋繞行道。忠懿王歎曰。自古求西方者。未有如是。住永明十五年。度弟子一千七百人。常興七眾授菩薩戒。夜施鬼神食。晝放生命不計其數。皆迴向淨土。至開寶八年二月二十六日。晨起焚香。告眾加趺而逝。沒後數年。有僧結囊。訪師所居寺。并真塔之所在。勤拳瞻禮數日不已。問之答曰。某名契光。撫州人也。素不知師名。昨因疾死。至陰府。見所司殿宇。若王者居。閱文籍曰。汝未當死。速返。遣人護送之。仰觀殿間。掛畫僧像。王焚香頂拜。乃問獄吏。此何人。王奉之勤。吏曰。凡人之生死。無不由此者。唯此一人。不經于此。王欲識之。乃畫其像。是杭州永明寺壽禪師也。今已西方九品上生矣。自釋迦滅度已來。此方九品上上生。方第二人。王所以奉之之勤耳。某既得生。晝夜思想。聖人真身塔骨之難遇。是以不遠千里而來耳。問撫州僧者。法名志全。其人雖已老。今淨慈長老圓照禪師。親見之問之。如所傳云。

> 餘杭の人。姓は王氏。幼き歳、六十日ほどで法華経全巻を誦した。元服してからは肉を食べず、一日に一度だけ食事をとった。長じて県の役人となったが、壮年にして道を慕い、役人を辞めて翠巌禅師のもとで出家した。衣は絹を着ず、食べ物も二品以上はとらなかった。その後、韶国師に参じ、心法を授けられた。初め天台の智者巌に住し、九十日間座禅を組んで修行した。すると、衣のふところに鳥が巣を作るようになった。また、法華懺法を七年間修し、禅定の観想の中で観音菩薩を拝し、自ら甘露を口に注がれた。それによって観音の弁才を得て、筆を下ろせば文が成り、巻物がいっぱいになると終えるほどであった。心から西方浄土を求めて、『神栖安養賦』『証験賦』『万善同帰集』『宗鏡録』など数百巻を著した。 雪竇山の寺の住職となってからは、朝晩説法し、夜になると阿弥陀仏を念じながら歩行し、願を発した。日課は百八の行を立て、一度も怠ることがなかった。銭忠懿王は師を請じて永明寺に住まわせた。弟子は二千人に及び、昼夜修練はますます精進した。学び問う者に対しては、壁のように高く厳しく、ただ心を総べて宗旨とし、悟りを決め手とした。夕暮れになると別の峰へ行き、歩行しながら仏を念じたが、「自分には続けられても、無理に皆に強いることはできない」と言った。しかし、ひそかに従う者は常に百人に達した。夜もすがら、道行く人々は山中から螺貝や天楽の音を聞いた。尋ねてみると、山の中腹の平らなところで師が旋回して歩行しているのを見た。忠懿王は嘆息して言った。「古来、西方を求める者で、これほどの者はおらぬ。」永明寺に十五年住み、弟子を一千七百人度した。常に七衆を起こして菩薩戒を授け、夜には鬼神に施食し、昼は生き物を放つのを数えきれないほど行い、すべてを浄土への回向とした。 開宝八年二月二十六日、朝に起きて香を焚き、大衆に告げて結跏趺坐のまま逝去した。没後数年、ある僧が袋を背負い、師の住んだ寺と真塔のある場所を訪ねてきた。懇ろに礼拝し、幾日もやめなかった。問うと答えて言う。「私は契光といい、撫州の者です。もともと師のお名前は知りませんでした。先日、病で死に、冥府に至りました。ところが、役所の殿宇を見ると、王者の住まいのようでした。文籍を調べて『お前はまだ死ぬべき時ではない。すぐに帰れ』と言い、人に送らせてくださいました。そのとき仰ぎ見ると、殿の間に僧の絵像が掛けてあり、王が香を焚いて頭を下げていました。獄吏に問いました。『この人は誰か。王はなぜかくも敬うのか』と。吏が言うには『人の生死は、すべてこの裁きを経る。ただこの一人だけは、この審判を通らない。王はその方をお見知りになりたくて、その絵を描かせた。この方は杭州永明寺の寿禅師である。今はすでに西方の九品上生を得ておられる。釈迦が滅度されて以来、この世で九品の上々生を得た者は、二人目である。王がこれほど敬うのもそのためだ』と。私は生き返ってから、昼夜この聖人の真身や塔骨に遇うことの難しさを思い、遠路千里をいとわず来たのです。」 問うた撫州の僧の名は志全といい、その人はすでに年老いていたが、今の浄慈寺の長老円照禅師が直接会って問うたところ、伝え聞いた通りのことであった。