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  1. 広清涼伝 (廣清涼傳)
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  3. 5 五臺四埵右聖行跡
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広清涼伝 (廣清涼傳)


五臺四埵右聖行跡五
按靈記。五臺有四埵。去臺各一百二十里。據古圖所載。今此臺。即古中臺。中臺即南臺。大黃尖即北臺。栲栳山是西臺。漫天石是東臺(唯北臺中臺。古時有異。東西二臺古今無異)。
無恤臺。常山頂是也。昔趙簡子。名無恤。曾登此山觀代國。下瞰東海蓬萊宮。觀神仙之宅。此是普賢菩薩。於中止住。雲霞出沒。往來五臺。登臺者。多見靈瑞。綠斯聖跡故。號為東埵也。西瞢𧄼山。上有宮池古廟。隋煬帝。避暑於此而居。因說天池。造立宮室。龍樓鳳闕。遍滿池邊。此池。世傳神龍所居。緣斯聖跡故。號為西埵也。南有繫舟山。上有銅鐶。舡軸猶在。昔堯遭洪水。繫舟於此。世傳堯覩文殊現於南臺。緣斯聖跡故。謂之南埵也。北有覆宿堆。即夏屋山也。後魏孝文皇帝。避暑往覆宿此。因以名焉。下見雲州石窟寺。世傳山上有乾闥婆城。即化城也。常於日欲出時。城乃現焉。又望見北川。吳塚壘壘。有鬼趁南行。及見南山柏谷蘽(力鬼切)出隨行。文帝吒之。其蘽。即迴低曲而走。因謂之亞走柏。由此事跡。謂之北埵也。至巨唐儼禪師。神異僧也。嘗登西南臺之上。望見五頂。皆有五色雲覆之。隨雲覆者。配之為臺。唯古之中臺。即今之北臺。古之南臺。即今之中臺(孝文封為南岳也)餘皆定矣。

4 清涼山得名所因
6 五臺境界寺名聖跡

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