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  1. 無字宝篋経 (無字寶篋經)
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無字宝篋経 (無字寶篋經)

「無字寶篋經」について

北魏 · 底本の訳者:菩提流支

2,407 字 · 約 8 分

『無字宝篋経』は、元魏の時代に北インドの僧侶・菩提流支によって漢訳された重要な仏教経典です。この経典は如来蔵系の経典に属し、「無字」の法門を核心として、一切の法は本来文字を持たず、言葉や形相を離れているが、無尽の教えを内包しているという深遠な意義を明らかにしています。経中では、仏陀と須菩提の問答を通じて、心性は本来清浄であり、すべての衆生が本来仏性を具えているという思想が強調されています。この経典は漢伝仏教において崇高な地位を占め、後世の禅宗における「不立文字」「明心見性」の宗旨に深遠な影響を与え、仏教の心性論と修行観を研究する上での重要なよりどころとなっています。


無字寶篋經

無字宝篋経

元魏天竺三藏菩提流支譯

元魏天竺三蔵菩提流支訳

如是我聞:

このように私はお聞きしました。

一時,婆伽婆住王舍大城耆闍崛山中。時,有無量百千萬億大菩薩眾圍遶如來,皆是大智,善權方便,勇猛精進;善能通達無字法門;善能清淨是處、非處;慚愧解脫羅網所覆,調伏諸根;以慈悲牙、以慚愧牙,愍念眾生;得大三昧,以智為首、善敬智母;猶如寶洲大寶之藏;皆悉善知善、不善法;覺三世事,一切成就;無字辯才,善達二空,得勝妙地;善學諸諦,通達實際;無邊勇健,無所執著;悉能通達自性上法;能善思惟實以不實二種法門;胎藏示生,永離生死;善覺祕密,善知諸相;應護諸國,得大名稱;皆悉復得勝名勝藏;得無言藏,永安隱眠;諸所施為,皆悉善樂;姓名普聞,離於三界;能救三界所住眾生;善覺真如,普示普賢;遍示其身,諸根清淨;善能覺達自身、他身;皆得成就明利智慧。所謂:勝響菩薩、法響菩薩、勝諸分菩薩、法眼菩薩、千相菩薩、辯聚菩薩、勝思惟菩薩、治地菩薩、治地際菩薩、深入地際響菩薩、地響菩薩、具辯菩薩、上積菩薩、華目菩薩、優鉢羅目菩薩、頂髻菩薩、文殊響菩薩。如是等菩薩摩訶薩不可算數,皆是童子,皆從他方不可觀察恒河沙等世界來集,一切皆住受法王職太子位處。

ある時、尊き世尊は、王舎城の大いなる都、耆闍崛山におられた。その時、無量百千万億の大菩薩たちが如来を取り囲んでいた。彼らは皆、大いなる智慧を持ち、巧みな方便を用い、勇猛精進であった。善くして無字の法門に通達し、是と非とを善く清めていた。慚愧の網より解き放たれ、諸々の根を調伏し、慈悲の牙と慚愧の牙とをもって衆生を哀れみ、大きな三昧を得ていた。智慧を最上のものとし、智慧の母を善く敬っていた。まるで宝の洲、大いなる宝の蔵のようであった。皆、善と不善の法を善く知り、三世の出来事を覚り、一切を成就していた。無字の弁才を持ち、二つの空を善く悟り、勝れた境地を得ていた。諸々の真理を善く学び、真実の境地に通達していた。限りなく勇ましく、何ものにも執着せず、自性の上の法にすべて通達していた。実と不実の二つの法門を善く思惟し、胎内に宿ることを示しつつも、生と死を永く離れていた。秘密を善く覚り、諸々の相を善く知り、国々を護るべく、大きな名声を得ていた。皆、さらに勝れた名と勝れた蔵を得、言葉なき蔵を得、安らかに眠っていた。為すことはすべて善く楽しみ、その名は普く聞こえ、三界を離れ、三界に住む衆生を救うことができた。真如を善く覚り、普く普賢を示し、その身をあまねく現し、諸根は清らかであった。自身と他身とを善く覚り通達し、皆、明らかな智慧を成就していた。すなわち、勝響菩薩、法響菩薩、勝諸分菩薩、法眼菩薩、千相菩薩、辯聚菩薩、勝思惟菩薩、治地菩薩、治地際菩薩、深入地際響菩薩、地響菩薩、具辯菩薩、上積菩薩、華目菩薩、優鉢羅目菩薩、頂髻菩薩、文殊響菩薩である。これらの菩薩摩訶薩は、数えきれないほどであり、皆、童子であった。皆、他方の観察しがたい恒河沙もの世界から集まって来たのであり、すべて法王の位を受ける太子の位に留まっていた。

勝思惟菩薩,無量釋梵之所圍遶。普賢菩薩、虛空藏等,四大神王及有無量轉輪聖王之所圍遶。得大勢至、觀世自在菩薩,無量梵眾之所圍遶。不空見菩薩,多有無量毘沙門王之所圍遶。星宿王菩薩,無量星宿及餘護世之所圍遶。復有破疑菩薩、滅一切障菩薩,自身示現如來之身,無量諸佛之所圍遶,及舍利弗、大目犍連、大迦葉等,一切悉是大阿羅漢。真練菩薩、勝思惟菩薩,無量天女之所圍遶。藥王菩薩、藥上菩薩,無量眷屬之所圍遶。

勝思惟菩薩は、無数の帝釈天や梵天たちに囲まれています。普賢菩薩や虚空蔵菩薩など、四大神王や無数の転輪聖王たちに囲まれています。大勢至菩薩や観世自在菩薩は、無数の梵天の衆に囲まれています。不空見菩薩は、数えきれないほどの毘沙門王に囲まれています。星宿王菩薩は、無数の星宿やその他の護世神に囲まれています。また、破疑菩薩や滅一切障菩薩は、自ら如来の姿を現し、無数の諸仏に囲まれています。そして舎利弗、大目犍連、大迦葉ら、すべては大阿羅漢たちです。真練菩薩や勝思惟菩薩は、無数の天女に囲まれています。薬王菩薩や薬上菩薩は、無数の眷属に囲まれています。

所有十方恒河沙等世界之中諸有日月,自恃威德生我慢者,一切皆悉來向佛所。到佛所已,於如來前,却住一面,即見自身無有光明,猶如聚墨在於閻浮那提金邊。此諸日月,住如來前,不自顯現亦復如是。無心欲住,亦不欲說,無有威德,不能顯現。

すべての十方のガンジス河の砂ほどの数の世界にある日月たちが、自らの威光と徳を誇り、慢心を抱いているものたちは、ことごとく仏のもとへやって来る。仏のもとに到着すると、如来の前で一歩下がって立ち止まり、自らの身に光明がないのを見る。それはまるで、閻浮那提金のそばに置かれた墨の塊のようである。これらの日月が如来の前にあって、自らを輝かせることができないのもまた、同じことである。彼らは留まる心もなく、語ろうともせず、威光も徳もなく、姿を現すこともできない。

那羅延等,無量諸天之所圍遶。大神龍神得叉迦阿那婆達多等諸大龍王,無量諸龍之所圍遶。善音乾闥婆王,有無量億乾闥婆眾之所圍遶。無厭足迦樓羅王,亦有七億迦樓羅眾之所圍遶,來至佛所。

ナーラーヤナなど、数え尽くせないほどの多くの天の者たちが取り巻いています。また、偉大なる龍神である得叉迦(タクシャカ)や阿那婆達多(アナヴァタプタ)など、無数の大龍王たちが、数え切れないほどの多くの龍たちを従えて集まっています。さらに、美しい音色の乾闥婆(ガンダルヴァ)王には、無数の億もの乾闥婆の衆が取り巻いています。そして、飽くことを知らない金翅鳥(ガルダ)王も、七億もの金翅鳥の衆を従えて、仏の御許にやって来ました。

時,此三千大千世界恒河沙等諸世界中,所有諸菩薩,各於彼處啟請其佛。既請佛已,四眾圍遶,來至娑婆,持出世間諸供養具,來至佛所。彼諸菩薩,供養佛已,各各自坐蓮華座上。

そのとき、この三千大千世界のガンジス川の砂ほどの数ある無数の世界にいた菩薩たちは、それぞれの世界で、自分の師である仏に教えを請い求めました。そして請願を終えると、四種類の弟子たちに囲まれながら、この娑婆世界にやって来ました。彼らは、この世を超えたさまざまな供養の品々を携えて、釈迦仏のもとへと参上したのです。こうした菩薩たちは、仏に供養を捧げ終えると、それぞれが蓮華の座に座りました。

爾時,有菩薩摩訶薩名勝思惟,來至佛所,即白佛言:「世尊!世尊若為聽許我者,我乃敢問如來二字。」

その時、勝思惟という名の大菩薩が仏のもとにやって来て、こう申し上げました。 「世尊よ。もし世尊がお許しくださるなら、私はあえて『如来』という二文字についてお尋ねしたいと存じます。」

爾時,佛告勝思惟菩薩言:「聽汝所問,隨汝意問。如來不為一眾生故,此處成道,乃為汝等諸大龍象,我出於此。」

その時、仏は勝思惟菩薩に告げられた。 「あなたの問いを聞こう。思うままに問いなさい。 如来は一人の衆生のために、ここで悟りを開いたのではない。 むしろ、あなた方のような偉大な*龍象*のために、私はここに現れたのだ。」

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### 日本語訳のポイント: - **「勝思惟菩薩」**:固有名詞としてそのまま「勝思惟菩薩」としました。 - **「聽汝所問,隨汝意問」**:命令形でも「聞け」ではなく、許可と促しのニュアンスを日本語の柔らかい動詞で表現しました(「聞こう」「問いなさい」)。 - **「大龍象」**:サンスクリットのmahānāga(偉大なる象、転じて高徳の修行者)の意訳。漢文の直訳調ではなく「偉大な龍象」とし、仏教用語として一般読者にもわかりやすい表現に。 - **「乃為…,我出於此」**:漢文の倒置や因果関係を自然な日本語の順序に再構成(「ではなく、…ために現れた」)。

爾時,勝思惟菩薩白佛言:「世尊!何者一法,而是菩薩所除滅者?何者一法,而是如來所證覺者?」

その時、勝思惟菩薩が仏に申し上げた。「世尊よ、どのような一つの法が、菩薩が除き滅ぼすべきものなのでしょうか。また、どのような一つの法が、如来が悟り証られるものなのでしょうか。」

爾時,世尊讚勝思惟菩薩摩訶薩言:「善哉,善哉!梵天!汝已淳熟無量善根,諸佛加持問此句義。善男子!汝今諦聽,善思念之,我為汝說。」

その時、世尊は勝思惟菩薩摩訶薩を称えて言われた。 「善いかな、善いかな。梵天よ。あなたはすでに無量の善根を成熟させ、諸仏の加護を受けて、この言葉の意味を問うたのである。 善き男子よ、今こそよく聴き、よく思いめぐらしなさい。あなたのために説こう。」

爾時,勝思惟菩薩禮如來足,頂戴而受。

その時、勝思惟菩薩は如来の足に礼拝し、頭の上に頂いてお受けしました。

佛言:「善男子!有一種法,菩薩應滅,所謂貪法。善男子!此是一法,應當永滅。善男子!復有一法,菩薩應滅,所謂瞋法。善男子!此是一法,應當永滅。善男子!復有一法,菩薩應滅,所謂癡法。善男子!此是一法,應當永滅。善男子!復有一法,菩薩應滅,所謂我見。善男子!此是一法,應當永滅。善男子!復有一法,菩薩應滅,所謂懈怠。善男子!此是一法,應當永滅。善男子!復有一法,菩薩應滅,所謂睡眠。善男子!此是一法,應當永滅。善男子!復有一法,菩薩應滅,所謂貪愛。善男子!此是一法,應當永滅。善男子!菩薩復應除滅一法,所謂無明。善男子!此是一法,應當永滅。」

仏は言われた。「善き男子よ、菩薩が断つべき一つの法がある。それは貪りの心である。善き男子よ、この一つの法は、永遠に断ち切るべきである。善き男子よ、さらに菩薩が断つべき一つの法がある。それは怒りの心である。善き男子よ、この一つの法は、永遠に断ち切るべきである。善き男子よ、さらに菩薩が断つべき一つの法がある。それは愚かさの心である。善き男子よ、この一つの法は、永遠に断ち切るべきである。善き男子よ、さらに菩薩が断つべき一つの法がある。それは自我への執着である。善き男子よ、この一つの法は、永遠に断ち切るべきである。善き男子よ、さらに菩薩が断つべき一つの法がある。それは怠ける心である。善き男子よ、この一つの法は、永遠に断ち切るべきである。善き男子よ、さらに菩薩が断つべき一つの法がある。それは眠気に溺れる心である。善き男子よ、この一つの法は、永遠に断ち切るべきである。善き男子よ、さらに菩薩が断つべき一つの法がある。それは執着の愛である。善き男子よ、この一つの法は、永遠に断ち切るべきである。善き男子よ、さらに菩薩が断つべき一つの法がある。それは無知(無明)である。善き男子よ、この一つの法は、永遠に断ち切るべきである。」

爾時,勝思惟梵天白佛言:「世尊!何者是一法,而諸菩薩日夜防護?」

その時、勝思惟梵天が仏に問うた。「世尊よ、いったいどのような一つの法を、菩薩たちは昼夜問わず守り防ぐのでしょうか。」

爾時,世尊語勝思惟菩薩言:「善男子!所謂菩薩,己所不欲,勿勸他人。善男子!若有善男子、善女人,護持此法,彼善男子、善女人,護持如來一切戒藏。何以故?善男子!愛自命者則不殺生、愛自財者不盜他物、愛自妻者不侵他妻。善男子!是等眾生,發如是意,言『我敬順如來正教。』彼善男子,常當勤心防護此法。以何義故?善男子!若有善男子、善女人,欲求無上正真等覺大菩提者,彼人悉是為樂故求,而無有求自身苦者,世間惟有樂受樂者。以是義故,我說此言。汝等當知,己所不欲,勿勸他人。善男子!此是一法,菩薩常當日夜護之。

ある時、世尊は勝思惟菩薩にこう告げられた。「善き男子よ、菩薩というものは、自ら望まないことを、他人に勧めてはならない。善き男子よ、もし善き男子や善き女人がこの教えを守り保つならば、その人々は如来のすべての戒めの宝庫を守り保つことになる。なぜなら、善き男子よ、自分の命を愛する者は殺生をせず、自分の財産を愛する者は他者の物を盗まず、自分の妻を愛する者は他者の妻を犯さないからである。善き男子よ、これらの人々はこう心に誓う。『私は如来の正しい教えを敬い、従う』と。その善き人は、常に心を込めてこの教えを守るべきである。その理由は何か。善き男子よ、もし善き男子や善き女人が、無上の正しい悟りという偉大な菩提を求めようとするならば、その人々は皆、安楽を求めてそれを求めるのであり、自らに苦しみを求める者など誰もいない。この世には、ただ楽しみを受けることだけを喜びとする者しかいないのである。それゆえに、私はこの言葉を語る。あなたがたは知るべきである。自ら望まないことを、他人に勧めてはならない。善き男子よ、これこそが一つの教えであり、菩薩は常に昼夜を問わずこれを守るべきである。」

「善男子!如汝所問,何者一法,而是如來所證覺者。善男子!無有一法,如來所覺。善男子!於法無覺,是如來覺。善男子!一切法不生,而如來證覺,一切法不滅,而如來證覺。

「善男子よ。あなたが問うたように、『如来が悟った一つの法とは何か』について答えよう。善男子よ、如来が悟った法は一つとして存在しない。善男子よ、法について『悟る』ということがないこと、それが如来の悟りなのだ。善男子よ、一切の法は生じることなく、如来はそれを証悟する。一切の法は滅することなく、如来はそれを証悟する。」

「復次,善男子!法性離二邊,而如來證覺。一切法不實,而如來證覺。善男子!如來善說業因緣,如來善證業因緣,一切法因緣所縛,而如來善覺。善男子!彼因緣者,猶如電光,而如來所覺,離因離緣。如來說言,無有業報,既成正覺而受之也。一切法廣博嚴藏,是如來所證。善男子!以何義故,說廣博嚴藏?善男子!所有世間、出世間智等,彼從何生?若彼智以真實觀正觀察時,般若波羅蜜轉為甚深,彼法爾時得名為藏。

「また、善きかな、善男子よ。法性は二つの極端を離れている。しかし如来はこれを覚り、証得する。一切の法は実ならずとも、如来はこれを覚り、証得する。善男子よ。如来は業と因縁を巧みに説き、またそれを巧みに証得する。一切の法は因縁に縛られているが、如来はそれをよく覚る。善男子よ。その因縁は電光の如きものだが、如来の覚るところは、因からも縁からも離れている。如来は言う、業報は無いと。しかし正覚を成就した後、それを受けるのである。一切の法は広大で、厳かな蔵である。これが如来の証得するところである。善男子よ。いかなる義をもって『広博厳蔵』と言うのか。善男子よ。あらゆる世間の智と出世間の智は、何から生じるのか。もしその智を真実の観でもって正しく観察する時、般若波羅蜜はさらに深遠へと転じ、その法はその時、名づけて『蔵』というのである。」

「善男子!我亦復說一切諸法如幻如焰,是佛所覺。性相一味解脫之法,是佛所覺。所有性相一味解脫,是一切法廣博嚴藏。

善男子よ、私もまた説く。すべての諸法は幻のごとく、陽炎のごとくである。これが仏の悟られたところである。本性と相が一つである解脱の法、これが仏の悟られたところである。あらゆる本性と相が一つである解脱こそが、一切の法の広大で荘厳な宝蔵なのである。

「善男子!若善男子、善女人,復有一法,是佛所覺。善男子!所謂:諸法不去不來、無因無緣、無生無滅、無思不思、無增無減。善男子!若法畢竟自性法性非是自性,若法譬喻所不可說,若以名字亦不可說,此是一法如來所覺。」

「善き男子よ。もし善男子・善女人に、もう一つの法がある。それは仏が覚られたものである。善き男子よ、すなわち、諸々の法は去ることも来ることもなく、因も縁もなく、生じることも滅することもなく、思うことも思わないこともなく、増えることも減ることもない。善き男子よ、もし法が、究極的に自己の本性や法の本性が自己の本性ではないのであり、もし法が譬えによっても説くことができず、名前によっても説くことができないならば、これが如来の覚られた一つの法である。」

說此廣嚴上王無字寶篋光嚴法門時,乃至得住十地菩薩,有微塵數眼不覩者,如是等眾,皆得阿耨多羅三藐三菩提心。如是等眾生,證阿羅漢果。復過此數眾生,捨地獄苦,生於天中。無量諸菩薩現百千萬諸三昧門。何況多說而無利益。

この広厳なる「無字宝篋光厳」の教えが説かれた時、十地に至るまでの菩薩たちの中で、微塵の数ほどの目に見えない者たちまでもが、皆、阿耨多羅三藐三菩提(完全なる悟り)の心を起こしました。また、同じく多くの者たちが阿羅漢果を証得しました。この数を超えるさらに多くの衆生が、地獄の苦しみから解放されて、天界に生まれました。無数の菩薩たちが、百千もの三昧の門を現しました。ましてや、この教えをさらに多く説けば、何の利益もないはずがありましょうか。

爾時,佛告羅睺羅言:「汝能受持我此所說正法義不?」

そのとき、仏はラーフラに告げられました。「おまえは、わたしが今説いたこの正しい教えの意味を、しっかりと受け止め、守り伝えることができるか。」

說此語時,以佛神力,恒河沙等諸世界中九億菩薩,從坐而起,即白佛言:「世尊!我等皆能持此法門,令於此間娑婆世界未來世中,為諸眾生流通不絕,知是菩薩是智器者。」

この言葉を説かれた時、仏の神力によって、ガンジス川の砂ほどの数の世界にいる九億の菩薩たちが座を立ち、仏に申し上げた。「世尊(仏様)、私たちは皆、この教えを守り伝え、この娑婆世界(この世)の未来において、人々のために絶え間なく広めていくことができます。また、その教えを受け継ぐにふさわしい智慧の器である菩薩を見極めることもできます。」

爾時,四大神王白佛言:「世尊!我等亦能受持如來所說法義,令彼菩薩所求滿足,若於是中是智器者。」

その時、四大神王が仏に申し上げた。「世尊よ、私たちもまた如来が説かれた教えの意味をしっかりと受け止め、菩薩たちの願いが満たされるようお助けいたしましょう。もしこの教えにふさわしい智慧の器がいるならば。」

爾時,世尊周遍觀察一切眾已,作如是言:「善男子!我非惟修微少善根而成正覺。彼諸眾生,若有能聞此正法者,彼亦非修微少善根。若能受持此廣博嚴上王無字寶篋法門,若能聞者,彼人則為已恭敬我,尊重讚嘆。善男子!是善男子、善女人,則為兩肩荷擔菩提。彼人則得不斷辯才,得善清淨諸佛世界。命終之時,則得現見阿彌陀佛,聲聞、菩薩大眾圍遶,住其人前;亦見我身於此耆闍崛山王頂,及見此等諸菩薩眾。善男子!彼善男子、善女人,則為己得大法庫藏,而不可盡;得宿命智,不生惡道。

その時、世尊は一切の衆生をくまなく見渡して、こうおっしゃいました。

「善き人々よ。私はわずかな善根を積んだだけで、正覚を成就したわけではありません。この正しい教えを聞くことのできる衆生もまた、わずかな善根によってのみそうなるのではありません。この広大で尊い『無字宝篋法門』を受持し、これを聞くことのできる人は、すでに私を敬い、讃嘆し、尊んでいるのです。

善き人々よ。そうした善き男子、善き女子は、その両肩で菩提を担っているのです。その人は尽きることのない弁才を得、諸仏の世界を清らかに見極めます。命終の時には、阿弥陀仏が声聞や菩薩の大衆に囲まれてその人の前に現れるのを目にします。また、この耆闍崛山の頂上にいる私の姿や、ここにいる菩薩たちをも見るでしょう。

善き人々よ。その善き男子、善き女子は、すでに尽きることのない大いなる法の宝庫を得ているのです。また、宿命の智を得て、悪い道に生まれることはありません。」

「善男子!我今說此一切世間所未曾有難信法門。善男子!若彼善男子、善女人,設有逆罪,以其善能讀誦、受持此勝法門,若自書寫、若勸人書,若自讀誦、勸人讀誦,若能自持、若勸人持。善男子!我說彼人,不見惡道,則為一切諸佛所記。彼諸菩薩皆得五眼,諸根具足,一切諸佛之所護念,一切菩薩之所攝受,令滅無量煩惱,業障即得清淨。
「善男子!我此所說最後言說,自我得道成正覺來,未說此言。」
佛說此經已,勝思惟等諸大菩薩,帝釋王等諸天及四大王,人、天、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、乾闥婆等,一切世間,聞佛所說,皆大歡喜。
無字寶篋經

CBETA コード: T0828

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