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  1. 法華統略 (法華統略)
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法華統略 (法華統略)


次釋蓮華,具如玄章。今為抑毀法華之人,明此經辨因不足,明果猶無常,略引誠言,驗此通為謬。蓮華得生,凡有二義:一者、假緣;二、有種子。眾生成佛,亦具兩義:一者、緣因佛性;二、本有佛性。所言緣因佛性者,即是菩提心,由菩提心,方得成佛。是故經云:諸佛兩足尊,知法常無性,佛種從緣起,是故說一乘。二、本有種子,即是本有佛性,方得成佛。雖發菩提心,若本無佛性,不得成佛。故經云:是法住法位,世間相常住,於道場知已,導師方便說。即是本有常住佛性也。故知此經具明緣、正兩佛性,本、始二有,則明因具足,果非無常。更釋法華論釋蓮華二:一、出泥水;二、開敷微妙。出水二義:一、出二乘泥水,令離二乘心;二、出二乘泥水,即是發菩提心。如諸菩薩出二乘心,菩提心現前,名為坐蓮華座也。諸聲聞因菩薩出二乘心,即是坐蓮華座。然法華實無不有蓮華座、菩薩座也。開義可知。又蓮華有出水、不出水,真如有垢、無垢。無垢真如如出水,有垢真如名不出水。又有垢真如有不染而染、染而不染,如蓮華在泥亦有染、不染也。又斯教一乘之理,四十餘年在三乘泥水之下,而不為三乘泥水所染。問:他亦云蓮華不有而已,有則華實俱含;此經不說而已,說則因果俱辨,與今何異?答:今明唯有一理、唯教一人,唯有一理是果、唯教一人是因,不異前分明因、後分辨果為異也。次喻理、教義者,教如華、理如蓮,蓮約一如理,一華喻教,教本表理,理一故教亦一,說無量義皆為顯一理,故一切教皆是法華也。

次に蓮華の意味を解釈する。詳しくは玄章に述べられているが、ここでは法華経を貶める者たちに対して、この経が「因を説き尽くしておらず、果もまた無常である」とする誤解を正すため、経典の言葉を引いてその誤りを明らかにする。

蓮華が生じるには、二つの条件がある。 第一は、縁(助縁)に依ること。 第二は、種子を持つこと。 衆生が成仏するにも、この二つの条件が備わっている。 第一は、「縁因仏性」である。すなわち菩提心であり、菩提心によって初めて成仏できる。ゆえに経典にはこうある。「諸仏は両足尊であり、法は常に無性であると知る。仏の種は縁によって起る。ゆえに一乗を説く」と。 第二は、「本有の種子」、すなわち本来備わっている仏性であり、それによって成仏できる。たとえ菩提心を発しても、本来仏性がなければ成仏できない。だから経典にはこうある。「この法は法位に住し、世間の相は常住である。道場においてこれを知り、導師は方便をもって説く」と。これこそが、本来常住なる仏性を指し示している。

かくして、この経典は「縁因仏性」と「正因仏性」、すなわち「本有」と「始有」の二つの仏性を明らかにしており、因は完全に説かれ、果も無常ではないことがわかる。

さらに、『法華論』による蓮華の二つの解釈を述べる。 第一は、泥水から出ること。 第二は、開いて美しく咲き誇ること。 「泥水から出る」には二つの意味がある。 1. 二乗の泥水から出て、二乗の心を離れること。 2. 二乗の泥水から出ること、すなわち菩提心を発することである。諸菩薩が二乗の心を離れて菩提心を現前させることを「蓮華の座に坐す」という。諸々の声聞が菩薩によって二乗の心を離れることも、同じく「蓮華の座に坐す」のである。ただし、法華経に実際に蓮華の座や菩薩の座があるわけではない。「開く」の意味は推して知るべきである。

また、蓮華には「水の上に出るもの」と「出ないもの」がある。真如にも「汚れのある状態」と「汚れのない状態」がある。汚れのない真如は水の上に出た蓮華、汚れのある真如は水の上に出ない蓮華にたとえられる。さらに、汚れのある真如には「染まらずして染まる」「染まりて染まらざる」という二面性がある。それは蓮華が泥の中にあっても、汚れに染まる面と染まらない面の両方を持つことに似ている。

また、この一乗の教えは、四十余年にわたって三乗の泥水の下にありながら、それらの泥水に染まらなかったのである。

問う。「他宗もまた『蓮華は花と実を同時に含む』と言う。この経もまた、説けば因も果も共に説くと言うが、それと何の違いがあるのか。」

答える。我々の立場は、ただ一つの理があり、ただ一人の者を教える、と明らかにすることにある。ただ一つの理が果であり、ただ一人の者を教えることが因である。これが、前の章で因を明らかにし、後の章で果を明らかにする従来の解釈とは異なる点である。

次に、理と教えのたとえについて述べる。教えは花に、理は蓮の実にたとえられる。蓮の実は一つの理に対応し、一つの花は一つの教えを象徴する。教えは本来、理を表すものであり、理が一つであるから教えも一つである。無量の義を説くのも、すべては一つの理を示すためであり、ゆえに一切の教えは法華経なのである。


法
教菩薩法

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