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  1. 仏説十八泥犁経 (佛說十八泥犁經)
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仏説十八泥犁経 (佛說十八泥犁經)

「佛說十八泥犁經」について

後漢 · 底本の訳者:安世高

2,286 字 · 約 8 分

『仏説十八泥犁経』は、後漢の訳経家である安世高によって翻訳されました。この経典は、地獄における十八種の様相と、それに対応する悪業の因果を詳細に描き、初期の漢伝仏教における輪廻と業の核心的な教義を反映しています。安世高は、体系的な経典翻訳の先駆者として、その訳業が中国仏教思想の普及に礎を築きました。本経は、漢代仏教の地獄観と業報理論を研究する上で重要な文献であり、仏教経典の中でも特別な位置を占めています。


佛說十八泥犁經

仏説十八泥犁経

後漢安息國三藏安世高譯

後漢安息国三蔵法師・安世高訳

佛言:「人生見日少,不見日多,善惡之變,不相類。侮父母,犯天子,死入泥犁,中有深淺,火泥犁有八,寒泥犁有十。入地半以下火泥犁,天地際者寒泥犁。有前惡後為善,不入泥犁。殺人盜人,欺犯人妻,欲使人死望得其財物,垢且賊,好為不善,怒罵人,榜笞繫人,喜告彰人過失,嫉妬言怒,所使怒發,鬲逆天地鬼神之類,殊失壽死,下入惡泥犁中。後復變為善,有不入泥犁中者,知佛道變,雖入泥犁中,必當上天。本善者上泥洹,故曰佛道不可不知。小人不變為善,入泥犁中無樂,入泥犁復不善,入泥犁益深。其類有得為人,雖剛惡,不殺、好生,為人疾;不食肉者,為益疾;有陰德,益壽且疾。

仏陀は言われた。「人の生涯で、太陽を見る日は少なく、見ない日の方が多い。善悪の変化は、互いに似ていない。父母を侮り、天子に背く者は、死ねば泥犁(地獄)に落ちる。その中にも深浅があり、火の泥犁には八つ、寒の泥犁には十の種類がある。地の半ばより下が火の泥犁であり、天地の果てが寒の泥犁である。かつて悪をなした者でも、後に善を行うようになれば、泥犁に入ることはない。人を殺し、盗み、人の妻を欺き、他人の死を願ってその財産を奪おうとし、常に憎み、悪事を好み、怒って人を罵り、むち打ち、縛り上げ、人の過失を喜んで告げ口し、嫉妬し怒りの言葉を発し、怒りのままに行動し、天地や鬼神の道に逆らう者は、寿命を縮めて死に、下劣な泥犁の中に落ちる。しかし、後に善に変わり、泥犁に入らない者もいる。仏の道の変わり様を知れば、たとえ泥犁に入っても、必ず天に上る。もともと善なる者は泥洹(涅槃)に至る。ゆえに、仏の道を知らなくてはならないと言うのだ。愚かな者が善に変わらず、泥犁に入れば楽しみはない。泥犁に入ってもなお善をなさなければ、泥犁はますます深くなる。その中で、人として生まれ変わる者もいる。たとえ剛毅で悪人であっても、殺生をせず、命を尊べば、人として速やかに生まれ変わる。肉を食べなければ、さらに速やかである。陰徳があれば、寿命も延び、速やかになる。」

「第一犁名曰先就乎,而是人言起無死。人居此犁中,相見即欲鬪,乎中無兵而自有兵,相傷殺無歲數又不死。有人來語起不死,以風來吹即愈。如是無歲數,已復持熱鐵劍相傷殺,已復用鐵椎相殺,以手拳極利相傷,久久無歲數,是其類。其人長且大,壽人間三千七百五十歲為一日,三十日為一月,十二月為一歲,萬歲為人間百三十五億歲。

第一の地獄の名を「先就乎(せんじゅうご)」といいます。そこでは、「人は死なずに生き続ける」と言われています。 この地獄に住む者たちは、互いに見つけ合うとすぐに闘い合おうとします。彼らの手もとには武器はありませんが、自然と武器が現れ、互いに傷つけ殺し合います。しかし、歳月がいくら過ぎても決して死にません。 ある者が「生きよ、死なず」と言ってくると、風が吹いて傷を癒します。こうして無限の月日が過ぎます。再び、熱した鉄の剣で傷つけ合い、鉄の槌で打ち殺し合い、鋭い拳で傷つけ合います。この苦しみは無限に続くのです。 その地獄の住人は、体が大きく長く、寿命は人間界での三千七百五十歳が一日に相当し、三十日で一ヶ月、十二月で一年となります。この地獄で一万年生きることは、人間界では百三十五億年にあたります。

「第二犁名居盧倅略,居盧倅略一苦,當先就乎二十。如人言繩而鬪之。人居此犁者,置大火中,赤輒出鬪之。以復內火中,赤復出,數行鬪之,久久無歲數,復燒之,出而鬪之,以為方圓能不死,而復生無歲數,已復走火中無歲數,是其類也。其人長且大,壽人間七千五百歲為一日,三十日為一月,十二月為一歲,二萬歲為人間二百七千億萬歲。

第二の地獄の名は「居盧倅略(ころそりゃく)」といいます。 この居盧倅略の苦しみは、まず二十の苦しみに先立って味わうものです。例えていうなら、人が縄を引っ張り合って戦うようなものです。この地獄に落ちた者は、大きな火の中に入れられ、真っ赤に焼かれると外に出て戦います。また火の中に戻され、真っ赤になってはまた出て、何度も戦いを続けます。長い長い年月、数え切れないほどの間、焼かれては出て戦うことを繰り返します。四角や円形になりながらも死ぬことができず、また無数の年月を経て生き返り、再び火の中を無数年も走り続けるのです。これがこの地獄の苦しみの特徴です。 そこにいる者は体が大きく、寿命は人間の世界で七千五百年が一日となり、三十日で一ヶ月、十二ヶ月で一年と数えます。二万年の間、瀕死の苦しみを続けることが、人間の世界でいう二百七千億万年に相当します。

「第三犁名桑居都,乘居都一苦,當居盧倅略二十,而人言捶殺。人居此犁者,在火中以熱不可言,左右顧見山,山間如樂狀,走往入其間,山盡來壓之,又不死無歲數。已復置火中,赤復出之無歲數。其人長且大,壽人間萬五千歲為一日,三十日為一月,十二月為一歲,壽四萬歲為人間五百四十億歲。

第三の地獄は「桑居都」といいます。ここで受ける苦しみは、「当居盧倅略二十」という苦しみの二十倍にあたり、人々は鞭打ちによって殺されます。この地獄に落ちた者は、火の中にいて耐えがたい熱さを経験します。左右を見回すと山があり、その山々が楽しげな場所のように見えるので、そこへ走っていきます。しかし山の中に入ると、山全体が押しつぶされてきますが、死ぬことはなく、永遠にその苦しみが続きます。再び火の中に置かれ、赤くなったところをまた取り出されることも、限りなく繰り返されます。その者の体は長く大きく、寿命は人間の一万五千年を一日とし、三十日を一月、十二月で一年とします。その寿命は四万年、すなわち人間の五百四十億年に相当します。

「第四犁名曰樓,樓一苦,當乘居都二十,而人言樂之。人居此犁,城甚大,其中復有小城,人從外見之,中盡有重天,人盡入其中,赤如燒鐵。以復內城中,大熱不可言,其身肌盡爛,無歲數不得息不得臥,肌骨盡燋,已復生無歲數,是其類。其人長大,壽人間三萬歲為一日,三十日為一月,十二月為一歲,壽八萬歲為人間千八百億歲。

第四の地獄は「楼」と名づけられています。この地獄の苦しみの第一は、人が一緒に集まって住み、その数は常に二十人ほどであり、それでも人々はそれを楽しみだと言います。人がこの地獄に住むと、城は非常に大きく、その中にさらに小さな城があります。人が外からそれを見ると、中には幾重にも天が重なっており、人々は皆その中に入ります。その色は焼けた鉄のように赤く輝いています。やがて内側の城の中に入ると、極度の熱で言葉にできないほどです。その人の身体の肉はすべて爛れ、長い年月、休むことも横になることもできません。肉も骨もすべて焼け焦げ、また新たに生まれ変わって、また長い年月が過ぎます。これがそのような苦しみの連続です。ここに住む人の身長は大きく、寿命は人間の三万年を一日とし、三十日を一月とし、十二月を一年とします。寿命は八万年で、人間の世界の千八百億年に相当します。

「第五犁名曰旁卒,旁卒一苦,當樓二十,而人言爛煮之。人居此犁者,而坑大深浴,滿其中火,守犁者用鐵杖捶而內其中,燒燋人身,盡燋無歲數又不死。積燒而不死,而抱火著人身,死出一浴,復入一浴,如是無數,是其類。其人長且大,壽人間六萬歲為一日,三十日為一月,十二月為一歲,壽十六萬歲為人間二千一百六十億歲。

第五の地獄を「旁卒」と名付ける。旁卒での一つの苦しみは、楼の二十の苦しみに相当し、人々はこれを「爛煮(爛れ煮)」と呼ぶ。この地獄に落ちた者たちは、大きな深い穴に満ちた火の中に落とされる。地獄の守護者は鉄の杖で彼らを打ち、その中に押し込む。人の体は焼け焦げ、完全に焦げ尽くしても年数を経ても死ぬことはない。焼かれ続けても死なず、火を体に抱えながら、一つの穴から出ればまた別の穴に入り、そのようにして限りなく繰り返す。これがその類のありさまである。人々は体が大きく、寿命は人間の六万年を一日とし、三十日を一月、十二月を一年とし、寿命は十六万年、それは人間の時代で二千百六十億年にあたる。

「第六犁名曰草烏卑次,草烏卑次一苦,當旁卒二十,而人言焯熱之。人居此者,城高二千里、廣四千里,火滿其中,置人其中。復以鐵覆之無歲數,如是不得息,言不得臥無歲數,燋已復燋,是其類。其人長且大,壽人間十二萬歲為一日,三十日為一月,十二月為一歲,壽三十二萬歲為人間四千三百二十億歲。

第六の地獄の名は「草烏卑次」といいます。草烏卑次での苦しみは、旁卒(※補足:地獄の獄卒)の責め苦の二十倍にも及び、人々はその熱さに焼かれると叫びます。

ここに落ちた者は、高さ二千里、広さ四千里の城の中に置かれ、城中は火で満たされています。さらに、その上を鉄の蓋で覆われ、年数も数えられないほどの長い間、休むことなく苦しみ続けます。「横たわることもできず、休むこともない」と、年数の計り知れないほどに焼かれては、再び焼かれることを繰り返します。これがその地獄のありさまです。

そこにいる者たちは、非常に長身で大柄な体をしており、その寿命は、人間の十二万年を一日とし、三十日を一月、十二月を一年として、三十二万年の寿命を持ちます。これを人間の年に換算すると、四千三百二十億年に相当します。

「第七犁名都意難且,都意難且一苦,當草烏卑次二十,如人言燒炙之與虫。人居此犁中者,大積火如大鐵貫人,而內之無歲數。時一門開,人盡往欲出門;門復閉,復墮火中無歲數。已復見一門開,人盡走求欲出;既得出門,又復墮污泥中。污泥中有蟲唅,又不得出無歲數,是其類。其人長且大,壽人間二十四萬歲為一日,三十日為一月,十二月為一歲,壽六十四萬歲為人間八千六百四十億歲。

第七の地獄の名は「都意難且」といいます。その「都意難且」という地獄の苦しみは、まず草烏卑次の二十倍に相当します。ちょうど人が物を焼き焦がすときに虫が焼かれるようなものです。

この地獄にいる者は、巨大な炎の塊が、大きな鉄の棒で人を貫くかのようにして、際限なくその中に落とされます。時折、一つの門が開くと、人々は皆、外へ出ようと急ぎます。しかし門は再び閉ざされ、彼らはまた際限なく火の中に落ちます。さらに、再び門が開くのを見ると、人々は皆走って出ようとします。ようやく門を出たかと思うと、今度は泥の中に落ちます。その泥の中には虫がいて噛みつき、またしても際限なく出られないのです。これがこの地獄のありさまです。

そこにいる者は、体が大きく背も高い者で、寿命は人間の二十四万年を一日とし、三十日を一月、十二月を一年とすると、六十四万年の寿命があります。これは人間の年数に換算すると八千六百四十億年に相当します。

「第八犁名曰不盧都般呼,不盧都般呼一苦,當都意難且二十,如人言大苦熟之。居此犁中,地盡有火,卒人當在火中,炮且炙貫,且立臥床,不得去,不得息,爛且燋。已復生無歲數,其苦萬倍於他犁之苦,苦不可言,是其類。其人長且大,壽人間四十八萬歲為一日,三十日為一月,十二月為一歲,壽百二十八萬歲為人間萬七千二百八十億歲。」

第八の地獄は「不盧都般呼」と名づけられている。不盧都般呼の苦しみはただ一つ、思うだけで耐え難く、二十もの苦しみが伴う。人々が「大いなる苦しみの極み」と言うようなものである。

この地獄に住む者たちは、地の底まで火に満ちている。地獄の鬼たちは彼らを火の中に置き、焼き、炙り、串刺しにし、また立たせたり、臥せたり、床に寝かせたりする。逃げることもできず、息をつくこともできない。体は爛れ、焼け焦げる。焼け尽きても、また数え切れないほどに生き返る。その苦しみは、他の地獄の苦しみの一万倍にも及び、言葉に表すことすらできない。これがこの地獄の有様である。

そこに住む者は、身長が大きく長大である。その寿命は、人間の四十八万年を一日とし、三十日を一ヶ月、十二月を一年とし、百二十八万年を寿命とする。これは人間の一万七千二百八十億年に相当する。

佛言:「火犁八,以惡多深且遲,惡少淺且易。犁者譬如人拘於狴牢為囚徒,報作於遠,所死於野,家室半道。若墮水與此生,不得道至其死,入犁即苦,苦不可言,久久得出。所謂寒犁在天際間,有大山高二千里,主蔽風名山于雀盧山,冥無日月所不及逮,有蔽大山故冥,外有日月之王甚多,無央數寒犁中。

仏は言われた。「地獄には八つの苦しみの世界がある。悪行が深く多く重なれば、その苦しみは長く激しい。悪行が浅く少なければ、苦しみは短く軽い。地獄の苦しみは、まるで人が牢獄に囚われの身となり、遠くへ流刑にされ、野原で死に、家族は途中で引き返すようなものだ。あるいは水に落ち、この世に生まれながら、悟りを得ることなく死を迎え、地獄に落ちれば即座に苦しみを受ける。その苦しみは言葉に尽くせないほどであり、長い時間を経てやっとそこから出ることができる。

いわゆる寒氷地獄は、この世の果てにある。そこには高さ二千里の大山があり、『于雀盧山』と呼ばれ、風を遮っている。この山のために、太陽も月も光が届かず、すべてが暗闇に包まれている。しかしその外側には多くの日月の王が存在し、寒氷地獄の中には計り知れないほどの数があるのだ」

「第九犁名曰烏竟都,烏竟都一苦,當不盧都般呼二十,如人言暴而起之。人居此犁,寒不可言,無歲數身盡凍,數數暴而二十在。火中有聲,已復為之,其折半如弩發折,以復續其分,以大石擊大嬰,痛不可言。已復不死,其靡如鐵磑。已復磑其足,遍一身乃止。如此無歲數,如痛苦不可言。其人長且大,壽芥種百二十八斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡,如是未能為萬分持一,是其類。知佛道者出疾,人晝為惡,如夜無所犯,其人入犁,晝苦夜為惡,晝無所犯者,夜不樂不可言,故佛道不可不聞知。

第九の地獄は「烏竟都」と名付けられています。烏竟都の一つの苦しみは、不盧都の苦しみを二十倍にしたものに相当します。例えば、人が怒って突然何かを起こすようなものです。人がこの地獄に落ちると、寒さは言葉にできず、数えきれないほどの歳月の間、体が凍りつきます。そして、何度も突然その苦しみが二十倍になって襲ってきます。火の中で音がし、それが終わるとまた元に戻ります。その半ばで体が折れる様子は、弓矢を放つように激しく、折れたかと思うと再びつながります。大きな石で大きな赤子を打つ苦しみは、言葉にできないほどです。それでも死ぬことはなく、その苦しみはまるで鉄の臼で挽かれるようでもあります。さらに足をその臼で挽き、全身に及んでようやく止みます。このような苦しみが数えきれない歳月、言葉にできないほど続きます。そこにいる者は、体が大きくて長く、寿命は芥子の種128斛(こく)分ほどもあります。百歳ごとに一粒の種が減っていき、種が全て尽きても寿命はまだ終わりません。それでもこの苦しみの一万分の一にも満たないのです。これがこの地獄のあり方です。しかし、仏の道を知る者はそこから早く出ることができます。人は昼間に悪をなしても、夜に何も犯さなければ、その地獄に入っても昼は苦しみ、夜は悪事をなすことになります。昼に何も犯さない者は、夜には言葉にできないほどの楽しみがないのです。ですから、仏の道を聞かずに知らないままでいてはいけません。

「第十犁名曰泥盧都,泥盧都一苦,當烏竟都二十。其人長且大,壽芥種二百五十六斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡。

第10の犁は「泥盧都」と名づけられている。泥盧都における一つの苦しみは、烏竟都における二十の苦しみに相当する。そこにいる者は背が高く大きく、寿命は芥子種二百五十六斛(ごう)の長さである。百年ごとに一粒の芥子種を取り除いても、その芥子種が尽きても寿命は尽きない。

「第十一犁名曰烏略,烏略一苦,當泥盧都二十。其人長且大,壽芥種五百一十二斛百歲去一實,芥種盡壽未盡。

第十一の地獄は「烏略」と名づけられています。烏略の苦しみは、泥盧都の二十倍に相当します。そこにいる者は背が高く大きく、その寿命は芥子種(からしの種)で計られます。五百十二斛(ごひゃくじゅうにこく)の芥子種を用意し、百年ごとに一粒ずつ取り除いていきます。芥子種が尽きても、まだ寿命は尽きないのです。

「第十二犁名曰烏滿,烏滿一苦,當烏略二十。其人長且大,壽芥種千二十四斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡。

第十二の地獄は「烏満」と名付けられています。烏満での一つの苦しみは、烏略での二十の苦しみに相当します。そこにいる者は背が高く巨大で、寿命は芥子の種を千二十四斛(単位)ぶんの時間に相当します。百歳ごとに一つの実を取り去り、芥子の種が尽きても寿命はまだ尽きません。

「第十三犁名曰烏藉,烏藉一苦,當烏滿二十。其人長且大,壽芥種二千四十八斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡。

第十三の地獄はその名を「烏藉」と呼びます。烏藉での一度の苦しみは、烏藉の二十の苦しみに相当します。 そこにいる者は、体が長く大きく、寿命は芥子(からし)の種で測られます。つまり、二千四十八斛(約20万リットル)の芥子の種があり、百年ごとに一粒ずつ取り除いていき、その芥子の種がすべて尽きても、寿命はまだ尽きないのです。

「第十四犁名曰烏呼,烏呼一苦,當烏藉二十。其人長且大,壽芥種四千九十六斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡。

第十四の地獄の名は「烏呼」といいます。この地獄での苦しみの一単位は、烏藉(うしゃ)の二十倍に相当します。そこにいる者は体が長く大きく、寿命は芥子(けし)の種で四十九百六斗(せんきゅうひゃくろくと)分もあります。百年ごとに一粒ずつ芥子の種を取り除いても、芥子が尽きてもまだ寿命は終わらないのです。

「第十五犁名曰須健渠,須健渠一苦,當烏呼二十。其人長且大,壽芥種八千一百九十二斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡。

第十五の地獄は「須健渠」という。須健渠の苦しみは、烏呼の二十倍にあたる。そこにいる者は体が大きく長く、寿命はからし種で計られる。その量は八千百九十二斛(ごう)に及び、百年ごとに一粒ずつ減らしていき、からし種が尽きてもなお寿命は尽きない。

「第十六犁名曰末頭乾直呼,末頭乾直呼一苦,當須健渠二十。其人長且大,壽芥種一萬二千三百八十四斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡。

第十六の地獄の名は「巨頭(まっとうけん)」。そこでの苦しみは、健渠(けんご)という単位で二十倍にもなる。そこに落ちた者は、体は長く大きく、寿命は芥子(けし)の種で例えられる。一万二千三百八十四斛(こく)もの芥子の種があり、百年ごとに一粒ずつ取り除くとしても、芥子が尽きても寿命はまだ終わらないのだ。

「第十七犁名曰區逋塗,區逋塗一苦,當末頭乾直呼二十。其人長且大,壽芥種三萬二千七百六十八斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡。

第十七の地獄、その名をクプトという。クプトの苦しみの一つは、頭を下にして二十回叫ぶことである。そこにいる者は体が長く大きく、寿命はからし種で三万二千七百六十八斗分。百年ごとに一粒ずつ減らしていき、からし種が尽きても寿命は終わらない。

「第十八犁名曰沈莫,沈莫一苦,當區逋塗二十。其人長且大,壽芥種六萬五千五百三十六斛,百歲去一實,芥種盡壽未盡,大寒且苦,不可言不可為辭,皆萬倍於他犁之苦,痛不可極。」

第十八の地獄は「沈莫(ちんもく)」と名付けられています。この沈莫の苦しみ一つは、他の地獄の苦しみ二十に相当します。

そこにいる者は、身体が長く大きく、寿命は芥子(からし)の種を六万五千五百三十六斛(こく)も数えるほどの長さです。百歳ごとに一粒ずつ芥子の種が減っていきますが、種が尽きても寿命は尽きません。そこは極寒で苦しみは言葉にできず、表現のしようもありません。その苦しみは、他の地獄の苦しみの万倍もあり、その痛みは極まりなく耐え難いものです。

佛言:「十八泥犁,人所犯以事善惡輕重入犁經。」

仏は言われた。「十八の地獄は、人が行った善悪の行いの軽重に従って、その報いを受ける場所である。」

佛言:「十八泥犁,鳳凰龍下至小蟲,凡十八泥犁,人行善多行惡少,出泥犁疾,行惡多行善少,出泥犁遲。」

仏は言われた。「十八の地獄がある。鳳凰や龍から小さな虫に至るまで、すべての生き物がそれぞれ地獄に落ちる。善行を多く行い悪行が少ない者は、地獄から早く出られる。悪行を多く行い善行が少ない者は、地獄から出るのが遅い。」

佛言:「是安得鬼守,十八泥犁居處冥。佛始生時,天上天下,上至三十二天,其十八泥犁皆明。佛始得道時復一明,佛朝梵時復一明,佛始行道教授天下復一明,佛般泥日復一明,上至三十二天盡明,以知佛道不可不知,人為善多者上天,為惡多者入泥犁。若為畜生,知佛道不死,小人必長生,但數聞佛道,而不學生、不近善人、不聞善事,當離憂患。其笑佛道,入泥犁中深,佛故非之。人為惡,喜罵詈惡口,至老不止,天神惡之,使為禽獸畜生血氣蟲獸,子孫用正臘上家。」

仏は言われた。「どうして鬼がそれを守る必要があろうか。地獄の十八の世界は暗闇の場所である。しかし、仏が生まれた時、天上天下、三十三天に至るまで、その十八地獄がすべて明るくなった。仏が悟りを開かれた時もまた明るくなった。仏が梵天に教えを説かれた時もまた明るくなった。仏が初めて人々に道を説き教え導かれた時もまた明るくなった。仏が涅槃に入られた時もまた明るくなり、三十三天に至るまですべてが明るくなった。これによって、仏の道を知らなければならないことがわかる。人は善行が多い者は天に上り、悪行が多い者は地獄に入る。たとえ畜生に生まれても、仏の道は滅びないことを知れば、たとえ小さな者でも必ず長く生きられる。しかし、ただ仏の教えを何度も聞くだけで、学ばず、善人に近づかず、善い行いを聞かないなら、苦しみから離れることはできない。仏の道を嘲る者は、地獄の奥深くに入る。仏はそれを戒められたのである。人が悪を行い、罵り、悪口を言い、老いるまでやめないなら、天神はそれを嫌い、その人を鳥獣や血のある虫や獣にする。そして子孫は正しい時期に供物を捧げるのである。」

佛言:「人不為善,去人類為蟲畜,生家上與鬼,是安得鬼食乎?」

訳:覚者は言われた。「善を行わなければ、人間の世界を離れて虫や獣の世界に堕ちる者もある。家の上に生まれ変わって鬼神となっても、どうして鬼神の食物を得られようか。」

佛言:「人為善上天,後復生為人形。」

仏は言われた。「善い行いをすれば天に生まれ、その後、再び人の形で生まれることができる。」

佛說十八泥犁經

仏説十八泥犁経


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