佛說堅意經
仏説堅意経
後漢安息國三藏安世高譯
後漢安息国三蔵法師・安世高訳
聞如是:
一時,佛在舍衛國祇樹給孤獨園。
佛告阿難:「我今禪定,憐傷世人不知佛道正真弘深,而以淺偽輕薄之言欲設嫉心謗毀道根,妄作窮難難吾弟子。汝當正心知此罪人,或是邪妖惡師,或是不知世俗姦人。若諸菩薩、比丘僧、比丘尼、優婆塞、優婆夷,明經高潔,開解愚冥,為說生死罪福所鍾,設其即解知服道真,此為罪滅福生之人。若其指掌為說橋梁,心懷憒憒,意不欲聞,雖欲強聽,心多睡眠;或壞道法,輕毀沙門及優婆塞,惡口妄言,當明此人為罪所牽。沙門賢者,以忍為先,當如清水,無所不淨,死人、死狗、死蛇、屎尿亦皆洗之,然不毀水清。亦當持心,有如掃帚掃地,淨不淨,死人、死狗、死蛇、屎尿皆亦掃之,然不毀於帚矣。亦當復如風火之力、光,死人、死狗、死蛇、屎尿,亦吹亦燒,然不毀風火之力、光。若人欲來殺己,己亦不瞋;欲來謗己,己亦不瞋;欲來譖己,己亦不瞋;欲來笑己,己亦不瞋;欲來壞己,使不事佛法,己亦不瞋;但當慈心正意,罪滅福生,邪不入正,萬惡消爛。」
仏は阿難に告げられました。「私が今、禅定に入っているのは、世の人々が仏の道の正しく真実で広く深いことを知らず、浅はかで偽り軽薄な言葉で嫉妬の心を起こし、道の根本を謗り毀し、根拠のない難問を仕掛けて私の弟子たちを困らせているのを哀れに思うからです。あなたは正しい心で、こうした罪の人が、あるいは邪悪な妖しい悪師であるか、あるいは世俗の奸悪な人であるかを知りなさい。もし菩薩、比丘僧、比丘尼、優婆塞、優婆夷が、経典に明るく高潔で、愚かな者を導き悟らせ、生死と罪福の行き着く先を説いて、相手がすぐに理解して道の真実を信じ受け入れるなら、その人は罪が滅び福が生じる人です。もし手のひらで示すように説いても、心が乱れ、聞こうとしないなら、無理に聞かせても、心は眠りがちです。あるいは道法を壊し、沙門や優婆塞を軽んじて毀し、悪口や嘘をつくなら、この人は罪に引かれているのだと知りなさい。沙門や賢い人は、忍耐を第一とし、清水のように何でも清めるべきです。死人も死犬も死蛇も糞尿もみな洗い流しますが、水の清らかさは損ないません。また心を持ち、箒で床を掃くように、清いものも不清いものも、死人も死犬も死蛇も糞尿もみな掃きますが、箒を損ないません。また風や火の力や光のように、死人も死犬も死蛇も糞尿も、吹き払い焼き尽くしますが、風や火の力や光を損ないません。もし人が自分を殺そうとしても、怒らず、謗ろうとしても、怒らず、讒そうとしても、怒らず、笑おうとしても、怒らず、自分を壊して仏法を信じさせまいとしても、怒らず、ただ慈しみの心と正しい意思を持てば、罪は滅び福が生じ、邪は正に入らず、万の悪は消え去ります。」
佛告阿難:「其有好心善意之人,聞佛明法,一心而聽,能一日可;不能一日,半日可;不能半日,一時可;不能一時,半時可;不能半時,須臾可;其福不可量、不可訾也。
仏は阿難に告げられた。 「真心と思いやりのある人が、仏の明らかな教えを聞き、心を一つにして聴くならば、一日でもよい。一日できなければ、半日でもよい。半日できなければ、一時間でもよい。一時間できなければ、半時間でもよい。半時間もできなければ、ほんのしばらくの間でもよい。その功徳は量り知れず、評価することもできない。」
「汝當廣為諸比丘僧、比丘尼、優婆塞、優婆夷、白衣人民說之,并當廣為說布施,種生死糧。其有齋日,施設飯食,請召四輩高經賢者、沙門、道人,施設高座,論講佛經,燒香然燈,光明達天。諸天喜笑,皆下虛空,側耳來聽,莫不欣然。其有破慳,布施為福,善神即下,營救門戶,攘禍滅怪,出與利會,利則而吉,終無怨惡。譬如種穀,隨種而生,種善得福,種惡獲殃,未有不種而獲果實。當正爾心,福自歸身,慎無卜問,為邪所牽;心懷狐疑,善神遠人,動入罪地,所為不成。不知毀戒,反怨佛神,事之無益,遂不正心。男子、女人其有聞此經者,及奉持讀誦者,莫不得福者。」
佛說經已,阿難歡喜,起為佛作禮。
釈迦がこの教えを説き終えると、阿難は喜び、立ち上がって仏に礼拝を捧げました。
佛說堅意經
仏説堅意経