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  1. 禅林備用清規 (禪林備用清規)
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禅林備用清規 (禪林備用清規)


No. 1250-B

No. 1250-B

禮於世為大經。而人情之節文也。沿革損益以趍時。故古今之人情。得綱常制度。以撥道。故天地之大經在。且吾聖人。以波羅提木叉。為壽命。而百丈清規。由是而出。此固藂林禮法之大經也。然自唐抵今。殆五百載。風俗屢變。人情不同。則㳂革損益之說。可得已哉。近者大川笑翁二祖。唱道南北山。日用軌則。盛於當代。至元戊寅。依石林和尚於南屏。猶得見其遺風餘烈。及友雲明西堂出所藏抄本。究心訪問。編集成帙。始此書之作。或以為僧受戒首之。或以住持入院首之。壬午依覺菴先師於承天。朝夕扣問。因得以祝聖如來降誕二儀冠其前。其餘門分類聚。釐為十卷。然猶未敢以傳學者。丙戌夏。留雪竇。千峰琬西堂論其詳。丁亥春。溪西澤和尚正其舛。得於見聞者稔矣。而尚以未身行之為愧。壬辰夏。首眾雙徑。小座湯。有位次高下之爭。諸方往往。廢而不舉。愚以西堂一出。首座再出。都寺三出。後堂四出。藏主維那知客侍者。隨職為位。請於雲峰伯父力行焉。訖事無敢譁者。元貞乙未。備員永嘉天寧。大德庚子。補番易永福。乙巳主廬山東林。皆行之無易。庶幾人情為折中。然視古之清規。不幾於繁縟乎。蓋凷桴土皷。不可作於笙鏞間和之秋。汙樽杯飲。不可施於犧象駢羅之日。目曰禪林備用清規。備而不用之謂也。知我罪我。其惟春秋。

礼は世の中における大いなる道であり、人々の心の節度と文飾である。時代とともに変わり、損益を重ねて時勢に合わせるものである。それゆえ古今の人々の心は、秩序や規範となる制度を得て、正道を歩むことができる。天地の大いなる道はここに存在する。また、私たちの聖人は戒律(波羅提木叉)を生命とし、百丈清規はそこから生まれた。これこそまさに仏門の礼法における大いなる規範である。しかし唐の時代から現在まで、ほぼ五百年が経過し、風俗は何度も変わり、人々の心も異なってきた。ならば変革や損益に関する考え方を、そのままにしておくことはできようか。近年、大川と笑翁の二祖が南北の山で教えを唱え、日常の規則は当時とても盛んであった。至元戊寅の年、南屏の石林和尚のもとで、なおその遺風と余韻を見ることができた。やがて友人の雲明西堂が所蔵する写本を取り出して見せてくれたので、心を尽くして調べ尋ね、編集して一巻の書とした。この書の編纂にあたっては、ある者は僧の受戒を最初に置き、ある者は住持の入院を最初に置くと言った。壬午の年、承天寺で覚菴先師に従い、朝夕に質問を重ねた。そのおかげで、祝聖と如来降誕の二つの儀式を巻頭に置くことができた。その他の項目は門ごとに分類し、整理して十巻とした。しかしそれでもなお、学者に伝えることは躊躇した。丙戌の夏、雪竇に滞在し、千峰琬西堂とその詳細を論じ合った。丁亥の春、溪西澤和尚がその誤りを正してくれた。見聞きしたものは十分に熟していたが、それでもなお自分自身で実践していないことを恥じていた。壬辰の夏、双径寺で衆僧の先頭に立った。小座湯では席次の上下の争いがあり、諸方ではしばしばこれを廃止して行わなかった。私は西堂が一度目、首座が二度目、都寺が三度目、後堂が四度目、そして蔵主・維那・知客・侍者はその職に従って席次を定めることを提案し、雲峰伯父に請うてこれを実行した。終わるまで異議を唱える者はなかった。元貞乙未の年、永嘉の天寧寺に任じられ、大徳庚子の年、番易の永福寺を補任し、乙巳の年、廬山の東林寺を主管した。いずれもこの規則を実行し、変えることはなかった。これによって人々の心に折り合いをつけることができただろう。しかし古い清規と比べれば、あまりに煩雑ではないか。土の桴や土の鼓は、笙や鏞の音が調和する時代には用いられない。粗末な器や手ですくって飲むような風習は、犠尊や象尊が並び置かれる時代にはふさわしくない。この書を名づけて『禅林备用清規』という。「備えて用いない」という意味である。私を知る者も、私を罪する者も、その判断は『春秋』のごとく、歴史に委ねよう。

至大辛亥秋 廬山東林 弌咸 書No. 1250

至大辛亥の秋、廬山の東林寺にて、弌咸が記す。No. 1250


No. 1250-A
禪林備用清規卷目

CBETA コード: X1250

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