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法句譬喻経 (法句譬喻經)


法句譬喻經雙要品第九

法句譬喩経 双要品第九

昔舍衛國王名波斯匿,來至佛所,下車却蓋解劍脫履拱手直進,五體投地稽首足下長跪白佛:「願以來日於四街道施設微食,欲使國人知佛至尊,願令眾生遠鬼妖蠱,悉奉五戒以消國患。」佛言:「善哉!夫為國主宜有明導,率民以道求來世福。」王曰:「至真請退嚴辦。」手自為饌,身往奉迎佛與眾僧,俱至四衢。佛至就座,即行澡水手自斟酌。佛飯食畢,於四道頭為王說法,觀者無數。時有兩商人,一人念曰:「佛如帝王,弟子猶忠臣,佛陳明法,弟子誦宣,斯王明矣,知佛可尊屈意奉之。」一人念曰:「斯王愚哉!爾為國王將復何求?佛者若牛,弟子猶車,彼牛牽車東西南北,佛亦如是,子有何道而下意奉之?」二人俱去行三十里,亭宿沽酒共飲平論屬事。其善念者四王護之,其惡念者,太山鬼神令酒入腹如火燒身,出亭路臥宛轉轍中,晨商人車五百乘轢殺之焉。伴明日求之。見死已然,曰:「還國見疑殺人取物,去不義。」輕身委財逝。至他國,國王崩亡,無有大子,讖書云:「中土有微人當王斯土。」故王有神馬,任王必屈膝。即具嚴駕神馬印綬,行求國主,觀者數千。商人亦出,國太史曰:「彼有黃雲之蓋,斯王者氣也。」神馬屈膝舐商人足,群臣豫作香湯澡浴,拜為國王,於是遂處位聽省國事。深自思曰:「余無微善何緣獲此?必是佛恩使之然也。」即與群臣向舍衛國遙稽首曰:「賤人無德,蒙世尊慈恩得王此國,明日願與應真眾俱埀意顧斯,一時三月。」佛告阿難:「勅諸比丘,明日彼王請,皆當作變化,令彼國王人民歡喜。」各作神足往到彼國,皆次就座如法儼然,下食畢訖澡手,為王說法。王曰:「吾本微人素無快德,何緣獲斯?」佛告王曰:「昔彼大王飯佛於四衢道,王心念言:『佛如國王,弟子猶臣下。』王種斯核,今自獲果。後一人云:『佛者若牛,弟子猶車。』彼人自種車轢之核,今在太山地獄為火車所轢。自獲其果,然非王勇健所能致矣,為善福隨為惡禍追,此為自作,非天龍鬼神所能與。」

昔、舎衛国の王を波斯匿といいました。王は仏のもとへ参り、車から降り、傘を脱ぎ、剣を解き、履き物を脱いで、拱手してまっすぐに進み、五体投地して仏の足下に頭を垂れ、長跪して仏に申し上げました。「明日、四つ辻にささやかな食事を設けたいと思います。国の人々に仏が最も尊いことを知らせたいのです。どうか衆生が鬼や妖蠱から遠ざかり、皆が五戒を守って国の災いを消しますように。」仏はおっしゃいました。「善いことです。国の主たる者は明らかな導きを持つべきであり、民を道に率いて来世の福を求めなさい。」王は申し上げました。「至真なる方よ、どうかお許しください。すぐに準備いたします。」王は自ら食事を作り、自ら出向いて仏と僧たちを迎え、ともに四つ辻へ参りました。仏が座に着かれると、ただちに水を捧げ、自ら酌をしました。仏が食事を終えると、四つ辻で王のために法を説かれました。見物する者は数えきれませんでした。その時、二人の商人がいました。一人はこう思いました。「仏は帝王のようであり、弟子たちは忠臣のようだ。仏が明らかな法を説き、弟子たちが唱えて広める。この王は賢明だ。仏が尊ぶべき方だと知り、自らを低くして仕えている。」もう一人はこう思いました。「この王は愚かだ。国王でありながら、これ以上何を求めるというのか。仏は牛のようで、弟子は車のようなものだ。牛が車を引いて東西南北へ行くように、仏も同じだ。お前にはどんな道があるというのか、それなのに自らを低くして仕えるとは。」二人はともに去り、三十里を行き、宿駅に泊まり、酒を買ってともに飲み、あれこれ語り合いました。善い思いを抱いた者は四天王が守り、悪い思いを抱いた者は、太山の鬼神が酒を腹に入れると火のように体を焼き、宿を出て道に伏し、轍の中で転げ回り、朝になって商人の車五百乗にひき殺されました。連れは翌日これを尋ね、すでに死んでいるのを見て言いました。「国に帰れば、人を殺して物を取ったと疑われるだろう。去るのは不義だ。」そこで身を軽んじ財を捨てて去りました。他の国に着くと、その国の王が亡くなり、太子がいませんでした。予言の書に「中土に身分の低い者がいて、この地の王となるであろう」とありました。そこで先王には神馬がいて、王となるべき者には必ず膝を屈しました。すぐに神馬と印綬を整えて、国の主を探しに出ました。見物する者は数千人でした。商人も出てきました。国の太史が言いました。「あの者には黄色い雲の蓋がある。王者の気だ。」神馬は膝を屈めて商人の足を舐めました。群臣はあらかじめ香湯を用意して体を洗わせ、王として拝しました。こうして王は位に就き、国政を聴きました。深く自ら思いました。「私には少しの善もないのに、どうしてこれを得たのか。きっと仏の恩がそうさせたのだ。」そこで群臣とともに舎衛国に向かって遥かに頭を垂れて申し上げました。「賤しい者に徳はありませんが、世尊の慈恩によりこの国を治めることができました。明日、応真の僧たちとともにお心をこちらに向けてください。一時三月の間。」仏は阿難に告げました。「もろもろの比丘に命じなさい。明日、かの王が招くので、皆、変化を現して、かの国王と民を喜ばせなさい。」それぞれ神足でかの国へ行き、皆、順に座に就き、法のごとく整然としました。食事が終わり手を洗って、王のために法を説きました。王は言いました。「私はもと賤しい者で、もとより善徳はありません。どうしてこれを得たのでしょう。」仏は王に告げました。「昔、かの大王が四つ辻で仏に食事を捧げたとき、王は心に思いめぐらして『仏は国王のようであり、弟子は臣下のようだ』と言いました。王はこの種を蒔き、今、自らその果を得たのです。後に一人が『仏は牛のようであり、弟子は車のようだ』と言いました。その者は自ら車にひかれる種を蒔き、今、太山の地獄で火の車にひかれています。自らその果を得たのです。しかしこれは王の勇健によって得られたものではありません。善をなせば福が従い、悪をなせば禍が追います。これは自ら作るものであり、天・龍・鬼神が与えるものではありません。」

於是世尊即說偈言:

そこで、世尊は次のように詩を唱えられました。

「心為法本, 心尊心使, 中心念惡, 即言即行,
罪苦自追, 車轢於轍。 心為法本, 心尊心使,
中心念善, 即言即行, 福樂自追, 如影隨形。」

心はすべての法の根本です。心が主であり、心が導きます。 心の内に悪を思えば、その言葉も行いも悪となり、 罪と苦しみが自然とついてきます。ちょうど車輪が轍の跡をたどるように。

心はすべての法の根本です。心が主であり、心が導きます。 心の内に善を思えば、その言葉も行いも善となり、 福と楽しみが自然とついてきます。ちょうど影が形に従うように。

佛說經偈已,王及臣民聽者無數,皆大歡喜,逮得法眼。

仏が経の偈を説き終えると、王をはじめ臣下や民のうち、聞いた数えきれないほどの人々は皆、大いに喜び、法眼を得ました。

昔長者須達買太子園田,共造精舍奉上世尊,各請佛及僧供養一月,佛為二人廣陳明法,皆得道跡。太子祇陀歡喜還東宮,歎佛之德,作樂自娛。祇弟瑠璃,常在王邊,時王素服與諸近臣及後宮夫人,往詣佛所稽首禮畢,一心聽經,瑠璃在後典衛御座。時諸倿臣阿薩陀等,姦謀啟曰:「試著大王印綬,坐御座上,如似王不?」於是瑠璃即隨其言,被服昇座,諸倿臣等皆共拜賀:「正似大王!」「千載遭遇黎庶之願,豈使東宮𨶳𨵦於此?此之御座豈可昇而復下也?」即率所從貫甲拔劍,自就到祇洹精舍,斥徙大王不得還宮,與王官屬戰祇洹間,殺王近臣五百餘人。王與夫人播迸,晨夜至舍夷國,中道飢餓,王噉蘆菔腹脹而薨。於是瑠璃遂即專制,便拔劍入東宮斫殺兄祇。祇知無常,心不恐懼顏色不變,含笑熙怡甘心受刃,命未絕間,聞虛空中自然音樂聲迎其魂神。佛於祇洹即說偈言:

昔、長者スダッタは太子の園田を買い、ともに精舎を造って世尊に奉り、それぞれ仏と僧を招いて一か月の供養をしました。仏はお二人のために広く明らかな法を説き、二人とも道を得ました。太子ジェータは喜んで東宮へ戻り、仏の徳を讃え、音楽を奏して自ら楽しみました。

ジェータの弟ヴィル―パークシャは、いつも王のそばにいました。あるとき王は質素な衣をまとい、近臣や後宮の夫人たちとともに仏のもとへ行き、頭を地につけて礼をしてから、一心に経を聞きました。ヴィル―パークシャは後ろで王の座を守っていました。

そのとき、阿薩陀ら奸臣たちが悪だくみをして申し上げました。「ためしに大王の印綬をつけ、王の座にお座りになって、王のようでいらっしゃいますか」。そこでヴィル―パークシャはその言葉に従い、衣をまとい座に昇ると、奸臣たちはそろって拝賀して言いました。「まさに大王のようです」「千年に一度のめぐり合わせ、民の願いでございます。どうして東宮をここに閉じ込めておかれましょうか。この王の座は、一度昇ってまた降りられるものでしょうか」。

そして従う者たちを率い、鎧を着て剣を抜き、まっすぐ祇洹精舎へ赴き、大王を追い出して宮へ戻れなくし、王の役人たちと祇洹のあいだで戦い、王の近臣五百余人を殺しました。王と夫人は逃げ、夜を日に継いで舎夷国へ向かいましたが、道中で飢え、王は大根を食べて腹がふくれ、そのまま亡くなりました。

そこでヴィル―パークシャは専制の位につき、剣を抜いて東宮に入り、兄のジェータを斬り殺しました。ジェータは無常を悟っており、心に恐れもなく、顔色も変えず、ほほえみを浮かべて心から刃を受け入れました。命の絶えぬうちに、虚空から自然に音楽が響き、その魂を迎えるのが聞こえました。仏は祇洹で、ただちに偈を説かれました。

「造喜後喜, 行善兩喜, 彼喜惟歡, 見福心安。
今歡後歡, 為善兩歡, 厥為自祐, 受福悅豫。」

善い行いをすれば喜びが生まれ、後にもまた喜びがあります。善を行った人は二つの喜びを得て、その喜びは歓びとなります。幸せを見れば心は安らぎます。今も喜び、後も喜び、善を行った人は二つの喜びを得て、それは自らを守るものとなり、幸せを受けて悦び楽しみます。

是時瑠璃王尋興兵眾伐舍夷國,殺害釋種道跡之人,殘暴無道五逆兼備。佛記瑠璃不孝不忠眾罪深重,却後七日當為地獄火所燒殺,又太史記記與佛同。王大怖懅即乘船入江。「吾今處水,火焉得來?」七日日中,有自然火從水中出,燒船覆沒,王亦被燒,恐怖毒熱忽然沈終。

時に瑠璃王はただちに兵を起こし、舎夷国を攻めて、釈迦族の道を歩む人々を殺害しました。その残虐さは道に背き、五逆の罪をすべて備えていました。仏は、瑠璃王は不孝で不忠であり、多くの罪が深く重いと記し、七日後に地獄の火に焼かれて命を終えると予言されました。また、太史の記録も仏と同じことを記していました。王はたいへん恐れおののき、すぐに船に乗って江に入りました。「私は今、水の中にいる。火がどうして来られようか」しかし七日目の真昼、自然の火が水の中から現れ、船を焼いて沈没させました。王もまた焼かれ、恐怖と激しい苦しみの中で、ふいに沈んで命を終えました。

於是世尊即說偈言:

そこで、世尊は次のように詩を唱えられました。

「造憂後憂, 行惡兩憂, 彼憂唯懼, 見罪心懅。
今悔後悔, 為惡兩悔, 厥為自殃, 受罪熱惱。」

悪いことをすれば、今も憂い、後も憂います。悪を行った人は二つの憂いを抱き、心は恐れに怯えます。罪を見て心はおののき、今も悔い、後も悔います。悪を行えば二度悔やむことになり、それは自ら招いた災いとなり、その罪の苦しみに焼かれます。

佛說是已告諸比丘:「太子祇者,不貪榮位守死懷道,上生天上安樂自然;瑠璃王者,狂愚快意,死墮地獄受苦無數。一切世間豪貴貧賤,皆歸無常,無長存者。是以高士殞命全行,為精神寶。」佛說是時莫不信受。

仏がこのように説き終えると、すべての比丘たちに告げられました。「太子祇(ゴータマ太子)は、栄誉ある地位を貪らず、死を守って道を心に抱き続けたので、天上に生まれ、安楽で自然のままに暮らしています。瑠璃王は、愚かにも欲望のままに振る舞ったため、死後は地獄に堕ち、数えきれない苦しみを受けています。この世のすべての者、身分の高い者も低い者も、みな無常に帰し、永遠に存続する者はいません。ですからすぐれた人は、命を懸けて行いを全うし、それを精神の宝とするのです。」仏がこのように説かれたとき、誰もが信じ受け入れました。

昔耆闍崛山後有婆羅門七十餘家,宿福應度,佛到其村現道神化,眾人見佛光相巍巍莫不敬伏。佛坐樹下問諸梵志:「居此山中為幾何世?有何方業以自供給?」答曰:「居此以來三十餘世,田作畜牧以此為業。」又問:「奉脩何行求離生死?」答曰:「事日月水火,隨時祭祠。若有死者,大小聚會,唱生梵天以離生死。」佛語諸婆羅門:「夫田作畜牧祭祠日月水火唱叫生天,非是長存離生死法。極福無過二十八天,無有道慧還墮三塗;唯有出家修清淨志,履行寂義可得泥洹。」

昔、耆闍崛山の後ろに、婆羅門が七十余戸ありました。過去の福徳によって救われるべき人々でしたので、仏はその村へ行き、道の神変をお示しになりました。人々は仏の輝くお姿を見て、誰もが敬い伏しました。

仏は木の下に座り、梵志たちに尋ねました。「この山に住んで何代になりますか。どんな仕事で暮らしを立てていますか。」

人々は答えました。「ここに住んでから三十余代になります。田畑を耕し、家畜を飼って、それを仕事としております。」

仏はさらに尋ねました。「どんな修行をして、生死を離れることを求めていますか。」

人々は答えました。「日月と水火に仕え、時期に応じて祭りを行っています。もし死者が出ますと、老いも若きも集まり、唱えて梵天に生まれ、生死を離れると言っております。」

仏は婆羅門たちに告げました。「田畑を耕し家畜を飼い、日月水火を祭り、唱えて天に生まれることを願うのは、永遠に続く生死を離れる法ではありません。最高の福徳でも二十八天を超えることはなく、道と慧がなければ、また三途に堕ちてしまいます。ただ出家して清らかな志を修め、寂の義を実践してこそ、泥洹を得ることができるのです。」

於是世尊即說偈言:

そこで、世尊は次のように詩を唱えられました。

「以真為偽, 以偽為真, 是為邪計, 不得真利。
知真為真, 見偽為偽, 是為正計, 必得真利。
世皆有死, 三界無安, 諸天雖樂, 福盡亦喪。
觀諸世間, 無生不終, 欲離生死, 當行道真。」

真を偽とし、偽を真とする、これが邪な計らいであり、真の利益を得ることはできません。真を真と知り、偽を偽と見る、これが正しい計らいであり、必ず真の利益を得ることができます。世のものはみな死に、三界に安らぎはありません。天の者たちは楽しんでいても、福が尽きればやはり滅びます。世間を見渡せば、生まれて終わらないものはありません。生死を離れたいと願うなら、道の真を歩むべきです。

七十婆羅門聞佛所說,欣然意解願作沙門。佛言:「善來比丘!」鬚髮自墮,皆成沙門。佛與比丘共還精舍,至於中路,顧戀妻息各有退意,時遇天雨益懷憂慘。佛知其意,便於道邊化作數十間舍,入中避雨,而舍穿漏。佛因舍漏而說偈言:

七十人の婆羅門は、仏の説かれた教えを聞いて、喜んで心が解け、出家して沙門になることを願いました。仏は「善いかな、比丘よ」と言われました。すると、ひげも髪も自然に落ち、皆が沙門になりました。仏は比丘たちとともに精舎へ帰る途中、道の半ばで、比丘たちは妻子を恋しく思って、それぞれに心が後ろ向きになっていました。ちょうどそのとき天の雨に遭い、いっそう悲しみに沈んでいました。仏はその心を知って、道のほとりに数十軒の家を化現し、中に入って雨を避けましたが、その家は雨漏りがしました。仏は雨漏りにちなんで、偈を説かれました。

「蓋屋不密, 天雨則漏, 意不惟行, 婬泆為穿。
蓋屋善密, 雨則不漏, 攝意惟行, 婬匿不生。」

屋根が隙間だらけなら、 雨が漏れてきます。 心の行いを正さなければ、 欲に流されて穴が開きます。 屋根をしっかりふさげば、 雨は漏れてきません。 心を整えて行いを正せば、 欲は入り込めません。

七十沙門聞說此偈,雖強自進猶懷瞢瞢,雨止前行。地有故紙,佛告比丘取之,受教即取。佛問比丘:「以為何紙?」諸比丘白佛:「此裹香紙,今雖捐棄處香如故。」佛復前行,地有斷索,佛告比丘取之,受教即取。佛復問曰:「此何等索?」諸比丘白佛:「其索腥臭,此繫魚之索。」佛語比丘:「夫物本淨,皆由因緣以興罪福,近賢明則道義隆,友愚闇則殃罪臻。譬彼紙索近香則香,繫魚則腥,漸染翫習各不自覺。」

七十人の修行者がこの偈を聞いて、無理に自分を励ましてもなお心はぼんやりとしていたが、雨がやんだので先へ進みました。地面に古い紙があったので、仏は修行者たちに「それを取ってきなさい」と言われ、教えのままに取ってきました。仏は修行者たちに問いました。「これは何の紙か。」修行者たちは仏に申し上げました。「これは香を包んだ紙です。今は捨てられていますが、香りはもとのままです。」仏はさらに先へ進まれ、地面に切れた縄があったので、仏は修行者たちに「それを取ってきなさい」と言われ、教えのままに取ってきました。仏はまた問いました。「これは何の縄か。」修行者たちは仏に申し上げました。「その縄は生臭く、魚を縛っていた縄です。」仏は修行者たちに言われました。「もともと物は清らかであり、すべては因縁によって罪や福が生じます。賢く明るい人に近づけば道義は栄え、愚かで暗い人を友とすれば災いと罪が至ります。あの紙や縄のように、香に近ければ香り、魚を縛れば生臭くなり、次第に染まり慣れ親しんで、それぞれ自分では気づかないものです。」

於是世尊即說偈言:

そこで、世尊は次のように詩を唱えられました。

「鄙夫染人, 如近臭物, 漸迷習非, 不覺成惡。
賢夫染人, 如附香熏, 進智習善, 行成芳潔。」

身分の低い者は人に悪い影響を与えます。ちょうど、臭いものに近づくと、いつのまにか悪い癖が身についてしまい、自分でも気づかないうちに悪くなってしまうようなものです。一方、立派な人はよい影響を与えます。ちょうど、香りを身にまとうと、知恵が育ち、よい行いを重ねて、その行いが清らかで芳しいものになるようなものです。

七十沙門重聞此偈,知家欲為穢藪,妻子為桎梏,執信堅固。往至精舍,攝意惟行,得羅漢道。

七十人の修行者がこの偈を再び聞いて、家庭というものは汚れの集まる場所であり、妻子は足かせのようなものだと知り、信の心をしっかりと固めました。そして精舎へ赴き、心を落ち着けてひたすら修行し、阿羅漢の道を得たのです。


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