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  1. 仏説自誓三昧経 (佛說自誓三昧經)
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仏説自誓三昧経 (佛說自誓三昧經)

「佛說自誓三昧經」について

後漢 · 底本の訳者:安世高

3,387 字 · 約 11 分

『仏説自誓三昧経』は、後漢の訳経家である安世高によって漢訳された、初期中国仏教における重要な経典の一つです。本経は大乗仏教の体系に属し、内容は仏陀が自らの誓いによって三昧の境地に証入された様子を記述し、修行者がどのように自力による誓願と禅定の実践を通じて、覚りと解脱に至るかを説いています。経中では、心の本性は本来清浄であること、自性によって自らを度するという思想が強調されており、後世の禅宗や浄土思想にも深い影響を与えました。この経典は、仏教が中国に伝来した初期の訳経の特徴を反映しているだけでなく、漢代仏教の発展と禅観の修行を研究する上でも重要な文献であり、仏教経典の中でも独特の地位を占めています。


佛說自誓三昧經(獨證品第四出比丘淨行中)
後漢安息三藏安世高譯
聞如是:
一時佛遊摩竭提界梵志精廬大叢樹間珓露精舍,所止道場名曰顯颺獨證,初始得佛光影甚明,自然寶零蓮華之座,與大比丘眾比丘三萬二千,皆阿羅漢諸漏已盡,意所總持總攝諸根,三世自在神通無礙,譬如大龍所作已辦,聖慧具足暢眾生原,賢者舍利弗、大目揵連等;菩薩無數,皆不思議權行普具,遊諸佛藏過諸魔行,等恒沙剎弘慈六度,隨時拯濟眾生獲安,遠捨名教,光世音、慈氏等如是上首者也。於是如來便入神靜化證三昧,普感恒沙諸佛世界,於佛座前,忽有蓮華座自然踊從地出,其華清香明徹十方,其華千葉,一一葉上有化菩薩,立侍祥序玄處虛空,各從其位五體投地,右繞七匝當前恭立,俱發洪音歎未曾有:「唯然世尊!我等自於本剎見有化靈瑞樹,其樹初生光照恒沙諸佛世界,樹出洪音其聲清淨,哀雅慈和暢入眾心,聞者踊躍具足平等,興大乘行六度無極,三十七品備悉佛事。」

あるとき、仏はマガダ国の領内にある修行者の精舎、大いなる樹木の間にある「珓露精舎」に滞在されていた。その修行の場は「顕揚独証」と名付けられ、仏が悟りを開かれた最初の地であり、その光は非常に明るく輝き、自然に宝の蓮華の座が現れた。

そこには、三万二千人の大比丘たちが共にいた。彼らは皆、阿羅漢であり、すでにすべての煩悩を滅し、心を完全に集中し、すべての感覚を統御していた。過去・現在・未来の三世にわたり自在であり、神通力は何の障害もなかった。彼らはあたかも大龍のように、なすべきことを成し遂げ、聖なる智慧を完全に備え、すべての衆生の根本を理解していた。その中には、賢者の舎利弗や大目揵連らがいた。

また、無数の菩薩たちもいた。彼らは皆、はかり知れないほどの智慧と方便を完全に具え、諸仏の教えの宝庫を巡り、あらゆる悪魔の行いを超越していた。彼らはガンジス河の砂粒のように無数の仏国土において、大いなる慈悲と六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を広く実践し、時に応じて人々を救い、安らぎを得させていた。名声や形ある教えを遠く離れ、光世音(観世音)菩薩や慈氏(弥勒)菩薩などが、このような上首の菩薩たちであった。

そのとき、如来(仏)は神妙な静寂と証の三昧(深い瞑想)に入り、ガンジス河の砂粒のように無数の諸仏の世界をすべて感じ取られた。すると、仏の座の前に、忽然として蓮華の座が自然に地から湧き出た。その蓮華は清らかな香りを放ち、その光は十方の世界を明るく照らした。その蓮華には千の花びらがあり、その一つ一つの花びらの上には化現した菩薩たちが立ち、整然と虚空に控えていた。彼らはそれぞれの場所から五体投地し、右に三回巡ってから前に進み出て敬虔に立ち、声を揃えて未曾有の讚嘆の言葉を発した。

「唯然、世尊よ! 私たちはそれぞれの仏国土において、ある不思議な霊瑞の樹が現れるのを見ました。その樹は生まれたときから、その光がガンジス河の砂粒のように無数の諸仏の世界を照らしました。その樹からは大きな清らかな音が響き、その音は哀れみ深く慈しみに満ち、清らかで人々の心に染み入りました。それを聞いた者は皆、喜び踊り、完全な平等心を具え、大乗の修行、すなわち六波羅

爾時恒沙世界一一如來,各遣菩薩宣揚道教光顯大乘,告其菩薩曰:「汝等從此佛土,度如恒沙等剎有佛土,名曰娑呵(漢言忍界),其佛名能仁如來、無所著、至真、等正覺,以法律、神足、言教作佛事。」一一如來手執千葉蓮華,授其菩薩而告之曰:「汝持吾名致敬無量,欣承正士功成志就道體備足,降神五濁為眾重任,超次踔第在彌勒前,弘慈六度普濟群生,興居輕利道教勝常,今致此華成法供養,願使一切普會道場。」彼諸菩薩承佛威神,各從其剎忽然不現,潛定寂靜三昧入觀三昧,須臾之頃俱到忍界,各離其坐端嚴恭立,歸崇聖化五體投地,退繞七匝却住本位,神足玄處威儀肅然,法服正齊俱發洪音,前白佛言:「我等世尊本土如來致敬無量,欣承功成志就道體備足,降神五濁為眾重任,超次踔第在彌勒前,弘慈六度普濟群生,興居輕利道教勝常。今贈此華成法供養,願使一切普會道場。」

そのとき、無数の世界のそれぞれの如来が、それぞれの菩薩を遣わして教えを宣揚し、大乗の教えを輝かせようとされました。そして、その菩薩たちに告げて言われました。「あなたたちは、この仏国土から、無数の仏国土を経て、『娑呵』(この世界では忍界と訳す)という名の仏国土に赴きなさい。そこにおられる仏は、能仁如来、無所著、至真、等正覚と名づけられ、教え(法)と戒律(律)、神通力、そして言葉による教えによって仏の事業を行っておられる。」そして、それぞれの如来は千の葉を持つ蓮華を手に取り、それを菩薩に授けて、こう告げられました。「あなたは、私の名をもって、無量の敬意をあの方に伝えなさい。真実の修行者よ、その功績が成り、志が成就し、道の体が完成したことを心から喜びます。五濁の汚れた世に身を降ろし、衆生の重い責任を担い、弥勒菩薩に先んじて、その位を超えて進み、広大な慈悲と六つの波羅蜜をもって全ての者を救済されています。日々の生活は安楽で、教えはいつにも増して勝れています。今、この蓮華を贈り、法の供養とします。どうか、全ての者がともに悟りの道場に集うことを願います。」これらの菩薩たちは、仏の威神力によって、それぞれの仏国土から忽然と姿を消し、静かな三昧、観察の三昧に入りました。瞬く間に、彼らは皆、忍界に到着し、それぞれの座を離れて、端然と恭しく立ち、聖なる教えに帰依し、五体を投げ打って礼拝しました。そして、一歩下がり、七回周囲を巡ってから元の場所に立ち、神足通によって見事に姿を現し、威儀は厳かに整い、法衣を正しく整え、そろって大きな声で、仏の前にこう申し上げました。「我々の世尊である、本国の如来が、無量の敬意をあなたに送っています。功績が成り、志が成就し、道の体が完成したことを心から喜んでおります。五濁の汚れた世に身を降ろし、衆生の重い責任を担い、弥勒菩薩に先んじて、その位を超えて進み、広大な慈悲と六つの波羅蜜をもって全ての者を救済されています。日々の生活は安楽で、教えはいつにも増して勝れています。今、この蓮華を贈り、法の供養とします。どうか、全ての者がともに悟りの道場に集うことを願います。」

佛言:「正士!欣承彼諸如來慧教不惓,三昧通暢法身空淨智明弘備,此彼等一欽歌所聞光慶無量。」爾時能仁如來手受此華,欣然而笑,光從口出普照十方恒沙無量諸佛世界,便以此華等散恒沙無量諸佛,亦以光明普洞通徹恒沙世界,一一眾生蒙佛慈光,皆得慧觀達識宿命,展轉相照照下地獄,三惡八難、天堂人中,盡蒙慈光皆得解脫,百千眾生盡同一意,普發無上正真道心。其光尋還繞身三匝滅於頂上。

釈尊がおっしゃいました。 「優れた方よ。あなたが諸仏の智慧の教えを欣んで聞き、飽くことなく、三昧に通達し、法身は空にして清らか、智慧の光明は広く備わり、こことあちらの世界が一つとなって、聞いた教えを称え歌い、その光と恵みに限りがないことを、私は嬉しく思います。」

その時、能仁如来(釈尊)は手でこの花を受け取り、喜びの笑みを浮かべられました。その光は口から放たれ、十方の無数の諸仏の世界を普く照らしました。そして、この花を無数の諸仏の世界に等しく散らし、また光明をもって無数の世界を隅々まで照らし通しました。

一人ひとりの衆生は仏の慈しみの光を受け、皆、智慧の観察を得て、過去世のありさまを知ることができました。その光はさらに次々と照らし伝わり、地獄にまで届きました。三悪道、八つの難処、天界や人間界に至るまで、すべての者が仏の慈光に触れ、苦しみから解き放たれました。何百千もの衆生がみな同じ心となり、一斉に無上正真の道心を発しました。

その光はやがて戻り、如来の体を三度巡って、頂上に消え入りました。

爾時恒沙等諸佛盡通相見,諸佛威神普使眾生並得見佛,現變畢訖廓如常故。

そのとき、ガンジス川の砂の数ほどもいる諸仏が、互いに全てを見通せるようになりました。諸仏の威光と神通力は、すべての衆生が等しく仏を見ることができるようにするものでした。こうして変現が終わると、再び元のように広々とした常の状態に戻りました。

於是座中有菩薩名曰賢儒,即於佛前以偈讚曰:

そこで、その席の中に賢儒という名の菩薩がいて、仏の前で偈を捧げて讃えた。

「妙哉大聖化, 愍哀群萌類,
從無央數劫, 積累功德行。
一一功德行, 有若干百千,
百福成一相, 願禮三世尊。
妙哉大聖化, 慈慧無有邊,
道教清且貴, 釋師天中天。
大智高無上, 法船濟群生,
聖慧淨無量, 願禮無上尊。
妙哉大聖化, 慈光潤恒沙,
愚冥悉已除, 迷悟反濁清。
惠澤隨時宜, 善權接群生,
法橋度一切, 願禮三界尊。」
於是聖師告賢儒曰:「諸佛法笑有三因緣。何謂為三?薩云若智深遠微妙,明暢三世達眾生原,三乘趣向各有本行根信具足,或有菩薩志存弘誓,被大德鎧為眾重任,斷所趣向為世橋梁,專推六度不捨一切,道住漸著勇猛精進,布施無相戒忍護行,禪定不亂慧智清明向不退轉。是等,賢儒!佛眼悉見一一受決;非但一佛授其人決,十方現在諸佛皆授其決。是一因緣。

そこで聖師は賢儒に告げて言われた。「諸仏の微笑みには三つの因縁がある。その三つとは何か。サルヴァジュニャ(一切智)の智慧は深遠で微妙であり、三世を明らかに照らし、衆生の根源に達し、三乗の趣向にはそれぞれ固有の修行と根機・信心が具わっている。あるいは菩薩の中には、大きな誓願を抱き、大いなる徳の鎧をまとって衆生の重責を担い、趣向を断ち切って世の架け橋となり、ひたすら六波羅蜜を推進し、一切を捨てず、道に安住して徐々に染まり、勇猛精進し、無相の布施・戒・忍辱の行を守り、禅定に乱れることなく、智慧清明にして不退転に向かう者もいる。これらの者たちを、賢儒よ、仏の眼は全てを見通し、一人ひとりに受記を授けるのである。ただ一仏がその者に受記を授けるだけでなく、十方に現存する諸仏も皆、その者に受記を授ける。これが一つの因縁である。

「復次賢儒!若有菩薩向阿惟顏,積殖德本具足聖慧,供養恒沙無量諸佛,一一受決,決決相明,明淨佛土,等潤眾生普同一行,招來諸佛賢聖大仁,於四駛流為大法船,竭六欲海枯十二門,入五道、淨五眼,凝神玄寂處兜術宮,集諸菩薩達士正士,淨三界行講不退輪。十方現在諸佛,於四部眾皆共讚歎如此菩薩,稱揚其德,言當降神作佛不久,十方眾生普得解脫。是二因緣。

また、賢者よ。もし菩薩が阿惟顔(不退転の位)に向かい、徳本を積み、聖なる智慧を具足し、無量の諸仏を恒河の砂の如く供養し、一つ一つに授記を受け、その授記が互いに明らかとなり、明らかに仏国土を清め、衆生を等しく潤し、普遍的に同じ行を修め、諸仏・賢聖・大いなる慈悲の人々を招き集め、四つの激流において大法の船となり、六欲の海を尽くし、十二門(十二因縁)を枯らし、五道に入り、五眼を清め、心を凝らして玄寂の境地に遊び、兜術(兜率天)の宮に住み、諸々の菩薩・達者・正しい人々を集め、三界の行を清めて不退転の法輪を説くならば、十方の現在の諸仏は、四部の衆の中でこのような菩薩を共に讚嘆し、その徳を称え、『まもなく降神して仏となるであろう。十方の衆生は皆、解脱を得るであろう』と言うであろう。これが二つの因縁である。

「復次賢儒!若有菩薩於兜術宮,畢彼天壽當下降神,便入究竟廣現三昧。淨居諸天普觀三千大千之剎,國邑寬大眾生濡和,剎利梵志長者居士,何城何邑百億之中,有道有德清淨淳淑仁和慈惠,轉輪聖王正處天竺,議集降神諸天翼從,現居宮中侍女宿衛,現學盡俗觀四非常。淨居天子勸進出家,入山研精坐貝多樹,去髮自誓作比丘像,修先佛法以法為師,淨居為證。一夜三達降魔官屬,具足佛事。靈瑞之樹普出恒沙諸佛世界,一一如來,於其剎土八部眾中,讚歎座樹菩薩功德。如此各各遣其土菩薩往,贈華致敬讚揚大乘。如此賢儒!十方現在諸佛皆共知之,善慶眾生普會道場。是三因緣。

さらに、賢明なる学び手よ。もし菩薩が兜術天の宮殿において、その天界の寿命を終え、まさにこの世に降誕しようとするならば、その時、菩薩は「究竟広現三昧」という深い禅定に入ります。

すると、浄居天(じょうごてん)の天人たちは、三千世界の広大な国土をくまなく観察します。そこでは、国々は広く、民は穏やかで柔和です。また、王族・バラモン・長者・在家の信者たちのうち、どの国や町に、道徳があり、清らかで、仁愛と慈しみに満ちた、徳の高い転輪聖王がインドに正しく君臨しているかを調べます。

そして、彼らは集まって菩薩の降誕について相談し、天の従者たちと共に菩薩を守護します。菩薩は宮殿に現れ、侍女たちに守られながら、世俗の生活を学び、老・病・死・出家という四つの苦しみを目の当たりにします。

浄居天の天子たちは菩薩に出家を勧め、山に入って精進し、菩提樹の下に座るよう促します。菩薩は自ら髪を切り、比丘の姿をとって、先の仏陀たちの教えを修行し、法を師と仰ぎます。浄居天の存在がその証人となります。

ある夜のうちに、菩薩は三つの悟り(三達)を成就し、悪魔の軍勢を降伏させ、仏陀の教えを完全に成就します。この霊験あらたかな菩提樹の光は、ガンジスの砂の数ほどの無数の仏陀の世界に広がり、それぞれの如来は、自らの国土で八部の衆生を前に、この菩提樹の下での菩薩の功徳を讃えました。

そして、それぞれの仏陀の世界から菩薩たちが遣わされ、花を捧げて敬意を表し、大乗の教えを称賛します。このように、賢明なる学び手よ、今現在も十方に存在する仏陀たちはすべて、このことを知っており、善き喜びをもって多くの人々を道場へ

「是等菩薩來者,皆是如來本因緣人,因此說法皆當逮得無所從生,或向童真或向了生,向阿惟顏,故如來一一授決分明具足。當知,正士!佛不妄笑。」

これらの菩薩たちが来ているのは、みな如来と本来深い縁のある者たちだからです。そのため、この説法を聞いて皆、無所従生(生じるものがない境地)に達するでしょう。あるいは童真(菩薩の位)に向かい、または了生(生死を超える悟り)に向かい、阿惟顔(不退転の位)へと向かいます。それゆえ如来は一人ひとりに授記(未来の成仏を予言すること)を明確に、完全に与えられるのです。知っておくべきです、正しい教えを求める者よ。仏はみだりに笑うことはありません。

說是語時,七十億那術菩薩得童真位,六十億那術菩薩得了生位,三十億那術菩薩得阿惟顏,百千比丘得阿羅漢,九十億那術人得踐道迹,三界諸天普得法明。

この言葉が説かれたその時、七十億那由他の菩薩は童真の位を得、六十億那由他の菩薩は了生の位を得、三十億那由他の菩薩は阿惟顔を得、百千の比丘は阿羅漢果を得、九十億那由他の人々は道の跡を踏むことを得、三界の諸天はことごとく法の明らかさを得た。

於是聖師而作頌曰:

そこで聖なる師は、次のように偈を説かれました。

「法界一切空, 色身清淨真,
總持度無極, 三昧無有因。
佛界亦不空, 慧淨亦不有,
哀世表微笑, 正士宜速受。」

法界のすべては空であり、 色身(しきしん)は清らかで真実そのもの。 陀羅尼(だらに)は彼岸に至り、 三昧には因果もない。

仏の世界もまた空ならず、 智慧の清らかさも「ある」とはいえない。 世を哀れんで微笑みを示し、 正しき人は速やかに受け入れるべきである。

於是座中有菩薩,名曰明見光賢,即從座起,正衣服、偏露右臂,下右膝,長跪叉手,前白聖師:「願有所問,唯聖師,以無量慧照釋未聞。」

その時、会座の中に明見光賢という菩薩がいました。彼は座を立ち、衣を正し、右肩を露わにして、右膝をつき、長く跪いて合掌し、聖師の前に進み出て申し上げました。

「どうかお尋ねしたいことがございます。聖師よ、限りない智慧をもって、未だ聞いたことのない法を照らし、説き明かしてくださいませ。」

世尊曰:「善哉!恣汝所問,今當為汝具敷大要。」

世尊(釈尊)がおっしゃいました。「それはよろしい。その質問を自由に述べなさい。今からあなたのために、その核心を詳しく説き示しましょう。」

明見光賢菩薩曰:「何謂菩薩正士出家,具足道證至薩云然?」

明見光賢菩薩がお尋ねしました。「どのように出家した菩薩(正士)は、悟りへの道を完全に備え、一切智(さくうんねん)に至るのでしょうか?」

於是聖師告曰:「正士!善聽著意,具思其要。諸佛出家要有起發,端坐閑思玄靜通微。夫專精念道必有所感,應感者淨居天子、梵王自在,便勅帝釋化四非常老病死像,因此說證離欲苦難。念道清淨,當處山澤研精行禪,此意方興。四王已下給侍所當,詣貝多樹,憶念先佛出家之法,以法為師,天梵為證,信根內固,宿習六度,四等四恩四禪,行五神通善權隨時,三十七品具足佛事,發意已來不捨一切,忽然自悟。帝釋便下剃刀授之,於是菩薩左手執髮右手持刀,心自念言:『刈習苦垢,殖無著根,斷不退流,通泥洹源,從始起意常得去家,堅固之志心無懈惓,深不退轉信證具足意思分明。』刀未近髮忽便自墮,肉髻自然明顯。菩薩心念:『先佛出家去髮,應有袈裟法服。』檢心方興此念,淨居天子即取色界天劫波育自然袈裟以上菩薩:『惟願正士受是法服。』菩薩即受,以被著身,在體正齊威儀肅然,於是恒沙無量世界,諸佛盡通相見,各送袈裟授與菩薩,菩薩即受諸佛袈裟。彼此諸佛普現威神,盡令諸佛所送袈裟合成一服,名曰薩披佛頭震越。此衣今在梵天。所以端坐六年以畢宿緣,六年後夜戒證方現。何謂戒證?志在閑寂山澤受法,神真操遠持戒行道,不惜壽命棄捐身體,齊等萬物不求利養,守空行寂常觀淨法,行淨四等慈悲喜護,宣暢四恩惠施人愛,利人等利具無蓋哀,明釋四禪無瑕穢、無黠念,遠眼色,捨耳聲,止鼻香,絕口味,外更樂,息意念,滅六欲,棄本習,色止,色聲香止,味樂味止,樂念止,念淨色生,斷耳聲,靜鼻根,拔口力,息樂定住覺意;色非色,無非色,無滅色,不色色,捨諸大,棄本習;聲非聲,無非聲,不聲聲,捨彼受,止此起,無緣對,歸本斷;香非香,不非香,不香香,神空淨,淨神足;味非味,不非味,不味味,寂微弱,強根力;樂非樂,不非樂,不樂樂,四大淨,淨本住。心意識,緣七法,七法淨,淨所向,心無心,不心心,意無意,不意意,識無識,不非識,不識識,非意識,合為一。以知一而除一,不於一而有動,空本地,淨本向,棄名譽,捨諸入,無種性,不群從,遠刑法,無吾我,無人壽,捨命求,無三界想,無識無吾,無我無人,無命無意,無名無種,無化無數無作,無所從來,無所從去,無起無滅,無身無犯,無口無言,無心無念,無世事,無計想,無事緣,無所住,亦無有戒,亦無有持,無成念,無敗壞,是名禁戒、內外淨戒、佛禁戒。無瑕穢,亦無著戒者,無瞋無恚,安定清淨,就度世道。
「菩薩正士,初坐樹下,始淨戒證,棄欲苦本,捨分散意,無起想,不動想,不微想,不我想,不彼想,不中想。不彼此想,不中外想,無道想,無俗想,無滅想,滅無想無,無無想想,無無無想,盡無盡想。如是正士!坐樹菩薩立證淨本千八百戒。此數始訖,金剛之座忽然從地裂而出,第六魔宮而大傾動,三界諸天不安本位,皆共俱下詣貝多樹,供侍所當。恒沙世界忽有洪音,洪音之中云:『坐樹菩薩是夜啟證。』眾生各各皆聞皆見。如是正士!是為菩薩具足戒證成薩云然,三達六通,三十七品,十八不共,十力神通,四無所畏,一切普具。三千世界六反震動,功德降魔,光明普照恒沙世界,眾生蒙此慈光一時得安,普發無上正真道意。」

「菩薩さま、正しき方よ。初めて樹の下に座り、戒の清らかなる証を得て、苦しみの根本である欲望を捨て、散り乱れる心を離れました。そして、起こる想いもなく、動く想いもなく、微かな想いもなく、我という想いもなく、彼という想いもなく、中間という想いもありません。彼と我の想いもなく、内と外の想いもなく、道の想いもなく、俗の想いもなく、滅の想いもなく、滅する想いさえなく、無想という想いもなく、無想さえもない想いもなく、尽きる想いもなく、尽きない想いもありません。 このように、正しき方よ!樹の下に座った菩薩は、清らかなる戒の根本である千八百の戒を証し確立されました。この数を終えた時、金剛の座が突然、地から裂けて現れ、第六の魔宮は大きく揺れ動き、三界の諸天は本来の場所に安んじていられず、皆ともに下りて貝多樹の所に至り、必要なものを供養し侍りました。また、恒沙世界に突如として大きな響きがあり、その響きの中で『樹の下に坐す菩薩は、今夜、証を啓く』と告げられました。人々はそれぞれ皆、その声を聞き、その姿を見ました。 このように、正しき方よ。これが菩薩が戒の証を具足し、薩雲若(一切智)を成就されることです。三達、六通、三十七品、十八不共法、十力、神通、四無所畏、あらゆるものが完全に備わりました。三千世界は六たび大きく震動し、功徳は魔を降伏させ、光明は恒沙世界に普く照らしました。人々はこの慈しみの光に触れて一時に安らぎを得、皆、無上の正しい真実の道への心を発しました。」

佛說是時,八百比丘得阿羅漢,三萬天人皆得法眼,三千清信士得阿那含,賢儒正士等皆還了生,一切眾會普發無上正真道意。

仏がこの説法を終えたとき、八百人の比丘が阿羅漢の悟りを得、三万人の天人が法の眼を開き、三千人の清らかな信者が阿那含の境地に達しました。また、賢明な学び人たちは皆、迷いの生を終え、すべての参会者がことごとく無上の正しい悟りを求める心を起こしました。

於是聖師,告賢儒曰:「昔吾一時遊句睒彌國,爾時天魔部黨,忽與部屬來入大眾,作異被服,與眾同處動共諍訟,更相誹謗兩頭謳合,生死比丘不閑道體,恚心忿惱各自離群馳散,惟羅漢真人各之山林。爾時,賢儒!夏三月已過歲暮已至,當鉢和蘭十四日夜明星出時,唯勅阿難鳴揵𢹌布草褥,唯與阿難共鉢和蘭。爾時淨居天子於虛空中白佛:『世尊!今比丘眾各共分散,今佛受歲何其獨自?』佛告天子:『昔吾出家以汝為證,詣貝多樹汝復為證,今我受歲汝復為證,於閻浮利回周三千,無量世界多薩阿竭成薩云然。凡從得佛至于泥曰,汝為三證明體具足。當知天子!多薩阿竭道慧神通,獨步三界由復須證,而況一切凡為道者可無師乎?』又告淨居:『末世多人志存清白,道心貞明不樂世俗隱處山林,審有去家堅固之志。若無師長可宗法者,當如摩訶迦葉出家之法,遠欲欲捨為證,遠俗俗捨為證,遠名譽譽捨為證,遠形法忘形為證,遠內外求捨求為證。如是等,天子!摩訶迦葉以此五證,便下鬚髮被袈裟,師自然法淨,感十方諸佛求哀自陳,仰惟佛出家之法,稱淨居為證三證分明,便成比丘,專行十二頭陀,一一堅固無起想證。爾時迦葉即於樹下具五神通,末後見佛六通即備。如是天子!末世比丘善思此法,莫自貢高求名毀眾以望供養,亦不可苟有此法,背眾不師,於師,此法,謂都無比丘眾可為師者慕行此法,若有僧者當求僧為證,佛法眾,此三寶,等於如來故,多薩阿竭稱明律比丘僧眾以為上頭,當知,天子!比丘僧中必有三乘。』」說是語時,淨居天子及八部眾,聞經歡喜,作禮而去。

そこで聖なる師は賢明な儒学の徒に告げられた。「かつて私は一時、句睒彌国に滞在していた。その時、天魔の仲間たちが突然その眷属を連れて大衆の中に現れ、異なる衣をまとい、人々と共にありながら、いたるところで争いを起こし、互いにののしり合い、二枚舌を使い、調和を乱した。生死に迷う比丘たちは道の本質を理解せず、怒りや悩みに心を惑わされ、それぞれ群れを離れて逃げ散った。ただ阿羅漢となった真人だけがそれぞれ山や林に隠れた。

あの時、賢明な徒よ! 夏の三ヶ月が過ぎ、年の終わりが来て、鉢和蘭(自恣)の日の十四夜、星が現れる頃となった。そこで私はただ阿難に命じて槌を鳴らし、草の座を敷かせ、阿難と共に鉢和蘭を行った。 その時、浄居天子が虚空の中で仏に申し上げた。『世尊よ! 今、比丘たちは皆散り散りになっています。仏がただお一人で自恣を受けられるとは、どういうことでしょうか?』 仏は天子に告げられた。『かつて私が出家した時、あなたが証人となった。ベッダ樹の下に行った時も、あなたが証人となった。今、私が自恣を受けるに当たっても、あなたが証人となりなさい。閻浮提(この世界)を巡り、三千の無量の世界において、多薩阿竭(如来)はさとりを完成された。私が仏となってから般涅槃に入るまで、あなたは三度の証拠となり、その証明は完全に備わっている。知るがよい、天子よ! 多薩阿竭の道の智慧と神通力は三界に独歩するが、それでもなお証拠を必要とするのである。ましてや、道を求める全ての者が師を要せずにいられようか?』 また、浄居天子に告げられた。『末法の世には、多くの人が清らかな志を抱き、道心は真実に明らかで、世俗を好まず、山や林に隠れ住むことを望むであろう。確かに、出家の堅固な志を持つ者もいるだろう。しかし、もし師や長として遵うべき法の規範がないならば、摩訶迦葉の出家の法のようになすがよい。すなわち、遠ざけて欲を捨てることを証とし、遠ざけて俗を捨てることを証とし、遠ざけて名誉を捨てることを証とし、遠ざけて形(形式)を忘れることを証とし、遠ざけて内外の求めを捨て、求めることを捨てることを証とせよ。これら、天子よ! 摩訶迦葉はこの五つの証をもって、自ら髪を剃り、袈裟を着た。師は自然の法の清らかさであり、十方の諸仏に感じて、自らの思いを述べ、哀れみを求めた。心から仏の出家の法を思慕し、浄居を証として仰ぎ、三つの証が明らかとなれば、比丘となることができた。そして専ら十二頭陀行を実践し、一つ一つを堅固に保ち、想起して証を得るようなことはなかった。その時、迦葉はすぐに樹の下で五神通を具え、最後に仏に会って六通を完全に備えたのである。このように、天子よ! 末世の比丘たちはこの法をよく思惟しなさい。自ら高ぶって名声を求め、他者を謗り、供養を望んではならない。また、この法があるからといって、仲間を背き、師とせず、勝手に行ってはならない。もしも比丘の僧が全く師となり得る者がいない場合にのみ、この法を慕って行うことができるのだ。もし僧があるならば、僧を求めて証とすべきである。仏法僧、この三宝は如来と同じく尊いからである。ゆえに多薩阿竭は明律の比丘僧団を最も上位とされるのである。知るがよい、天子よ! 比丘の僧の中には必ず三乗(声聞・縁覚・菩薩)がいるのだ。』」

この言葉を説かれた時、浄居天子および八部の大衆は、この経を聞いて歓喜し、礼をして去って行った。

佛說自誓三昧經

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