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  1. 仏説大乗流転諸有経 (佛說大乘流轉諸有經)
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仏説大乗流転諸有経 (佛說大乘流轉諸有經)

「佛說大乘流轉諸有經」について

唐 · 底本の訳者:義淨

862 字 · 約 3 分

仏説大乗流転諸有経は、唐代の高僧・義浄法師によってサンスクリット語から漢訳されました。この経典は大乗仏教の経典に属し、衆生が無明によって業を造り、六道の中で流転輪廻する因果の法則を明らかにし、あらゆる存在の束縛から解脱する般若の智慧を説いています。経文は縁起性空と業力不滅の理を強調し、修行者が正しい見解によって煩悩を断ち切り、生死を超越することを導きます。この経典は、仏教の輪廻思想と業果の理論を研究する上で重要な典籍であり、漢伝仏教において崇高な地位を占め、後世の修行と教義の発展に深遠な影響を与えています。


佛說大乘流轉諸有經

仏説大乗流転諸有経

大唐三藏法師義淨奉 制譯

大唐三蔵法師義浄が勅命を受けて訳しました。

如是我聞:

私はこのように聞きました。

一時,薄伽梵在王舍城羯闌鐸迦池竹林園中,與大苾芻眾千二百五十人俱,并大菩薩摩訶薩,無量百千人天大眾,一心恭敬圍遶而住。爾時,世尊為說自證微妙之法,所謂初、中、後善,文義巧妙,純一圓滿,清淨鮮白,梵行之相。

ある時、薄伽梵は王舎城の羯闌鐸迦池にある竹林園におられ、千二百五十人の大比丘の僧たちとともにありました。また、大菩薩の摩訶薩たち、および数えきれないほどの百千の人間や天の大衆が、一心に恭敬しながら取り囲んでいました。その時、世尊は自ら証った微妙な法をお説きになりました。それは、初めも中も後も善く、文言と意義は巧みで、純一で円満であり、清らかで真っ白な、梵行の相でありました。

爾時摩揭陀主影勝大王,往竹林中禮世尊足,右遶三匝,在一面坐。時影勝王白佛言:「世尊!云何有情先所造業久已滅壞,臨命終時皆悉現前?又復諸法體悉空無,所造業報而不散失?唯願世尊哀愍,為我分別解說。」

そのとき、摩掲陀の王である影勝大王は、竹林へ行き、世尊の足を礼拝し、右に三度回ってから、一方に座りました。そこで影勝王は仏に申し上げました。「世尊、どのようにして、生きとし生けるものが以前に造った業は、すでに長く滅び去っているのに、命終のときになると、ことごとく眼前に現れるのでしょうか。また、もろもろの法の本体はすべて空であり無であるのに、造った業の報いが散り失せないのはなぜでしょうか。どうか世尊、哀れみをおかけになり、私のために分別してご説きください。」

爾時,世尊告影勝王曰:「大王當知,譬如男子於眠夢中,見與人間端正美女,共為稠密。既睡覺已,憶彼夢中所見美女,大王於意云何?於眠夢中人間美女是實有不?」

そのとき、世尊は影勝王に告げました。「大王、よくお聞きなさい。たとえば、ある男が眠っている夢の中で、人の世の端正な美女と共に睦み合っていたとします。やがて目を覚ましたあと、その男は夢の中で見た美女のことを思い出します。大王、あなたはどう思いますか。眠っている夢の中にいた人の世の美女は、本当に存在するのでしょうか。」

王言:「非有!」

王はおっしゃいました。「あるのではありません。」

世尊告曰:「大王於意云何?此之男子,於彼夢中所見美女,心生憶念戀慕不捨,可說此人是大博識明智者不?」

世尊は告げられました。「大王、あなたはどうお思いですか。この男性が、その夢の中で見た美女に心を惹かれ、恋い慕って忘れられないでいるとして、この人を博識で賢明な人だと言えるでしょうか。」

王言:「不爾!此是愚人,非明智者。何以故?由彼夢中人間美女,畢竟體空不可得故。豈能與彼而行稠密,令此男子情懷愛戀生憶念耶?」

王がおっしゃいました。「いいえ、そうではありません。これは愚かな者であり、賢明な者ではありません。なぜなら、かの夢の中の人が見た美女は、究極的にはその本体が空であり、得ることができないからです。どうしてその者と密接に交わって、この男性の心に愛情や恋しさを起こさせ、思いを抱かせることができるでしょうか。」

佛言:「大王!如是。愚癡無識凡人,眼見色時心生憙樂,便起執著;起執著已隨生顧戀,生顧戀已情懷染愛;起染愛故隨貪、瞋、癡,發身、語、意造作諸業。然此諸業作已滅壞,此滅壞時曾不依止東方而住,亦不依止南、西、北方,四維上下,至命終時意識將滅,所作之業皆悉現前。譬如男子從睡覺已,憶彼夢中所見美女影像皆現如是。

仏がおっしゃいました。「大王よ、そのとおりです。愚かで真理を知らない凡(ぼん)の人は、目で色かたちを見るとき、心に喜びと楽しみを生じ、そのまま執着を起こします。執着を起こすと、それに従って恋い慕う心が生じ、恋い慕う心が生じると、心は汚れた愛に染まります。汚れた愛を起こすゆえに、貪(とん)・瞋(しん)・癡(ち)に従い、身と口と心でさまざまな業(ごう)を作ります。しかし、これらの業は作ったあと滅び壊れます。この滅び壊れるとき、かつて東の方をよりどころとしてとどまることはなく、また南・西・北の方、四隅や上下をよりどころとしてとどまることもありません。命が終わるときには意識が滅びようとし、作った業がすべて目の前に現れます。たとえば男が眠りから覚めたあと、夢の中で見た美女の姿かたちを思い出し、その影像がすべて現れるようなものです。

「大王!前識滅已後識生時,或生人中,或生天上,或墮傍生、餓鬼、地獄。大王!後識生時,無間生起彼同類心,相續流轉,分明領受所感異熟。大王!曾無有法能從此世轉至後世,然有死生業果可得。大王當知,前識滅時名之為死,後識支起號之為生。大王!前識滅時無有去處,後識支起無所從來。所以者何?本性空故。大王!前識前識性空,死死性空,業業性空,後識後識性空,生生性空,而彼業果曾不散失。大王!如是應知,一切有情皆由愚惑不知非有,妄起顧戀輪迴生死。」

「大王!前の識が滅して後の識が生じるとき、あるいは人の世界に生まれ、あるいは天上に生まれ、あるいは畜生・餓鬼・地獄に堕ちます。大王!後の識が生じるとき、間断なくその同類の心が生起し、相続して流転し、感得した異熟をはっきりと領受します。大王!決して、この世から後の世へ移りゆく法はありません。しかしながら、死と生の業果は得られます。大王、知っておくべきです。前の識が滅するとき、これを死と名づけ、後の識が起こるとき、これを生と号します。大王!前の識が滅するとき、去る所はありません。後の識が起こるとき、来る所もありません。なぜならば、本性が空だからです。大王!前の識は前の識の本性が空であり、死は死の本性が空であり、業は業の本性が空であり、後の識は後の識の本性が空であり、生は生の本性が空です。しかし、かの業果は決して失われません。大王!このように知るべきです。すべての有情は、愚かさに惑わされて、存在しないものを存在しないと知らず、むやみに執着を起こして生死を輪廻しています。」

爾時,世尊欲重宣此義,說伽他曰:

そのとき、世尊はこの意味をもう一度説き明かそうとして、偈を唱えられました。

「諸法唯假名, 但依名字立,
離於能詮語, 所詮不可得,
皆以別別名, 詮彼種種法,
於名法非有, 是諸法自性。
由名名性空, 於名名不有,
諸法名本無, 妄以名詮名,
諸法皆虛妄, 但從分別生,
此分別亦空, 於空妄分別。
我說諸世間, 以眼見於色,
皆由邪計想, 是名為俗諦;
我說一切法, 皆是藉緣生,
是名近勝義, 智者當觀察。
眼不見於色, 意亦不知法,
是名勝義諦, 愚者不能知。」

諸法はただ仮名にすぎず、ただ名前によって立てられたものです。 表現する言葉を離れては、表現されるものは得られません。 すべてはそれぞれ別々の名前によって、それらの種々の法を表現しています。 名前と法は存在せず、これが諸法の自性です。 名前によって名づけられたものの本性は空であり、名前において名前は存在しません。 諸法の名はもともと無いもので、妄りに名前で名前を表現しているのです。 諸法はみな虚妄であり、ただ分別から生じます。 この分別もまた空であり、空に対して妄りに分別しているのです。 私は諸世間について説きます。眼が色を見るというのは、 みな邪しい計想によるもので、これを俗諦と名づけます。 私は一切法について説きます。すべては縁によって生じるもので、 これを近き勝義と名づけます。智者はよく観察すべきです。 眼は色を見ず、意も法を知りません。 これを勝義諦と名づけます。愚かな者は知ることができません。

爾時,世尊說此法已,摩揭陀主影勝大王深心頂受。時諸苾芻,及大菩薩、人天等眾,皆大歡喜,信受奉行。

そのとき、世尊がこの法をお説きになると、摩掲陀の王・影勝大王は心の底から頂き受けました。そのとき、多くの比丘たち、および大菩薩、人や天などの集まりは皆、大いに喜び、信じて受け入れ、実践しました。

佛說大乘流轉諸有經

仏説大乗流転諸有経


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