說無生第五
無生を説く第五
謂正見師子生時。但是金生 上句妄法隨緣。下句真性不變。偈云。如金作指環。展轉無差別。
正しい見解を説く師子が生まれた時、それはただ金が生じたに過ぎない。上の句は、妄りの法が縁に随って現れることを示し、下の句は、真実の本性が変わらないことを示す。偈に云う、「金が指輪を作るが如く、転変しても差別はない」と。
金外更無一物 離不變之性無隨緣之相。問明品云。未曾有一法。得入於法性。
金のほかには、何一つものはない。変わらない本性を離れて、縁に従う相はない。「問明品」に云く、「いまだかつて一つの法として、法性に入るを得るものはあらず」と。
師子雖有生滅。金體本無增減 成事似生。而金性不增。則起唯法起也。體空似滅。而金性不減。則滅唯法滅也。
獅子は生滅があっても、金の本体はもともと増減がない。 物事が成るのは生じるように見えても、金の本性は増えない。 起きるのはただ法が起きるだけである。 本体が空であるのは滅するように見えても、金の本性は減らない。 滅するのはただ法が滅するだけである。
故曰無生 大經云。蘊性不可滅。是故說無生。又云。空故不可滅。此是無生義。疏云。無生為佛法體。諸經論中皆詮無生之理。楞伽說。一切法不生。中論。不生為論宗體。
ゆえに無生という。大経に説く。蘊の本性は滅することができない。それゆえに無生と説くのである。また説く。空なるがゆえに滅することができない。これが無生の意味である。疏釈に説く。無生が仏法の本体である。諸々の経論の中には、すべて無生の理を説き明かしている。楞伽経は、一切の法は生じないと説く。中論は、不生を論の根本とする。