佛說九橫經
後漢安息國三藏安世高譯
後漢安息国三蔵法師・安世高訳
佛在舍衛國祇樹給孤獨園。佛便告比丘:「有九輩九因緣,命未盡便橫死:一者、為不應飯為飯,二者、為不量飯,三者、為不習飯飯,四者、為不出生,五者、為止熟,六者、為不持戒,七者、為近惡知識,八者、為入里不時不如法行,九者、為可避不避。如是為九因緣,人命為橫盡。
仏は、ジェータ林の孤独園(祇園精舎)にいらっしゃいました。そこで仏は修行者たちに告げられました。「命が尽きる前に、不慮の死を遂げる原因が九つあるのです。
第一は、食べるのに適さないものを食べること。 第二は、食事の量をわきまえないこと。 第三は、習慣に合わないものを食べること。 第四は、消化を促さないこと(排泄をしないこと)。 第五は、食べたものを熟成させずに置くこと(消化不良や不衛生な状態を放置すること)。 第六は、戒律を守らないこと。 第七は、悪い仲間と親しく交わること。 第八は、村などに入るときに時機を選ばず、また道理に外れた振る舞いをすること。 第九は、避けるべき危険を避けないこと。
この九つの因縁によって、人の命は期せずして尽きてしまうのです。」
「一、不應飯者,名為不可意飯,亦為以飽,腹不停調。
一、避けるべき食事とは、心にかなわない食事、つまり単に腹を満たすだけのもので、胃腸の調子を整えないものをいいます。
「二、不量飯者,名為不知節度,多飯過足。
二、食事の量をわきまえず、満腹になるまで食べ過ぎてしまうことを、「節度を知らない」といいます。
「三、不習飯者,名為不知時冬夏,為至他國郡,不知俗宜,不能消飯,食未習故。
三、食べ物に慣れていないとは、時節(冬や夏)をわきまえず、他国の地域へ行っても、その土地の習慣に合った食事を知らず、食べ物をうまく消化できないことである。これはまだ食事に慣れていないからである。
「四、不出生者,名為飯物未消,復上飯,不服藥吐下,不時消。
四つ目、「不出生」とは、食べ物がまだ消化されていないのに、再び食事をとることです。薬を飲んで吐き出したり下したりせず、適切な時に消化しない状態を指します。
「五、為止熟者,名為大便、小便來時,不即時行,噫、吐、啑、下風來時制。
5.「熟するを止(とど)むる」とは、大便・小便が来た時にすぐに行かず、げっぷ・吐き気・くしゃみ・おならが来た時に我慢することです。
「六、不持戒者,名為犯五戒——殺、盜、犯他人婦、兩舌、飲酒——亦有餘戒,以犯便入縣官,或絃死,或捶杖、利刃所斫刺,或辜飢渴而終;或以得脫,從怨家得手死,或驚怖念罪憂死。
六、戒律を守らない人は、五つの戒め——殺生、盗み、他人の妻を犯すこと、二枚舌、飲酒——を破ることになります。これら以外にも戒めはありますが、これらを犯すと役所の取り調べを受け、首を吊って死ぬか、鞭打ちや刃物で刺されて死ぬか、飢えや渇きの苦しみの中で命を落とすか、あるいは辛うじて逃れても、怨みを持つ者に手にかけられて死ぬか、罪の意識におののきながら憂い死にすることになります。
「七、為近惡知識者,名為惡知識已作惡,便反坐。何以故坐?不離惡知識故,不覺善惡,不計惡知識惡態,不思惡知識惡。
七、悪い知友に近づく者は、悪い知友であると名づけられ、すでに悪を行ったことになり、その報いを受けることになる。なぜ報いを受けるのか。悪い知友から離れないからである。善悪を自覚せず、悪い知友の悪い姿を顧みず、悪い知友の悪を思わないからである。
「八、為入里不時者,名為冥行,亦里有諍時行,亦里有縣官長吏追捕不避,不如法行者,入里妄入他家舍中,妄見不可見,妄聽不可聽,妄犯不可犯,妄說不可說,妄憂不可憂,妄索不可索。
八、村に入るのに適切な時でない場合、これを「暗夜の行い」と呼びます。また、村で争いが起きている時に行くこと、あるいは村で役人や役所の役人が追跡・逮捕を行っている時に、それを避けず、法に従わない行動を取ること。例えば、村に無断で入ったり、他人の家に勝手に入ったり、見てはいけないものを見たり、聞いてはいけないことを聞いたり、犯してはいけないことを犯したり、言ってはいけないことを言ったり、心配しなくていいことを心配したり、求めてはいけないものを求めたりすることです。
「九、為可避不避者,名為當避弊象、弊馬、牛犇、車、蛇虺、坑井、水火、拔刀醉人、惡人,亦餘若干惡。如是為九因緣輩人命未盡當坐是盡,慧人當識當避是因緣,以避乃得兩福:一者、得長壽;二者、以長壽乃得聞道,好語言亦能行。」
九、避けるべきものを避けない者にとって、これを「避けるべき弊象、弊馬、牛の暴走、車、蛇、毒蛇、坑井、水火、抜刀した酔人、悪人、またその他多くの悪しきもの」と呼ぶ。このように九つの因縁によって、人の命が尽きていないのに、これらによって尽きてしまうことがある。賢い人はこれらを認識し、これらの因縁を避けるべきである。それらを避けることによって二つの福を得る。一つ目は長寿を得ること。二つ目は長寿によって教えを聞くことができ、良い言葉を理解し、また実践できるようになることである。
諸比丘歡喜受行。
比丘たちは、喜んでこの教えを受け入れて実践しました。
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