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  1. 阿難問事仏吉凶経 (阿難問事佛吉凶經)
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阿難問事仏吉凶経 (阿難問事佛吉凶經)

「阿難問事佛吉凶經」について

後漢 · 底本の訳者:安世高

2,456 字 · 約 8 分

後漢時代に安世高が翻訳した『阿難問事仏吉凶経』は、初期の漢伝仏教における重要な経典です。この経典は、仏陀の弟子である阿難の問いを通じて、仏法を学ぶ者がいかに善知識に依り、正しい修行を行って吉祥の果報を得るべきかを説き、正法に背くことがもたらす不利益を指摘しています。経文は因果応報と戒律を守り善を修めることの重要性を強調し、迷信や占いを否定し、智慧に基づく正しい信仰を提唱しています。この経典は、仏教が中国に伝来した初期の社会的適応の思想を反映するだけでなく、信徒に日常の修行の指針を与え、漢伝仏教経典の中でも基礎的な地位を占めています。


阿難問事佛吉凶經

阿難が仏に問う 吉凶の経

後漢沙門安世高譯

安世高訳

阿難白佛言:「有人事佛得富貴諧偶者,有衰耗不諧偶者,云何不等同耶?願天中天普為說之!」

阿難が仏陀に申し上げました。「ある人は仏に仕えて富貴や幸運を得るのに、またある人は衰え損なって不運に見舞われます。どうしてこのように違いがあるのでしょうか。どうか天中の天よ、すべての人々のためにその理由をお示しください。」

佛告阿難:「有人奉佛,從明師受戒,專信不犯,精進奉行,不失所受,形像鮮明,朝暮禮拜,恭敬然燈,淨施所安,不違道禁,齋戒不厭,心中欣欣;常為諸天、善神擁護,所向諧偶,百事增倍;為天龍、鬼神、眾人所敬,後必得道。是善男子、善女人,真佛弟子也。

仏が阿難に告げられました。「ある人が仏を敬い、優れた師から戒めを受け、一心に信じて破らず、精進して実践し、受けた教えを失わず、仏像を清らかに保って、朝夕に礼拝し、敬って灯明を捧げ、清らかな施しを行い、道の禁戒に背かず、斎戒を厭わず、心は喜びに満ちている。常に天の神々や善い神々に守護され、向かうところすべてが調和し、百のことが倍増する。天・竜・鬼神・人々から敬われ、後には必ず道を得る。この善き男子、善き女人こそ、本当の仏の弟子である。」

「有人事佛,不值善師,不見經教,受戒而已。示有戒名,憒塞不信,違犯戒律,乍信乍不信,心意猶豫。亦無經像恭恪之心,既不燒香、然燈、禮拜,恒懷狐疑。瞋恚罵詈,惡口嫉賢,又不六齋,殺生趣手。不敬佛經,持著弊篋、衣服不淨之中;或著妻子床上不淨之處;或持掛壁,無有座席恭敬之心,與世間凡書無異。若疾病者,狐疑不信,便呼巫師,卜問解奏,祠祀邪神,天神離遠,不得善護,妖魅日進,惡鬼屯門,令之衰耗,所向不諧。或從宿行惡道中來,現世罪人也,非佛弟子,死當入泥犁中被拷掠治。由其罪故,現自衰耗,後復受殃,死趣惡道,展轉受痛,酷不可言,皆由積惡其行不善。

経典や師に従わず、ただ戒めを受けただけの人がいます。 戒めの名はあっても心は閉ざされ信じず、戒律を破り、時には信じ時には疑い、心は迷い続けます。 また、経典や仏像に対して敬意を払うことなく、香をたいたり灯明を捧げたり礼拝することもなく、常に疑いの心を抱いています。 怒りや憎しみ、悪口や妬みを言い、六斎日を守らず、命あるものを殺すことをためらいません。 仏経典を敬わず、汚れた箱や不潔な衣服の中に入れたり、妻や子の寝台の不浄な場所に置いたり、壁にかけたままにし、礼拝の席を設けることなく、世俗の書物と何ら変わりなく扱います。 病になったときも疑って信じず、巫師を呼んで占いや祭祀を行い、邪神を祀ります。 すると天神は遠ざかり、善き守護は得られず、妖しいものは日に日に進み、悪鬼は門に集まり、衰え消耗し、何事も思うようにいかなくなります。 あるいは前世の悪しき行いの道から来た者、すなわち現世の罪人であり、仏の弟子ではありません。 死後は地獄に落ち、拷問されるでしょう。 その罪によって、現世で自ら衰え苦しみ、後にはさらに災いを受け、死んで悪しき道へ向かい、転々と苦しみ続けるのです。 その苦しみは言葉にできぬほど酷く、すべては悪を積み、善行を行わなかったからにほかなりません。

「愚人盲盲,不思宿行因緣所之精神,報應根本從來,謂言事佛致是衰耗。不止前世宿祚無功,怨憎天地,責聖咎天,世人迷惑,不達乃爾。不達之人,心懷不定,而不堅固,進退失理,違負佛恩而無返覆,遂為三塗所見綴縛,自作禍福。罪識之緣,種之得本,不可不慎,十惡怨家,十善厚友,安神得道,皆從善生。善為大鎧,不畏刀兵;善為大船,可以度水。有能守信,室內和安,福報自然,從善至善,非神授與也。今復不信者,從後轉復劇矣!」

愚かな人々は暗闇にあり、過去世の行いや因縁によってもたらされた精神の報いの根本や来歴を考えようとしません。「仏教を信仰することでかえって衰えや損害を受ける」と言い、前世の徳の功績が無かったことを認めず、天地を恨み、聖者を責め、天を咎めます。世の人々は迷いに惑わされ、これほどまでに道理を悟らないのです。

道理を悟らない人は心が定まらず、堅固でもなく、進退が道理を失い、仏の恩に背きながら反省することもなく、ついに三悪道に縛り付けられ、自ら福と禍を生み出します。罪の認識の因縁は、種を蒔けばそれに応じた結果を得るものであり、慎重にならなければなりません。十悪は怨みの家、十善は厚き友です。心を安らかにし、悟りを得ることは、すべて善から生まれます。

善は大いなる鎧となり、刀や武器をも恐れません。善は大いなる船となり、水を渡ることができます。もし信を守ることができるなら、家の中は和やかに安らぎ、福の報いは自然に訪れ、善からさらなる善へと至ります。それは神が与えるものではありません。もしそれでもなお信じないなら、後になってさらに苦しみは激しくなるのです。

佛言:「阿難!善惡追人,如影逐形,不可得離;罪福之事,亦皆如是,勿作狐疑,自墮惡道!罪福分明,諦信不迷,所在常安;佛語至誠,終不欺人。」

仏がおっしゃいました。「阿難よ、善も悪も人について回るのは、影が形を追いかけるようなもので、離れることはできません。罪と福のことも、みな同じです。ためらったり疑ったりして、自分から悪い道に落ちてはいけません。罪と福ははっきりと分かれています。心から信じて迷わなければ、どこにいてもいつも安らかです。仏の言葉はこのうえなく誠実で、決して人を欺くことはありません。」

佛復告阿難:「佛無二言,佛世難值,經法難聞。汝宿有福,今得侍佛,當念報恩,頒宣法教,示現人民,為作福田。信者得植,後生無憂。」

また仏は阿難に告げられた。「仏は二言を語らない。仏世に出会うことは難しく、経典や教えを聞くこともまた難しい。あなたは過去世の福徳により、今、仏に仕えることができるのだ。恩に報いることを心に留め、教えを広く伝え、人々に示し、人々の福田となれ。信心ある者はその種を植え、後に憂いのない生を受けるであろう。」

阿難受教,奉行普聞。阿難復白佛言:「人不自手殺者,不自手殺為無罪耶?」

阿難は教えを受け、そのまま広く実行しました。阿難はさらに仏に申し上げました。「人が自分の手で殺さない場合、自分の手で殺さなければ罪はないのでしょうか。」

佛言:「阿難!教人殺生,重於自殺也。何以故?或是奴婢愚小下人,不知罪福;或為縣官所見促逼,不自出意,雖獲其罪,事意不同,輕重有差。教人殺者,知而故犯,陰懷愚惡,趣手害生,無有慈心;欺罔三尊,負於自然神,傷生杌命,其罪莫大!怨對相報,世世受殃,無有斷絕。現世不安,數逢災凶;死入地獄,出離人形,當墮畜中,為人屠截,三塗八難,巨億萬劫,以肉供人,未有竟時,令身困苦,噉草飲泉。今世現有是輩畜獸,皆由前世得為人時,暴逆無道,陰害傷生,不信致此。世世為怨,還相報償,神同形異,罪深如是。」

仏は言われた。「阿難よ、人に殺生を教えることは、自ら殺すことよりも重い罪である。なぜか?あるいは奴婢や愚かな者、身分の低い者たちは、罪と福とを理解しておらず、あるいは役人にせきたてられて、自分の意志で行ったのではないからだ。たとえ罪を犯しても、事情が異なり、軽重に差があるからだ。人に殺させた者は、知りながら故意に犯し、心に愚かで悪しき思いをひそめ、手を下して命を奪い、慈しみの心がない。三尊を欺き、自然神に背き、命を傷つけ、いのちを絶つ、その罪はこの上なく大きい。怨みは報いとして向かい合い、世々にわたって災いを受け、絶えることがない。現世では安らかならず、しばしば災難や凶事に遭う。死んで地獄に入り、人間の姿を離れて、畜生に堕ち、人に屠られ、切り裂かれる。三悪道と八難の苦しみを、巨億万劫もの間受け、肉を人に供え、終わることがない。身を苦しめ、草を食べ、水を飲む。今の世にこのような畜生どもが実際にいるのは、みな前世に人であった時、暴逆無道で、ひそかに命を傷つけ、仏法を信じなかったためにこのような報いを受けるのである。世々にわたって怨みとなり、互いに報いを返し合い、魂は同じでも姿は異なる。罪はこのように深いのである。」

阿難復白佛言:「世間人及弟子,惡意向師及道德之人,其罪云何?」

阿難が再び仏に申し上げました。「世の中の人や弟子が、師匠や徳のある方に対して悪意を抱いた場合、その罪はどのようなものでしょうか?」

佛語阿難:「夫為人者,當愛樂人善,不可嫉之。人有惡意向道德之人、善師者,是惡意向佛無異也。寧持萬石弩自射身,不可惡意向之。」

仏は阿難に言われた。「人として、他人の善を喜び愛し、妬んではならない。もし道徳を実践する人や善い教師に対して悪意を抱くなら、それは仏そのものに対して悪意を抱くのと同じである。むしろ、一万石(重さの単位)の弩で自分の身を射るほうがましである。決して彼らに悪意を向けてはならない。」

佛言:「阿難!自射身為痛不?」

仏は言われた。「アーナンダよ、自分自身を射れば、痛いと思うか?」

阿難言:「甚痛,甚痛!世尊!」

阿難は言いました。「とても辛いことです、とても辛いことです、世尊よ。」

佛言:「人持惡意向道德人、其善師者,痛劇弩射身也。為人弟子,不可輕慢其師、惡意向道德人,當視之如佛,不可輕嫉,見善代其歡喜。人有戒德者,感動諸天,天龍、鬼神莫不敬尊。寧投身火中、利劍割肉,慎莫嫉妬人之善。其罪不小,慎之!慎之!」

仏は言われた。「もし人が悪意を持って道を修める人や善き師に接すれば、その苦しみは弓で体を射抜かれるよりも激しい。弟子たる者は、師を軽んじたり侮ったりしてはならない。道を修める人に対して悪意を抱かず、師を仏のように敬い、軽んじたり妬んだりせず、善い行いを見れば共に喜びなさい。戒めと徳を備えた人は、天の神々をも感動させ、天竜や鬼神も皆、敬い尊ばない者はない。むしろ火の中に身を投じ、鋭い剣で肉を切られる方がましである。決して人の善を妬んではならない。その罪は小さくない。慎め、慎め。」

阿難復白佛言:「為人師者,為可得呵遏弟子,不從道理,以有小過,遂之成大,可無罪不?」

阿難が再び仏陀に申し上げました。「師となる者は、道理に従わずして弟子を叱りつけ、小さな過ちをことさらに大きな過ちとして扱うならば、罪を免れることができるでしょうか?」

佛言:「不可!不可!師、弟子義,義感自然,當相訊厚,視彼如己;黜之以理,教之以道,己所不行,勿施於人,弘崇禮律,不使怨訟;弟子亦爾。二義真誠,師當如師,弟子當如弟子,勿相誹謗,含毒致怨,以小成大,還自燒身。為人弟子,當孝順於善師,慎莫舉惡意向師。惡意向師,是惡意向佛、向法、向比丘僧、向父母無異,天所不覆,地所不載。觀末世人諸惡人輩,不忠不孝,無有仁義,不順人道。魔世比丘四數之中,但念他惡,不自止惡,嫉賢妬善,更相沮壞;不念行善,強梁嫉賢,既不能為,復毀敗人,斷絕道意,令不得行;貪欲務俗,多求利業,積財自喪,厚財賤道,死墮惡趣大泥犁中,餓鬼、畜生,未當有此。於世何求念報佛恩?當持經戒,相率以道。道不可不學,經不可不讀,善不可不行。行善布德,濟神離苦,超出生死,見賢勿慢,見善勿謗,不以小過證入大罪。違法失理,其罪莫大,罪福有證,可不慎耶?」

佛は言われた。「いけない、いけない。師と弟子の関係は、道理に基づく自然なつながりであり、互いに厚く思いやり、相手を自分のように見なすべきである。道理をもって戒め、教えをもって導き、自ら行わないことは他人にも施してはならない。礼儀と戒律を尊び重んじ、恨みや争いを起こしてはならない。弟子もまた同様である。この二つの関係が真実であれば、師は師として、弟子は弟子として、互いに誹謗し合い、毒を含んで恨みを抱き、小さなことで大きな問題を引き起こし、結局は自らを焼き尽くすことになる。

人として弟子たる者は、善き師に孝行し従順であれ。決して師に対して悪意を向けてはならない。悪意を師に向けることは、仏に向け、法に向け、僧伽に向け、父母に向けるのと同じであり、天に覆われず、地に支えられない。

末世の人々、多くの悪人たちは、忠義も孝行もなく、仁や義もなく、人の道に従わない。悪魔の世の修行者たちは、四つの集まりの中で、ただ他人の悪を思い、自らの悪を止めず、賢者を妬み善を妬み、互いに妨げ合い、善行を志さず、強引で賢者を妬み、自らは何もできないのに、他人を貶め壊し、道の志を断ち切って実践させず、貪欲に世俗を求め、多くの利益や仕事を追い求め、財を蓄えて自らを滅ぼし、財を重んじて道を軽んじ、死んで悪い道、大泥犁地獄に堕ち、餓鬼や畜生となる。このようなことはあってはならない。

この世で何を求めて仏恩に報いるだろうか?経典や戒律を大切に守り、互いに導いて道に従うべきである。道は学ばずしてはならず、経典は読まずしてはならず、善は行わずしてはならない。善行を行い徳を施し、精神を救って苦しみから離れ、生死を超え出よ。賢者を見て軽んじてはならず、善を見て誹謗してはならない。小さな過ちをもって大きな罪を証し立ててはならない。法に背き道理を失えば、その罪はこの上なく大きい。罪と福には証拠がある。慎まないでよいだろうか。」

阿難復白佛言:「末世弟子,因緣相生,理家之事,身口之累,當云何?天中天!」

阿難が再び仏に申し上げた。「末法の世の修行者たちは、縁によって人生の様々な出来事が生じます。家庭を治める務めや、からだとことばによる煩わしさについては、どのように対処すべきでしょうか。天の中の天よ、お教えください。」

佛言:「阿難!有受佛禁戒,誠信奉行,順孝畏慎,敬歸三尊,養親盡忠,內外謹善,心口相應,可得為世間事,不可得為世間意。」

仏は言われた。「阿難よ、仏の戒めを受け、誠実に信じて行い、孝行を尽くし慎み深く、三宝を敬い帰依し、親を養い忠義を全うし、内外ともに慎んで善く行い、心と口が一致しているならば、世間の事を行うことはできても、世間の心を持つことはできないのである。」

阿難言:「世間事、世間意,云何耶?天中天!」

阿難が申し上げました。「世の中のことや、世の中の心のはたらきとは、どのようなものでしょうか。天のなかの天よ。」

佛言:「為佛弟子可得商販營生利業,平斗直尺,不可罔於人,施行以理,不違神明自然之理。葬送之事,移徙、姻娶,是為世間事也。

仏がおっしゃいました。「仏弟子であっても、商売をして生計を立て、利益を得ることはできます。升や尺を正しく使い、人を欺いてはなりません。道理にかなった行いをし、神明の自然の理に背いてはならないのです。葬送のこと、引っ越し、結婚などは、世間の事柄です。」

「世間意者,為佛弟子不得卜問、請祟、符呪、厭怪、祠祀、解奏,亦不得擇良日、良時。受佛五戒,福德人也,有所施作,當啟三尊;佛之玄通,無細不知。戒德之人,道護為強,役使諸天、天龍、鬼神,無不敬伏。戒貴則尊,無往不吉,豈有忌諱不善者耶?

世間の習わしにとらわれている人は、仏弟子であれば、占いをしたり、祟りを祓ってもらったり、呪符を使ったり、まじないで怪しいものを退けたり、祭祀を行ったり、罪を解いてもらう儀式をしたりしてはいけません。また、良い日や良い時を選んでもいけません。仏の五戒を受けた人は、功徳と福を備えた人です。何かを行おうとするときは、三宝に心からお尋ねなさい。仏の不思議な智慧は、細かいことでも知らないことはありません。戒を守る徳のある人は、道の力が護りとなって強く、諸天も天龍も鬼神も、みな敬い従います。戒を重んじる者は尊ばれ、どこへ行っても良くないことはありません。どうして忌み嫌うことや縁起の悪いことがありましょうか。

「道之含覆,包弘天地,不達之人,自作罣礙。善惡之事,由人心作,禍福由人,如影追形、響之應聲。戒行之德,應之自然,諸天所護,願不意違,感動十方,與天參德;功勳巍巍,眾聖嗟歎,難可稱量!智士達命,沒身不邪,善如佛教,可得度世之道。」

道の含み包むところは、天地を包み広げます。これを悟らない人は、自分で妨げを作ってしまいます。善悪のことは人の心が作り出すものであり、禍福もまた人によるものです。それは影が形を追い、響きが音に応じるようなものです。戒を守り行う徳は、自然に応じ、諸天に護られ、願いは思いに背かず、十方に感動を与え、天と徳を並べます。その功績は高く大きく、多くの聖者も嘆じられ、称えることは難しいほどです。智慧ある人は命の道理を悟り、身を終えるまで邪に傾かず、仏の教えのままに善を行えば、この世を渡る道を得ることができます。

阿難聞佛說,更整袈裟,頭腦著地:「唯然,世尊!我等有福,得值如來,普恩慈大,愍念一切,為作福田,令得脫苦。佛言至真,而信者少,是世多惡,眾生相詛,甚可痛哉!若有信者,若一若兩,奈何世惡,乃弊如此!佛滅度後,經法雖存而無信者,漸衰滅矣!嗚呼!痛哉!將何恃怙?惟願世尊,為眾黎故,未可取泥洹。」

阿難は仏の説法を聞くと、あらためて袈裟を整え、頭を地につけて礼をしました。「そのとおりでございます、世尊。私たちは幸せでございます。如来にお会いできましたことは。広く慈しみの恩を施し、すべてのものを哀れみ、福田となって、苦しみから解き放ってくださいます。仏のお言葉はこの上なく真実でございますのに、信じる人は少のうございます。この世には悪が多く、衆生は互いにののしり合っております。まことに痛ましいことでございます。信じる人がおりましても、一人か二人でございます。なぜ世の悪は、これほどまでにひどくなったのでございましょう。仏が入滅なさった後、経と法は残りましても、信じる人がいなければ、しだいに衰え滅びていくことでございましょう。ああ、痛ましいことでございます。いったい何にすがればよいのでございましょう。ただ願わくは世尊、多くの人々のために、どうかまだ涅槃にお入りにならないでください。」

阿難因而諫頌曰:

そこで、阿難は次のように諌めの詩を唱えました。

「佛為三界護, 恩廣普慈大,
願為一切故, 未可取泥洹。
值法者亦少, 盲盲不別真,
痛矣不識者, 罪深乃如是!
宿福值法者, 若一若有兩,
經法稍稍替, 當復何恃怙?
佛恩非不大, 罪由眾生故,
法鼓震三千, 如何不得聞?
世濁多惡人, 還自墮顛倒,
諛諂諀訾聖, 邪媚毀正真。
不信世有佛, 言佛非大道,
是人是非人, 自作眾罪本,
命盡往無擇, 刀劍解身形,
食鬼好伐殺, 鑊湯涌其中。
婬泆抱銅柱, 大火相燒然,
誹謗清高士, 鐵鉗拔其舌。
亂酒無禮節, 迷惑失人道,
死入地獄中, 洋銅沃其口。
遭逢眾厄難, 毒痛不可言,
若生還為人, 下賤貧窮中。
不殺得長壽, 無病常康強;
不盜後大富, 錢財恒自滿;
不婬香清淨, 身體鮮苾芬,
光影常奕奕, 上則為大王;
至誠不欺詐, 為眾所奉承;
不醉後明了, 德慧所尊敬。
五福超法出, 天人同儔類,
所生億萬倍, 真諦甚分明。
末世諸惡人, 不信多狐疑,
愚癡不別道, 罪深更逮冥!
蔽聖毀正覺, 死入大鐵城,
識神處其中, 頭上戴鐵輪,
求死不得死, 須臾已變形,
矛戟相毒刺, 軀體恒殘截。
奈何世如是, 背正信鬼神,
解奏好卜問, 祭祀傷不仁,
死墮十八處, 經歷黑繩獄,
八難為界首, 得復人身難。
若時得為人, 蠻狄無義理,
癡騃無孔竅, 跛躄瘂不語,
朦朧不達事, 惡惡相牽拘,
展轉眾徒聚, 禽獸六畜形;
為人所屠割, 剝皮視其喉,
歸償宿怨對, 以肉給還人。
無道墮惡道, 求脫甚為難,
人身既難得, 佛經難得聞。
世尊為眾祐, 三界皆蒙恩,
敷動甘露法, 令人普奉行。
哀哉已得慧, 愍念群萌故,
開通示道徑, 黠者即度苦。
福人在向向, 見諦學不生,
自歸大護田, 植種不死地。
恩大莫過佛, 世祐轉法輪,
願使一切人, 得服甘露漿。
慧船到彼岸, 法磬引大千,
彼我無有二, 發願無上真。」

佛は三界を護るお方です。 その恩は広く、慈しみは大きく、 すべての人々のためにと願われているので、 まだ涅槃には入られません。

法に出会える人は少なく、 迷いのままに真実を見分けられず、 苦しむばかりで気づかない者は、 その罪はなんと深いことでしょう。

過去の福によって法に出会える人は、 一人か二人ほどしかいません。 経の教えが少しずつ消えていくとき、 いったい何を頼りにすればよいのでしょうか。

仏の恩が大きくないはずはありません。 罪はただ衆生の側にあるのです。 法の太鼓が三千世界に響いても、 どうして聞こえないのでしょうか。

世は濁り、悪人が多く、 かえって自ら迷いに落ちて、 へつらい、聖者をそしり、 邪な心で真実を壊します。

世に仏があるとは信じず、 仏は大道ではないと言います。 こうした人、人ならぬ者は、 自ら多くの罪のもとを作り、

命が尽きれば無間地獄へ行き、 刀や剣で体を切り裂かれ、 鬼となっては殺し合いを好み、 釜の煮えた湯が湧き立つ中にいます。

淫らな行いをすれば銅の柱を抱き、 大火に焼かれます。 清らかな人をそしれば、 鉄のやっとこで舌を抜かれます。

酒に乱れて礼を失えば、 人としての道を見失い、 死んで地獄に入り、 溶けた銅を口に注がれます。

さまざまな災いに出会えば、 その苦しみは言葉にできません。 もし人として生まれ変わっても、 下賤で貧しい中に生まれます。

殺さなければ長寿を得、 病もなくいつも健やかです。 盗まなければ後に大いに富み、 財はいつも満ちています。 淫らでなければ清らかで香しく、 体はみずみずしく芳しく、 光はいつも輝き、 上には大王となります。

真心をもって欺かなければ、 多くの人に敬われます。 酔わなければ後で明らかになり、 徳と慧によって敬われます。

五つの福は法を超えて現れ、 天も人も同じ仲間となり、 生まれるところは億万倍もよく、 真理ははなはだ明らかです。

末世の悪人たちは、 信じず、疑いばかりで、 愚かで道を見分けられず、 罪は深く、さらに暗くなります。

聖者を覆い、正覚を壊せば、 死んで大きな鉄の城に入り、 魂はそこにとどまり、 頭上に鉄の輪を戴きます。 死にたくても死ねず、 またたく間に姿を変え、 矛や戟で互いに刺し、 体はいつも切り裂かれます。

どうして世はこのようになったのか。 正しきを背き、鬼神を信じ、 祈祷や占いにふけり、 祭りを行い、不仁を傷つけます。 死ねば十八のところに堕ち、 黒縄地獄を経めぐり、 八難がその境界の初めとなり、 再び人身を得ることは難しいのです。

もし時に人として生まれても、 野蛮で筋道を知らず、 愚かで穴も通らず、 足が不自由で、言葉も話せず、 ぼんやりとして物事を理解せず、 悪と悪が互いに引き合い、 次々と集まって、 禽獣や家畜の姿となります。 人に屠られ、 皮を剥がれ、喉をのぞかれ、 昔の怨みを返し償い、 肉を人に与えて返します。

道がなければ悪道に堕ち、 逃れることはとても難しいのです。 人身はすでに得がたく、 仏の経もまた聞きがたいのです。

世尊は衆生の守りであり、 三界はみな恩を受け、 甘露の法を説き示し、 人々に広く行わせます。

ああ、すでに慧を得た者は、 多くの生きとし生けるものを思いやり、 道の道筋を示し、 賢い者はただちに苦を超えます。

福ある人はその方向へ向かい、 真理を見て、学び、生まれぬことを得、 自ら大いなる守りの田に帰り、 不死の地に種を植えます。

恩の大きいこと、仏に勝るものはありません。 世を救う方は法輪を転じます。 すべての人が、 甘露の漿をいただくことができますように。

慧の船は彼岸へ到り、 法の磬は大千世界を導き、 彼と我とに二つはなく、 無上の真を願い起こします。

阿難頌如是已,諸會大眾,一時信解,皆發無上正真之道,僧那大鎧甘露之意,香熏三千,從是得度,開示道地,為作橋梁。國王、臣民、天龍、鬼神,聞經歡喜——阿難所說,且悲且恐——稽首佛足,及禮阿難,受教而去。

阿難がこのように讃えると、集まった大衆は皆、一度に信じ理解し、みな無上の正しい道を求める心を起こしました。僧那の大きな鎧、甘露の心は、香りとなって三千世界に及び、ここから救われ、道の地を示され、橋となっていただいたのです。国王、臣民、天龍、鬼神たちは、この教えを聞いて喜びました——阿難の語りを聞いて、悲しみと恐れを抱きながら——仏の足に頭を垂れて礼拝し、また阿難にも礼をして、教えを受けて去っていきました。

阿難問事佛吉凶經

阿難問事仏吉凶経


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