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  1. 仏説梵摩難国王経 (佛說梵摩難國王經)
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仏説梵摩難国王経 (佛說梵摩難國王經)

「佛說梵摩難國王經」について

543 字 · 約 2 分

『仏陀が梵摩難国王に説かれた経』は、訳者不明の仏教経典であり、通常、後漢時代に翻訳されたものとされています。本経典は、仏陀が梵摩難国王に対して行われた教えを記録しており、国王が正しい法をもって国を治め、仁愛に満ちた政治を行うべきことを説いています。また、因果応報と修行の功徳の重要性を強調しています。内容は、統治者がどのように仏法に従って国を治め、社会の調和と人々の安楽を実現すべきかに焦点を当てています。この経典は仏教の政治的倫理観を体現しており、初期仏教と王権の関係を研究する上で重要な価値を持ち、漢訳仏教経典の中でも一定の地位を占め、仏教の社会思想を探求するための重要な根拠を提供しています。


佛說梵摩難國王經

仏説梵摩難国王経

失譯人名今附西晉錄

失訳人名 今附西晋録

聞如是:

私がこのように聞きました。

一時,佛在舍衛國祇樹給孤獨園,與千二百五十比丘俱。

ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎にいらっしゃいました。千二百五十人の比丘たちと共に。

時有國王號名梵摩難,常供養佛及眾僧。每得齋日,王輒宿勅群臣嚴駕,王便導從數千人到佛所,五體投地,稽首佛足。佛每為諸天、人民說經法,王輒歡喜恭敬聽經,王宮內亦奉事三尊,清淨齋戒。

ある時、梵摩難という名の王がいました。王は常に仏と僧侶たちを供養していました。斎日のたびに、王は前夜から家臣たちに厳かに車馬の準備を命じ、数千人の従者を連れて仏のもとへ向かいました。そして五体投地し、仏の足に頭を付けて礼拝しました。仏が天や人々のために経典を説かれるたび、王は喜びと敬虔の心で聴聞しました。また、王宮でも三宝を敬い、清らかに斎戒を守っていました。

王有太子,名均鄰儒,至心精進,覺世非常,無生不死者,不貪時榮,白王言:「佛世難值,經法難聞,我今乞欲隨佛作沙門。」王即聽之。

王には太子がおり、名を均鄰儒といいました。彼は心から精進し、この世が無常であり、生まれても死なない者はいないと悟り、時の栄華に執着せず、王に申し上げました。「仏の世に出会うことは難しく、経典の教えを聞くことも難しいものです。私は今、仏に従って沙門となりたいと願います。」王はすぐにこれを許しました。

均鄰儒便辭王到佛所,乞為比丘。佛便以手摩其頭,髮墮、袈裟自然著身。均鄰儒奉持重戒,精進勤修,晝夜不倦,三月日便得羅漢道。

均隣儒は王に別れを告げ、仏のもとへ向かい、比丘になることを願い出ました。仏がその頭を手で撫でると、髪が落ち、袈裟が自然と身にまとわりつきました。均隣儒は厳しい戒律を守り、精進して修行に励み、昼夜倦むことなく、三か月後に阿羅漢の位を得ました。

王時不知其已得道,見其勤苦,飯食麁蔬。每往供養,異於眾僧——其心不同——輒謂之言:「我國中珍琦七寶、飯食甘餚無所不有,汝何故正當樂為沙門乎?」

その時、王はまだ彼が悟りを得たことを知らなかった。彼の刻苦精進し、粗末な食事をしている様子を見て、他の僧侶たちとは違う心持ちで、訪れるたびに特別に供養した。そして常にこう言った。「我が国には、珍しい七宝や美味しい食べ物が何でもあるのに、どうしてあなたはわざわざ修行僧になることを楽しんでいるのか。」

佛知王用恩愛故,佛便語均鄰儒:「起現威神。」

仏は王が恩愛の心を持っているのを知って、均隣儒に言った。「立ち上がって、その威力を示しなさい。」

均鄰儒即承佛教,頭面著地,為佛作禮,輕舉上住空中,飛行變化,分身散體,出入無間,畢已,頭面著佛足。王見其道德乃爾,便悲喜交集,五體投地,為均鄰儒作禮。

均隣儒(ぐんりんじゅ)は師である仏の教えを受け、額を地につけて礼拝した。そして軽やかに身を浮かべて空中に留まり、空を飛んで様々な姿に変身し、体を幾つにも分け、出入りも自由自在に行った。これを終えると、再び額を仏の足につけて礼拝した。王は彼の道徳の力がこれほどまでに優れているのを見て、悲しみと喜びが入り混じり、五体を地に投げ出して均隣儒に礼拝した。

佛時令均鄰儒為王說苦、空、非常四諦之要,王於是意解,即得須陀洹道。

釈迦はその時、均鄰儒に王のために苦・空・無常・四諦の大切な教えを説かせました。王はその教えを聞いて心が開け、たちまち須陀洹の悟りを得ました。

佛語阿難:「比丘有四事,受人施飲食、美味、衣服,善惡不得有逆:一者、欲福布施家;二者、不欲逆施者意;三者、或年老,或身體有病;四者、恐人行道勤苦。夫欲食美,當存念重戒,一切眾生皆我親屬,但展轉久遠,各更生死,不識其本耳;譬如人身體有瘡及病者,服藥趣令其愈,不得貪著。夫欲施者,皆當平心,不問大小。」

仏は阿難に告げられた。「比丘には四つの理由があり、施しの食べ物や美味、衣服を受ける際に、善悪に背いてはならない。 一つには、布施をした家に福をもたらそうと願うこと。 二つには、施し主の意に逆らわないこと。 三つには、年老いていたり、身体に病があること。 四つには、人々が修行の道で苦労することを恐れること。 美味を欲するならば、重い戒めを常に心に留め、一切の生きとし生けるものはみな我が親族であると知るべきである。ただ長い時間を経て、互いに生死を繰り返し、その本来を識らなくなったに過ぎない。たとえば、身体に傷や病がある人が、薬を飲んでただ治そうと望むように、執着してはならない。施しをしようとする人はみな、心を平らかにし、相手の大小を問うてはならない。」

佛於是令阿難臨飯說僧跋,僧跋者,眾僧飯皆悉平等。(准品次錄二紙八行,諸本皆闕)。

そこで仏は阿難に、食事の前に「僧跋(そうばつ)」を唱えさせた。僧跋とは、すべての僧が等しく食事をいただくという意味である。

佛說梵摩難國王經

仏説梵摩難国王経


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