法華三昧觀法:
法華三昧の観法
三七日一心精進如說修行,正憶念《法華經》者,當念釋迦牟尼佛於耆闍崛山與多寶佛在七寶塔共坐,十方分身化佛遍滿所移眾生國土之中,一切諸佛各有一生補處菩薩一人為侍,如釋迦牟尼佛以彌勒為侍。一切諸佛現神通力,光明遍照無量國土,欲證實法出其舌相,音聲滿於十方世界。所說《法華經》者,所謂十方三世眾生若大若小,乃至一稱南無佛者,皆當作佛。惟一大乘,無二無三,一切諸法一相一門,所謂無生無滅畢竟空相。唯有此大乘,無有二也。習如是觀者,五欲自斷、五蓋自除,五根增長,即得禪定。住此定中深愛於佛,又當入是甚深微妙一相一門清淨之法。當恭敬普賢、藥王、大樂說、觀世音、得大勢、文殊、彌勒等大菩薩眾,是名一心精進如說修行正憶念《法花經》也。此謂與禪定和合令心堅固,如是三七日中,則普賢菩薩乘六牙白象來至其所,如經中說。
三七日の間、一心に精進し、教えのとおりに修行して、『法華経』を正しく心に念じる者は、こう念じるべきです。釈迦牟尼仏が耆闍崛山で多宝仏と七宝の塔にともに座しておられ、十方に分身した化仏が、移された衆生の国土のうちに遍く満ちていると。すべての仏には、それぞれ一生補処の菩薩が一人いて侍者となっており、釈迦牟尼仏が弥勒を侍者としているのと同じです。すべての仏が神通力を現し、光明は無量の国土を遍く照らし、実法を証さんとして舌相を出し、その音声は十方世界に満ちわたります。説かれる『法華経』とは、十方三世の衆生が、大きい者も小さい者も、乃至は一声「南無仏」と称える者までも、みな仏となるであろうということです。ただ一つの大乗のみで、二も三もありません。すべての法は一相一門、すなわち無生無滅、畢竟空の相です。ただこの大乗のみがあり、二つはありません。このように観じることを習い続ける者は、五欲は自然に断たれ、五蓋は自然に除かれ、五根は増長し、すなわち禅定を得ます。この定にとどまって仏を深く愛し、またこの甚深微妙な一相一門の清浄な法に入るべきです。普賢、薬王、大楽説、観世音、得大勢、文殊、弥勒などの大菩薩衆を恭敬すべきです。これが一心精進にして教えのとおりに修行し、『法華経』を正しく念じるということです。これは禅定と和合して心を堅固にすることであり、このように三七日の間行えば、普賢菩薩が六牙の白象に乗ってその人のもとに来られる、と経の中に説かれています。
思惟略要法
思惟略要法