佛說八無暇有暇經
仏が説かれた、八つの無暇と有暇についての経
大唐三藏法師義淨奉 制譯
大唐三蔵法師義浄、勅を奉じて訳す
如是我聞:
如是我聞。
大唐三蔵法師義浄、勅を奉じて訳す。
一時,薄伽梵在室羅伐城逝多林給孤獨園,與大苾芻眾及人天等俱。
一時、薄伽梵(ばがばん)は室羅伐城の逝多林・給孤独園におられ、大比丘衆および人・天などとともにおられました。
爾時,世尊告諸苾芻曰:「汝等當知,於此世間,寡聞無識、凡夫之類,常說無暇、有暇之言,然不了知,云何無暇,云何有暇。吾今為汝分別開示,汝等諦聽,善思念之。
そのとき、世尊は諸々の比丘に告げられました。「あなたがたは知っておきなさい。この世間において、聞くことが少なく識ることがない凡夫の類は、常に『無暇』『有暇』という言葉を口にします。しかし、何が無暇であり、何が有暇であるかを、よく理解してはいません。私は今、あなたがたのためにこれを区別して説き示します。あなたがたはよく聞き、よく心に留めて考えなさい。
「若諸有情,欲住聖行,修善法時,有其八事,無暇修習。云何為八?汝等當知:
「もし諸々の有情が、聖なる行いにとどまろうとして善法を修める時、八つの事があって、修習する暇がありません。八つとは何でしょうか。あなたがたは知るべきです。
「於此世間,大師出現,所謂如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊,宣說諸佛所證妙法,善除煩惱,能趣菩提,究竟涅槃,盡諸苦際。說是法時,有人墮在地獄之中,受大苦惱,是名最初欲住聖行無暇修習。
この世間に大師が出現されます。すなわち、如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊です。その大師は、諸仏が証得された妙法を宣説されます。それは煩悩をよく除き、菩提へと趣かせ、涅槃を究竟し、すべての苦しみの終わりを尽くすものです。この法を説かれたとき、ある者は地獄の中に堕ちて大きな苦悩を受けました。これが、最初に聖行に住しようとしても、修習する暇がないということです。
「復次,諸苾芻!於此世間,大師出現,十號具足,宣說諸佛所證妙法,善除煩惱,能趣菩提,究竟涅槃,盡諸苦際。說是法時,有人墮在餓鬼之中,受大苦惱,是名第二欲住聖行無暇修習。
「また、諸々の比丘たちよ、この世に大師が出現され、十号を具足し、諸仏が証得された妙法を宣説されます。それは煩悩をよく除き、菩提へと趣かせ、究竟の涅槃に至らせ、すべての苦しみの終わりを尽くすものです。この法を説かれたとき、ある者は餓鬼の中に堕ちて大きな苦悩を受けました。これが第二に、聖行に住しようとしても修習する暇がないということです。
「復次,諸苾芻!於此世間,大師出現,十號具足,宣說諸佛所證妙法,善除煩惱,能趣菩提,究竟涅槃,盡諸苦際。說是法時,有人墮在傍生之中,受諸苦惱,是名第三欲住聖行無暇修習。
「また、諸々の比丘たちよ、この世間に大師が出現され、十号を具足して、諸仏が証得された妙法を宣説されます。それはよく煩悩を除き、菩提へと趣かせ、涅槃を究竟し、すべての苦しみの終わりを尽くすものです。この法を説かれるとき、ある者は傍生の中に堕ちて、さまざまな苦悩を受けます。これが第三に、聖行に住しようとしても修習する暇がないということです。
「復次,諸苾芻!於此世間,大師出現,十號具足,宣說諸佛所證妙法,善除煩惱,能趣菩提,究竟涅槃,盡諸苦際。說是法時,有人生在長壽天中,無所知曉,是名第四欲住聖行無暇修習。
「また、諸々の比丘たちよ、この世間に大師が出現され、十号を具足し、諸仏が証得された妙法を宣説されます。それはよく煩悩を除き、菩提へと趣かせ、涅槃を究竟し、すべての苦しみを尽くし終えるものです。この法が説かれるとき、ある者は長寿天の中に生まれて、何も知ることがありません。これが第四に、聖行に住しようとしても修習する暇がないということです。
「復次,諸苾芻!於此世間,大師出現,十號具足,宣說諸佛所證妙法,善除煩惱,能趣菩提,究竟涅槃,盡諸苦際。說是法時,有人生在邊地、下賤、蔑戾車中,不識善惡,於我四眾,不聞不見,是名第五欲住聖行無暇修習。
次に、諸々の比丘たちよ、この世間に大師が出現され、十号を具足し、諸仏が証得された妙法を宣説されます。それは煩悩をよく除き、菩提へと趣き、究竟の涅槃に至り、すべての苦しみを尽くし終えるものです。この法が説かれるとき、ある者は辺地や下賤の家、あるいは蔑戾車の中に生まれて、善悪を知らず、私の四衆についても聞くことも見ることもありません。これが第五に、聖行に住しようとしても修習する暇がないということです。
「復次,諸苾芻!於此世間,大師出現,十號具足,宣說諸佛所證妙法,善除煩惱,能趣菩提,究竟涅槃,盡諸苦際。說是法時,有人雖復生在中國,然受惡報,聾盲瘖瘂,以手代言,於善於惡不能分別,是名第六欲住聖行無暇修習。
「また、諸々の比丘たちよ、この世間に大師が出現され、十号を具足し、諸仏が証得された妙法を宣説されます。それは煩悩をよく除き、菩提へと趣かせ、涅槃を究竟し、すべての苦しみの終わりを尽くすものです。この法が説かれるとき、ある者はたとえ中国に生まれていても、悪報を受けて耳が聞こえず目が見えず声も出せず、手振りで言葉の代わりとし、善と悪とを分別することができません。これが第六に、聖行に住しようとしても修習する暇がないということです。
「復次,諸苾芻!於此世間,大師出現,十號具足,宣說諸佛所證妙法,善除煩惱,能趣菩提,究竟涅槃,盡諸苦際。說是法時,有人雖復生在中國,其身雖不聾盲瘖瘂、以手代言,於善於惡悉能曉了,然而信邪倒見,作如是說:『無施無受,亦無祠祀,無善惡業緣,無異熟果報,無今世後世,無父母眷屬,無化生有情。於此世間,無阿羅漢,正趣正行,此世他世,於現法中,得自覺悟,正證圓滿,皆悉了知,我生已盡,梵行已立,不受後有。此事皆無。』生極邪見,是謂第七欲住聖行無暇修習。
また、諸々の比丘たちよ、この世に大師が出現され、十号を具足して、諸仏が証得された妙法を宣説されます。それは煩悩をよく除き、菩提へと趣かせ、究竟の涅槃へと導き、すべての苦しみの終わりを尽くすものです。
この法が説かれるとき、ある者はたとえ中国に生まれていても、その身は耳が聞こえず、目が見えず、声も出せず、手振りで言葉の代わりとする者ではなく、善についても悪についてもすべてよく理解できる者であっても、しかし邪な教えを信じ、倒れた見解を抱いて、このように言います。「施しもなく、施しを受けることもなく、祠祀もない。善悪の業の縁もなく、異熟の果報もない。この世も後の世もなく、父母も眷属もなく、化生の有情もない。この世に阿羅漢はおらず、正しく趣き正しく行じ、この世もかの世も、現実の法において自ら覚悟し、正しく証して円満し、すべてを了知して、『我が生はすでに尽き、梵行はすでに立ち、後の有を受けることはない』と知る者もいない。このようなことはすべて存在しない」と。
このように極めて邪な見解を生じることを、第七に、聖行に住しようとしても修習する暇がないということです。
「復次,諸苾芻!於此世間,無大師現,無十號名,不聞諸佛所證妙法,不除煩惱,不趣菩提,不至涅槃,無苦邊際。有人雖復生在中國,不聾盲瘖瘂,不以手代言,於善於惡悉能曉了,不生邪見,作如是說:『有施有受,亦有祠祀,有善惡業緣,有異熟果報,有今世後世,有父母眷屬,有化生有情。於此世間,有阿羅漢,正趣正行,此世他世,於現法中,得自覺悟,正證圓滿,皆悉了知,我生已盡,梵行已立,不受後有。此等皆有。』生極正見;然無將導,開出離門,是名第八欲住聖行無暇修習。
次に、諸々の比丘たちよ、この世に大師が現れず、十号の名もなく、諸仏が証された妙法を聞かず、煩悩を除かず、菩提を目指さず、涅槃に至らず、苦しみの終わりもないとします。ある人は、たとえ中国(中央の地)に生まれ、耳が聞こえず目が見えず口がきけないということもなく、手で言葉を代わりに伝える必要もなく、善についても悪についてもすべてよく理解し、邪見を生じることなく、このように説くかもしれません。「施しがあり、受けることもあり、また祠祀もあり、善悪の業の縁があり、異熟の果報があり、今世と後世があり、父母や眷属があり、化生の有情がいる。この世に阿羅漢がいて、正しく趣き正しく行じ、この世もあの世も、現実の法において自ら覚悟し、正しく証して円満に、すべてを了知して、『我が生はすでに尽き、梵行はすでに立ち、もはや後の有を受けることはない』とある。これらはすべて存在する」と。このように極めて正しい見解を生じます。しかし、導く者がなく、出離の門を開くことができません。これを第八に、聖行に住しようとしても修習する暇がないということです。
「復次,諸苾芻!於此世間,大師出現,十號具足,宣說諸佛所證妙法,善除煩惱,能趣菩提,究竟涅槃,盡諸苦際。說是法時,有人生在中國,而所受身諸根具足,了善惡言,乃至生極正見。汝等苾芻當知,是人有暇修習。汝等苾芻,此有暇事,汝等已得。生居中國,逢我出世,得聞聖教,諸根具足,當生勇猛,常勤策勵,修諸善品,於善法律,如說修行,展轉相教,展轉懺悔,常淨三業,恒行十善,勿為無益致招後悔。」
「また、諸々の比丘たちよ。この世に大師が出現され、十号を具足し、諸仏が証得された妙法を宣説されます。それは煩悩をよく除き、菩提へと趣き、涅槃を究竟し、すべての苦しみの終わりを尽くすものです。この法を説かれるとき、ある人が中国に生まれ、その受けた身は諸根が具足し、善悪の言葉を理解し、さらには極めて正しい見解を生じます。汝ら比丘たちよ、知るがよい、この人には修習する暇があります。汝ら比丘たちよ、この暇あること、汝らはすでに得ています。中国に生まれ、私の出世に逢い、聖教を聞くことができ、諸根が具足しています。勇猛の心を起こし、常に勤めて策励し、諸々の善き品を修め、善き法と律において説かれたとおりに修行し、互いに教え合い、互いに懺悔し、常に三業を清め、恒に十善を行じ、無益なことをして後に悔いることのないようにしなさい。」
爾時,世尊欲重宣此義,說伽他曰:
そのとき、世尊はこの意味を重ねて示そうとして、偈を説かれました。
「我已為說八無暇, 皆願當生有暇中,
若生難處不聞經, 汝等至心應善聽。
銅柱鐵山眾苦逼, 煻煨糞屎刺刀林,
於地獄中受斯苦, 此處豈能聞正法?
飢渴針咽苦逼身, 雨注河流成猛火,
於餓鬼中受斯苦, 此處豈能聞正法?
更互恒懷怖害心, 常欲展轉相食噉,
於傍生中受斯苦, 此處豈能聞正法?
若在天中有頂處, 由先福力生於彼,
長壽覺慧不分明, 此處豈能聞正法?
生在邊方鄙惡處, 耳不曾聞說法聲,
無識恒居蔑戾車, 此處豈能聞正法?
由彼先身造惡業, 聾盲瘖瘂缺諸根,
癡鈍即是人身牛, 此人豈能聞正法?
若人不信於三寶, 說無因果無尊親,
如是邪見壞其心, 此人豈能聞正法?
諸佛大師不出現, 亦無妙法流世間,
若人生居闇世中, 此時豈能聞正法?
若人生於有暇處, 八種無暇過皆除,
猶如病者遇良醫, 應可至心聞正法!
汝已獲人身, 復得聞正法,
不得聖果者, 多生無暇中。
我說八無暇, 是眾生難處,
得住有暇者, 斯人世希有。
汝已獲人身, 復得聞正法,
愛護自身者, 當除煩惱慢。
若有聞正法, 不能如說行,
輪迴八難中, 備受諸辛苦。
已捨無暇處, 常求聞正法,
於生老死中, 不久當出離。
若已獲人身, 聞法行放逸,
後當生惱悔, 如商人失財。
若人聞我說, 識暇及無暇,
是故應勤心, 正修於梵行。
我說明眼人, 善護於諸惡,
正念能防守, 不隨諸有漏。
一切隨眠斷, 降伏大魔怨,
永超生死流, 得昇於彼岸。」
「私はすでに八つの無暇について説きました。皆が願うのは、生まれた先で有暇の中にいることです。 もし生まれた場所が難処で経を聞けなければ、そなたたちは至心に善く聞きなさい。 銅柱や鉄山のさまざまな苦しみに逼られ、煻煨や糞屎、刺の刀林など、 地獄の中でこの苦しみを受けるなら、この場所でどうして正法を聞くことができるでしょうか。 飢えと渇き、針のような咽で苦しみが身を逼り、雨が注ぎ川が流れて猛火となる中、 餓鬼の中でこの苦しみを受けるなら、この場所でどうして正法を聞くことができるでしょうか。 互いに常に怖れと害する心を抱き、常に互いに食い合おうとする、 傍生の中でこの苦しみを受けるなら、この場所でどうして正法を聞くことができるでしょうか。 もし天の中の有頂処にいて、先の福の力によってそこに生まれたとしても、 長寿であっても覚慧がはっきりしないなら、この場所でどうして正法を聞くことができるでしょうか。 辺方の鄙悪な場所に生まれ、耳はかつて説法の声を聞いたことがなく、 無識で常に蔑戾車の中に住むなら、この場所でどうして正法を聞くことができるでしょうか。 その者が前世で悪業を造ったために、聾・盲・瘖瘂となり諸根を欠き、 痴鈍で人身の牛となっているなら、この人がどうして正法を聞くことができるでしょうか。 もし人が三宝を信じず、因果もなく尊親もないと説き、 このような邪見がその心を壊しているなら、この人がどうして正法を聞くことができるでしょうか。 諸仏大師が世に現れず、また妙法が世間に流れることもなく、 もし人が闇の世の中に生まれたなら、このときどうして正法を聞くことができるでしょうか。 もし人が有暇の処に生まれ、八種の無暇の過ちをすべて除いたなら、 ちょうど病者が良医に出会うように、至心に正法を聞くべきです。 そなたはすでに人身を得て、さらに正法を聞くことができました。 聖果を得られない者は、多くが無暇の中に生まれます。 私が説く八つの無暇は、衆生の難処です。 有暇に住むことができた者は、この世でまれな人です。 そなたはすでに人身を得て、さらに正法を聞くことができました。 自らを愛護する者は、煩悩と慢を除くべきです。 もし正法を聞いても、説かれた通りに行えないなら、 輪廻の八難の中にあって、さまざまな辛苦を備く受けます。 すでに無暇の処を捨て、常に正法を聞くことを求めるなら、 生・老・死の中にあっても、まもなく出離することができます。 もしすでに人身を得て、法を聞きながら放逸にふるまうなら、 後には悩み悔いることになります。商人が財を失うように。 もし人が私の説を聞き、有暇と無暇を識るなら、 それゆえに心を勤めて、正しく梵行を修めるべきです。 私は明眼の人について説きます。よく諸悪を護り、 正念によって防守し、諸々の有漏に従わないのです。 一切の随眠を断ち、大いなる魔怨を降伏し、 永く生死の流れを超えて、彼岸に昇ることができるのです。」
爾時,世尊說是經已,時諸苾芻、人天大眾,聞佛所說,歡喜頂戴,信受奉行。
そのとき、世尊がこの経をお説き終えられると、諸々の比丘、人や天の大衆は、仏の説かれたことを聞いて、歓喜して頂戴し、信受して奉行しました。
佛說八無暇有暇經
仏説八無暇有暇経